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5・18ACT読者会[緑の党の可能性]

オルタナティブな議論の場を

                    日野雄策●GAIA主宰



 7年前、オーストラリアのタスマニアで議員をやっておられるペグ・パットさんという女性の方が、「日本に行って、森林伐採をしている日本の製紙会社に対して抗議行動をしたい。ついてはその際、日本の国会議員と話がしたい」というので、僕がそのコーディネートを引き受けたんですね。それで、今回は、その友人に会いに行くようなつもりで参加しました。
 もちろん、世界のグリーンにはどういう考え方を持っている人たちがいるのか、ということを知りたかったのも事実です。ただ、僕は、大会や会議そのものには、それほど関心があったわけではありません。実際、顔を出した会議は、予想していたような感じのものでした。
 予想外のことを知りたいと思っていた僕は、個別でのコミュニケーションに時間をとるようにしていました。だから、虹と緑の方々とご一緒できなかった部分もあります。
 そんなわけで、いろいろな人にお会いしたわけですが、まず、その話をしたいと思います。

グリーンズ=緑なのか?

 その知り合いのパットさんはグリーンズの一員なんですが彼女を通して今大会の主催者側の代表でもあったボブ・ブラウンさんというオーストラリアの国会議員の方と個人的にお会いすることができました。
 オーストラリアというと、「環境問題」で頑張っているというイメージがありますが、グリーンズの国会議員はまだ一人なんですよね。まだまだ新しい政党なんです。その唯一のグリーンズ国会議員であるブラウンさんはタスマニアの出身で、そこでダム反対運動をやっておられた方です。最終的にダム建設を止めたんですが、その実績が評価されて国会議員になったと聞きました。
 私もちょうど徳島県の木頭村で、ダムを止めた藤田恵さんという村長さんに協力して2年間活動をしてきました。だから、実際にダムを止めるということの難しさは大変よく知っています。
 私が驚いたのは、「ダムを止める運動」がネットワークとしてつながっていって、それがグリーンズという政党に結びついたという点です。そのダイナミックさを考えると、「グリーンズ」というのは日本でいう「緑」というイメージと異なるんじゃないか、「緑」が「グリーンズ」という言葉を訳したものなのか疑問に思いました。
 それから、スウェーデンの方とも話をしました。スウェーデンというと原発を止めて、新しいエネルギーシステムを導入して、環境関連グッズも非情に豊富。福祉は世界一といわれている。環境福祉立国です。
 そこでグリーンが何をしているのかって聞くと、意外なことに労働運動をしているっていうんですね。8時間労働を6時間にしようとしているっていう。もちろん環境問題なんかもやってるんですが、その一方でそういう庶民の生活に密着した運動をやってるんです。
 でも、そういう運動を進めていくと、一方で、国の借金が増えるんじゃないかという問題がありますよね。だから「不安じゃないのか」と聞くと、「そんなことはない」って答えるんです。なぜか。自給率が100%だからです。仮に経済が破綻しても生きていけるんですね。
 翻って日本ついて考えてみると、12時間以上働いているのに、福祉はままならず、原発も終わってなくて、借金だって抱えている。経済破綻すれば、どうにもならない。
 思うに、日本の人は、スウェーデンとは違うところに視点や考え方がいってるんじゃないでしょうか。コマーシャルベースにのった価値観が蔓延していて、「命」というものが見えていない。
 もちろん、外国のグリーンズがすべてオルタナティブで先進的かというとそういうわけではありません。
 政権のキャスティングボードを握ったドイツなんかでは、軍事について協調路線をとらざるを得ない状況にあります。日本で考えてみれば、よく分かると思いますが、仮に日本にグリーンズができたときに、9条を守ってどこまで闘っていけるか。そのあたりも考えさせられました。

まず壊さねばならないもの

 個々の国を見れば、グリーンは、すでに党の議員が多いところもいれば、まだまだ小さな運動組織のところもあります。しかし、時代の流れから考えて、まだまだこれからなんだと思います。
 現実的には、ドイツの緑の党なんかも含めて確固たるものはなく、模索中なんですね。だから逆にいえば、ドイツのグリーンなんかは、政権を担っている分、運営の面で辛い場面もあると聞きました。
 そう考えると、さっき橋本さんが言ったように、いますぐに「緑の党をつくろう」っていって、さっと集めるというわけにはいかないと思いますね。まず、基礎となる「流れ」をつくらないと。
 では、どうやって、そういう流れをつくっていくか。
 まず、日本の政治状況を考えてみましょう。この間、県知事選では、長野、千葉、栃木と展望の持てる結果が出ています。しかし、私がかかわった木頭村長選などをみると、相変わらず土建・公共事業にかかわる金と利権、癒着、そして地縁・血縁といったものが大きく作用しています。そういうものが土着的に根づいてるんですね。議員もほとんど世襲。そのエリアのなかでは、警察なんかも、すべてが権力者について、圧力をかける。そこでは、正義などないわけ。選挙違反に対しても、何もいえない。地方自治などと一概にいっても、都会と田舎では現在かなりの差があるんですよ。
 この権力者がはびこる魑魅魍魎の世界が解体されない限り、地方から国政に出てくる議員は、赤ら顔の土建屋のおっちゃんみたいなのばっかし(笑)。ちなみに9月には徳島で知事選があります。徳島は木頭村のダム中止と吉野川可動堰にストップをかけた実績がありますが、そんな土地でさえも、やはり自民党の金に物をいわせるようなやり方が通用しかねないのです。
 ここで変革のカギとなるのが、マスコミなのですが、残念ながら彼らは日和見です。今回の小泉の総理就任におけるムードづくりはあまりにもおかしいと思いました。
 さらに、そんなことで慌てふためいているその他の政党のスタンスも危うい。もともと野党と与党に違いがあるとかというと、実はない。政党、そして政党政治自体機能していないんです。

大人になろうよ

 このような状況にある今、私たちは地域のさまざまな市民運動に立ち返って、そこに力を集約し、それが地域の政治的活力になるようにしていかなければならないと思います。今までは単なる反対運動が多かったのかもしれないが、これからはオルタナティブな提案を含め、それにシンパシーを感じる人たちを巻き込んで、課題を論議するような場、そしてそれを国政選挙に上げるようなムーブメント、そういったものをつくらねばなりません。それはどうやったらできるのか?
 海外の人たちの話を聞くと、違いは違いとして認め、でもディベートをしながらオルタナティブなものへ進めようとする建設的な論議があります。ところが日本の議論となると、個々で絶対に自説を曲げない、議論のための議論をやってるだけで、新たな提案に行き着くことがない。不幸になりがちです。
 これからは、政治も経済も文学もアートもそれこそ市民の運動も、同じスタンスを組めることは組もうよ。もちろん、違いや多様性を認め合って、ある課題について協力できる関係をつくる。そういう大人になっていけないかなぁ、と思います。


ひの ゆうさく  1957年島根県生まれ、広島で育つ。89年、神田にエコロジーショップGAIAを設立(現住所・千代田区神田駿河台3-3-13 TEL03-3219-4865)、エコロジー事業のコーディネーターとして全国を行脚。昨年12月『エコロジーショップ 本日開店』(ほんの木)を出版した。ダムを止めた村・徳島県木頭村(2000年10月、細川内ダムの中止決定)の第3セクター「きとうむら」の再建にも献身。専務取締役として辣腕を振るい、就任2年目で年商を一億にまで押し上げた。今年に入り、ダムを止めた藤田恵村長を助けようと村の助役に就任するが、4月におこなわれた村長選で藤田氏が敗れたため、やむなく職を辞した。


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