■[トピック] |
◆辛口レビュー
この格差を許さない!
白藤栄子さん・石田絹子さん・矢谷康子さん(住友男女差別裁判原告)
◆CATCH UP ◆いずみ(編集長コラム)
◆〈辛口レビュー関連〉
住友化学男女差別裁判・大阪地裁補傍聴して
伊田広行(大阪経済大学教員)
住友電工男女差別裁判 傍聴した学生・支援者の声
◆《新連載》今月のしなやかヤッシー
◆グローバル・グリーンズ訪問団記者会見
◆5・3 憲法集会告知
◆経済ウオッチング(14) 問われる時代認識の深化
◆木頭村村長選―藤田恵村長、まさかの敗北!
“村づくり”は再出発します 日野雄策(株式会社きとうむら取締役/前木頭村助役)
◆《新連載》法談閑談 内田雅敏
◆品川区教委差別発言事件―“「君が代」斉唱に起立しない人は式に招待しません”
思想信条の侵害に断固抗議します 船波恵子(品川区議)
“先進的教育”の中身に恐れ感じる 品川平和:市民
◆集会案内 5・6監視社会とプライバシーを考える集い
◆市民派議員リレートーク(24) 長野美保子(東京都清瀬市議)
◆ECOひいき @岐阜・茗荷舎 A東京・グループ目高舎
◆旅 2000年の田舎(最終回) 列車と魚たち
◆かわたなつみの英国Eco留学日誌(4) ノルウェーの集い
◆アイヌ「共有財産裁判」
◆広告(3面) さつき印刷
『創』5月号ほか……創出版
『記録』5月号……株式会社アストラ
『21世紀社会主義への挑戦』ほか……社会評論社
この格差を許さない!
白藤 栄子さん 石田 絹子さん 矢谷 康子さん
(住友男女差別裁判原告)
裁判は負けたけれども
変革の一歩になったはず
支援者は周囲にいっぱいいます
しらふじ えいこ(住友電工) 1969年入社。コメント「舞台は高裁へうつり、3月15日には第1回法廷が終わりました。これから社会へ巣立つたくさんの学生さんが応援してくれています」
いしだ きぬこ(住友化学):1963年入社。コメント「女だって会社を背負って働いている。けれど女には一人前の仕事をさせない。させても、評価しない。仕事の中で成長し、生きがいを見定めたいと思って私は裁判しています」
やたに やすこ(住友化学):1968年入社。コメント「学生時代は男女平等。社会に出れば男女差別が日本の常識。こんな日本を何とかしたいと世界に訴えています。みんながおかしいと思うことで裁判が出来るのはうれしいことです」
【構成:森起佐太】
「女性の賃金が同期同学歴男性の六割というのは、男女差別である」として、95年8月、住友メーカー3社(住友電工・住友化学・住友金属)の女性従業員が、大阪地裁に提訴しました。本紙では、本年3月28日の判決を前に「住友化学男女差別裁判原告」である矢谷康子さんに、裁判の持つ意味と支援を訴える投稿をいただきました(141号)。残念ながら、出された判決は全面敗訴。判決文は昨年7月の住友電工の判決(敗訴)より後退した内容でした。
今回、「住友男女差別裁判原告」の白藤栄子さん(住友電工)・石田絹子さん(住友化学)・矢谷さんの3人に、どのようにして裁判に行き着いたのかを中心に語っていただきました。
――皆さん別会社なのに、どうやってお知り合いに?
白藤 私たちは、最初から同じ住友系列の本社ビルで働いていたんですよ。みんな昼食時には食堂でいっしょになったりして。
石田 建設当時東洋一と言われた住友ビルに、住友各社の本社が入っていたんです。淀屋橋のビル街にあります。私たちは元祖「花のOL」ってとこかしら(爆笑)。
――では、裁判に踏み切ったいきさつを教えて下さい。
石田 私たちは30数年前に、女性がする「お茶くみ」や「早朝出勤による掃除」廃止を組合を通して実現していました。女性有志でアンケートをとって「職場ニュース」を発行して女性の要求を組合大会などで訴えたりもしました。要するに、ずっと「うるさい人」をやってきたんです。
――飛躍のきっかけは、宮地光子弁護士(担当弁護士)との出会いですか?
白藤 そう。92年に宮地弁護士がつくった「均等法・ネットワーク講座」に、私たちも有志で参加したんです。当時、商社・銀行などのOLが集まって経験交流や勉強会をしていたんですが、そこで、メーカーの給料がダントツに低いことを知りました。そこで、「住友メーカーネットワーク」をつくり、女性低賃金の実態と仕組みを探ることにしました。
矢谷 当然、会社は教えてくれないので、データを持っている組合に求めたんですが、プライバシーを理由に教えてくれないんです。平均賃金データだけなのにですよ。
――実際、同期・同学歴(高卒)男性との格差はどれくらいあるんですか?
矢谷 月収だけで見ても、15万です。同期男性は21年目で8割管理職。石田さんは22万差があります。
白藤 私の場合24万で、直属上司が同期の男性。年収差は400万。この不平等をずっと組合にも上司にも訴えてきましたがダメでした。
――すごい差ですね。…で、話を戻しますが、その行き詰まった状態をどういうふうに打破したんでしょう?
矢谷 ちょうど93年、国連のCEDAW(女子差別撤廃委員会)に「カウンターレポート」を提出したんです。これは、女子差別撤廃条約を結んだ政府が国連に出すイイことばかり書いた「条約締結後のレポート」に対抗して民間からカウンターパンチをあびせることができるようにしたシステムです。
レポート提出後、ロビー活動するため、国連に行くことになったんですが、これを、マスコミも大きく取り上げました。このとき、会社名や名前出さなくちゃいけなかったから、勇気がいりましたね。でも、逆に外に踏み出す契機になったように思います。
実際行ってみると国連の委員も各国の民間代表も私たちのレポートを読んでくれていました。多くの人たちが議論し支援してくれたんです。驚きましたね。世界の流れはこちらにある、と確信しました。
そこで、94年に労働省(現・厚生労働省)管轄の大阪婦人少年室に男女差別是正の調停申請をしました。三社三様の対応がありましたがすべて不満なもの。電工では門前払いされたので、これを女性差別として後に「国」を提訴しました。
最終的に、このままではダメと判断し、3社そろって裁判に踏み切ったんです。95年のことです。
その前年には、簡易裁判所を通し、組合に「賃金データー開示」の調停申請をしましたが、組合はプライバシーと「会社には男女差別はない」ということを理由にいっさい協力しない。そこで、日弁連の「人権擁護委員会」に、組合に対しての「人権救済の申し立て」を申し入れました。日弁連は、調査の結果、98年、賃金平均の資料等を開示するよう組合に「勧告」。これは、大きく報道されました。しかし、3社の組合はそれでも応じなかったんです。
――ここまでやると職場で同僚から孤立しませんか?
白藤 それが、逆に環境は良くなりました(笑)。国連に行くときなんか、ニュース見て、期待も声援もしてくれました。そっと激励してくれる中間管理職の男性も出てきたんです。もっとも裁判となると、シビアーな関係になった上司もいましたが。
今では、心ならずも会社を辞めていった人も「よくぞやってくれた」と支援してくれています。
石田 私のところはカンパがありますね。ボーナスのたびに出してくれる人、毎月集めてくれる若い人なんかもいます。それからWWNの会員になってくれる管理職のおっちゃんまで増えてるんです。
――提訴したときはどんなお気持ちでしたか?
白藤 何の支援もない市民がようやく裁判という「公」の場に出て、社会に訴えることができたのが喜びでした。
矢谷 「勝てるはずない」、なんて周りから言われましたが、私の中では、「やってみなけりゃ、分からない」という気持ちでした。やってみて、「先進国」日本がどんなに遅れているかを世界中に明らかにすることができました。また、「住友裁判やってる人は私の友だちです」と会社との交渉で話したらドッと給料が上がったという他社の女性が、本当にたくさんいますのよ(笑)。だから、今回こんな結果になったけど、勝っても負けても私らの勝ち!と思ってます。
3月26日から15日間南イタリアを旅してきた。南伊は前から行きたかったが、治安が悪く、鉄道の便も悪いので夫婦2人の旅はしづらい。そこで朝日新聞社の「アッピア街道縦走」ツアーに参加したのだが、それだけでは物足らないので、ツアーと別れてローマに4日間延泊した。
イタリアブームというのに、日本人を集団で見るのは初めてという街もあって、ローマやミラノを歩くのとは違う面白さがあった。ところがどのパックツアーでもそうだが、バーリやナポリという危ない街には宿泊しない。バーリなどは昼間の観光でも、警察が同行警備するほどだ。
このまま帰ったら日本一危ない街大阪からきた者として面子が立たんわいと思っていたら、格好の人に巡り会えた。ポンペイで通訳した2人の女性だ。1人は身長175pの和田アキ子風。もう1人はイタリア人と錯覚したほど見事なプロポーションの彫りの深い美形で、2人とも20代。いうところなしである。
そもそもアッコが近づいてきて、「関西ですか? 私は泉州」と自己紹介したのが、始まり。長州生まれで四日市出身という亜イタリアーナまでが関西人をてらって、ボケとツッコミで盛り上がり、ついには団体行動を離れてナポリを案内してもらうことになった。
2人とも確たる目的があってイタリアに来たわけではない。OLで稼いだ数百万円を持って、ぶらっとやって来た。たいていの日本人はフィレンツェなど中部で語学研修するのに、彼女らはナポリに住みついた。アッコなどは警官を装った男に自動車でさらわれ、九死に一生を得るほどの体験をしたし、亜イタリアーナは一時は帰国したいと思うほど辛い目にあった。イタリアに対する幻想めいた憧れは冷め、突き放して見られるようになったが、その分イタリアの奥深さがわかるようになったという。
昨夏プラハで出会った女性は外資系のOLだが、10年に1回は2、3ヵ月の休暇をとって旅行するといっていた。旅先で出会う面白い日本人は断然女性が多い。彼女らに共通するのは「自分探し」など甘ったれたことを言わないところである。
小寺山康雄
茗荷舎(岐阜)
*自然定食の店*
3月なかば、雪の朝。「オー寒! 朝ごはん頼むワ!」
ピンと張りつめた朝の空気、いいですね。大根の煮付けとひじきとたくあんと梅干しに玄米ごはんとみそ汁。これが今日の朝食メニュー。昼食は蓮根フリッターか高きびボールかどちらか選んで、プラス大根と里芋の煮付け、牛蒡ボール、かぼちゃチーズ焼き、長いも梅酢和え、白菜、人参、ほうれん草の巻き巻きお浸し、ひじき煮物、たくあんに玄米ごはんか雑穀入り五分播きごはんとみそ汁の日替わり野菜定食でした。
地元の農家からいただく季節のおいしい野菜に恵まれ、いろんな料理をつくる茗荷舎。店をひらいて8年目。とても有り難いことです。
店内には、手間暇かけてつくられた食品や布製生理用ナプキン、粉石けんなどのエコグッズ、地元の若いアーティストたちの作品紹介、即売コーナーもあります。いろいろなところから集まってくる情報を所狭しとピンナップ。見てくれる人がそれぞれの感性で情報をキャッチしていってくれたら、と思います。
以上、店の雰囲気が伝わったでしょうか。
定休日は火曜。朝食は朝8時〜10時半、昼食は11時半から午後3時半。日替わり野菜定食のほかに、カレーなども好評。野菜のケーキがおいしいよ。五時まで飲み物(仕込みがあれば食事も)延長可。
4月に入ったら、梅・桃・桜がいっぺんに咲く春!
大原加代子
【連絡先】 岐阜県高山市花里町5-15
TEL 0577-32-0426(FAX兼)
【行き方】 JR高山線高山駅下車徒歩3分
グループ目高舎(東京)
*市民の学校*
グループ目高舎という名前はちょっと変わっているかと思います。
目高の学び舎、つまり「メダカのがっこう」の意味です。「だれが生徒か先生か」分からず、地域ではお互いに「生徒でもあり先生でもあり」
ということで、地域共同自給の試みをさまざまに続けています。手づくりと使い回しを基本に環境と福祉と文化のまちづくりをめざして、今年で15年目です。
7年前に現市長がうちだした総合体育館問題から、行政に対する住民運動も始めました。一般会計200億円ほどだった市で百億円とという国際競技もできる豪華体育館計画でした。財政上の問題、狭山の麓という環境問題、市の端っこという利便性の問題を指摘してきました.一時は凍結までいきましたが、結局、現在、市は半分以下の大幅に簡素化したものを建設することになっています。
その後も一帯長はいくつもハコモノ行政を続け、独断先行を繰り返していますので、追及を続けています。民主約手続きを無視ないし軽視して、議会を揉めさせています.
そこで行政が描く未来像とは違った市民の要望を求めていくために、まちづくり市民の会という市民団体を立ちあげています。
林喜代三
【連絡先】 武蔵村山市緑が丘1460-535-6
TEL 042-561-9952 (林方)
※この欄に登場してくださる「Ecoひいき」なみなさんを随時募集しています。自薦他薦問わず。@お店・グループ名、Aお店の紹介や活動案内(五百字以内)、B連絡先、交通手段、C執筆者氏名、D掲載紙送付先、原稿に関する問い合わせ先を明記し、Eメール、FAX、郵便でACT編集部までお送りください。できれば、地図、写真を添付してください。(編集部)
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