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駐留軍用地使用裁決申請事件に係る公開審理(第9回)

日時:2005年3月23日(水)13:30
       場所:沖縄市民会館中ホール




○渡久地会長
 定刻となりましたので、これより那覇防衛施設局長から使用裁決申請及び明渡裁決申立のあった駐留軍用地使用裁決申請等事件に係る第9回目の審理を開催いたします。

 本日の審理は、嘉手納飛行場に関する求釈明とこれに対する那覇防衛施設局の説明をしていただきます。
 なお、途中で15分程度休憩の時間を入れることになります。

 審理進行についてお願いがあります。意見陳述者は私から指名しますので、指名された方のみ意見を述べてください。勝手に意見を述べないようにお願いします。
 また、審理記録作成のために必要ですので、意見陳述者及び説明者はマイクを使用し、土地所有者の方々はご自分の権利にかかる施設名及び氏名を、那覇防衛施設局の方は職名及び氏名を述べてから意見陳述または説明を行ってください。
 ただし、2回目からは氏名・職名等は割愛して結構です。

 審理会場におきましては、携帯電話の電源を切っていただきます。定められた場所以外には立ち入らないでください。また、報道関係者以外の写真撮影はご遠慮ください。
 入場時に審理会場における注意事項を配布しておりますので、改めてご確認ください。

 あらかじめ通知しましたとおり、本日の審理は午後4時までとなっておりますので、審理がスムーズに進行し、多くの方が意見陳述できますよう皆様のご協力をお願いいたします。
 なお、求釈明事項が多岐にわたっておりますので、陳述及びこれに対する説明は一問一答形式で行ってください。

 それでは、土地所有者の方。きょうご発言なさる方、どなたでしょうか。
 はい、有銘さんどうぞ。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者)
  嘉手納の地主で有銘政夫です。
 本論に入る前に、ちょっと防衛施設局のほうに確認しておきたい事項がありますので、その件を先に述べさせてください。
 実は、2月17日の5時をちょっとまわった頃だったと思うんですが、防衛施設局の金城さんという方だったと思います。それと女性の方がお二人で僕の家にお見えになっていました。ちょうどそのときは5時半の集会の予定がありまして、僕が出掛けようとして玄関の戸を開けたところで鉢合わせをしたので、契約の件で話したいということだったので、大変申しわけないけど今は出るところなので急いでいますからということで、お願いをしておきました。こういうふうに急に来られたり、予定のないときにはちょっと困るので。どうでしょうか、いつか日程をきちっと設定をしてゆっくり話し合いたいと思っておりますけど、そういうふうに何とかならんかということを申し上げたら、実は僕の家に来る前に照屋秀伝さんのところにも寄ったということで、照屋さんからもそういう意見がありましたと。どうしてくれるかと言ったら、帰ってから上司に相談をしてからしか返事はできませんということでした。それで、きょうまで待っているわけですが、この返事がきておりません。この間、何回となく防衛施設局のほうは誠心誠意、説明に努力をしたけれども応じてくれないという趣旨の話が繰り返されたんで、こういった実態はやっぱり問題だと思いますので、どうでしょう。きょう金城さんお見えになってますか。

 お見えになっていませんね。

 それから、実は先週の木曜か金曜だったと思いますが、具志さんという方から防衛施設局のほうから電話がありました。その方にも実は先日、金城さんにこういうことを申し上げてありますので、ぜひその件は実現できるように努力をしてほしいと申し上げてあります。具志さんという方、お見えになってますか。

 見えてません?

 なら、その件について会長にも申し上げておきましたから、多分その具志さんにも申し上げましたので通っていると思います。どうなっているか少し説明してください。お願いします。
○渡久地会長
  那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側)
  私、那覇防衛施設局施設部長の大澤和久と申します。

 お答えをさせていただきます。

 今、有銘さんから2月の件、それから先般3月でございますけれども、私ども契約の交渉といいますか、お願いにあがりました際の対応についてのお話がございました。そのことについてお話をさせていただきたいと思います。

 大変恐縮でございますけれども、私どもの整理をしたメモによりますと、今年初めてお伺いしましたのは、2月16日ということで整理になっております。ちょっとした私どものもしかすると記憶違いなのか、有銘さんのほうのあれなのか分かりませんけれども、私どもの記録では2月16日の日にお伺いをさせていただいて、ちょうど今有銘さんがおっしゃいましたようにお出かけの際だったので、また後日ということでお別れをさせていただいたということでございます。

 それから、そののち実は3月になりまして、何度かお電話なりお伺いをして連絡をとらさせていただこうということでさせていただきましたけれども、都合5回ほどお会いできなくて3月の17日の日に有銘さんご本人にお会いをといいますか、電話でご連絡をさせていただいた際に、私どもの記録にあります2月16日に話し合いをしたいと言いますか、照屋秀伝さんと同じような考え方だというふうにお伺いを聞いておって、それでそういうことなのでお話し合いをしたいというお話を伺ってございます。今、申し上げましたように有銘さんご本人とお話をさせていただいたのが3月17日ということでございますので、私どもも有銘さんからそういうお話をいただいたと、あるいは照屋さんからもそういうお話をいただいているということでございますので、その取り扱いについて、今、私どもとして検討をさせていただいているところでございます。

 以上、お答えいたします。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者)
 日にちについてはあまりこだわりませんから、どうぞ。

 多分、2月17日に僕は会っていますけど、その前日か、前々日か見えています。家内が会っていますけれども、「見えていたよ」ということだったので。ぜひよろしくお願いします。
 あとで申し上げる件で、少し僕らが何を考えているかということがお分かりいただけると思いますから、ぜひそういう方向でお取り計らいください。

 それでは、本論に入ります。

 第1点目は、これはぜひ真面目に答えていただきたいんですが、僕が質問する質問は非常にへんちくりんな質問です。例えば、こっちも書きましたけれども、アメリカの米軍基地、あえて嘉手納基地に固定しないでいいと思います。基地は県民・私にとって危険な存在ですか、それとも安全なものなのですかという質問です。これはぜひ、どういう立場でもいいですから、お答えください。
○渡久地会長
  那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側)
 お答えをさせていただきます。

 有銘さんは嘉手納飛行場の土地の所有者ということでございますので、嘉手納飛行場ということで代表させてお答えさせていただきますけれども、嘉手納飛行場につきましては、日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全に寄与するためアメリカ合衆国が使用を許されている施設及び区域でございます。以上、お答えさせていただきます。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者)
 じゃ具体的に申し上げましょう。

 なぜかというと、私は特にこの嘉手納基地にかかわって本当にどっちなのかなと。今、安全なためにということで、安全なということを発言されました。例えば、沖縄を守るとか、アジアを守るとか、日本を守るとかいう表現です。

 しかし、私の経験からは戦争というのは住民を守りません。軍隊も住民を守りません。これは軍隊というものの本質は同じです。例えば、戦前の日本軍が沖縄を守ったかといったら守っていません。沖縄県民は軍人よりかも多く死んでいます。戦場ではここは戦場だから出て行けと、壕からも追い出されました。だから、決して軍隊は住民を守るものじゃない。戦争は住民を守るためにあるんじゃない。これは明確です。

 じゃ具体的にもう一つ言いましょう。

 1950年代ですけど、私は青年団運動をやっていたことがあるんですが、そのときにこういったことがあります。アメリカの将校と警察署の方が一緒になって青年団の幹部に会いにということで、役員に会いにということで来たことがあります。この件は区長さんから事前に夕方こういうことで会いに来るそうだから会ってくれという連絡を受けていましたので会いました。そうしたら、戦後、灯火管制というのがあった。そのときに2人来て、僕らは役員5名集まっていましたから、そこへ来て、ぜひ灯火管制に協力してほしいということでした。かいつまんで言いましょう。なんで私たちが灯火管制に協力せんといかんかと言ったら、その理由はこういう説明なんです。私たちは越来という地域の青年団の規約を読ませてもらいましたと。そこには住民の生命・財産を守るという1行があったそうです。あったということです。それで、これは空襲警報発令されたら、灯火管制に協力してもらおうと来たというんですね。私は言いました。冗談じゃないよと。太平洋戦争、沖縄戦でもそうですが、私たちは散々な目に遭ったと。灯火管制も一生懸命やったけど、何の役にも立たなかったと。今、アメリカが北からの脅威という。その前段でそんな説明もやっていましたから、ソ連の脅威ということですね。もし、仮にソ連の軍隊が沖縄に攻めてくるような、空襲にくるような事態だったら、おそらく灯火管制では役に立たないと。原爆の時代に一発落とされたら、寝ていようが、電灯つけていようが、歩いていようが吹っ飛ぶんだと。そういう経験を日本はやったんだから、こんなのはナンセンスだと言ったら、いや、あんた方の生命・財産を守ると書いてあるんだから協力すべきだと言うんです。わかったと。じゃしばらく時間を貸してくれ。ちょっと相談するからと言って、これ立ち話だったんですが、役員集まってどうしようかといったら、こういうふうに私たちの生命・財産を守るというのは、あの頃、青年団は一番大きな仕事は米軍人が夜な夜な女をひったくりにくる。これを警戒するというのが一番の主たる任務だったんですよ。コザあたりではですね。逆な話になったので、話し合いました。こういうふうに楯にとられたのでは話にならんから、よし、この会を役員会の名において、きょう即刻解散しようなと。よろしいということになって解散しました。そして、そのことを告げました。会は解散したので、その任務はありませんと。そしたら、酸素ボンベをずっと下げていた時代がありましたから、それを貸してくれと言う。よろしいと。その鐘はみんなで使うものだからどうぞと。そこの隣の森に吊るされているから行きなさいということを言っておきました。そうしたら、私たちは灯火管制ということには反対ですから、きょうは灯火管制というのがどういうことなのかというので、みんな青年団、そういう解散のことも報告しなければならんというので、その夕方は集めました。行ったら2人、3人だったか、来ていましたけれども、鐘はその前の台風で落っことされていて使えませんでした。私たちはそこでずっと灯火管制の様子を見ていましたけれども、何のことはありませんでした。

 いわゆる安全だというけれども、沖縄は米軍がいるために攻められる、攻撃をされる対象なんです。どうですか。私はずっと組合運動をやっていましたから、中部地区の議長もやっていましたから、週に2回も嘉手納基地や普天間、それからホワイトビーチに抗議行動に行っていました。何百回となく抗議行動。事件・事故のたびごと抗議行動をやっています。

 さあ、アジアを守る、平和を守ると言っていましたけれども、私たちはソ連の脅威といったときに、ソ連の軍隊から一度も被害を受けた経験はありません。しかし、日常茶飯事に米軍の事件・事故に巻き込まれて生命・財産を脅かされ続けています。だから、私たちは基地撤去を言うんです。

 すでにご承知のように、沖縄の米軍基地は使用外目的で今イラクまで行っています。極東の範囲もあったものではありません。こういうふうにもういい加減にしてくれと言いたいほどもう枚挙にいとまがないほど私たちは被害を受けている。そのとばっちりは全部我々が受けているんです。あのB52が落ちた事件など、本当に嘉手納の周辺の人たちは、また戦争が起こったと、本当に本気になって家財道具をまとめて逃げ出したという状況まであるんです。

 ベトナム戦争しかり、湾岸戦争しかり、イラク攻撃しかり、いつどこから戦後沖縄が攻撃されたと言うんですか。被害を受けたと言うんですか。全部、米軍の支配下における苦労だけなんです。それをもってしてもやっぱり安全だというふうに言えるんでしょうか。もう一度だけ聞かせてください。お願いします。
○渡久地会長
  那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側) 
 ご意見の分が多くあったかと思いますけれども、ご質問の趣旨といいますか、ご質問は元にかえって沖縄の米軍基地は県民にとって危険な存在ですか、それとも安全なものですかということかと思います。そのことについてお答えをさせていただきますけれども、嘉手納飛行場は日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全に寄与するため、アメリカ合衆国が使用を許される施設及び区域でありますというふうにお答えをさせていただきます。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者) 
 日本の安全ということと、私の安全とはどうなりますか。

 あんたはどうでもいいと。日本というのは何なんですか、一体。防衛施設局ですか。総理大臣ですか。沖縄県民ですか。これはとんでもない話ですよ。全然すれ違いじゃないですか。まともに私、県民と、ちょっと拡大して県民までいっていますよ。国って何ですか。すみません、念のためもう一度お願いします。
○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側) 
 繰り返して申し上げさせていただきますけれども、嘉手納飛行場は日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全に寄与するため、アメリカ合衆国が使用を許される施設及び区域であります。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者)
  こんなのをオウム返しというしね。こういうときにこそ馴染まないなというんですよ。

 では、これは国の言っていることですから、これにはまともに答えてください。

 私は、今、嘉手納爆音裁判の原告の1人であります。

 爆音裁判で1996年の3月12日と5月14日に裁判所で尋問を受けています。そのときに国の代理人の言い分です。国は、嘉手納基地が爆音がうるさいというのは、これはああいったものをうるさいというのは、通常の生活をしている人じゃなくて、いわゆる通常の感覚を持ち合わせてない人たちがやかましいと言うんだというんですね。

 それからもう一つ、嘉手納の基地がやかましいということを知っていながら、基地の周辺に家をつくったのは危険への接近だから、こんなのは補償する必要はないとこういう言い分です。そのために私は裁判所において、両方の弁護士から質問をされました。

 国は、例えば私の戦後の住居を中心にこういうことを言っているんですよ。

 私は、最初、サイパンから引き揚げてきて、久場崎に収容されました。それから母の弟が安慶田に住んでいたので、毎日のように通ったらしいんですが、ちょうど僕らが着いたときに会って、それで早速、母の弟のところにあくる日連れてこられました。掘っ立て小屋をつくって、テント小屋の掘っ立て小屋をつくって、そこで私たちは生活を始めました。それから、1年ちょっとになりましたかね。私が高校に入った頃ですから、越来というところに移動してきました。トタンぶきの家をつくってですね。これは私の姉の婿がつくってくれた家に引越しました。そうすると安慶田から越来に来ているから嘉手納基地に近づいているわけですよ。そして次は、そこも家が狭くなって、家族も増えたので、今度は城前と言うところに、直線にして約800mぐらい東側に移りました。そうすると嘉手納基地からは遠くなっているわけですね。今度また、そこの家も古くなったし、それで私の家内の親父の土地である現在のところに移ってきました。今度また嘉手納基地に近づいているわけです。そういうことについて、「あんたは嘉手納基地やかましいと言いながら、嘉手納基地がやかましいことを知っていながら、どうして嘉手納基地に近づいたのか」と、けしからんと言うわけですよ。危険への接近というんです。今おっしゃったことと違うでしょう。同じ防衛施設局、同じ国ですよ。私たちが裁判を、もうこれは我慢の限界だといって訴えたら、危険への接近、こういうんです。全く逆ですよ。

 これは非常に有名な話があります。

 いつか新聞記事になって大問題になりましたけどね。嘉手納航空隊の隊長が、もう相当前の話ですが、抗議に行ったら、あのときは嘉手納村だったはずです。あれは北谷と嘉手納は戦前は一つですよね。嘉手納基地があるために分離して、今では嘉手納町と北谷町に基地のお蔭で戦後分離されているんです。統合じゃないですよ。分村ですよ。そのときに抗議に行ったら、「嘉手納基地と嘉手納村とどこが先にできたと思うか」と言われたそうです。確かに、基地のたびに分離されたんだから、基地のほうが先でしょうね。

 こんな論理が通っている沖縄の現実ですね。今、おっしゃっているように。同じ国がですよ。片一方では危険への接近と言って、こんなのは補償に値しないと言って裁判所で堂々と論陣を張る。もちろん第1回目の嘉手納裁判では、国の言い分は、高裁で見事に全部却下されましたけどね。今度も第2回目の裁判でも、また同じことを言っているんです。危険への接近ですよ。

 しかし、私は言いました。短く言いましょう。国の弁護人に対して言いました。私の家は本来だったらあの嘉手納基地の中にある、そこへ行って住みたいんだと。限りなく根気強くその土地に近づきたいのが心情なんだと。危険への接近というなら危険な基地は取り去れと。そうすれば私も安全だし、やがましくもなくなる。こう言いました。

 もう一度聞きます。同じ防衛施設局がでばってきます、裁判には。沖縄では施設局がですね。そして、国の弁護人が私に詰問した内容です。危険への接近ということは嘉手納基地が危険だと承知のうえで、お前その周辺をうろうろしているのに何言うかということです。同じ国が、同じ防衛施設局を代表する立場で一体どっちが正しいんですか。さっきの件と安全ということと、今言っている危険ということは、同じ言葉ではないと思いますが、どっちをとればよろしいですか。私は1人です。両方原告です。すみません、お願いします。どっちが正しいんですか。
○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側) 
 私、有銘さんから先ほどお答えさせていただいたその質問というのは、沖縄の米軍基地は県民、私にとって危険な存在ですかという危険でございます。

 それと、今、有銘さんがいわゆる嘉手納飛行場の航空機騒音、そういったものの実態がひどいということで飛行の差し止めと、それから損害賠償の請求をされた裁判のことについてお触れになりましたけれども、その際に、私どもが法廷で主張しております危険への接近ということの意味合いについて、同じ意味合いではないかということのご主張かと思います。私ども裁判におきまして、危険への接近というふうに申しておりますのは、私ども嘉手納飛行場周辺におきまして、航空機、これは環境庁、今は環境省でございますけれども、環境省が定めた航空騒音に関する環境基準というものはございます。そういったものができましたことを一つの契機として私ども飛行場周辺におきまして、その影響を低減するということで、住宅防音工事の助成という制度なり、あるいは移転の補償をするというような施策を進めてございます。そうした施策を進めます際の一つの基準といたしまして、その環境基準と航空機騒音にかかる環境基準というものを考慮し、値としてはWECPNL値という数値を使ってございますけれども、こういった数値を基にして住宅防音であれば85WECPNL値以上の区域については住宅防音しましょうと、そういった施策をとってございます。そうした施策をとっているということを私どもは区域を指定しますので、そののちに区域が指定されているということ、そういう区域であるということを承知して、その中に家を建てたり、いろいろな事情があるんだと思いますけれども、家を建てざるを得ない、あるいは建てたという実態をつかまえて、危険への接近というふうに申し上げているわけでございます。そういう音が出る区域であるということを承知して帰ってきていると、そういうことを言っているのであって、私の理解が違うのかもしれませんけれども、有銘さんが今ご質問いただいています沖縄の米軍基地は県民にとって危険な存在ですかということの危険と、意味が違うというふうに私は理解をしております。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者) 
 これは無理をして、片一方では危険と言い、片一方では安全と言いながら、とにかく何でもいいからあんた方は黙れと。これが今の日本の体制。防衛施設局は県民の側に立ってものを考えるんじゃなくて、安保条約を着実に実行させるために地位協定なり、日米安保条約のアメリカ側に立って軍隊が便利に、支障なく沖縄の任務が果たせるという側に立ってやっているために、こういうような矛盾を自らの口から暴露しているようなものだというふうに思います。そういうことで、決して沖縄県民にとって安全ではなくて、今申し上げたように、本当はいちいち数字をあげようかと思ったんですが、枚挙にいとまがありません。もう嘉手納基地から派生する被害、これはとんでもない。殺人、強盗、強姦、放火。あらゆる犯罪、人命にかかわるものまでずっと続発しているわけですから、これは弁解の余地はないと思います。

 そういうことで、今、まさに安全と言うときには、大上段に、危険と言うときにはこちらの権利を無視する立場のときに便宜よく使っている言葉だなということが明確になったと思います。

 一応、ここはそういう大きな矛盾があるということですね。このことをほおかむりをして通ろうとしたって、沖縄ではそう簡単に県民が許すわけはないということをぜひ肝に銘じておいてください。

 次に進みます。字森根には伊森原という、これは私の土地が所属しているという地図上の小字があり、それからもう一つは、石根原、これは文字で書いたらそう言いますが、イームイバルとか、イシニーバルと言います。私たちは。

 それで、これは聞いている皆さんに非常に分かりにくいかもしれませんが、ちょっとかいつまんで言いますから。ぜひ防衛施設局もそのへん求釈明をずっと以前に出してありますから、きちっと答えていただきたいと思います。そのことに入る前に、字森根には小字はこの二つだけですか。それ以外にあると思いますが、いくつ小字があるんでしたか。まずそれからお答えください。
○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側) 
 すみません、今のようなご質問、十分予期していませんでしたので、手元にある地図でそうだろうということで見ますと、六つの小字があるかと思います。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者) 
 できたらぜひ次までにでも明確にしてください。

 それから、こちらに書いてあるように、あとで真栄城君の関連で質問しますから。私は、伊森原(イームイバル)だけについて資料で申し上げますから。

 こちらには、いわゆる契約地主というのがいるわけですよ、小字の中にですね。それから、例えば僕ら2人みたいに契約を拒否した地主がいるわけです。これを便宜上、未契約地主と言いましょうか。

 それから、復帰前は登録制だったということのようですが、それがその記述に漏れていて、あとで追加登録をしたけれども、復帰まで認めてなかった土地があるんですね。それを復帰と同時に漏れていたものも認めましょうということでやっている。例えば、これを、どういう表現をしましょうか。「復元土地」というふうに言っておきましょうね。こちら三つそう書いてありますから。それで三つなんです。契約している地主、契約を拒否している地主。それから、復帰後、復元ということで地図上はめ込んだ土地。それを復元地主というふうに言っておきましょう。

 それで、この復元される地主という方々が、伊森原(イームイバル)には私の図面のある土地、小字には3名いらっしゃるんですよ。3名の方とも、例えば、畑とか山林とか墓地などがあります。私のところの図面上の、地図上の伊森原(イームイバル)には3名の地主がおります。

 それから、真栄城君のところには6名の地主がおるようです。

 そこでもう一つお尋ねしておきますけど、この伊森原(イームイバル)と石根原(イシニーバル)以外の小字には、この復元地主というのはいないんでしょうか、いるんでしょうか。お願いします。
○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側) 
 大変恐縮でございますけれども、今の件につきましては、そうしたご質問があるということ、私、予想しておりませんでしたので、いるともいないとも今の時点ではお答えを差し控えさせていただきたいと思います。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者) 
 じゃこの件もさっきのと一緒に、ぜひ資料を出していただきたいと思います。

 実はこの件で、今、僕たちは沖縄市の土地連合会にこの間2回呼ばれまして、なぜ呼ばれているかといったら、これはあとで詳しくは真栄城さんのほうから申し上げますけれども、この人たちが困っているから何とか契約に応じてくれという趣旨のことで呼ばれているんですよ。

 話は、あんた方が契約をしないので復元ができないと。こういうことのようです。しかし、私たちはこの人たちの復元云々で拒否しているんじゃなくて、私たちのこと自体で拒否しているわけですから関係ないわけですけれども、それで今、収用委員会でも問題になっているし、裁判でも問題になっているので、はいそうですかというわけにいかんでしょといったら、それもそうですねというので、2回とも大体話はしていますけれども。2回ほどそういうことが言われていま
す。

 収用委員会にも知っていただきたいんですが、私たちはまず第一にこの間ずっと申し上げてきていることは。私の土地と言われるところの位置境界が納得できませんよと。極端に言うと違いますよということを言っているわけです。そこにもってきて、復元する土地がありますから、困っていますから、あなた方が契約してくれたらという話では、短絡的なんですよ。そういうふうに、どうも仕向けているはずなのに、小字がいくつあるかということもご存知ない。そして今度は、この復元というのは、この二つ以外にありますかと聞いてもご存知ない。資料がないから。資料を見れば分かるというんだったらいいでしょうけれども、ちょっと納得できかねるわけですよね。それで今問題になっている。それでも、お分りにならないということ。どうしても納得いかないわけですよ。繰り返して僕らに言っていることは、あんた方の土地は、あんたは拒否しているかもしれないけれども、ここは周囲の人たちが認めているから、残っているのがあんたの土地だと。確定しているわけでしょう。僕たちは拒否しているのにもかかわらず違うよと言って拒否しているのにもかかわらず、お前の土地はここだと言って、確定的なことで今収用委員会の皆さんに預けているんでしょう。にもかかわらず、申請する土地というのは、復元すると土地というのは、今度はあなた方の言い分は、位置境界が明確になってないので、確定できません。だからこの人たちの訴えは登記もできないんだそうです。相続もできないんだそうです。だけど現に地料を払っているんですよ。こんな無茶苦茶な話が通りますか。お尋ねします。僕たちに言っていることは、土地連合会から聞いているわけですから、その人たちの訴えですから、直接本人と会って、具体的に現地に即してどうのこうのと論議したことはありません。それから防衛施設局も、何回頼んでもずっと、もう何10年になりますか、この間現場立ち入りをさせて、収用委員会も弁護団も一緒に、本人も立ち合わせてくれといっているにもかかわらず入れてくれない。未確認のままですよ。僕らにだけはお前たちの土地は確定できたんだと。だから、強制使用できるんだと。こんな無茶苦茶な論理ですよ。さっきの話も無茶苦茶でしたけれども、これはまさに収用委員会の審理の本質にかかわる部分でしょう。無茶苦茶ですよ。それで私たちは本人から聞いているわけではありませんけど、さっき言ったように非常に困っていると。登記もできない、売買もできない、それから相続もできない。なんとかしてくれというものですから、この三つについて、立場の違いを明確にして、とりわけ復元土地についての今の防衛施設局は、どういう立場でしょうか。実は僕らに対して、あっちを説得してこいというふうに行かされているように思いますから、これは間接ではないですよ。直接につながっていることなんですよ。

 しかも、この二つの小字は、片一方に僕の土地があるとされ、片一方に真栄城さんの土地があるとされている。地域の話ですからね。これは説明できると思います。聞かせていただけますか。よろしくお願いします。
○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側)
  いろいろなことをお触れになりましたので、私、質問の趣旨を正確につかんでいないのかもしれません。今、先般、有銘政夫さんから出された第2ということの関連でのご質問だと思いますので、それを中心にしてお答えをさせていただきたいと思います。
 まず、お答えをする前に、一つ私どもの理解としてお話をさせていただきたいのは、先ほど有銘さんから復元土地ということで、復帰時にそうした土地が復元したという趣旨のお話があったかと思います。私どもとしてそうした土地があるかどうかということについて、今、私自身承知をしておりませんけれども、私どもが登記簿上復元をした土地といいますか、あるいは登記簿に至る前でも、私ども国土調査に地籍調査ということをやっておりますので、その過程でほぼ、従前登記簿になかった土地がこの位置にあるはずだと。あるいはこういう形であるはずだというふうにして復元可能になっている土地というのがございますので、そのことを前提としてお答えをさせていただきたいと思います。

 まず、私ども昭和52年になりますけれども、沖縄県の区域内における位置境界不明地域内の各筆の土地の位置境界明確化等に関する特別措置法という法律ができまして、これに基づきまして、位置境界明確化作業を行っております。これは施設区域の中につきましては、防衛施設局長が、それから施設区域の外につきましては、沖縄総合事務局長が実施機関の長としてそうした作業をしたということでございます。

 そうした中で、まず有銘さんの土地、あるいは石根原もそうかもしれませんけれども、私どもとして、今こうした駐留軍用地特措法に基づく手続きをとらせていただいているわけでございますけれども、そのためにはその土地の位置境界が確定できる、特定できるということが前提でございますが、そうしたなぜそういうふうに考えているのかということについて申し上げさせていただきたいと思いますけれども。

 一つは、現在、裁決申請をしております土地につきましては、そうした土地を含む字等の区域と、これに隣接している字等との区域との境界が確定していること。

 それから、二つ目といたしましては、本裁決申請にかかる土地を含む字等の区域内で本裁決申請にかかる土地と、その隣接との境界を除き、すべての土地の境界は関係土地所有者において確認済みであること。

 それから三つ目といたしましては、本裁決申請にかかる土地と隣接地との境界について隣接土地所有者は全員位置境界明確化法の所定の手続きにより確認済みであること。

 さらには、四つ目といたしまして、本裁決申請にかかる土地の所有者は隣接所有者と本裁決申請にかかる土地の位置境界について争っていないという状況から、現地に即して特定できる状態にあるということで、駐留軍用地特措法に基づく手続きをとっているところでございます。

 このことにつきましては、私どもが申し上げるだけではなくて、平成12年11月17日に当時は建設大臣でございますけれども、建設大臣の裁決におきましても、これらの土地について特定は可能であるというふうな判断がなされているいうふうに承知をしてございます。

 それから、ご質問の先ほど私が申し上げたような解釈の復元土地でございますけれども、これにつきましては、位置境界明確化作業を通じて新たに復元が可能となった土地のことというふうに理解をしているというふうに申し上げましたけれども、そうした理解のもとで沖縄市字森根石根原と伊森原におきましては、位置境界明確化法に基づき基礎作業、地図編纂作業、復元作業を終えておりますけれども、石根原につきましては、現地確認書が、また伊森原につきましては、編纂地図確認書、さらには現地確認書に一部土地の所有者が署名押印を押していないことから、国土調査の成果としての認証の申請ができず、新たにその土地が復元が可能となった土地についても登記に反映できない状態にあるということでございます。
 
 以上、お答えをさせていただきます。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者) 
 よろしいですか。
 非常に不可解なのは、今問題になっているのは、復元土地といわれる部分について、ほかにあるかどうかとお聞きしたときに、わからん、資料ないからわからんと。ないという前提だったら、今の話は通じないんですよ。通用しないんですよ。ほかにないんだったら、ここだけの話だから、ここは確定できないというだけの事実しか残らないはずなんですよ。何で確定できないのに、僕たちのものだけは確定できると言い、その復元土地については、私たちが認めないからできないという言い分のようです。私はそれを聞いていませんよ。向こうから聞いているんだから。そういう論理について皆さんでどうしていますかといったら、全体的なオブラートで包んだような話をしてですね。

 例えば、これは前から言っていることですよ。あんた方の土地は少なくとも嘉手納基地の中にあるから、あんたの土地だけを取るんじゃなくて、嘉手納基地内にある土地を全部収用するわけだから、その中にありますと。だから確定できるんだという言い分だったわけでしょう、この間。最終的にそういうことですよ。なら、復元される土地とか何とか言ったって、そこにあると認めて使用料を払っているんでしょう。なのに、この権利問題ではそれが僕たちのほうに何とかしてくれと来る。この矛盾を防衛施設局、一体どうしてくれるんですか。こんな私的な問題ですか。片一方は有無を言わさず特措法を変えてまで二度にわたる改悪をして、有無を言わせず収用委員会の権限まで縛って、私たちはそれに従って仕事をするまでです。大きな顔をしてそこで述べられたってね。こういうところに基本があるから、皆さんがときどき繰り返そうとする、「馴染みません」と、そこまで突っ込まれると「私、わかりませんよ」と言わざるを得なくなるからでしょう。

 ちょっと具体例を申し上げましょうか。

 私の手元にこういう資料があります。(資料掲示)私の名前があって、ほかは地番もありますし、地目もありますし、面積もあります。現地確認年月日もあります。所有者の名前は全部消されて印鑑も消されて、それから立会い者の名前も、これはずっと同上になっていますからいいですが。有銘政夫の名前だけでこういった資料をもらっていますよ。

 そして、図面を見せてもらってもそこには番地があるだけで、人の名前も分かりません。しかし、私たちに対しては私に対しては3名から、真栄城さんに対しては6名から何とかしてくれというふうにくるわけですよ。片一方は現地に即していたアメリカ軍がいるからアメリカが反対するから立ち会いさせられません。立ち入りできません。何の役割で皆さんそこにいるんですか。子供の使いにもならないじゃないですか。それでいて、いやみんなが同意したからであって、みんなが同意しているから、それはそのとおりですと。みんなの中に僕は入らないんですか。皆さんのみんなというのは都合のいい人だけ。

 それで、この復元土地の人たちに聞いたら、この人たちはほかにも土地がある人もいるようですよ。契約しているんだそうです。だからおかしいじゃないかと。

 例えば、僕らみたいに未契約の人は、はなからこいつらと思っているから、こん畜生と思っているから、右顧左眄して何とかかんとか不利な条件をくっつけているというのは、嫌がらせてとして分かるような気がするけれども、何で協力している皆さんにこんな仕打ちをするのかと。これは逆さまじゃないかと。

 僕たちのものは、ご丁寧に収用委員会の場でも、裁判の場でも、「違うよ」と言っても「そうだ」といって、「お前の土地だ」、「お前の土地だ」と言って法律を改定してまで認めて押し付けているのに。あんた方のものはあるといって協力もするものを認めないと、こんな逆さまな世の中、おかしいんじゃないかと。こう言っているんですよ、僕らは。一体僕らはだれと論議をし、だれと話し合いをし、だれと相談をすればいいんですか。
○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側) 
 すみません。先ほど字森根という字に小字がいくつあるかというご質問でございますけれども、まずこれについてちょっとお答えをしたいと思います。六つございます。

 先ほど、ご質問がありました際に、土地連と話し合いをしたと。それで土地連のほうから皆さんが契約に応じてくれないから、その土地の登記ができないんだというような趣旨でご発言だったと思いますけれども、私、土地連と皆様がお話し合いになったこと、そのことについていちいち承知する立場にもございませんし、また、だからといって仮に承知をしたからといって、そのことについて云々するという立場でもございませんので、そのことについてお話をすることについて、あるいはできるということについて何もございませんので、そのことはご理解をいただきたいと思います。

 そのうえで、今、有銘さんがおっしゃったように、私どもの契約に応じていただけないから、この土地の認証が終わらないのかということについて申し上げれば、それはけしてそうではございません。私どもとして認証していただいた土地についても現実の問題として、駐留軍用地特措法に基づき手続きをとらせていただいている土地もございます。そうした土地もございますので、決して契約に応じてないからその認証ができないんだと、 そういうことではございません。しかしながら認証するためには、あくまでも個人の財産である土地でございますので、そういった土地の方々の権利関係について、あるいは現にある状況についての合意と言いますか。隣接する土地の所有者との合意が必要でございます。それは土地登記法の観点からの議論であろうかと思います。私どもとして今やっておりますのは、先ほど申し上げました昭和52年に制定をされました位置境界明確化法と通称させていただきますけれども、その法律に基づいて、私どもとして、市町村会なり、あるいは字会と言ったような資料を土地の所有者の方々に提供をさてせいただき、それであるいは52年の際に位置境界明確化の作業をする前に、すでにありました戦後間もなくだと思いますけれども、県民の皆様で復元をした、そういった前提で登記ができているわけでございますから、その際、登記についてございました小字マップといったものを使用しながら、いろいろな航空写真も使用しながら、資料を提供し、その土地の所有者全員の合意に従って、成果品が出てくる。その成果品に基づいて我々としてお手伝いをさせていただき、認証の手続きも取らせていただくという立場でございます。したがいまして、個々の位置境界明確化の作業が完全に終わらないで、登記に至っていないということについて、個々の土地の所有者のいろいろお困りの事情、その他あるんだと思いますけれども、そういったことについて私どもも何とか国としてできる作業はないのかというようなご要請もいただいておりますけれども、そのことが契約ができないのが原因で、そういった作業が進まないんだということではないというふうにはご理解いただきたいと思います。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者)  
 今の件で確認しておきましょう。
○渡久地会長 
 若干、私のほうから聞いて、有銘さんの質問の核心がちょっと見えにくいところがあるように思いますので、私のほうでちょっとだけ整理してよろしいでしょうか。こういうことでしょうか。本件、有銘さんの土地が、実は自分は承認をしてないけれども、収用申請されたかについては、那覇防衛施設局の説明としては、一団の土地として、他の土地は地籍明確化法で確定をしている。そうしますと、残る土地は必然的に確定されるはずだという論理で、申請をされているというふうに私は理解します。そして那覇防衛施設局の回答もそうであったと思います。
 有銘さんのご質問と言いますのは、そうであるならば、その一団の土地、他は確定していると言われている土地の中に、復元土地として認定してもらわなければいけない土地があって、これはまた復元土地として認定してもらう過程にあるわけであるから、まだ確定をしていないはずであると。そうしますと、さっき、ほかの一団の土地の中の他の部分は確定されているから、問題の土地は必然的に確定されるであろうという論理は成り立たないのではないかと。こういうご質問なんでしょうか。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者)  
 私の所属すると言われている小字に、3名の地主、筆数はもっと多いです、3筆ではありません、復元すべき土地があるわけですよ。これは図面の中にはあるんです。それが言い分として、私たちが認証しないものだから、捺印しないものだから、これが大臣認証できないと、そこであなた方の権利回復ができないと。だから、勢い登記も出来なければ売買もできないと。困っているから何とかしろと、こっちに来ている。この件について今お聞きしたら、今向こうがおっしゃっているのは、あんた方がいるから、未契約地主がおって確定できないから、この人たちの権利云々ということではありませんと、今おっしゃったと思うんですよ。それを確認しておきたいわけです。もしそうだとすると、我々は責められる理由がなくなるわけですから、防衛施設局は収用委員会の場で明確に私たちの契約拒否ということと、それがいわゆる大臣認定ができないということと、皆さんの権利回復の問題とは関係ありませんと言っていたよということを申し上げれば、このことは解決されるから。
○渡久地会長  
 余計なことからもしれませんけど、再度整理をするとこういうことでしょうか。質問が大きくわけて二つあるように思います。

 一つは自分たちの契約拒否ということと、その復元土地として認証されるべき土地が、まだ認証されずにいることが連動しているのかどうかということですね。これが一つ。

 あともう一つ、一団の土地の中に、まだ認証されていない復元土地がある以上は、先ほど那覇防衛施設局がお述べになった論理、つまり他は確定しておるんだから、必然的に残りの部分は確定するはずだという論理は成り立たないのではないかという二つの質問項目ということになるんでしょうか。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者)  
 本来は、今会長がおっしゃったみたいに、私たちの土地はそういう確定しているといっているのに、復元土地については、位置境界がはっきりしないからだめだと言っているんだったら逆さまではないかと聞いたけれども、「我々と関係ない」というんだったら、同じ立場だということを聞いていいわけですよ。そこで、もう一つ。
○阿波根代理人(土地所有者側)  
 今の関連で会長が整理された第1点の点は、そのとおりだと思います。
○渡久地会長  
 お名前を。
○阿波根代理人(土地所有者側)  
 すみません、代理人の弁護士の阿波根です。
 整理された中で、第1点の整理の仕方はそれでよろしいかと思います。

 第2点の点についてなんですけど、質問者の有銘さんがおっしゃっているのは、こういうことじゃないでしょうか。字森根には6筆の小字があると。その中で、有銘さんの家は伊森原なんです。真栄城さんは石根原に小字が所在すると。その6筆の小字の2筆については、2カ所の小字については、六つの小字の中で、2カ所については、位置境界が不明地域になっているんだと。ほかの4筆はどうですかと。ほかの4筆のところにもありますかと。ごめんなさい、4つの小字については、位置境界が全部確定しているでしょうと。その自分らの伊森原には、有銘さんがおっしゃるように、復元土地が存在すると。石根原にも存在すると。ほかにも確定された4つの小字の中にも、復元された土地がありますかというような趣旨と聞いているんじゃないかなと私は理解しているんですけれども、もしそうだったらどうでしょうかということを起業者側に聞いてくれませんか。
○渡久地会長  
 今、阿波根代理人が要約をして質問という形をとりましたけれども、お答えになれますか。

 あるいは有銘さん、阿波根先生、非常に混みいった話のようです。ですから、なかなか質問をきちんと要約するのも難しいですし、これに的確に答弁するのもなかなか難しいのかなという印象を私は受けております。

 はい、那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側)  
 まず、二つお答えさせていただきたいと思いますけど、一つは、有銘さん、ほかの方が、私どもと賃貸借契約に応じていただけないから、今の位置境界明確作業に基づく登記ができないんだと言われているということについてでございますけれども、そのことにつきましては、先ほどもちょっと申し上げさせていただきましたけれども、私どもとしては、位置境界明確化法に基づき、基礎作業、地図編纂作業、復元作業を終えておりますけれども、石根原につきましては現地確認書、それから伊森原につきましては、編纂地図確認書及び現地確認書に一部の土地の所有者の方に署名押印をしていただいてないことから、国土調査の成果としての認証の申請ができない。したがって、新たに位置境界明確化作業によって、新たにその土地の復元が可能となった土地についても登記に反映ができないということでありまして、私どもの賃貸借契約に応じていただけないから、その復元ができないというわけではございません。そのことを申し上げたいと思います。
 それともう一つお答えいたします。今、弁護士さんのほうから、では、字森根の伊森原と石根原以外に、今申し上げました位置境界明確化作業の中で、新たに土地が復元可能となった土地があるのかということでございますけれども、私、今、手持ちの資料を見ている限りでは字森根にはございません。しかしながら、普天間飛行場なり、牧港補給地区では、そうした復元が可能になった土地はございます。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者)
 だから、最後にもう一つ、私の所有地の位置境界はどのようにして特定したのかということを聞きたいわけですよ。だから、それが明確になれば、この問題は全部解決する感じなんですよ。だけど、ちょっとだけ、後で資料を出しますから。

(図面掲示)
 これ少しこちらでは見えにくいんですけど、後で資料を出しますから。

 赤で示したところが、これは真栄城君の土地です。それから、こちらの赤の部分が私の土地と言っているところです。その周囲に黄色く塗られた土地が4筆あるんですよ。僕の小字というところに。そのうちの二つが僕の土地にくっ付いているわけですよ。だから、この人たちが僕が境界線を認めない限り、認められないと言っていると、こういうことなんですよ。具体的に言えば。

 それから、この小字としても、この位置境界がはっきりしないものだから、ほかに全体として認証できないという言い分なんですよ。なら僕の土地も認められないじゃないですか。僕は最初から反対しているし、「位置境界が違うよ」と言ってきているんだから、明確に「違うよ」と言っているんですよ。それを片一方は違うよと言っているのに、認めないで、本当は位置境界というのは両方が納得するときに認めるというのが収用委員会の常識ですよね。だけど、片一方は、違うと。この位置境界は違うと言っているのに、お前のものだと言っていながら、片一方には、申請をして何とかしてくださいと言っている人たちには、お前の位置境界は、このこいつがうんと言わないから駄目だと言っている。どこが正しいのですか。

 だから、そういったことにつながるので、最後に、私の位置境界はどうして決めたんですかと。南北は、だれの土地かわかりませんよ。聞いたこともないし、立ち会ったこともありませんから、だれの土地かわかりません。番地だけは書いてあります。前に、私は多分、沖縄市の土地連の会場に行ったと思います。ここに1996年9月25日とありますから、多分その日のことでしょう。図面がありました。そこには私の土地の南北に269-2という番地、これは北側。南側に271-2という番地の土地があって、そこには「仮」と書いてあるんです。僕の土地で位置境界が、あえていって、契約も済んでいるという方々が両方、東西はそのようですから、この人たちは認めていたということで、了としたという言い分は通りますけれども、南北の人は、私が認めてないから認めないという土地ですから、僕のが南北は認められないという結論になるわけですよ。だから、私の土地はどういうふうに確定したんですか。そのときに私は、「仮」と書いたのは、一体そこにあったのかと聞きたいわけですよ。だから、こういった論理が詰めてなければわからないことを、僕らにだけは、取り上げるときだけは一方的に押しつける。それでオブラードに包んで全体の中の意思だと。みんなが承諾していると言いながら、片一方ではまだこういったことで、僕らに揺さぶりをかけて、そして今聞いて驚いたんですが、私と未契約の真栄城さんのいる土地、小字にだけ復元土地が全部集まっているという話も、これも僕はあえてだれがどうのこうのと言っていませんから、わかりませんけど、それで僕ははっきりこれは位置境界違いますよと言っている。よってたかって、どうなるんですか。蜂の巣どころじゃないですよ、これ。
○渡久地会長  
 少々お待ちください。

 収用委員会として提案がございます。ただいまの問題、これは毎回論点となるところです。復元土地という事情が今回加わって、お聞きになっている方々にとってもすぐに頭に整理がいかない性格の問題かもしれません。したがって、答えるほうとしても、そう簡単ではないかもしれないと思いますので、重要な問題でもありますし、ここはひとつ阿波根代理人、準備書面式にまとめていただいて、できれば例えば、名前も知らない人からこのようなことを言われたというようなことではなくて、明確に具体的に記述していただいて、質問書のような形でまとめていただいて、これを収用委員会のほうを経由しまして、那覇防衛施設局のほうに送付いたします。那覇防衛施設局は書面に答えるという形をとっていただければ。那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側)  
 すみません。今のご提案でございますけれども、私どもが関知していない部分について私どもがお答えすることはできませんので、そうした点については、お許しをいただきたいと思います。
○渡久地会長  
 わかりました。
○阿波根代理人(土地所有者側)  
 代理人の阿波根ですけど、私もよくわからなんです。非常に難しい問題で、どこでどのような作業が行われたかということは、地主さんも、本当のことを言って、聞いて、人からこう言っているから、こういう説明があるからこうではないかというふうに理解しているわけです。実際の作業は地籍明確化法で、那覇防衛施設局がやるんだということになっておりまして、おそらく新しくできた土地が派生したものについても、作業はおそらく那覇防衛施設局のほうでやっているはずですから。一番よくご存知のところは那覇防衛施設局なんですよね。だからそこらへんから教えていただかなければ、私たちは人から聞いたものをこうですよというようなことで言うしかないので、よくわからない。書面で本当に確定的な主張ができるかどうか分かりませんけれども、できたら復元土地の字森根だけでいいんですよ。その中でどういう土地が復元されましたよと。そこはどの小字にも属していますよというようなことを言ってもらえれば、そして復元途中の土地で、どこどこにあるんだよということを言っていただければわかります。

 私たちの疑問として持っているのは、やっぱり有銘さんの土地、あるいは真栄城さんの土地に近づけてその部分に復元予定の土地を再編作業をしようとしていたんじゃないかというようなことを疑っているわけですよ。確定的な、確証はまだできませんけど、そういう疑いは十分にあるわけですから、やっぱりお互いの中で審理するのは面白くない。防衛施設局のほうでそこらへんは十分説明していただけないかというのが、私たちの希望です。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者)  
 お願いですがね。先ほど、いくつか具体的な質問をしてありますから、これを明確にしていただいて詰めさせてもらえませんか。そうしませんと、一番分からないのが私本人なんですよ。防衛施設局からも言われる、周囲からも言われる。
○渡久地会長  
 今、お求めになっている、いわゆる有銘さんの定義による復元土地、その用語の問題ですね。この定義をもう少しこういうことをいわんとしているんだと。自分の復元土地ということで自分が言わんとしているのは、こういう性格の土地であるということを文書で、その1点だけでも結構ですので、文書をつくっていただいて、すぐ我々がそういう土地のことに…。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者)
  僕らの解釈でいいんですね、それは。僕が感じている、僕が聞いている範囲内でいいんですか。
○渡久地会長  
 それでいくしかないんじゃないでしょうかね。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者)  
 なぜかというと、これは僕らは聞かされてわかるわけで、私がつくったわけではありませんから。
○渡久地会長  
 ですから、自分はこのように聞いていると。その聞いた話による自分の理解としては、復元土地とはこういうものである。そういう土地が例えば自分の関係する小字に存在するのかしないのか。存在するとすれば、何筆なのかといったように聞けば、防衛施設局のほうとしても答えられるんじゃないでしょうか。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者)  
 だから、今、呼ばれて話したときには、2人の周辺は土地連のほうで具体的に地図をつくって、これ向こうからもらってきたものです。あとで提出しようと思っているんですがね。
○渡久地会長  
 もちろん、土地連と那覇防衛施設局は、直接関係があるわけではありませんので、こちらのつくった資料について、那覇防衛施設局が責任をもって答えられるかどうか。これはそういった問題はありますが、とりあえず今、有銘さんの理解をしている復元土地なるものの定義をはっきりさせて、できるだけの資料を添えて質問いただければ、我々のほうから那覇防衛施設局のほうに、こういうことについてお尋ねしたいようであるということで、回答を求めるようにします。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者)  
 今言った、小字が六つあるといいましたね。あとの四つについてこういう復元土地はあるのかないかのかというのは、きちっと調べてもらう。それであるなら、どこどこと地図で図示してもらう。さっきはないと言っていましたから。
 それから、僕ら2人の所属するところにあるというなら、どれどれどれが復元土地であると。「復元土地」という表現は僕が使ったのかな。土地連が言っているんですよ。だから、それはそういう三つに分けたのは、そういう意味です。僕らの認識としては「契約地主」と「未契約地主」という認識ですが、もう一つあると。
○渡久地会長  
 言葉、用語の定義が食い違いが生じますと話がちぐはぐでかみ合いませんので、一つ阿波根代理人、復元土地なるその土地の性格をきちんと有銘さんの理解に基づいて明確にしていただきたい。それに関する資料等があれば添えていただいて。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者)  
 これは防衛施設局がお手元にある地図に基づいて、これこれこれが復元土地だと。これ土地連が言っているわけですから、これは向こうが分かるのであって、僕は分かりませんよ。この地図は向こうからもらってくるか、写しをとるか。向こうに出してもらわないといけないですよ。だから、今聞きましたから。こういうのがあると言っているけど、あるならあるで、ちゃんと明示して、これこれ、これがこういう、あんたの言うこういう土地だと。認識合わせは向こうとやるべきじゃないですか。
○渡久地会長  
 まずはその資料を我々も持ち合わせがございませんし、おそらく今何をお求めになっているのか、那覇防衛施設局もちょっとよく分からないと思いますので、資料を、自分たちはこの資料をもっておると、この資料でこういう話を聞いている。これについてどうなのか、疑問を持っているというような形でやらないと、なかなかこの議論はかみ合わないんじゃないでしょうかね。
○池原(嘉手納基地土地所有者)
 嘉手納の飛行場に土地を持っている池原と申します。
 今、有銘さんたちの話の中で、私も話し合いの中に加わった時期があるんですね。なぜ復元土地かというものについては、かつてDEがつくったときの土地測量がありましたね。
○渡久地会長  
 DEとおっしゃいますと。
○池原(嘉手納基地土地所有者)  
 米国民政府が当時、復帰前の段階で土地収用をかけるときにつくった測量があったんですけれども、そのときには自分たちは外地にいて、結局は申請ができなかった。それで自分たちの土地が消えてしまっていた。ところが昭和52年の地籍明確化法によって、改めて土地測量をし直すことができる事態に、自分たちは今まで軍用地料ももらえなかった、米軍がつくったときの図面、土地登記簿の中から漏れていた。しかし、地籍明確化作業の段階で自分たちの主張が地域の皆さん方に、「確かにあんた方の土地もあったんだ」ということを認めてもらって、これが回復したということになっているわけですよ。回復したんだけれども、ところがその中に実際的な有銘さんや、真栄城玄徳さんなどがいて、土地の測量に対して未確認という形で、自分の土地がこれは違うといっているので認証しなかったと。地籍確定作業に協力できなかったということなんですよね。そのために結局は、本来、回復されて地代も今もらっているわけですけれども、ところがそれが実際的な登記簿上は確定していない、認証されていないということになっているのが、今の話だろうと思うんですよ。経過はそういうことでご理解いただけますか。
 終戦直後は外地にいて、それで申請ができなかった。土地登記簿から漏れていた。その代わり新しく地籍明確化によって土地測量したら、そのときに初めて自分たちの主張をしたらこれが回復することになったと。ところが、回復する場合に実はこの人たちがおったために、認証ができなかったということで、しかし、防衛施設庁も皆さんの土地はあったということを周囲が認めたので、皆さんの地料も回復して、地代も上げましょうといって、今もらっているわけです、実際は。しかし、登記簿上、認証されていないというだけです。
○渡久地会長  
 そうしますと、先ほどこれに関連する回答として、そのまま読み上げますと、これは那覇防衛施設局の回答なんですが、「沖縄市字森根伊森原においては、位置境界明確法に基づく、すなわち基礎作業、地図編纂作業、復元作業を終えているが、編纂地図確認書及び現地確認書に一部土地所有者が署名押印をしていないことから、国土調査の成果としての認証の申請ができず登記の手続きができてない状況にある」と。こういうご回答だったと思いますけれども、今、池原さんの認識とは那覇防衛施設局の登記ができないことについての事情説明と、池原さんの理解とではちょっと食い違いがあるように思うんですが。
○池原(嘉手納基地土地所有者)  
 食い違いがあるんじゃなくて、元々、地籍明確化法でなされた集団和解方式ですよね。ですから、いわゆる自分たちの土地が元は本当は長四角だったのに、真四角につくられてみたり、三角だったのに真四角にされていたりしているわけですよ。それをただ、地図上であてはめてやっただけで、現地でも一応立ち入りしていくらかは確認できるところは確認してあるわけですよ。境界があったりしたところはですね。ところがそれ以外については、敷きならしているから分からないわけでしょ。そういうのを集団和解でもって確定しているわけさ。確定しているというより、集団和解でもって、もうそのように認めましょうやというのが、途中経過の話ですよね。
 ところが、最後になって私たちはすべてみんなで認めましょうといって印鑑を押すときに、この方たちは自分の土地は向こうだったのに位置がずれている。屋敷の跡が消えてしまっているというふうなことで、印鑑が押せなかったということなんですよ。ですから間違いはない。向こうの言う分も同じ、作業過程では測量士も合わせてみんなで図面を編纂してきていますから、そのとおりでしょうということにはなったけれども、本人たちは「いや、私の土地は必ずここではなかった」と言ってやっているわけですから。そこまでは実際、自分たちの土地ははっきりして屋敷も残っているわけですよ。残っているのにもかかわらず、その土地では逆のところに地図がつくられているわけですから、認証できませんといってやっているわけですよ。それにくっつけられた復元土地が寄せられているわけですね。そのためにこの人たちも一緒に含めて地籍確定が完全に終了していないということなんです。
○渡久地会長  
 私、今お聞きしたところ、池原さんのお考えは今、復元土地なるものが登記簿上、登記に反映されていない、認証されていないというその事情は、理由は、例えば有銘さんたちが自分たちの土地の境界はそこではないと、押印を拒否したからであると。それが理由であるというふうなご理解なわけですね。
○池原(嘉手納基地土地所有者)  
 はい。
○渡久地会長  
 そうしますとそのことと、先ほど私改めて紹介いたしました那覇防衛施設局のこれに関係するのかなと思われるその回答、つまり「復元作業等は終えているが、編纂地図確認書及び現地確認書に一部土地所有者が署名押印していないことから、国土調査の成果としての認証の申請ができず、登記の手続きができない状況にある」ということとは違うのではないかということをご指摘になっているんでしょうか。それとも、那覇防衛施設局のその回答が先ほど那覇防衛施設局から回答されましたそのことが、池原さんの指摘していることと同じことであるということなんでしょうかね。
○阿波根代理人(土地所有者側)  
 ちょっと補足的に説明いたしますけれども。池原さんがおっしゃっているのもそのとおりなんですよ。有銘さんがおっしゃっているのは、そのとおり、施設局の説明もそのとおり。ただ、何でそうなるかということをもっと詳しく説明してくれということなんです。要するに、単に有銘さんや真栄城さんが印鑑を押さないから一帯が全部地籍不明地域になっているというだけの話じゃなくて、復元される予定、あるいは復元された土地については、森根伊森原全体で配備されていると。
 その復元された土地の状況が字森根の中でどのように存在していて、そしてまだ未完成な土地が、復元未完了の土地がどこにどのように位置しているかを、これを調べることが有銘さんの位置境界を確定するためにも意義があるんだということで、すぐ資料を防衛施設局のほうから出してほしいということなんです。
○渡久地会長  
 そうしますと、先ほどの回答では基礎作業、それから地図編纂作業、復元作業を終えているということであるから、その資料は提出できるはずだと、こうおっしゃっているわけでしょう。
○阿波根代理人(土地所有者側)  
 全部できます。そして申請されて、復元された申請者の関係書類も全部防衛施設局は手元に保管されておりますでしょうし、それから途中のものもまだ保存されているはずですし、字森根に限って言えば、その資料を全部出していただけるだろうと。その中で本件対象土地の特定ができるかどうかも絡んできて、特定が十分可能だとか、できているんだという問題の討議の資料にも十分なるんだということで出してほしいというのが、私の要望なんです。
○渡久地会長  
 そうしますと、復元土地に関する基礎資料を提出してもらって、これと照らし合わせながら有銘さんは自分の土地が本当に境界はそれでいいんだろうかと確認をしたい。地図の上で確認をして、肯定するなら肯定をする、否定をするなら否定をするという返答をしたいと、こういうわけですか。
○阿波根代理人(土地所有者側) 
  そうです。
○渡久地会長  
 那覇防衛施設局いかがでしょう。今の有銘さんの要望について、資料提出は可能でしょうか。
○大澤代理人(起業者側)  
 私も今、裁決申請をさせていただいております土地につきましては、すでにその土地の位置等については公告縦覧をさせていただいております。そうしたことと別に位置境界明確化法でいう土地の位置境界ということについて確認をしたい、あるいはそういう何らかの作業のためにやりたいということであれば、私どもとしてはこういう収用委員会の場ではなくて、むしろ別途の場でやられるのが適当ではないかというふうに考えます。
○渡久地会長  
 この公開審理の場ではなくて、例えば有銘さんが那覇防衛施設局に出向いて資料閲覧を頼んだら、それに応じてもいいということで理解してよろしいんでしょうか。
○大澤代理人(起業者側)  
 有銘さんの意図、お考えというのは分かりませんので、明確にそうだというふうに申し上げられませんけれども、位置境界明確化法に基づく手続きに関連して、ご自身の土地を確認したいんだということであれば、そういった別途の方法になるんじゃないのかと。逆に私ども、今、駐留軍用地特措法の手続きをとらせていただいております。その関連で自分の位置境界というものをどういうふうに確認されているのかと、国としてどういう地域を有銘さんの土地だというふうに思って申請しているのかということであれば、これは公告縦覧をしてございますので、それは縦覧の場所でご覧いただくことは可能だと思います、ということを申し上げております。
○渡久地会長  
 有銘さん、すみません。そろそろ休憩の時間でもありますので。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者)  
 それでは、辻褄合わせてから休憩しましょう。
 今、おっしゃっているように僕らが問題にしているのは、僕らのものを「確定した」、「確定した」と言って僕は異議申し立てをずっとやってきているわけですよね。収用委員会。公告縦覧にもいって、さっきも申し上げたように、「仮」と書いてある、これはおかしいと。細長いのもおかしいし、「仮」と書いてあるのもおかしいと。だから、立ち入りをさせろとずっと言ってきた。だけど、立ち入りしたらここがあんたの土地ですと、僕の土地がここだということをあんた分かっているのかと言ったら、「私は分かりません」と言って、分からない人が説明してそのとおりだと。図面のとおりだと言うわけでしょう。初めから間違いを僕に押し付けようとしておきながら、今聞いても、なお私は分かりません。わかるはずないですよ。

 だから、こういったことではだめだから、今言っている問題。たまたま復元をしている人たちがこっちに申し入れがきているから、しかし、これ人数と地番とそういったのは分かるけど、だれだれがどこで僕の土地に隣接しているのがだれだという話は一度もありませんからわかりません。しかも、図面でいっても、ここが現地に即してどのへんだったということにならなければ、確定はできません。そのことをやれる資料を持っているのは防衛施設局だけなんですよ。だから、こういう異議が出ているわけだから、そのつど、これはこういう手順であんたの土地がこうなったんだという説明ができなければおかしいはずですよ。だから、そのことをきょうは明確にしようと思って、いろいろ今まで言ったことをやり取りしているわけですから。ぜひ、さっき申し上げたように、僕がいくつか質問でやったのは、資料を出させてください。そうしないとこれ平行線どころじゃないですよ。すれ違いですよ。
○渡久地会長  
 ご要望があったことは分かりました。

 ちょっと休憩をとりまして、我々のほうでも協議します。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者)  
 また次に延長してくださいね。僕が再質問しているわけだから。
○渡久地会長  
 延長とおっしゃいますと。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者)  
 次回。あそこが資料出したときに、言いたいのはありますからね。
○渡久地会長  
 資料が出たら資料によってまた質問を継続したいと。
○有銘政夫(嘉手納基地土地所有者)  
 真栄城さんのものがありますから、休憩後は真栄城さんの問題提起を受けてください。
○渡久地会長  
 はい、分かりました。休憩をとります。15分程度。3時25分に再開します。

(午後3時10分 休憩)



資料提供:安里秀雄さん


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