■[ACT新聞社の紹介] |
ACT・3月読者会[アフガニスタン取材報告]
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新島 洋●フリージャーナリスト
アフガニスタンの今の状況は、タリバンが支配していた頃より、遙かに悪くなっていて、治安も麻のごとく乱れています。
現地で活動しているペシャワール会の中村哲さんの報告にはこうあります。「ジャララバードはじめ地方都市は百鬼夜行、無秩序がアフガニスタン全土を覆っている。CNNら西側の主要メディアさえもあきれて退散する有様だ。彼らでさえ、旧タリバン政権の秩序を賞賛する状態……」「北部同盟によってもたらされた自由とは強盗、略奪の自由、麻薬栽培の自由、餓死の自由であって実態はタリバンの出現した1992年に戻ったとしても過言ではありません……」。
こういう状況の中で、軍閥同志が小競り合いをやったり、武装集団が勝手に通行税を徴収したり、盗賊が出没したりしてます。また、報道陣も殺されています。一方で、ケシの栽培が復活しました。ケシは小麦の100倍くらいの収入になるんですね。タリバンの取り締まりがなくなったことで、背に腹は変えられないアフガニスタンの農民は、再び栽培を始めたというわけです。
「死ぬのを待つ」民衆
そういう百鬼夜行、無秩序のもとで、民衆の生活はどうなっているのか。
パキスタンの『フロンティア・ポスト』という新聞に、こういう記事があります。「ある山岳地の僻村の住民は草に大麦を少量混ぜてつくったパンを食べて飢えを凌いでいる。母親の乳が出なくなった乳児は、草粥を食べさせられている。歯のない老人は雑草を粉状に砕いている。住民のほとんどが下痢をしたり空咳をしている。多くが衰弱して立つことができない。家から出ることさえできない者もいる。子どもたちは腹がふくれてせり出している。あまり苦しくなると、母親がボロ布で腹を縛り、痛みをごまかしている。衰弱して動けなくなっていた男性は先週失明した。『私たちは死ぬのを待っているようなもの。もし、食料が来なければ、このまま死ぬまでこういうものを食べ続けるしかない』という42歳の男性は、空咳をし、腹痛血便の症状がある……」。また、これも同じ新聞の記事です。「ある小作人は3週間前に妻と赤ん坊を下痢と飢えで亡くした。干ばつで3年前から農作業がなくなってしまった。食べていくため、ヤギとロバを次々と売り、今はもうなにも残っていない。近所の人に麦を少し分けてもらって、草のパンを作って食べている。子どもたちは1日に2つ、彼は1日に1つを食べる。村を離れたら今のシラミだらけの一部屋のぼろ性の家さえも見つけられる保障はなく、村を出られない。『知らない土地で知らない人に囲まれて暮らすより、自分の家で死んだ方がましだ』と彼は言う……」。まぁ、こういう状況なんですね。
ですから、難民の帰還が始まっているという報告もありますが、一方で新たな難民が発生しているという話はたくさんあります。秩序が保たれているのは、大都市周辺、つまりカブール、マザリシャリフ、ヘラート、カンダハール、そしてこれらを結ぶ道路のみです。つまり点と線だけ。
パキスタンにいる避難民たちっていうのは、むしろある程度お金のある人たちで、アフガン復興のためにはこの人たちが帰ってこないといけないといわれています。こういう、中流層っていうんでしょうか、ある程度の学校教育を受けたような人たちが公務員、エンジニア、医師などに復職して、国づくりの原動力になる必要があるんですね。この人たちはこれまで様子見をしていたんですが、次第に帰りはじめています。もう少し治安がよくなってくればどっと帰るでしょう。
北部同盟兵士たちの実状
では、なぜ、こういう状況になっているのか。まぁ、みなさんもいろんなところで聞いたり読んだりして大方分かってらっしゃると思うのですが、まず、北部同盟の問題ですね。
北部同盟軍というのは軍閥の集まりだという風によくいわれますね。もうちょっとこれを詳しくいうと軍閥の下に「コマンド」という司令官が集まってるわけです。要するに軍閥にはドスタム将軍やイスマイルハーンとか、暗殺されたマスード将軍といった将軍たちがいて、そのもとに司令官たちが馳せ参じているんです。この司令官というのは少ないところは30人から40人、大きいもので1500人の武装集団を束ねています。そして、それらに自分で給料や武器弾薬を与えてます。彼らが将軍のもとに集まってそれぞれの派閥を形成しているというわけです。
これは、長倉晴海さんというマスードをずーっと撮り続けている写真家の方から聞いたんですが、数年前、マスードのところにいたときに、司令官が数人やってきたそうです。そこで、マスードに対して交渉を始めたんですね。兵隊に払う給料がないから金くれ、武器弾薬がないのでこのままではタリバンと戦えない、と。ところが、当時、95%タリバンに支配されてて、北部同盟は、北の端に押し込められている状態で、外国からの積極的な援助というものもない。だから、マスードも「ない袖は振れない」ということで、「何とか頑張ってくれ」という話をするわけですよ。しかし、司令官たちも、死活問題だから、そう易々と引き下がれない。そこで、三日も四日も居続けて、ねばり強く交渉したそうです。それで、どうしたか。マスードは非常に教養のある人ですから、ペルシャ語の詩を読んだんです。「アフガニスタンの美しい星空、美しい谷間」みたいな風に彼が朗読し始める。そうすると、司令官もついにあきらめて帰っていったそうです。いうまでもなく、帰っていった司令官たちは兵隊に渡す給料は何もないわけだから、兵隊たちはなにもない。そうするとどうなるか。当然、兵隊たちは食えない。
実は、こんな体験をしました。私は、国境の川をいかだで渡ったんですが、渡った先に掘ったて小屋があって、その真っ暗な小屋の中で入国審査されるんですね。パスポートを懐中電灯で照らして。そのなかには、北部同盟の兵士たちもウジャウジャいるわけです。足下にカラシニコフ銃が転がっているようなところです。そんなところで横にいるひげもじゃの兵士がツンツンと私をつつくんですね。フッと見たら、口をあけてアーってしてる。ああ、食い物が欲しいんだな、と思って、ポケットにあったあめ玉をあげると喜んで食べたんですが、周りの兵士たちもそれ見て「俺も、俺も」って寄ってきたんですね。
要するに兵士はそういう状態なんです。そうすると、給料をもらえない兵士たちは略奪を働く。パシトゥーンの村を攻略したときには乱暴狼藉を働く。それで食べていくんです。
1940年前後の中国を考えていただくと分かりやすいかもしれません。当時、国民党軍は、軍閥集団といわれていた。そのとき中国の農民たちは国民党軍からさんざん乱暴、狼藉、略奪をされてきたんです。そこに日本軍もやってきて、同じように略奪や強姦、火付けなどあらゆるひどいことをやりまくった。そこへ今度は毛沢東の八路軍までやってきた。農民たちは「また新しいわけの分からない軍隊がやってきた、次は何をされるか」と戦々恐々としてたんですね。そしたら、毛沢東の軍は「針一本糸一筋、人民のものはとらない」という三大規律、八項注意という厳しい軍律を持っていて、非常に紳士的だった。もし悪いことをした者がいれば自軍の兵ですら処罰してくれた。少なくとも国民党軍や日本軍に比べたらはるかに倫理性の高い、規律のとれた軍隊だったんでしょう。
それと同じことが1996年のカブールでもあったわけです。それまで、北部同盟は1992年からカブールでさんざんひどいことをやっていたんです。ここにRAWA(アフガン女性革命協会)のレポートがありますが、これを読むといかに北部同盟がやりたい放題の乱暴狼藉をやってきたかよく分かります。そこにタリバンがやってきた。最初「また新しい奴らがやってきた」と人々は恐れたんですね。そしたら泥棒の手を斬り落としてくれるし、姦通した者には石を投げて殺してくれる。つまり、掟に反したことに対して厳しく取り締まってくれたんですね。それでカブールの最も弱い貧民たちはタリバンを受け入れたわけです。
とにかく、北部同盟というのは、そういう武装集団の寄り集まりなわけです。
ところで、去年アメリカの空爆が始まった直後にタリバンから北部同盟への寝返りがでてるというニュースが日本でもあったと思います。あの寝返りした奴らというのは、もともと北部同盟からタリバンに寝返っていた奴らの可能性が非常に強いんですね。
というのは、タリバンというのは三つの構成要素でつくられているんです。一つは、神学校で学んだ思想強固なタリフたちと世界各地から来た義勇兵。イデオロギー集団ですね。初期の頃はこれらが北部同盟を蹴散らして支配地域を広げていった。ところが、支配地域を広げていくにつれて寝返ってくる奴ら、旧ムジャヒディーンたちのコマンドたちですね、これがもう一つの構成要素となった。そしてもう三つ目は半強制で徴兵してきた貧しい農民たち。要するに支配地域を広げていくと旧タリバンのコアな部分だけでは維持できないから、そういう風になっていったんです。そうすると、タリバンも昔の八路軍のような規律で末端まで管理できなくなるんです。そのコマンドたちというのはもともと略奪をやってきたような人たちですから、タリバンに寝返っても同じようなことをしてきたわけです。
中村哲さんは鎌倉時代の武士集団みたいなもんだといっていましたがその通りだと思います。つまり、司令官の一番の役割というのは、勝つ方につくということです。それを見極めることで自分たちの兵隊や村の安全を確保するわけです。それが責務ですから、どっちにつくか伺っているわけです。そういう人たちが、大都市以外ではまだ各地の農村を守っている。そんな状態だから、北部同盟がタリバンを駆逐したから、アフガンの民主的な国づくりが進むというふうに考えるのは、あまりにもアフガンの現実を知らないといえます。
差別的な無差別爆撃
アメリカの空爆の無差別制、というか無差別爆撃の差別性ですね。そういう皮肉な言い方になってしまいますが、これについて少し述べたいと思います。
アメリカはご存じのように「ピンポイントで爆撃している」なんて言ってますが、実際は30トンの爆弾をばらまき落とす絨毯爆撃、それからデイジーカッターっていう半径1キロ以内を瞬時に焼き尽くす爆撃もやってます。瞬時に焼き尽くすから瞬時に酸素が薄くなり、超低気圧状態になってそこら辺にいる人たちの眼球や内臓などが飛び出すんですね。そういう戦術核なみの世界最大8トンの爆弾というのも使ってるといいます。それからクラスター爆弾。200個あまりの爆弾を半径1キロ以内にばらまき落とすんですね。その一割は不発弾として残る、第二の地雷といわれている汚い爆弾です。そういうほとんど無差別爆撃に近いことをやっているわけです、実態は。それに、ピンポイントといったって自軍の兵士すら誤爆してしまうような精度のものですから。
ニューヨークの貿易センタービルで死んだ人の数は、まだ正式に確定されていませんが、去年の12月には3225人と発表されました。その次点でアフガニスタンの空爆に巻き込まれて死んだ民間人の数が3767人という報告がありました。まぁ、これはあくまでアメリカの学者による推計ですけどね。これでいうとアフガニスタンの空爆の民間被害者の方が多くなっているわけです。しかも、この数には避難民となって飢餓や病気で死んだ人は含まれていません。もちろんタリバン軍側の貧しい農民兵も含まれていません。
想像してもらったらいいんですが、たとえば、自分の住んでいるマンションにオウムの道場があるからといって、巡航ミサイルを撃ち込まれたらどうか、あるいは地域に山口組の暴力団事務所があるからそこに絨毯爆撃されたらどうか、ということですよね。いや、もちろん山口組やオウムだけだったら殺されてもイイといっているわけではないですよ。
たとえば、オサマ・ビン・ラディンがテロの指導者と仮定して、タリバンがそれをかくまったとしましょう。その場合、タリバンの罪というのはどうなのか。これは作家の池澤夏樹さんがいっていることですが、日本だと「犯人隠匿で懲役2年以下、罰金20万円以下の犯罪」なんですね。だから、山口組でもオウムでもタリバンでもたとえ罪を犯していたとしても、それをかくまったという罪で殺されるいわれはないんです。……まぁ、そうはいってもタリバンは一応来るなら来いと言って構えているわけですから、これはまぁ、ある程度やむ得ないところもあるんですが……少なくとも、一般民衆、まったくの民間人が爆撃に巻き込まれる合理的な理由はいっさいないわけですね。
アメリカのWTCビルの犠牲者とアフガニスタンの貧しい農民の命はまったく同じ重さであるにもかかわらず、そういう無差別爆撃をアメリカは平気でしている。これは広島・長崎の原爆の論理と同じで、非常に差別的だとわたしは思います。
アメリカに『9・11アメリカに報復の資格はない』という本を書いたノーム・チョムスキーという言語学者がいます。この本の中で、彼はこう言っています。「IRAがロンドンでテロをずっと続けてきて、たくさんの人が死んだけれども、アフガン爆撃に参加している英空軍はIRAの拠点である西ベルファスト地区に爆撃することはない。また、数年前、オクラホマシティの米連邦ビルが爆弾テロで建物ほとんどをぶっ壊されて、何百人も死傷者が出た。あのあと、アメリカの国民からアラブを爆撃しろという声が出た。ところが犯人捕まえたらアイダホかどっかのアメリカの右翼だった。そしたら、アメリカの米空軍はアイダホを爆撃するかっていったら、、爆撃しない。にもかかわらず、アフガンには爆撃する」。
アメリカの真の狙いは石油利権
お配りした「バークレー市議会決議」という資料を見てください。これは、この間、目にしたもっとも意義ある文書です。ちょっと読みますね。これはアメリカで唯一人、報復爆撃に反対した下院議員のバーバラ・リーさんの地元市議会の決議です。
[空爆を停止し、テロの温床克服を]
1 2001年9月11日の数千人の大量殺害を糾弾する。この虐殺行為がニューヨーク、ワシントン、ペンシルバニアで、罪のない人々を死に追いやったことに深い悲しみを著す。警察、消防、市・州・連邦政府の勇敢な救命努力に敬意を表し支援する。
2 われわれの政治的代表者が暴力の連鎖を断ち切り、できるかぎりすみやかに空爆を停止し、アフガニスタンの罪のない人々の命を危うくする行為やめ、米国兵士のリスクを最小限にするよう求める。
3 われわれの政治的代表者が先月のテロに共謀した人を裁判にかけるためにあらゆる努力を講じ、国際的諸組織とともに活動するよう求める。
4 われわれの政治的代表者が全世界の各国政府と協力し、テロリズムの温床となる貧困・飢餓・疫病・抑圧・従属といった状況を克服するために、最大の努力を振り向けることを求める
5 5年以内に中東の石油への依存を減らし、太陽熱や燃料電池など、持続可能なエネルギーへの転換をめざすキャンペーンに国全体で取り組むことを提案する
これ、いくつか興味深いことが書かれています。
まず、3番目。さっき言った米連邦ビル爆破のとき、政府は犯人を捕まえて、裁判にかけ、処罰した。その後、テロの背景となった社会的不満に、目を向け、政策的な対応もしたと、ノーム・チョムスキーは書いています。要するに、これが普通の政治のあり方ですよね。それに対し、覇道の政治ともいえるのが、アフガンの空爆です。つまり、アメリカは自国民に対しては王道の政治をやりながら、他国民、特にアフガニスタンのような国に対しては覇道の政治を行使するわけです。これもアメリカのダブルスタンダードであり、差別的なやり方といえます。「王道の政治を」というのは、ここにあるように市民の側からも起こっているということです。これには小さな希望を感じます。
そして、5番目ですね。これって唐突な気がしません? なんかとってつけたようだと思わない? 思うでしょ。ところが、この意味を私はだんだん分かり始めてきた。
これについては、まず、カスピ海周辺の情勢をお話せねばなりません。
カスピ海というのは、現在、石油の埋蔵量2700億バレルが確認されています。これは、世界全体の埋蔵量の5分の1に当たります。ペルシャ湾岸に次ぐ原油埋蔵地帯です。それから、天然ガスに関しては、665兆立方フィート、これは世界の埋蔵量の8分の1と言われています。しかも、この地域は、97年、日量110万バレルの生産量だったのが、2020年には、日量600万バレルになると見込まれている。つまり、ほかの油田地帯と違って、生産量がのびていってる。まだ、手の着いていない油田地帯なんですね。
カスピ海周辺にあるのは、カザフスタン、トルクメニスタン、イラン、アゼルバイジャン、ロシアです。カザフやトルクメン、その東のウズベキスタンの石油や天然ガスを西側市場に運ぶのは、ロシアのパイプラインを使い、黒海へ出して、黒海で船積みして西側に送るというのが唯一のルートです。
それが、5年前から別のルートを確立できる目算が出てきた。
9・11のあと、アメリカはウズベクの基地を使用とするとなったでしょ。私は、ここで、初めてアメリカが中央アジアの旧ソ連邦内に軍事的プレゼンスを確立したと思ったわけです。ところが、『世界資源戦争』という最近出された本を読んでびっくりしたんですか、アメリカは1997年、つまり5年前からカザフ、ウズベク、そしてキルギスとの4カ国共同軍事演習をやってるんです。それから毎年のように同様の演習をやってる。それで、その97年の少し前くらいから、上はクリントン、下は国務副長官ぐらいのレベルのアメリカ政府の高官が、この地域に対して、異例の発言を繰り返している。それは「この地域はアメリカにとって安全保障上きわめて重要な地域である」といった類のもので、実際、首脳外交をやっている。これらの国々は独裁国家ですよ。にもかかわらず、それら独裁国家の元首をワシントンに招いたり、あるいはクリントンが訪ねていったりしているんです。その結果、ウズベク、トルクメン、カザフスタンの油をカスピ海海底を通し、アゼルバイジャン、グルジアを経て、黒海に出す、このパイプライン建設計画、加えてNATOの国であるトルコを経て直接地中海に出て、西側に送るというルートについての政府間合意を取り付けたわけです。これをクリントンは政治的大勝利といっています。
ところが、合意を取り付けたものの、このパイプライン建設に関しては、肝腎の石油メジャーが難色を示した。なぜなら、古くてときどき故障しても、ロシアのパイプラインを通して送った方がずっと格安だから。海底を通すこの新パイプラインルートはあまりにコストがかかりすぎるというわけです。
一方で、98年までは、アフガンを通してパキスタンへ抜けてアラビア海へ出すというルートの計画もあったんです。計画を推進したアメリカの石油会社「ユノカル」は「第二のシルクロード」とまで呼んで米議会などで盛んにロビー活動した。しかし、98年、ケニアのアメリカ大使館での爆破テロでビン・ラディンが首謀者とされ、アメリカはアルカイダの拠点に巡航ミサイルを撃ち込んで、タリバンにビン・ラディンの引き渡しを求めたが、タリバンがこれを拒否した。このころから、タリバンとアメリカの敵対関係は非和解的になった。そして、このパイプラインの計画は消えるわけです。ちなみに、このパイプラインは日本にとってもエネルギー安保上大切な計画で、実際、伊藤忠商事が関わっていました。
さて、アメリカはなぜこのカスピ海沿岸をそこまで重要視するか。それはさっきいったように生産量が上昇しつつある大油田があるからに他ならない。アメリカは世界一の原油消費国です。アメリカは京都議定書の離脱をし、欺瞞的な新しい提案をした。ブッシュは、大統領選挙のとき、「アラスカの油田を開発する」という公約を掲げていた。とにかく、現状のまま石油を使い続けて世界に君臨するということを鮮明にしている政権なんです。そのアメリカがいま依存しているのは、ペルシア湾岸の油田です。ペルシア湾岸というのはイラン・イラクというアメリカいうところの「悪の枢軸」国であり、そしてさらには現政権はアメリカ寄りだが、民衆意識からみれば潜在的な非友好国であるサウジアラビアもそうです。だから、アメリカからすれば、ペルシア湾岸からカスピ海へ軸足を移すということは非常に大きな安全保障上の祈願だったわけです。そして、なんとかそのためのルートを取り付けたけれども、石油メジャーは難色を示した。そこで、できれば、アフガンを経てのルートを実現したいと考えたわけです。
イギリスの新聞の『ガーディアン』にこういう記事が掲載されました。9・11の2ヵ月前の7月にベルリンで、アメリカとイランとロシアとパキスタンが秘密会議を開いていたというんです。その会議の結果はパキスタン政府を通じてタリバンに通知された。どういう内容かという、ウサマ・ビン・ラディンを引き渡さなければ、本格的な軍事行動を始める、というものです。つまり最後通告ですね。もちろん、それまで、巡航ミサイルを撃ち込んだりしてたんですよ。でも、そんなのでは埒が明かないということで本格的な軍事行動をするという通告を突きつけたんですね。もちろん、タリバンは断った。「やれるもんならやってみろ」と。そこで、いよいよやるぞとなったところで、9・11が起こった。となると、この同時テロというのはつまり、「やられる前にやる」という先制攻撃という意味合いが強いわけです。
だから、この事件はよく真珠湾とアナロジーされるけど、その所以がこれなんです。状況証拠みたいなのはたくさんあるんですよ。田中真紀子が9・11前にアメリカに行った際、空港で「何よ、このものものしい警備ぶりは」と言ったというような話とかね。つまり、アメリカはビン・ラディンがテロを仕掛けてくるということはほぼ分かっていた。分かっていてやらせて、そして、宣戦布告する大義名分を手に入れたわけです。これは、真珠湾とよく似ています。最終的に、宣戦布告して「戦争」と位置づけて、アフガニスタンの政権自体を片づけてしまおう、という狙いなんですね。
要するに、アルカイダの軍事施設だけを爆撃していただけじゃ意味がないわけ。その政府自体を転覆させてより、親米的な政府にしてしまわなければアフガンの新パイプラインルートというのはあり得ないわけです。
いま、ビン・ラディンが死んだとか生きてるとか、どこに逃げたんだとかいわれてますが、彼を捕まえることはアメリカにとってそんなに大事なことだとは私は思わないですね。つまり、この地域をアメリカの秩序によって支配することが重要なんです。しかもアメリカかがあまり表に出たら目立つんで、超高度から爆撃して、地上は多国籍軍などに任せるというスタンスをとっている。
いまの話を聞いた上で、先ほどの5番目の「宣言」を読み直してもらいたい。これ、とってつけたようなエコロジカルなスローガンなんだけども、要するに、これを提案した人たちは分かってるんじゃないかなと思うんですね。中東への石油の依存、そしてそれからの脱却というアメリカ政府の大きな方針が、アフガニスタンへの軍事的モチベーションになっているということを。だから、5番目に加えたんじゃないかな、と思うんです。もちろん本人たちに確認したわけじゃないから断言はできないけどね。
そういう背景事情を含めてこのアフガン戦争というのを理解しておく必要があると思います。ブッシュのいう「テロとの戦争」という部分だけをCNNや日本の報道機関も流していますが、それでいいのかということです。もちろん「テロとの戦争」という側面からも語らなければいけないんだけど、それだけではあまりにナイーブ過ぎるのではないかと思います。アメリカは、国家的な利益をからめて動いているのではないか、ということを頭に入れといた方がいいんじゃないかと思います。
ちなみに、私、またアフガニスタンに行きます。今度はNGOの最前線を取材してきます。NGOといってもアカンNGOがあるわけですよ。ペシャワール会の中村さんがいってたような砂漠の中でトイレだけつくって帰っていったNGOとか、現地事務所だけとか。そういうのがあって、現地の人たちから嫌われてるんですね。そういう実態ですね。
それから、もう一つ、支援の事情ね。確かに、短期的な食料援助というのは重要だけど、それだけだと現地の人たちの自立がスポイルされることになる。そういう支援のあり方の中身についても、ちゃんと応えられているのかということを調べてみようと思っています。
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