使用裁決を取消せ
戦前、私は3年間軍隊に行き、戦争に参加しました。敗戦を迎えたのは、沖縄県の宮古島です。
そういう体験があるだけに、私は沖縄に特別の思いをもちつづけてきました。
沖縄県の面積は日本の0.6パーセントです。ところがこの沖縄に米軍基地の75パーセントが集中しています。沖縄の人が怒るのは当然ではありませんか。
日米安保条約は、ヨーローッパのNATOにくらべて、きわだった特色をもっています。NATOは加盟国があたがいに外敵から守り合うという性格をもっています。しかし、安保条約には守り合うという面はまったくありません。安保条約に基づいて、アメリカは日本の基地を勝手気ままに使用しています。それだけではありません。新ガイドライン立法にみられるように、日本の自衛隊を、地方自治体、民間ぐるみでアメリカの戦争に協力させようとしています。日米安保条約が植民地型といわれているのはそのためであります。
1996年9月、アメリカはイラクに大規模なミサイル攻撃をおこないました。イラク政府がクルド族を弾圧したというのが口実でした。イラクのクルド族弾圧には批判されるべき問題があります。しかし、それはあくまでイラクの国内問題です。アメリカが世界の憲兵づらをして武力制裁をくわえる理由にはなせん。あのとき、アメリカはイラク周辺の中東諸国に基地の使用を申入れました。ところがどの国も、基地の使用を認めませんでした。ヨルダン、トルコ、サウジアラビア、すべて自国の基地をアメリカに使用させませんでした。アメリカはやむなくいくらか離れているスペインに、基地の使用を申し入れました。そのときスペイン政府はこういっています。「わが国はアメリカの同盟国である。しかし、植民地ではない。そんなことのためにスペインの基地を使わせることはできない」、こういって自国の基地をアメリカに使わせなかったのであります。
結局アメリカが使用したのは、イラクから遠く離れた日本の基地でした。イラクにミサイルを打ち込んだ航空機は青森県の三沢基地から飛び立ちました。ペルシャ湾でミサイルを打ち込んだ駆逐艦は、横須賀から出航しました。グアムから飛び立った米軍機B52に燃料を補給したのは、嘉手納基地の空中給油機だったのであります。
昨年12月、アメリカはイギリスとともに、イラクに4日間のミサイル攻撃を行いました。このミサイル発射は、いかなる国際条約にも国連決議にも根拠をもたない、一方的で無法な武力攻撃でした。あまりにも理不尽なミサイル発射であったため、中東諸国は自国の基地の使用を一切認めませんでした。実際にミサイル攻撃をおこなったのは、ペルシャ湾岸地域に展開している米軍が中心でした。この部隊には、佐世保を母港とした強襲揚陸艦ベローウッドや、沖縄の第三海兵遠征隊が参加していたのであります。
沖縄にある米軍基地がはたしているのは、このような汚い役割であります。アメリカの国際法違反のミサイル攻撃に、私たちの沖縄が、前線基地として使用されています。沖縄から出撃した米軍が、罪のないイラクの人々を無慈悲に殺しているのであります。
米軍基地の法的根拠とされている安保条約と、これにもとづく米軍の駐留は、明白に日本国憲法に違反します。憲法九条違反があまりにも顕著であるため、最近は安保条約違憲論が声高く叫ばれなくなっています。だが、在日米軍基地がいよいよ危険性をました今こそ、憲法の原点に立ち返るべきときであります。1947年に文部省がつくった「新しい憲法のはなし」を思い起こしてください。「これから日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。放棄とはすててしまうことです」。これが、憲法制定当時の日本国民の常識だったのであります。
本使用裁決のもとになった米軍用地特措法ぐらいひどい法律はありません。特措法が参議院で強行採決された日、私は多くの反戦地主や弁護団とともに、国会前に座り込みをしました。私は国会議員をしていたころ、座り込みを激励したことは何十回となくありました。しかし、自分で座り込んだのははじめてでした。私たちが座り込んでいるとき、私の同期の弁護士で衆議院議員の東中光雄君が議会報告に来てくれました。東中議員はカンカンに怒っていました。特措法がいかに憲法蹂躙の法律であるかを、東中議員はあらゆる角度から追及したそうです。ところが、まともに答弁した閣僚はひとりもいなかったといっていました。とくに彼が憤慨していたのは、内閣法制局長官の無責任な答弁でした。何を質問しても、憲法の条文を棒読みにするばかりで、提起された疑問にはまったく答えなかったといっていました。
それはそうでしょう。憲法二十九条の財産権の保障や、第三十一条の適正手続きの保障を、頭からじゅうりんしたのが特措法です。まじめな法律家であればあるほど、答弁のしようがなかったというのが、本当の姿だったのではないでしょうか。
もともと特措法は、米軍の基地使用に空白ができたら大変だという、もっぱら政治的配慮から出発した粗製濫造の法律でした。橋本首相がクリントン詣でをするときの手土産だと冷やかされた法律です。それだけに、まともな法的検討にたえうる法律ではなかったのであります。
しかし、ここは裁判所です。党利党略がまかり通る国会とは違います。アメリカや日本政府に何の気兼ねもなく、冷静に判断しなければならない司法機関であります。多くの日本国民がこの裁判のなりゆきを見守っています。数をたのんでめちゃくちゃな採決をした国会の誤りを、裁判所ならただしてくれるだろうと期待しているのであります。
米軍は、なぜこれほど長期に沖縄に居座りつづけようとしているのか。一坪反戦地主会代表世話人の新崎盛暉教授は「前衛」の本年2月号に、「基地の県内移設は不可能である」という論文を発表しています。そのなかで「米軍駐留の本当のねらいは、アメリカの経済的権益を守るため」というアメリカの論調を紹介しながら、沖縄や日本本土の米軍基地は、「アメリカの経済的利益をささえる軍事的要衛としての価値」をもつものと論じています。私はまったく同感です。
かつてアメリカ海兵隊の現場指揮官であったバトラー海兵隊少将が、雑誌「コモンセンス」の中で、海兵隊時代のことを、痛恨を込めて糾弾したことがあります。「私は33年4ヶ月のあいだ、海兵隊の任務についてきた。私は毎日毎日を大企業と、ウォール街と、銀行家のための高級雇われ暴力団員として過ごした。端的にいえば、私は資本主義のためのゆすり屋であった」、こういいながら、海兵隊が世界各地でいかに汚い戦争に頭を突きこんだかを説明しています。
そしてバトラー将軍は、自分のやってきたことを、ギャングの親玉、アル・カポネと比較しています。「カポネにできたことは、せいぜい市内の三っの区域でゆすりを働くことであった。われわれ海兵隊は三っの大陸でゆすりを働いた」。バトラー将軍がこの文章を書いたのは1935年のことでした。この古い文章が、なぜいま多くの人々から引用されているのか。それは、アメリカの多国籍企業と海兵隊の一体不可分の関係が、バトラー時代にくらべてはるかに緊密になってきたからであります。
1993年に米太平洋軍司令官ラーソンがおなじことをいったいます。「アジア太平洋地域ほど、安全保障と経済の相互依存が明確なところはない」、「アジアにある経済力から利益を得たいのであれば、アメリカには軍隊が必要である」、こう断言しています。これこそかつてバトラー発言の現代版ではないでしょうか。アメリカのあいつぐイラク攻撃は、中東石油という経済的利益と不可分のものでした。「アジアの十万人体制を崩さない」というアメリカの極東政策は、アジアの多国籍企業の権益を守るための、軍事的な威嚇にほかならないのであります。
この裁判は、戦後50年余りも居座っている米軍基地を、21世紀にも存続させるかどうかの争いです。日本防衛と無縁の米軍基地を、これからも沖縄に駐留させなければならないのかが問われている裁判であります。
私はこの裁判を、単に机上の法律解釈だけに矮小化してはならないと思います。これでは血のかよった裁判にはなりません。
本件を血の通った生きた裁判にするためには、裁判官に沖縄の米軍基地の本質を見ぬいていただかなければなりません。沖縄に21世紀まで米軍基地を居すわらせることが、日本国民と沖縄県民にとって必要なのかどうか、沖縄の経済発展が基地と共存で実現できるのかどうか、裁判官には、この点の真剣な検討が求められています。
私は平和な沖縄、基地のない豊かな沖縄の実現を心から願っています。日本国憲法を真に生きいきと両生させなければなりません。その立場から、私は当裁判所が、本使用裁決を取消されることを求めて、陳述を終わります。