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『ACT―市民の政治―』136・137号(2001年1月1日)

Line Up

  ◆写真コラージュ
      『本当の豊かさ求めて〜21世紀への贈り物〜』(作:前山忠)
  ◆CATCH UP   ◆いずみ(編集長コラム)
  ◆女性国際法廷閉幕
  ◆2・10-11 非核・平和条例を考える全国集会
  ◆「花岡事件」東京高裁で歴史的和解 ―内田雅敏弁護士に聞く
  ◆新春座談会 一年生女性国会議員
     原陽子さん(社民党)・川田悦子さん(無所属)・阿部知子さん(社民党)
  ◆これを言わずに年を越せるか―私の一言
  ◆新春特別インタビュー なにわの唄う巨人
      趙博さん(河合塾講師/ミュージシャン)
  ◆ゲバ太の怒り!(11) 愚劣な21世紀
  ◆特集・茨木市議選・桂睦子さん2期目に挑戦!
       桂睦子のめざすもの
       応援団からのメッセージ
  ◆21世紀の四万十川のために 地元高校生と橋本知事が対話
  ◆旅 2000年の田舎(11) シジミの沼
  ◆韓国 あれやコリア(7) 全泰壱精神と労働者文化
  ◆BOOK Review 『青い空の記憶』
               新島洋 著(教育史料出版/1600円+税)
  ◆広告(2・3面)  『創』1・2月号ほか……創出版
              『記録』1月号ほか……株式会社アトラス
              『軍縮』1月号……宇都宮軍縮研究室
              『徳田球一』『人が歴史とかかわる力』ほか……教育史料出版
              『オルタ』1月号ほか……アジア太平洋資料センター
              『たたかう女性学へ』ほか……インパクト出版会
              『エコロジーショップ本日開店』ほか……ほんの木 


1年生女性国会議員新春座談会

 原 陽子さん
(社民党)
 
川田 悦子さん
(無所属)
 阿部 知子さん
(社民党)

 国会を舞台にした加藤一座の茶番劇をLIVEで楽しまれた読者のみなさん。国会とはどんなところか、そして政治、組織というものについてあらためていろいろ考えさせられたことと思います。
 さて、今回の目玉企画は、そんな政治状況を笑い飛ばす1年生女性議員3人による新春放談。そのお三方とは阿部知子さん、川田悦子さん、原陽子さん。21世紀に向けての市民政治を占う彼女たちのフレッシュな発言を楽しんでいただきたい。
 お忙しく時間も限られる3人へは前もってシナリオ(質問要旨)をメールで配信。しかし「これじゃァ、国会質問だ」と一笑されてしまう。ぎゃふん。
 衆議院第二議員会館七階、川田事務所にて始まった本座談会。司会を務めるは本紙戸沢副編集長。ではでは開幕!
(文責 戸沢行夫)

 

国会はガチガチ男社会

(川田さん、原さん、司会の戸沢副編集長の待つ部屋に川田さん入ってくる)
 阿部 ごめんなさい、遅くなっちゃって。私、今日は2時間しか寝てないの、ボーッとしちゃって
 川田 疲れてるわよネー、みんな。
  私もです、はい…。
 阿部 でも、原さんこの前より元気になったみたいね。
  ええ、でも、結局10キロもやせちゃいました。
(戸沢、ちょっと驚く)
 阿部 まったく国会病症候群よね。
 ―国会病ですか?
 阿部 そう。あんまり忙しくって議員がかかるの。だいたい、やせる場合が多いんだけど、太る人もいる(笑)。
 川田 私も取材、原稿、対談いろいろあって…。無所属だからまだ正式に秘書も決まってないんですよ。
  私も最近やっとテレビ取材とかが減ってきました。
 ―大変ですねぇ。…えー、では、そろそろ…。
 阿部 あらあら、そうね。
 ―では、まず国会議員になってみての印象を…というか、今話してましたね。でも、もうちょっと具体的なのを…じゃあ、世間で知らない人はいないと思いますが(笑)、ACTには初登場ということで、原さんに伺いましょうか。
 原 (かしこまって)私は大学院を卒業するところで、就職どうしようかなって考えていたときに、選挙に入ったんです。正直、当選するとは思わなかっですね。だから、正直、今は毎日が勉強です。私自身は子どもたちのために教育と環境を中心に仕事ができたらと思っています。
 私は社会に出たことがないので、偉そうなこといえませんが、今はどこでも私たち女性がバリバリ働いているという印象があるのに、国会はもっとも遅れた社会―女性が少ないオジさん社会なんですよね。私は商工委員会に所属させてもらってますが、ここはホント男社会バリバリで、毎日、ビクビク緊張してます。その点、女性の多い社民党のなかではホッと安心します。
 阿部 権威組織型社会の差別は相当だけど、かの有名な(笑)松浪(健四郎)議員なんかはとくに差別的。「小選挙区と比例区とは議員を札分けた方がいい、お前たちは半人前だ」なんて露骨にイヤミ言うんだから。
 だから、そんな悔しさをバネに小選挙区を勝った辻元(清美)さんや、堂々と胸張って迫る弾丸智子さん(中川智子議員)は心強い。
 おおむね男性議員は全方位で、それも組織に縛られ、本当に何をすべきか考えてない。女性議員の場合、やりたい目的をハッキリ持ってる。女性が21世紀の変革の幕を開けていくと思います。
 ―川田さんは先日議員になられたばかりですが、印象はどうですか?
 川田 まず、マナーが悪いことですね。他人の話を聴かない、おしゃべりする。加えて勉強しない。学級崩壊がいわれていますが、これは〈国会崩壊〉、まったく幼稚園以下です。
議員は週末地元に帰って選挙運動、平日は疲れ果てて国会で寝てる。次の選挙で当選することしか考えていないんですよ。議員は「いつ落選してもかまわない」の気構えで仕事しなくっちゃ。

 〈責任〉持たなくちゃ!

 ―先日の自民党内乱劇では、お三方とも新人議員ながら、「水かけ」への抗議でかなり目立ってましたね。
 川田 私は当事者である松浪さんの隣り(笑)。実は、談笑しているような場面がテレビに映されて「けしからん」という電話もらったんです。でも、私は「松浪さん、謝りなさい」と説得していたんですよぉ。ところがあの人ときたら「こうなったら、俺が決めることじゃない」と嘯くのです。もちろん「個人として謝りなさい」と言いましたよ。普段ひどいヤジを飛ばしているから、あれは確信犯ですね。
 ―何か松浪さんの話ばかり出ますね(笑)。人気者なのかな(笑)。…それはともかく、今国会は、加藤叛乱ばかりがクローズアップされましたが、実は、もっと大事なこと―重要な法案がたくさん通っちゃったんですよね。
  まったく出せば通るでは困りますよ。原発立地特別措置法も商工委員で関係してくるんですけど、与党の議員立法でありながら出席議員はたった3人。議論も何もないですよ、これじゃあ。
 川田 会期末だから廃案になるっていうんで、十分の審議もなしに通しちゃうこともあるんですよ。
 私、自分が納得できないなら、後で間違いだと分かっても、少なくとも今は反対だと言っておきたいんです。年金法改正についても納得できないから1人反対したんですね。それが理事会にかけられたら、共産党も反対と言い出して、新しい動きが出てきた。
 無所属で1人だからすべて自己責任だし、こちらから聴いて廻らなければ情報が入ってこないんですが、一方で自由だから何でもできます。
 阿部 大方の法律が賛成多数で成立する中で、反対するのはだいたい共産党か社民党。…だったんだけど、最近は社民党と自由党プラス川田さんという構図も出ました。もちろん自由党の場合「それでは不十分、もっとやれー」っていう「反対」なんだけどネ(笑)。それにしても、松浪さんのとなりで座り続けているのは大変よね。ヤジやイヤミ、ときにスゴむから。
 議会制民主主義は結局数だから負けるけど、反対すべきは〈反対〉とこだわっていることをしっかり言っときたいわね。
 そもそも政治家〈個人〉としての責任のとり方がないんですね。政治への責任とり方、自分の政策や公約への責任、そして集団、組織、政党としての責任がまったくない。
 クローン法案だって、ヒトの精子や卵子、それを勝手に操作や廃棄、改造したりってことになるんです。ヒトの〈生命〉に関わる法律なのに無機的に決めるなんて無責任すぎます。自分が関わっている脳死や医療法についても改悪されました。誰がどう相手の命の責任をとるの? 責任とれないことを政治の俎上にのせるなんてもってのほかです。
 ―なるほど、〈責任〉ですか。
 川田 私もそう思います。
 加えていうと、有権者も賢くならないとね。私は有権者に対して「私に任せて下さい」という政治家にはなりたくない。有権者も私も「選んだ者、選ばれた者」として責任を果たしていくことが大切です。
あの(叛乱劇の)日も、テレビで放映されて国会が劇場化しただけで終わっちゃいました。有権者はただの観客。森政権を本当に潰したかったら、諦めないで国会に足を運んで欲しかったですね。
  あのとき、同世代はみんな期待してたんですよ。実際、「原、行け!」って言われました(笑)。結局ガッカリな結果でしたけど、東京近辺のみんなも、あの日は国会をとり巻くべきだったと思います。ホント悔しいですよ。
 阿部 市民、住民、支持者へも「何のために私を選んだの!」といいたい気持ちは私もあります。よく「お礼、ご挨拶がない、足りない」なんていわれるんだけど、私は、子どもたちのために時代を変えたい、社会を変えたい、そのための手段として私という議員が今あると思っているので、選んだ人たちには「あなたは子どもたちのために何がしたいの、何をしてくれるの」と逆に問いたいですね。
 だから私はいわゆる「ご挨拶」より街頭宣伝が好きなの。一応大人だから(笑)、「こんにちは」「ありがとう」ぐらいするけど(笑)。
 とにかく、一番大きい問題は〈大人の責任〉。誰をみて行動するか分からない子どもたちが、親にさえ受け入れられない世の中になってしまった。戦後五十年以上経て、集団無責任、無責任のカタマリの世の中になったのね。
 川田 やはり戦後責任のとり方が問題でしょ。誰もきちっと責任をとらない。 国、企業、ひとり一人が無責任。国会の場で松浪氏のように強権的な人が謝りもしないしね。
 ―松浪さんの話がまた…(笑)。
 一同 (大笑い) 

次世代につなぐ「組織」を

 今、オジさん議員たちのやっていることは私たちに対して、そして次の世代、子どもたちに責任持った行動ではないと思います。私たちは21世紀を夢や希望をもって生きたい。森さんにはそれがないし、託せない。
 今はオヤジの逆襲が始まっていますけど、あんなオヤジたちとは正々堂々闘ってやりますよ。21世紀は私たち世代がオヤジたちと闘って、次代に受け継いでいくんです。その責任があるんですよ。
 阿部 そう、それは政治家だけじゃなく人としての〈責任〉よね。
 私たちのひとつ上の世代は、戦争などの影響もあるだろうけど、バブリーな私たちの時代より〈生命〉をきちんと見つめてきてます。 かつて人間としての最低限の価値は守られていたけど、高度経済成長の中で、「進歩」は良いことだ、そのためには何をしてもよい、犠牲も仕方がない、強いのが勝って何が悪い、負けるお前たちが悪いのだ……という風になってきました。
私はこの〈生命〉をキーワードにしてるんです。キレる子どもたち、バブリー時代の私たち世代、戦争の狭間に身をおいた世代、それぞれの〈生命〉を伝えたい。だから、自衛隊の人にも介護をやって欲しい。そこで生命のはかなさを知ることと思います。薬害エイズの闘いも、同年代が共感し、〈生命〉を問うて闘った。私は強欲だから(笑)、この考えが伝われば自民党も再編できると思ってます。全部トコトン変えたいんです。
  自分たち世代についていうと、ツケを廻されているんだけど、これも私たちが政治に関心を持ってこなかった、怒りを示してこなかった結果と反省しています。上の世代に好き勝手やられてしまったけど、次世代へ私たちの憂鬱な気持ちを渡さない努力をしたいですね。
 今回の少年法改悪も、裏が分からないから、単純に法律を変えて自己満足しているのが大人たちだと思います。まったくもって発想が貧困。学級が荒れてるから教育基本法を変えよう、子どもが暴れるから厳罰を科する。その背景を見ようとしない。子どもたちが見て欲しい聴いて欲しいことに目がいかない。
 しっかりとした責任があれば、私たちも政治を良くする努力しているわけですから協力していきたい。そんなことを日々感じながら「あんたらのせいだー」と反発していますけどね(笑)。
 阿部 この間の厚生委員会で川田さんが、厚生省の責任を問う一方で、龍平君のお母さんとして「エイズで亡くなった子どもたちヘの責任、そこから与えられた宿題を果たしていく者として政治を選んだ」とおっしゃった。私も出会った子どもやお年寄りへの責任を果たすために政治を変えてかなくちゃと思うわ。
 ―ところで、原さん・阿部さんは社民党の議員ですが、川田さんは「無所属」で出馬されましたよね。「組織」ということについてはいろいろ考えていることがおありではないですか?
 川田 そうですね、政治の世界には政党も必要と思いますし、組織も大切ですが、組織が先で個人の自由がないのはおかしいですね。HIV訴訟でも患者を支える会の組織拡大が先行することによって、問題の本質、真相の究明、活動の目標が曖昧になってしまったことは否めません。
 今度の選挙もキッカケは中村敦夫さんでしたが、途中で〈自分の選挙〉を、と思って自らお金を出して闘いました。「自分が自分でなくなること」がイヤだったんです。私は他人を支配しないし、支配されたくない。自分は自分でありたい。そのためには「ゆるやかな連帯」でいいから、ひとり一人が責任をもつ、そういう組織を若い人たちと創っていきたいんです。
 阿部 そうね、悪いけど、いまの政治家は感性がないんですよ。私についていえば、こうした混沌の時代、チョイスを提示するのも政治家の役割と考えています。私は未来の大きな枠組みの選択としてヨーロッパ型の社会民主主義を提示しておきたいと思って「エイ、やー」って感じで社民党を選んだ。そうしたモデルを出すのが私の世代で、中身については悪いけど次の若い人たちがやって欲しい。
  がんばりまーす(笑)。
 ―組織の話ついでに、社民党の路線変更についての考えもお聴きしたいんですが。
 阿部 確かに村山政権下で社民党が「自衛隊合憲」と認知(?)したけど、そのあと組織としての党はその点についてまとまった判断をしていません。撤回、けじめ、詫び、ごめんなさいが組織としてできてない。個々の議員は党が「合憲」といってしまって先が見えなくなったのよね。
 私は自衛隊がブクブク太って、その現状に憲法を合わせるのではなくて、まず軍備を持たない国という理想を追求したいですね。
 ―そういう議論ができるようになれば、外への共闘の輪も広がっていくんじゃないでしょうか。ACT的には、「緑の勢力を結集」という希望を持ってるんですが…。
 阿部 〈緑の党〉については、日本でも元気な地方議員の皆さんからそういう動きが仕掛けられていますね。
 私自身は、組織や組合ではなく、ネットワーク型による統一戦線をつくれたらと思います。そうした流れに社民党も緊張感をもちたい。かつての〈平和・市民〉では結実できなかったけど、やがて合流したいと思っています。

泣いたっていいのよ!

 ―地方も国政もどんどん変化していってますからね。期待がふくらみます
 川田 長野や栃木、それから私のところの選挙も、商店街などの支持者がハッキリ変化してきています。もう組織では動かない。組織票は読めなくなっている。ひとり一人が問われてきてるんですね。
 原 みんなにもっともっと危機感を持って欲しいですね。あの人たちに任せていいのかー! 自分の一票が政治を動かすのだし、私は一緒に頑張って、若い人たちが政治に希望を持てるようにしたい。そのためには「何クソー」と泣かないつもりです。
 ―心強いですな(笑)
 川田 そういえば、闘いのなかで「泣くな」といわれたの。そのとき原さんみたいに「何クソ!」と思ったわね。
 松浪氏の前でなんか、絶対泣かないわよ。もったいないって。貴重な涙みせてなんかやるかー、ってなもんよ(笑)。
  泣かないで頑張ってる女性、若い世代がいるってことに希望や勇気をもっていただければうれしいですね。
 阿部 私は、泣いてもいいかなーって思うけどナー(笑)。「若くて何も知らないクセに」とかって、松浪氏なんかは理不尽なヤジを飛ばすよね。だから、原さん世代はもっと大泣きしていい、ギャーギャーワーワー他人を脅かすほど泣いたっていいわよ(笑)。我慢することないって。「悔しーい」と思ったら泣いて感情表現する。悔し泣きする感性があっていいの。それは「これから踏ん張っていくゾー」という励みにもなるんだら(笑)。
 ―涙一つで国政が左右されそうですね(笑)
 阿部 社民党はいま泥船タイタニックっていわれてますが、私たちはそれに乗りましたし、国政はそれなりに新しい仕掛けができつつあると思う。地方はまだ古い体質が残っててて落差はあるけれど、21世紀に向けて、いずれ合流する必然が出てきます。
  私も今日あらためて「頑張らなければ、踏ん張らなければ」と思ってます。
 阿部 いいわネー(拍手)。
  (照れつつ)国の上からの法律・ルールの押しつけでなく、私たちひとり一人を支えてくれる政治が欲しいナって思いますね。
 川田 政治に距離を感じるっていわれます。だから普通の言葉で話せる政治が必要。…とかって、私が一番政治不信に陥ってるけど(笑)。
 阿部 社民党は「ひとり一人の人生を支える社会保障」がキャッチコピー。マツリゴトではない女たちの〈生活〉からの政治が大切です。
 それから改憲や自衛隊派遣についてなんだけど、これに意外に熱心なのが最近は女性議員。自分たちは戦場に行くわけでもないから(?)、かなりひどいことを無責任に言うのよね。男たちと一緒になって「海外派遣して現場で血と汗を流せ!」とかって。まず自分のこととして考えてみるべきよ。とくに保守系女性議員はよくよく考えるべし。
  私は国会で頑張ってるけど、同世代の若者も同じように男社会のなかで頑張っているのだから「自分も負けてはいけない」と思います。お二人のお手本がいらっしゃるのが嬉しいし、励みになってます、いや、ホントに(笑)。
 ―話が佳境に入ってきましたが、もう時間なんですよ。今日は皆さんの饒舌でありながら繊細な迫力に圧倒されました。ありがとうございます。今後も頑張ってください。
 阿部 ACTもね(笑)。

阿部知子さんプロフィール
あべ ともこ 1948年、東京生まれ。74年、東京大学卒業後小児科医を志す。のち、稲田登戸病院、国立小児病院、東大病院小児科などを経て、93年〜94年、米国メイヨークリニックに留学。95年より湘南鎌倉総合病院小児科部長。98年より千葉徳洲会病院院長。98年、参院選に立候補するも落選。今年の衆院選、神奈川12区で立候補し惜敗するも、比例南関東ブロックで当選。現在社民党神奈川県表。

川田悦子さんプロフィール
かわた えつこ
 1949年、福島生まれ。86年、次男の龍平さんのHIV感染告知をうけ、翌年「血友病の子どもを守る親の会」結成。93年、東京HIV訴訟原告団に参加、のち副代表。96年の和解後も薬害エイズ真相究明と医療体制確立などを訴える。97年、薬害エイズを越え人権のために主体的に闘う個人・団体とともに「人権アクティビストの快」結成。今年9月の東京21区衆院補選で見事当選。

原陽子さんプロフィール
はら ようこ
 1975年、静岡生まれ。98年、桜美林大学国際学部を卒業。同年おこなわれたIUSY(社会主義青年インター)世界大会メキシコ大会、今年おこなわれた同ドイツ大会に社民党代表として参加。この間、各種選挙の遊説スタッフや事務局として活動。3月に桜美林大学院国際学研究科修士課程を卒業。専攻は「子どもと教育環境」。6月の衆院選の比例区で初当選。現在、商工委員会、青少年特別委員会にいる。


いずみ

 桂むつ子と初めて出会ったのは、5年前。半年後に迫った茨木市議選に立候補するので応援して欲しいと頼まれたときである。市民派議員は、ぼくの周囲だけでも数十人いて、女性もまだまだ少ないとはいえ、何期も重ねている人がいたが、20代は男女ともいなかった。
 若くて、しかも女性の心意気に感動しない男はいない。二つ返事で「よっしゃ、まかしとき」と言ったが、続けて「そやけど俺が応援すると、かなり強い人も含めて、ことごとく落ちてきたからな」と、柄にもなく逡巡した。
 当然応援に行くつもりだったが、幸いにも正月に倒れていけなかった。だからむっちゃんは見事に当選した。
 議員になってからのむっちゃんは、馬車馬のごとく働いた。頼まれればどこにでも応援演説に行った。女性を議員にするためのバックアップスクール、虹と緑の運動、西村真悟弾劾活動等々八面六臂の活躍である。ACTに2年近くもコラムを書いてくれたのは、そうした忙しい活動の最中である。辛口で鳴る元市民派議員が、「あの娘は抜群に勘がいい。演説も日毎にうまくなっている。聴衆の反応をみて、即座に軌道修正できる。天性の資質を持っている」とべたぼめしたものだ。
 2年前、ひょっこり訪ねて来て、「体ばっかり動かして頭の体操がおろそかになっている。若い仲間を数人連れてくるので、勉強会したい」という。気にするのは体脂肪率より体知議率というわけだ。嬉しくなったぼくは、ちょうど『共産党宣言』誕生百五十年ということもあって、『宣言』をテキストに、その現代的読み方というのをやった。
 学習会の生徒の2人は、ACTの読者になってくれ、1月から出発する関西編集委員をやってくれる。肝腎のむっちゃんは『宣言』が終わると、「次は憲法をやろう」と提案しながら、どこかに行ってしまった。あちこち集めた資料は、机の上にうず高く積まれたまま。むっちゃんが再選を果たす日まで待っている。
 閑話休題。
 20世紀最後の大茶番劇米大統領選の決着がようやくついた。東欧や中国、ロシアなど「民主主義未熟」国から「世界に冠たる」選挙制度を勉強するために呼びつけたり、「未熟国」に選挙監視団で押しかけたりしてきたのに、あの体たらくである。
 アメリカ民主主義に幻想する御用評論家などは、苦し紛れに「テレビなどを通じて(茶番劇を)つつみ隠さず公開している。さすがだ」という。選挙そのものも、それについての評論も、かくも党派的でイデオロギー過剰だ。
 この選挙制度が制定されたのは1787年。200年以上も続いている愚物である。最大の特徴は第一党になる可能性のない第3党以下を徹底排除するところにある。つまりマイノリティの排除であり、マイノリティのマジョリティへの徹底同化主義の代物だ。
 そうした中でのラルフネーダーの270万票、3%得票は快挙である。空前の好況下に拡大する一方の階級差別。国民の主権より大企業の主権優先の二大政党政治からの脱却を訴えたネーダー。
 21世紀の希望は日米新生事物にある。

                                          小寺山康雄


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