■[トピック] |
◆辛口レビュー 日本の“若い緑”にエール
ケリー・ネトルさん(オーストラリア緑の党・上院議員)
◆CATCH UP ◆いずみ(編集長コラム)
◆2・15 世界中でイラク攻撃反対デモ
◆イラク反戦デーに緑の党世界連合も反対声明
◆2・11 紀元節行動に参加して
◆拉致被害者支援に新しい風――関西で在日コリアン集会
◆法談閑談(16) 佐高信著『タレント文化人150人斬り』を読む
◆〈写真コラム・路傍の片隅から〉F
◆末端私論 拉致と強制連行
◆2・6 スコット・リッターさん来日講演
◆Hot Issue in the World(13) ブラジル新大統領の動向
◆アジア・緑の政治事情 第1回・台湾
◆がんばれ! ACT Frirends
山本あき子さん(新潟・巻町/新)
尾辻かな子さん(大阪/新)
◆川田悦子議員の東京21区――地元の反対押し切って共産党が独自候補擁立
◆ECOひいき 沖縄 ファームハウス
◆[映評] 『裸足の1500マイル』(2002年/オーストラリア/監督:フィリップ・ノイス)
◆〈新作映画紹介〉『笑うイラク魂〜民の声を聞け』
◆BOOK Review
武田徹 著 『「核」論 鉄腕アトムと原発事故のあいだ』
◆〈案内〉 3・2「NO WAR NO DU」
◆〈案内〉 世界ヒバクシャ展
◆広告(3面) さつき印刷
『創』3月号/『オバハンからの緊急レポート』……創出版
『記録』3月号……潟Aストラ
健康食品ケンコウキン……泣Jルティエ
(5面) 『200万都市が有機野菜で自給できるわけ』……築地書館
日本の“若い緑”にエール
ケリー・ネトルさん
(オーストラリア緑の党・上院議員)
新しい世代の政治参加にはいろいろな可能性があります
ゆとりあるリラックスした政治こそ
ケリー・ネトル
Kerry Nettl 1973年生まれ。大学時代からウラン鉱採掘反対運動、囚人の人権擁護運動、公共交通まちづくり政策などに関わる。2001年4月、シドニー工科大学で開催されたグローバル・ヤング・グリーンズのコーディネーター役を務める。同年11月のオーストラリア連邦上院選挙で緑の党NSW(ニュー・サウス・ウェールズ)州候補としてリストアップされ、初当選。ケリーさんのいるNSW州議会選挙は2003年3月にあり、NSWグリーンズは州下院全選挙区に候補者(合計93名)を擁立の予定【構成・写真 清水耕介】
若い世代から政治・社会を変えていこうと始まった「グリーン・ユース・キャンペーン」が主催したオーストラリア緑の党上院議員、ケリー・ネトルさんの来日講演会は大成功のうちに終了した。来日にあたってグリーン・ユース・キャンペーン共同代表の清水耕介さんがお話を伺った。
(講演会の報告については187号4面参照)――まず、ちょっとプライベートな質問なんですが、私はケリーさんのような方がどのような育てられ方をして、どのような教育を受けたのかに興味があるんですが。
私の父と母はともに大学で働いていて、父は教員、母はカウンセラーをしていました。2人とも比較的自由な環境を私に与えてくれました。それは私にとって非常にラッキーなことだったと思います。それから特に影響を受けたのは、母の仕事の話です。母は仕事のことを多く喋ることはなかったのですが、それでもいろいろな人に辛い状況があるということを教えてくれました。これは現在の私のパーソナリティーの原点といってもいいかもしれません。――ニュー・サウス・ウエールズ国立大学では何を勉強されたのですか。
環境科学です。現在の活動と直接関わりのある学問とは必ずしもいえないのですが、それでも何らかの役にたっているとは思います。学歴という点ではオナーズ(修士課程の前の学位)で勉強した化石学が面白かったですね。
ポッサム(オーストラリア・ニュージーランドに生息する小動物)です。当時はその骨を掘り出すことばっかりしていました。(笑)
――化石学? 恐竜の骨とかの研究ですか?
――……ということは、政治学や経済学など社会科学については弱い?
少なくとも強いとはいえないでしょうね(笑)。ただ、私には非常に優秀なスタッフがいます。特にジョン・エドモンズはロンドン大学のLSE(London School of Economics and Political Science:世界的に有名な社会科学専門の大学)で政治学を専攻した人です。実践を経験したいということで私の事務所に来たのですが、彼の理論的な思考は大きなヘルプになっています。もっとも、私のような実践型人間には彼の話はまどろっこしく感じるときもあって、ときどき大喧嘩になるんですけど(笑)。以下、本紙をご覧ください。
また1人得難い友をガンが奪ってしまった。元全金大阪港合同支部細川鉄工分会長津嶋茂夫、享年60才。定年退職したばかりで、桜の花が咲く頃には復帰できると信じながら逝ってしまった。
15才、中卒の「金の卵」として、津嶋は徳島から大阪に集団就職した。しかし「金の卵」を待っていたのは、中世の徒弟制度のような世界だった。仕事は身体で覚えるものと、毎日のように殴られた。津嶋の声がでかいのは、機械の騒音にもまして、殴られた後遺症で耳が遠かったからである。「宿舎食堂完備」とは蚕棚のようなベッドと、賃金の半分以上とられる賄い付きのことであった。少年津嶋は、毎日のように大阪港に来ては徳島の方角に向かって両親の名を叫び泣いた。港合同の闘士として講演会に呼ばれるようになってからも、このくだりになると、津嶋は顔をくしゃくしゃにして泣くのである。
小指を根元から切断したとき、会社は基準局に届けさせず、涙金程度の見舞金をくれた。その金をおやじに送ったが、息子が身体を削って得た金を受け取れるかと、送り返してきたという。ここでまた津嶋は泣くのである。
67年、25才の津嶋は組合をつくる。会社と同盟の切り崩しで400人中16人の少数組合になるが、津嶋はひるまなかった。71年3月から78年8月までの863日間、暴力ガードマンを使ったロックアウト攻撃に、港合同支部の1日も欠かさない支援行動もあって、ついに勝利する。数多くの港合同闘争神話のなかでも、細川鉄工争議は群を抜く神話である。
津嶋はたしかに闘士だったが、抜群の技能を持つ熟練工でもあった。超高感度機械の据え付けをコンピューターとミリ単位の誤差で競って勝ったのが、津嶋の自慢だった。学歴もなく、何かにつけて抗う津嶋を、会社が無視できないばかりか、丁寧に処遇したのは、彼の技能が他に置き代えられなかったからである。
何十年も続く労働者自主生産。1人の仲間も見捨てない連帯の気風。こうした港合同の歴史と現在は津嶋のような労働者の存在を抜きには語り得ないのである
小寺山康雄
ファームハウス (沖縄)
*ココロとカラダにおいしい宿*
ファームハウスは沖縄北部の本部半島にある、客室四室の小さな宿だ。部屋はテレビもない畳敷き、バス・トイレは階下に男女別一対のみ。眼下にビーチリゾートがあるわけでもないこの宿にリピーター客が絶えないのは、なによりも素朴で滋味あふれる山野草料理の魅力だ。
ある日の夕食は、ウコンの入ったご飯と野生ミツバのみそ汁に、県魚グルクンの唐揚げがメイン。ツワブキの炒め煮、島ニンジンなど春野菜の煮物、ベニバナボロギクのごま和えと焼き豆腐がつく。基本の調味料は質のよいものを選び、できるだけ身近でとれる材料を使っているという。早春から夏には摘みたての山野草の天ぷら、秋なら炊きこみご飯、新年の朝食は野草の七草がゆ。旬の恵みを生かした心づくしの料理はしみじみとおいしい。泡盛で漬けた果実酒、薬草酒が何種類もあり、飲み比べも楽しい。
もうひとつの魅力は、宿主である伊藝(いげい)夫妻のお人柄だ。沖縄に移住し、平飼い養鶏と無農薬有機農業のかたわら山菜・野草の魅力にはまってしまった秀信さんと、もの作りがしたくて陶芸を独学した敬子さん。自分らしい生き方を求めて試行錯誤してきただけに、あったかくて寛大。自分たちで廃材で建てたという、シンプルでどこか懐かしい雰囲気の空間も心地いい。
お二人は沖縄の四季の山野草の魅力とこれまでの人生を綴ったイラストいっぱいのエッセイ『沖縄発 山野草のおいしい話』をふきのとう書房(TEL03-5658-0931)より1月に出版した。読んでよし、泊まってよしのお薦めの宿。
山家 直子(フリー編集者)
【連絡先】沖縄県国頭郡今帰仁村字諸志1993
TEL 0980-56-2148(FAX兼)
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