■[トピック] |
◆辛口レビュー
アジア人としてロックする 生田卍さん(ミュージシャン)
◆CATCH UP ◆いずみ(編集長コラム)
◆〈辛口レビュー関連〉 パヤタス救援コンサート
◆日野市長選 名取美佐子さん立候補
◆5・3憲法集会in東京―21世紀は統一行動!
◆住友化学男女差別裁判 矢谷康子(同裁判原告)
◆ニュースの焦点 歴史的チャンス失った沖縄社大党の決断
◆大阪高石市 市立保育所民営化をめぐる住民投票要求運動
◆不定期連載・OLのつぶやき(2) 「端女」から見た会社の身分制
◆ゲバ太の怒り!(13) 心のケアって何だ
◆ACT関西相談会
◆奪われる干潟〜諫早湾干拓事情(上) 岩永賢一(諫早市議)
◆虹と緑の将来〜一つの政治的エコロジー運動への問題提起
今本秀爾(社会評論家)
◆2・14 地方自治政策情報センター主催
「地方議会から考える地方財政改革」研究集会
◆市民派議員リレートーク(23) 田村みさ子(東京都日の出町議)
◆“ダムに頼らない村”徳島県木頭村 日野雄策さんが助役に就任
◆ECOひいき 神奈川・片山本店
◆《新連載》ひとときの光(1) オホーツクに沈む
◆欧州短信「緑の党・ヴォワネ党首 今後の決意を語る」
◆BOOK Review 『政治的エコロジーとは何か?』
田中良太 著(花伝社/1800円+税)
◆広告(3面) さつき印刷
『軍縮』4月号……宇都宮軍縮研究所
PARC自由学校
『創』4月号ほか……創出版
アジア人としてロックする
生田 卍さん
(ミュージシャン)
社会変革をめざす運動と
音楽のいい関係作りたい
利用する/されるを超え育て合おう開催
生田卍さんプロフィール
いくた まんじ 1958年、長崎県生まれ。被爆二世。高校時代から地元のラジオ局などで歌っていたが、76年大学入学と同時に学生運動に没頭。三里塚の成田空港建設反対運動中、78年に逮捕・拘留される。82年、大学院に進学し西洋哲学を専攻。在学中の86年に結成した「So−So」でボーカルとギターを担当し、新潟県柏崎の国学者・生田万(大塩平八郎の乱に呼応して決起)にちなんで生田卍と名乗る。その後、「So−So」は、89年リリースの反原発をテーマにした「空が落ちてくる」で「社会派ロックバンド」として認知され、予備校講師をしながら98年には「寿」をはじめとするオルタナティブなミュージシャンたちとCDシングル「海よいちまでぃん」(c/w
「No! No! ガイドライン」 定価:1000円/アイドル・ジャパン・レコードTEL
03-5485-0095 FAX 03-5485-0098)を制作するなど、社会状況と向き合う音楽活動を続けている。5月に新しいアルバムが完成予定。地方公演応相談。
【連絡先】爽々舎 〒165−0026東京都中野区新井5-1-9-202 TEL03-5318-5955
http://www3.alpha-net.ne.jp/users/sososha/ E-mail:sososha@alpha-net.ne.jp
[構成/清水直子]
昨年七月、フィリピンのパヤタスごみ処分場で大規模な崩落事故が発生し、周辺住民230人以上がが亡くなった。また、事故後処分場は閉鎖され、ごみ拾いで生計を立てていた人々も生活の糧を失ってしまった(2面参照)。3月末、神奈川県内でこの事故の犠牲者支援のライブをおこなう生田卍さんに、フィリピンのミュージシャンとの交流を通じて得たアジア人としてのロックの視点や彼が目指す運動と音楽のありかたについて話を聞いた。
――フィリピンのミュージシャンとの出会いは。
俺にとってのロックの理想はあくまでも欧米で、それまで、U2やブルース・スプリングスティーンにどこまで近づけるかということしか頭になかった。でも、89年に来日したフィリピンのデッサ・ケサダの歌を聴き、彼女の社会問題を歌いながらもシンプルで美しい音楽にノックアウトされました。
日本では、集会に俺たちを呼ぶ人が、カラオケでJポップ(日本のポップス)を歌ってたりする。生活者として聴く音楽と、運動で使う音楽がリンクしてないし、自分たちの文化を育てようという意識が闘う側にない。ミュージシャンも多くの人が直面しているリストラや単身赴任の現実を表現しようとしませんよね。
――それはなぜですか
ひとつには、50年代末の「うたごえ運動」の敗北があります。運動のなかで歌われた歌がこのなかで形式化した。61年の三井・三池の闘いが終わると、多くの人の現実や感覚とかけ離れたところで蛸壺化し、伝統芸能になった。現実社会との接点を失った表現は急速に枯れるから、新しい曲も生まれない。それを機に運動に運動に入る若い人なんているわけない。
それから、こちらの方がはるかに責任は大きいけれど、70年代の日本の反戦フォークが自らを対抗文化として確立できず、日本人の表現に定着させられなかったからです。闘う音楽として自己確立できず抵抗する歌を歌う根拠を見失ったままニューミュージックに溶解したんです。
――反戦フォークの歌手に抵抗の根拠はありましたか。
なぜ抵抗するのか分かっていなかったでしょう。主流は欧米で流行っている抵抗する音楽姿勢にかぶれ、ファッションとして取り入れただけ。
――当時の運動の質と関係がありますか。
70年代の運動の限界でもあります。より大衆的な展開を求められたはずなのに、闘う自前の理論をつくれず党派闘争の中で自滅した。運動も音楽も同じところで敗北したんです。俺が大学に入った76年、運動はボロボロの状態。それでも三里塚などの運動の現場にいたし、今でも主観的にはいるつもりだけど…。
そこで得た問題意識を音楽で表現しようと志しバンドをやろうとした時、抵抗する音楽の伝統も途切れていた。だから欧米のロックを目指したんだけど…。
――91年に初めてフィリピンへ行かれて。
運動と音楽が育て合う関係にあることも、音楽的にも衝撃を受けました。ミュージシャンが、400年間占領されたスペインの影響を受けなかった先住民の音楽を何ヵ月も一緒に生活して学び、世界のどこにもないフィリピンのロックをつくっていた。そこで「あんたの歌は?」って言われ、ものすごく恥ずかしかった。
でも自己認識を国家主義的な日本という枠で括ると間違いになると気づいたのは、フィリピン先住民の音楽をデッサ・ケサダと一緒に演奏した時。楽譜もないのに耳で聴いて再現できた。「あれ? できるじゃん」って。これだけアジア人としての主体性を破壊されながらも、音階やリズムが我々の中に生きていた。
西洋は7音階、アジアは5音階。リズムは全然違います。ロックンロールは、基本的に黒人のリズムで裏打ちというリズムの刻み方をするのですが、日本人の観客がロックのコンサートに行くと手拍子がいつの間にか…。
――もみ手になる。
われわれの文化の中に、もみ手の記憶があるのです。日本語や子守歌や「ひ〜ろしちゃん、遊〜ぼ」といった節の中に。日本でロックをやる人は、その伝統を打ち壊そうと一生懸命練習しますが、アジア人でいいじゃん。もみ手でノるのなら、もみ手のロックをつくればいい。それで初めてフィリピンや香港や韓国や台湾のミュージシャンと向き合える。
ただしアジア人としての自分の主体性を音楽で回復したい、というのも比喩的な表現で、アフリカでも南米でもいい。つまり明治以降作ろうとしてきた存在基盤ではない、慎ましく地に根ざした人のあり方ということです。
――ほかにはこれからどんな仕事をしたいですか。
俺が今一番歌いたいし皆さんにも聞いて欲しい歌は、故郷長崎の諫早湾を思ってつくった歌「がたんふなうた」です。使い慣れた長崎の方言や「エンヤラ」など日本の節を使い、騙された漁師や踏みつけにされた命の無念を歌い、その無念を越え「水門を開けに行こう」と夜中に船を漕ぎだす様を描いています。
それから、八木節や秋田音頭などをベースに今の状況を徹底的に皮肉る日本語のラップをぜひやりたいです。
インターネットで曲を発信できるようにもしたい。政治的な局面に素早く反応した曲を安価で提供するためにね。
また、日本では、運動と音楽が利用し合う不幸な関係が続き、運動の中で音楽が鍛えられたり、音楽に運動が元気づけられることはこの二十年間あまりなかったけれど、頑張っているミュージシャンもいる。趙博(チョウ・バック 本紙136・137合併号参照)、寿、ソウルフラワー・ユニオン、李政美、おおまきちまき、朴保(パク・ポー)、国分寺エクスペリエンスといったインディーズの人たち。
残念ながらまだ層としては結びついてはいないけれど、流通や宣伝を一緒にするとか、協同で対抗文化として力をつける活動ができるはず。それが日本で社会変革を志す人にも幅広く支持され、オルタナティブな文化を育てていけたらいいと思いますね。
謹啓 森善朗首相閣下
予算案が恙(つつが)無く衆院を通過し、不信任動議も党内反主流派にもはや謀反を企む力なく、閣下は就任以来4度も信任されたのであります。どうか心ゆくまで賭けゴルフをお楽しみになって結構でございます。
けしからんのは忠臣亀井を除く4人組以下の主流派であり、公明党であります。彼らは支持率が一ケタに落ちたぐらいで動揺し、世論に阿(おもね)て閣下をひきずり降ろそうと画策しております。
そもそも閣下は密室の謀議で念願の座を射とめられたのであります。反自民として貧困層の支持を得てきた公明党を、池田喚問をちらつかせて恫喝し、たらし込んだのは野中であります。公明党は政権与党のうまみを十分味わって満足しているのであります。
そのような輩が謀議や無節操を反省するどころか、再び謀議をこらし節操を捨て、責任をすべて閣下になすりつけようとするのは許し難いことであります。
「神の国」発言では、戦前「神」に弾圧された創価学会すら抗議しなかったので、閣下ははばかることなく「神」が発動なさったさきの戦争を賛美されました。沖縄県議会が火付け強盗、強姦殺人とやりたい放題の米海兵隊の削減決議をしようとしたのに対して、在沖米軍幹部が侮辱しましたが、閣下は我関せずの姿勢を崩しませんでした。えひめ丸が米原潜に遊び半分に撃沈されても悠々ゴルフを続け、抗議なさいませんでした。 我が国が戦前は「神」、戦後は安保体制を国体の根幹に据えていることに、微塵も動揺されなったのであります。
こうした閣下の思想と政治姿勢は、閣下個人のものでなく、50年来の自民党全体のものであります。職務を利用して金を党に調達し、私服するのも、1人村上や小山だけのものではなく、党全体の体質であります。マスコミ、野党をたらしこむ「和の政治」に至っては古来からこの国の伝統であります。閣下は、この上なく伝統を愛し、それに忠実な篤徳の人であります。
どうか右顧左眄することなく、参院選挙を陣頭指揮なさいませ。人民は心から願っております。
小寺山康雄 拝
片山本店 (神奈川)
*自然派食品とお酒*
当店は本年で創業51年となります。
川崎の本店営業のほかに、自然酒、国産無添加ワイン、オーガニックワイン、料理用自然酒、伝統本格みりん、伝統本格焼酎(薬酒、果実酒などに専門に利用できるものなど)、オーガニックビール、ナチュラルビール、薬美酒、伝統的な醸造食品である醤油や味噌なども特別に製品化したものを全国へ通信販売しており、これもはじめてから17年になります。さらにまた、こうしたこだわりの酒類や食品の卸事業を手がけて15年。現在、約300社(店)に卸販売を致しております。
近年は、酵母の生きている酒やワイン、ビールの販売事業をスタートし、それに伴い、在日コリアンの人たちとともに、日本酒のルーツであるコリアのマッコリを蔵元の協力を得て販売することになりました。
《主な取扱食品》
ムソー梶Aオーサワ・ジャパン梶AJAC鰍ネどの自然食品類、無農薬野菜、三之助豆腐をはじめとしたこだわりの伝統食品
片山雄介
【連絡先】川崎市幸区古市場1−34
TEL 044-522-6233
【行き方】JR南武線鹿島田駅下車10分
JR横須賀線新川崎駅下車15分
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