No. 85 | ||
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1997年7月1日 | ||
東京都千代田区三崎町 | ||
2-2-13-502 | ||
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沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック |
廊下の隅に積み上げておいた荷物の整理を始めたら、1969年8月27日付の朝日新聞(特集・基地沖縄、10ページ)と同紙連載の沖縄報告36日分が出てきた。
米軍占領下の沖縄の実態を伝えるものだ。それから28年。基地・沖縄をめぐる状況はますます悪化の途を辿っている。
米軍用地特措法改悪による米軍用地の強奪。辺野古沖へのへリポートの移転。
ガイドラインと書けば、何も問題なさそうに見えるが、漢字で書けば日米軍事協力指針。周辺有事の際というあいまいな表現のもと、軍事情報の提供・機雷の掃海・武器弾薬の輪送・民間空港の使用等々、憲法違反の安保条約違反の枠さえ越える物騒な「軍事協力」次項が並ぶ。
反対を唱えるのは簡単だが、日米軍事協力指針改悪阻止のため、今、何をやらなければならないのかを、全会員が身体を動かしていかねばと思う。(O)
上原成信(会員)
6月9日午後と10日午前、大分県日出生台で自衛隊の砲撃演習を見てきた。二ューヨークタイムズに「私たちの土地からあなたがたの海兵隊を撤退させて下さい」という意見広告を載せた浦田龍次さん、松村真知子さんが忙しい中、多くの時間を割いて案内してくれて、たいへん恐縮した。ふたりは広告掲載賛同者への報告発送などでてんてこ舞いしていた。
実際にこの眼で確かめてみて、やっと湯布院という地名と、日出生台という地名の相互関係がわかった。湯布院というのはもとは「奥別府」と言われた温泉街で、別府から25キロ〜30キロ山の中へ入ったところにあり、いくつかの格式のある温泉旅館や料亭を中心とする観光地であった。観光地とは言いながら、いわゆる「観光地」にありがちな安っぽいけばけばしさは露ほどもなく、旅館の入口にも旧家の庭先のような気品が漂っていた。山あいの盆地に開けた町で、周りを標高差五百メートルほどの山で囲われている、長閑でありながら、しゃれた上品な街であった。しかし、街中の一等地に自衛隊の駐屯地があるという話であった(残念ながらその兵舎を確認するまでの時間はなかった)。
日出生台とはその湯布院町や隣の玖珠町にまたがる、旧日本軍時代からの広大な演習地であった。隣り合わせと言うから歩いて四、五分も行けば演習場に着くかと思ったが、とんでもないことで、湯布院の街から砲撃演習が見られるところまでは、車で2〜30分も山坂を超えなければならなかった。演習地はきれいな牧草地で、数百頭の牛がのんびりと草を食んでいた。演習場以外の周りの山は杉などの植林で、びっしり樹木で覆われていたが、演習地は見渡す限りの草地で、樹木はほんの所々に目印のように一本ぽつんと立っているという風であった。両日とも、雨こそ降らなかったが天気は快晴とはいかず、遠くの山々はややくすんでいた。
私は気が付かなかったが、10日の朝は7時頃には砲撃音がしていたということで8時過ぎに演習地に向かった。砲撃演習がよく見えるところは玖珠町大字日出生台の集落の近くということで、その地区で演習反対運動をしている「日出生台人見会」の方に車に同乗してもらって説明を受けた。米軍と同じ155ミリ榴弾砲などの発射訓練をしているという。9時になると砲撃が始まった。数秒間隔で五、六発の弾を撃ち出す。発射の白煙が上がってから、約5秒でドンという砲声が間こえる。それから30秒経って着弾のドンが聞こえる。音速から換算して、約10キロメートルの射程で弾を撃ち出していることになる。発射地点が三カ所あって順番に撃ち出していた。一カ所に数門の大砲が据え付けられているようだった。弾数をしっかり数えたわけではないので、不正確だが、20分はどのあいだに数十発打ち込んだようだった。
私たちが観戦(?)した台地は、展望台風に整地されていて、展望には好都合だった。だが、1、2ケ月前にこの整地工事をしたという。自衛隊の工事目的については土地の人も見当が付かないということだった。
眼下に寝そべっていた2、30頭の牛は、砲声には全く無頓着に見えた。
そのうちに、自衛隊のジープが上がってきて、近くで私たちの様子をうかがっているようだったが、別に何か言うでもなく立ち去った。「展望台」ヘの登り日には自衛隊の門があって番兵が一人立っていた。門の真正面で写真を撮ったら、その番兵が「どなたですか?」というので、「通りがかりの者です」と答えたらそれで終わり。門柱のそばに「訓練中につき発砲を禁止する」と書いてあるので今度はこっちから「これどういう意味?」と聞き返した。彼はこれまでそれを読んだこともないようで、しげしげと眺めた上で「私にもわかりません」と答えた。
それで終わり。
新たな軍事基地建設は許されない!
「これ以上、米軍基地による人権蹂躙には我慢できない。諸悪の根源である基地の整理・縮小を目に見える形で!」と、沖縄は一昨年の秋、日米政府に異議申し立てをつきつけた。そして昨年四月、まさかと思われた「普天間全面返還」が日米首脳会談を前に合意された。この合意は、しかし『日米防衛協力のための指針』見直しとの取り引きであり、あまつさえ県内移設を条件としている。歴史の節目、節目において沖縄の願いに応えるかのように見せて、その実、軍事機能の強化を図ってきた米軍および日本政府の常套手段がまた繰り返された。
六月あたりに始まった代替地捜しは、ある時は嘉手納飛行場であり、またある時はホワイト・ビーチであり、まるで将棋の駒を動かすように進められていった。九月には橋本首相から会場案も出される中、十二月SAC0(日米特別行動委員会)の最終報告の時点では、名護市東海岸キャンプ・シュワブ沖に焦点が定められていった。
名護市では他の候補地同様、市長による市民総決起大会を開き、二度にわたる移設反対決議を挙げたにもかかわらず、である。
政府による働きかけに加え、静観の立場をとっていた県の容認が得られるや、名護市長は今年四月十八日、事前調査受け入れを表明するに至った。
たったニか月の調査とは
大義名分を得た那覇防衛施設局は、業者を選定し五月〜六月中には調査を終了する方針を打ち出した。その結果を受けて政府は「普天間実施委員会」でシュワブ沖を正式決定し十二月にも計画書をまとめるという。
事前調査は基地建設につながる、と監視を強めてきた地元辺野古(へのこ)区民。その目を掠めるように五月九日、なんとキャンプ・シュワブから出てきた調査船は第一回目を開始。大浦湾では一トン未満のボートが往来しつつ四、五人が海中のサンゴをのぞいてチェックする光景が見られた。
一方、地元区民や労組員はチャーターした船で監視するが、米軍への提供水域のため激しい抗議はできないという(*)。
十二日の辺野古陸上部での実況実態調査(これも数時間で終了)を挟んで二十七日の三回目調査は海上保安庁の巡視艇やボートが十数隻も警戒(?)、米軍の上陸用舟艇が走り回る中で行われた。抗議に加わった宮城保さんは「こんなマネごとで世界初の巨大な海上基地を造ろうとするとは恐ろしい」と語る。
*提供水域/キヤンプ・シユワプは大浦湾の海岸線を使う米海兵隊による上陸訓練施設つきの水陸両用戦演習場になつている。
さらに施設局は六月十三日、県に地形・地質を調べる目的でボーリングのための海域使用申請を行った。提出書類には名護市・市漁協の同意書も添付されている。市の意向を尊重するとして調査を容認した県は、海水汚濁等環境面に影響がないよう指示(河川課)するに止まり、受理する方針である。
政策決定の主人公は市民
なぜ、市は地元市民の合意を得ないまま見切り発車するのか?
受け入れ表明に先立ち、四月九日より市長は連日東海岸を巡り、調査申し入れを続けた。これに対して辺野古では「原則反対を繰り返してきた市長の姿勢としては一貫性がない。住民投票で市民の総意を確認すべき」と批判をし、隣の豊原(とよはら)では「いかなる条件を提示されても拒否」を示した。北へ転じて瀬嵩(せだけ)では区民投票の結果(反対三十九票・賛成四票)をつきつけ、二見(ふたみ)以北の十区長全員が説明会場から一斉退場するというダメ押しまで行っている。
一方、ヘリ移設は名護全体の問題として市民の立場からも取り組んでいる。「ヘリポートはいらない名護市民の会」は市に公開質問状を送り、調査結果の公表および移設の最終決定の方法等五項について問うた。市の回答は「全県的視野に立った立場の判断が必要」として相変わらず県にゲタを預けようとしている。
市民投票推進協が発足
「ヘリ基地がほんとうに必要か否か」を問おうと市民の会をはじめ労組、革新系政党など二十一団体が結集した。六月末には条例制定を市に請求、七・八月には目標一万三千人の署名を集め、九月市議会で条例制定、年内の投票実施めざす。
比嘉市長は「決義を挙げた市民大会には反対の人だけ集まった。それ以外の人の意見も聞かないといけない」と公言している。それならば今回の投票ほどグッドタイミングなものはない。ぜひ率先してやってほしいものだ。
市民投票実現のため、
原子力資料情報室 澤井正子(会員)
95年12月〜96年1月にかけて沖縄県の「鳥島射爆撃場」で、米海兵隊によつてアメリカでも特定の演習場でしか使用できない劣化ウラン弾・1520発が、誤って使用された。この問題は、基地の重圧に「NO」の声をあげている沖縄の人々の、さらなる怒りを生んでいる。ここでは劣化ウラン弾の放射能汚染について考えてみたい。
1・劣化ウランとは?
天然のウランには、核分裂しにくいウラン238が99.3%程度、ウラン235が0.7%程度の割合で含まれている。日本やアメリカの原発の核燃料は、ウラン235を3〜5%に濃縮したものを使うので、濃縮のあとの残ったウラン=劣化ウランは、ほとんどがウラン238である。もちろんウラン238も放射性物質としての危険性を持っており、青森県六ケ所村にある「ウラン濃縮施設」では、劣化ウランを放射性廃棄物として厳重に管理している。
このウラン238は、アルファ線を出すので吸入や経口によって体内に取り込まれると、半減期が45億年というたいへん寿命の長い放射能なので、それだけ身体への影響も長く続くという厄介な放射能である(人間はたかだか100年の命、要するに一度取り込めば一生なのである)。
例えば放射能の毒性では、ICRP(国際放射線防護委員会)の基準でも、1グラムのウランは一人の人間の年間摂取限度の900倍、つまり900人分の「許容量」に相当するほどの毒性である。特に肺や骨、肝・腎臓などに被曝を与え、発ガン率を高める原因になると考えられる。今回、鳥島で使用された砲弾一発が147グラムのウランを含むと言われているが、1520発だと総量約220キログラム、約二億人分の摂取限度ということになる。
ウラン238は化学毒性も強く、アメリカのデータでも腎臓や神経を侵す重金属毒物の一つで、メチル水銀や青酸カリと並ぶ毒性が指摘されている。
2・劣化ウランがなぜ爆弾に?
劣化ウランは、比重が鉄の約2.5倍もある天然では一番重く、硬い物質。そのために飛行機のバランスを取るための重りとして、使用されたこともあった。またこの性質から爆弾の弾心や戦車の装甲に使われ、特に爆弾は高い貫通力とウラン238が高温で激しく燃焼・爆発する、大きな威力をもった武器として1978年ころから米軍で使用されてきた。おまけに無用の大量にある「核のゴミ」=劣化ウランであるから、軍需産業にきわめて安価で提供されており、劣化ウラン弾の利潤率は非常に高いといわれている。そしてアメリカは、世界中にこの劣化ウラン弾や劣化ウラン装甲の戦車を輸出しているのである。
3・米軍の「鳥島」測定
アメリカ空軍は95年12月〜96年1月の三回の射撃訓練の後、この事態に慌てて「鳥島」での汚染調査・対策に取り組んだ。県に提出された米軍の報告書の要点は……。
【96念4月15日付、空軍メモ(要約)から】
「鳥島」で発射された1520発の25ミリウラン弾のうち、96年3月4〜7、11日に144発の弾心が回収され、同時に汚染された土壌の測定とサンプル採取が行われた。これらの放射性物質は、3月11日に嘉手納基地に保管された。また5〜6日、11日に空気サンプルが、12日に海水サンプルが採取された。これらのサンプルと対照するために「嘉手納マリーナで3月15日、海水が採取された。3月19日と4月3日には「鳥島」で110の土壌サンプルを採取、対照サンプルとしで「鳥島」に隣接する砂州から6、沖縄本島から23のサンプルが採集された。これらのサンプルのデータによれば、空気サンプルは劣化ウランに汚染された形跡がない。土壌サンプルも最高値で1グラムあたり3ピコキューリーで、この値は原子力規制委員会の定める劣化ウラン汚染土壌除去基準の1グラムあたり35ピコキューリーより遥かに低いものである。海水サンプルに関しては、結果は未受領である。4月3日現在、劣化ウラン弾心のうち169発が回収された。
4・環境に影響なし?
これら一連の調査が行われ、一年後に外務省に報告が入った。その後も空軍が「鳥島」の放射能調査を継続しながら、「少女レイプ事件」を契機に沖縄の人々が基地撤去の運動を強めている中で、報告は意図的に遅らされたのである。
「メモ」で明らかなように、軍は3月2日までに残った弾頭や土壌の汚染除去を行ってから、調査のためのサンプル採取を行っている。一番放射能で汚染している部分を除去してからの測定でありサンプル測定によって有意な値が検出されないのは当然。また土壊の汚染がアメリカの基準値より低いからよいというのは大きな問題。「烏島」は沖縄の土地であり、少なくとも(現時点では)日本の環境基準で規制されるべきである。ところが日本の「原子炉等規制法」では、まさか放射性廃棄物の劣化ウランが環境中にこんなに大量にバラ撒かれる事態など想定していない。アメリカと同様の「劣化ウラン汚染土壌の除去基準」はない。ただウラン濃縮施設などの空気中濃度の規制値があり、日本では1グラムあたり数ピコキューリーくらいで規制すべきだと推計されるのである。
四月の特措法改悪後、初めて開かれた5月29日の第四回公開審理では、施設ごとの地主の意見陳述が始まった。そこでまた連発された那覇防衛施設局の「答える立場にない」「審理になじまない」回答。収用委員会はこれに対して「真撃に答えるよう」、誠実な回答を要求した。
関東ブロックでは6月6日、普天問の移設先として焦点化してきた名護ヘリポート基地阻止の動きと合わせて、公開審理の報告会を開催した(参加者は170人)。
集会ではまず、辺野古住民の声をビデオで紹介。「命を守る会」・五者協の反対運動のこれまでの経過が報告された。この日、名護市では1000人以上が参加して「ヘリポート基地建設は是か非か」を問う市民投票推進協議会の結成集会が開催されていた。会場からは辺野古というのは沖縄のどのあたりに位置するのか、など質間があつた(辺野古の位置は地図を参照)。
次に第四回公開審理の実際についてのビデオを上映。その後に河内弁護士から1)公開審理のこれまでの到達点、2)公開審理闘争の意義、3)第四回審理の具体的状況、4)今後の問題点−について報告があった。
河内弁護士は特措法改悪時に国会前でも大活躍したエネルギッシュな人物。形式審理ではなく実質審理、職権主義から当事者主義(いわゆる対審構造)が今回の審理で実現される可能性が大きくなっていると指摘、改悪特措法下で収用委員会を「励ます」場としての公開審理闘争の意義を訴えた。そして今回・第四回審理での知花昌一さんによる楚辺通信所についての堂々たる陳述は、却下裁決(今年五月9日)に続く今後の闘いで必ずや「核も軍事基地も軍事同盟もない二一世紀」ヘと発展できるはずだ、と強調した。
関東ブロックでは次回第五回審理(7月3日午後2時、宜野湾市民会館)についても、来たる7月10日(木)に全水道会館・四階ホールで報告集会を行う。当日はゲストに反戦地主・知花昌一さんを迎える予定。
沖縄一坪反戦地主会・関東ブロックの5・15集会に参集されたみなさんに心から連帯のあいさつを申しあげます。
悲惨な沖縄戦を体験した沖縄県民を、戦後27年も米軍統治下に置き、半世紀も基地の重圧を与え続けてきたうえに、さらに21世紀まで強権的方法で差別と重圧を重ねようとする米軍用地特措法改定が強行されました。しかも、衆参両院とも、十分な討論もないまま、圧倒的多数の国会議員が賛成するなかで成立に至る事態を迎えたことに、私たちは強い危惧と憤りを感じます。日本の政治状況は、「安保再定義」「ガイドライン」見直しのもとに、「有事立法」や「集団自衛権の行使」に踏み込む動きを強めています。時代錯誤の歴史認識のはびこりを含め、私たちは深く懸念せざるをえません。
昨年未のSACO最終報告は、当初の宣伝とは裏腹に、有名無実どころか、沖縄県内に基地をたらいまわしし、また、岩国や実弾砲撃演習移転地など全国に基地の重圧を広げるものです。わずかに前進と見られた地位協定運用の見直しも、横須賀や広島での基地立入調査が拒否されるなど実効性の簿いものであることが明らかになっています。
冷戦構造が崩壊し、世界がようやく信頼と協調、平和と共生への動きを強めている今、日本の軍縮こそが求められています。また、米梅兵隊など沖縄の基地と部隊の削減、撤退こそが当面する重要課題です。
私たちは、そのためにも、全国各地で「平和憲法50年、沖縄復帰25年」の取り組みを行ない、とりわけ、「国際都市形成構想」と「基地返還アクションプログラム」をすすめる大田県政と沖縄県民ぐるみの取り組みと連帯してきました。そして本日5月15日には沖縄現地の平和行進と普天間基地前での県民総決起集会に全国各地から1500名がかけつけて支援・連帯の行動を取り組んでいるところです。
今後もともにがんばりましよう。実現させよう平和な21世紀を、沖縄県民とともに。
1997年5月15日
沖縄一坪反戦地主会・関東ブロック5・15集会 殿
憲法擁護・平和・人権フオーラム
代表 山口鶴男
改悪米軍特措法強行抗議、海上基地建設・たらいまわし強化に反対してたたかうみなさんに、たたかう決意をこめて連帯のあいさつを送ります。
5月15日は、沖縄・米軍基地撤去と安保廃棄にむけた、新たなたたかいの出発の日。
憲法の平和・民主主義原則を乱暴にふみにじり、「日米安保共同宣言」による安保大改悪と防衛協力指針(ガイドライン)見直しを強行しようとする日本政府と翼賛的国会の無暴なやり方は、早晩、沖縄県民と平和をのぞむ圧倒的国民の手痛い反撃にさらされることになるでしょう。
美ゅら海(ちゅらうみ)、平和な沖縄に米軍基地はいらない!
基地も、安保もない平和で安全な沖縄、そして日本を!
ともにがんばりましょう!
1997年5月15日
全国労働組合総連合(全労連)
105 東京都港区新橋6−19−23、平和と労働会館
(03)5472−5841
■時:7月10日(木)午後6事30分
■所:全水道会館・4階ホール
(水道橋下車、徒歩1分.東京ドーム向かい)
□報告:知花昌一さん(反戦地主)
口報告:上原成信さん(一坪反戦地主)
■会場費:500円
■主催:沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック
030−910−4140
■どなたでも参加できます。
第5回公開審理が7月3日に宜野湾市で開かれます。前回・第4回で楚辺通信所の地主として強制使用の不当性を堂々と述べた知花昌一さんをゲストに迎えて、公開審理報告会を関東ブロック主催で行います。今回は伊江島の反戦地主からの発言が予定されていますが、関東ブロックの上原成信さんに審理の模様を報告してもらいます。
「収用委員の名誉にかけて」実質審理を行うと宣言して開始された公開審理。5月9日には一部却下裁決も出され、起業者=那覇防衛施設局の誠意のない「回答」に対して「真撃な」対応を要求する等、過大評価はできないにしても従来とは大違いです。果たして却下裁決か、それとも使用裁決か。目を離すことはできません。
普天問返還も地元の住民から「県内移設では返還でない!新たな基地をつくることは許せない!」と反対の声があがり、ごまかしの返還は立ち往生しています。強制使用が21世紀まで続くのか、粘り強い反戦地主の闘いでストップさせるのか。改悪特措法を、基地撤去の闘いの持続でハネ返しましょう!
本年2月21日の、 第1回審理で収用委員会会長は、地主の意見を聞くなど実質審理を行うと表明。防衛施設局は強制使用の申請理由を説明。