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『ACT―市民の政治―』165号(2002年3月11日)

Line Up

  ◆辛口レビュー 問題の原因は「お金」だった
          森野栄一さん(ゲゼル研究会代表)
  ◆CATCH UP  ◆いずみ(編集長コラム)
  ◆大阪・茨木市議会 日の丸掲揚に抗議し、国連旗持ち込んだ議員に懲罰動議
  ◆「有事法制」反対集会
  ◆末端私論 「ACTの神戸市長選報道について」
  ◆〈告知と募集〉 4・20 集え! アースデイ
  ◆ヨーロッパ「神風」遺言行脚   (元特攻隊員・信太正道さんより寄稿)
    第3回勉強会報告「不良債権処理と小泉内閣」 講師:金子勝(慶應大学教授)
  ◆OLのつぶやき(12) 会社のなかの共生
  ◆神戸市長選に臨む・苦闘する市民派(中)
  ◆Hot Issue in the World(7) 教育の規制緩和に反対し、全ヨーロッパで学生が立ち上がる
  ◆〈案内〉中国戦争被害者支える会の集会
  ◆シリーズ[わが町の大問題]  東京・日の出町  処分場バブルで揺れる町
  ◆市民派議員リレートーク(42) 続博治(鹿児島県隼人町議)
  ◆[案内]第2回 国際グリーンフォーラム
  ◆BOOK Review
     池田五律 著 『海外派兵―自衛隊の変貌と危険なゆくえ』
     あべよしひろ 著/柴崎るり子 絵 『ボクらの街のボクらのお金―自分たちのお金を作ろう!』
  ◆[緊急ニュース] コロンビア緑の党大統領候補が選挙遊説中に誘拐
  ◆意識のオルタナティブ(9) 有権者自身の構造改革を
  ◆[案内] 新作映画『軍隊をすてた国』
  ◆テレビ丼  数字の巨人・大橋巨泉
  ◆広告(2面) 『軍縮』4月号……宇都宮軍縮研究所
            『創』4月号ほか……創出版
            ビデオシリーズ『人権ってなあに』……潟Aズマックス
            さつき印刷
       (3面) 『懲戒除名』ほか……四谷総合法律事務所
            『虹と緑』10号……虹と緑・地方自治政策情報センター

辛口レビュー

問題の原因は「お金」だった
 森野 栄一さん
(ゲゼル研究会代表)

貨幣は財産じゃないんです

山間地の豊かな財活かす取引の手法を創り出そう


森野栄一
もりの えいいち
 1949年、神奈川県生まれ。経済評論家。 國學院大學大学院経済学研究科博士課程修了。共著に『なるほど地域通貨ナビ』(北斗出版/1800円)など。90年代初めから日本でもゲゼル研究グループへの参加を呼びかける。地域通貨・ワットの運営にもかかわる。
ゲゼル研究会 http://www.grsj.org/ 神奈川県横浜市神奈川区子安通3-321(森野気付)
ワットシステムズ http://www.watsystems.net/                【構成:清水直子】

 だから、貨幣の特権を廃止しよう。/誰も、貯蓄家も投機家も資本家も市場や商店や倉庫にある内容物として好ましい財のように貨幣をみなさなければならない。/貨幣が保有されず、財を支配しないのであれば、貨幣は財がそうであるように悪化しなければならない。/それが虫に喰われ、さび付くようにしよう。/傷つき、消滅するようにしよう。/そうして消滅するときは、埋葬の費用はその所有者にして負担せしめよう。/消滅するとき、そしてそれに至るまで、貨幣と材は同じ基礎の上に立ち、完全に等価であるといいうるのだ。(シルビオ・ゲゼル『自然的経済秩序』)

 20年ほど、シルビオ・ゲゼルの研究を続けながら、非政治、非営利、非宗教をモットーに、ゲゼル研究会というネットワークを作ってきましたが、最近は「緑」を掲げる集まりや政党から呼ばれて話すことが多くなりました。

※シルビオ・ゲゼル(Silvio Gesell、1862〜1930)は、ドイツ生まれの実業家で、経済学者。通貨政策の混乱によりインフレとデフレを繰り返すアルゼンチンの様子を目の当たりにし、「貨幣の流通は個人の気まぐれや投機家の貧欲さから自由でなければならず、管理されなければならない」「貨幣は公共の交通機関のように公共財であり、使用の対価として少額の使用料を徴収すべきである」と述べ、貨幣の使用者が印紙を購入し毎月それを添付しなければ価値を保持することができない「マイナス利子」の「スタンプ貨幣」を提唱した。現在のような「プラス利子」の社会では、利子率を上回る収益を得られる事業のみが投資に値し、代替エネルギーやエコロジカルな農業、森林保護など長期的に低収益しかあげられない事業への投資を困難にしている。(『だれでもわかる地域通貨入門』より)

 主流の経済学もそれに反対してきたマルクス経済学も、お金とは何かということを考えないという意味で根は一緒でした。20世紀中には、資本主義の矛盾を批判し、世の中を変えようという社会運動があり、ロシア革命で2000万人以上の人が亡くなったように考え方の対立によって人も死にました。そこまで人は懸命に世の中の社会システムにまつわる問題を解決しようとしてきたのに、お金の仕組みを変えようとはしなかった。

お金は財産か?

 世の中の人はみな、お金がない、お金が欲しいとは言います。でも、そんなに欲しがっているお金とは一体何でしょうか。人類は、お金が登場するずっと前から、生産活動をおこない、社会生活を営み、なんと銀行のシステムももっていました。メソポタミア文明では、穀物を貸したことを示す粘土片が使われていました。古代のエジプトには、預かり料をとって作物を預かる銀行があり、その契約を示す陶片がお金の代わりとしても使われました。やがて、人類は、財産を表す共通の尺度を見つけていきます。最初に都市が生まれたのは塩の交易地で、塩がお金の代わりでした。塩はどんな単位にも分けられ、均質で、変質しにくく、誰もが欲しがり、運搬がさほど困難ではありません。そして、この条件に当てはまる金が次第にお金として使われるようになりました。
 しかし、世の中の金の量は限られていて、取引のときに不便なため、金以外のお金も使われるようになったというのが、ここ7000年くらいの人類のお金の歴史です。ところが、ここ2000年間のうちに染みついたお金に対する考え方が私たちの頭のなかを支配しています。
 お金を財産だと思う考え方です。お金は交換のために便利なコミュニケーションの手段ですが、金がお金として使われるようになると、価値を保っていつまでもとっておくという役割が期待されるようになりました。
 金以外にも財産をとっておく方法がありました。たとえば山林。日本は山林国家で、第2次世界大戦後も国破れて山河ありといわれたものですが、そんな財産としての森林は今どうなっているでしょうか。山林を持っている方はみな高齢で、相続した人も林業をやるつもりなどさらさらないし、誰も山林の維持にお金を投資しようとはしない。
 この山林が生み出す豊かさの1つにきれいな水があります。すでにこの水を買おうとしている国際資本があります。「緑」に関心のある人は山を買いましょう。笑い事じゃないんです。山林がこの国に住む人間ではない企業のものになってしまいます。

金銭基準は氷山の一角

 一方、森林が生み出している豊かさや海が生み出す豊かさに気が付き始めている人たちもいます。北関東の山林地主で、鉄工所も経営している人がいます。地元の人を雇っているのですが、「うちは一人もクビにしていない」と言うのです。不況で、空いた人手は山仕事にまわす。ついでに山からわき出ている水を売ったら当たっちゃって、という。普通の経営者なら、そういう発想はしないでしょう。今、売り上げ高に対して人件費の比率が一番低いのは大企業です。大企業は8%、中小企業は13%くらいです。
 会社の状況を表すのはバランスシート(貸借対照表)と損益計算書ですが、バランスシートはひどいことになっていて、値上がりを期待していた土地は、塩漬けになっている。銀行からは貸した金返せと矢の催促。バランスシートを改善しなければ企業は新しい事業行動なんかできないというのが世間の常識です。同時に、企業は損益計算書でも、利益が出ていることを世間に示さなければ、株の値段も上がらない。利益を出すためには、売り上げが増えなければコストを削るしかない。企業経営を効率化するため大企業はリストラの嵐で、失業者が増えています。中小企業も人を抱えきれないところは多いですが、売上高に占める人件費比率が大企業よりは高い。
 ところで、先ほどの北関東の鉄工所の経営者は、たまたま山を持っていたからだ、と思うかもしれません。では、その人が戦後ずっと山林を持っていたことで、今までどれだけ儲かったでしょうか。
 山林に百万円投資したとしても収益が上がるのは30年から50年後。山の手入れをしていれば出費ばかりがかさむ。しかし、豊かさに気づくちょっとしたきっかけがあった。今までの経済の考え方は、お金の仕組みそのものを問題にしなかったし、金銭的な基準で世の中を見ていました。
 ところが、今や全国でたくさんの地域通貨が使われるようになりました。地域通貨には利子が付かない、物と物、物とサービスを交換する信頼の世界です。金銭基準は世の中の仕組みをはかる氷山の一角にすぎないのに、水面から出ている金銭基準だけで世の中のことを考えていないでしょうか。50年後に100万円が200万円になるよりも1ヵ月先に5万円くらいの利益を生んだ方がいいなと思ってしまうというように。

  [以下2面へつづく]→本紙をご参照下さい

※このお話は2月23日、東京・渋谷でおこなわれた、「緑の人々」設立準備会・東京が主催した講演をもとに森野さんのご承諾を得てまとめたものです。森野さんの講演はインターネットTVで放映中 http://nvc.halsnet.com/jhattori/green-net/


いずみ

 30数年前になるが、マクルーハンという学者のメディア論が流行した。それを翻訳紹介した竹村健一は大阪の私立大学の教官から、一躍マスコミの寵児になったくらい一世を風靡した。
 当時、労働組合の教宣部の書記をしていた関係もあってマクルーハン理論を勉強したが、これが難解であった。竹村の解説書がまったく意味不明なのだ。そこで竹村の翻訳したものを読むと、なんともわかりやすいではないか。よくあることだが、オリジナルをオリジナルな言語で読める人は、それだけで幸せである。
 マクルーハンはテレビとラジオを比較して、前者をクールなメディア、後者をホットなメディアとして、今やホットメディアで人びとを煽動したヒトラーの時代ではなく、人びとに考える余地を与えるクールメディアの時代であることを展開した。ケネディがニクソンに逆転勝利するのに大きくあずかった力は、テレビだったというのだ。
 マキコとムネオのテレビバトルを楽しみながら、マクルーハンを思い出した。もし、あのバトルをラジオでやったら、ムネオはあれほどの惨敗を喫しただろうか。面構え、ジェスチャー、スタイル、何をとってもムネオくんは分が悪い。「アホの坂田」から愛敬をとれば、利権漁りだけ長けた風采あがらぬ中年男だ。
 それに対してマキコは意味不明なれど、言語明瞭。我儘で人を人とも思わぬ傲慢な女が、逆に、威風堂々にして侵し難い威厳を醸しているように見えてくるではないか。外務官僚に煮え湯を飲まされ悔し涙を流したことさえ、テレビで放映されたことによって、たった一人で伏魔殿と闘っているジャンヌダルクの再来になったのだ。「涙は女の武器」と揶揄した純一郎くんは、テレビの怖さを知らず支持率を急降下させた。
 ブッシュを庶民風居酒屋に招待し、「たまたま」居合わせた客の喝采を浴びたが、件の店は貸切り、客は外務省関係者ばかりだったことを、たまたまテレビが映してしまった。テレビで虚像を膨らませてきた純一郎くんだったが、テレビによって虚像を剥ぎとられてしまった。 

                                                     小寺山康雄 


店・モノ・活動を‘ECOひいき’!!

 ACTの名物コーナー「ECOひいき」に登場してくださるみなさんを募集しています。「ECO」なお店、会社、グッズ、運動、などを是非、ACTで紹介させてください。自薦・他薦は問いません。紹介文は、本紙だけでなく、ACTのウェブサイドにも掲載させていただきます。
 @お店・グループ名 Aお店の紹介や商品説明、活動案内(500字以内) B連絡先(お店などの場合、「行き方」も) C執筆者氏名 D掲載紙送付先・原稿に関する問い合わせ先 ―を明記し、EメールかFAX、もしくは郵便でACT編集部[act@jca.apc.org]までお送りください。地図・写真などを添付していただければ、それも一緒に掲載いたします。(編集部)


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