5・30緊急集会アピール

安次富 浩さん(ヘリ基地反対協)


 今晩は。この会場に、辺野古の私たちの闘いにお金をかけて沢山の方が参加していただいた、その人たちの顔が何名も見えます。久しぶりの再会、本当にうれしい。皆さんの私たちへの大きなサポートが、この闘いをあと一歩、本当にあと一歩で国をギャフンと言わす状況にきている。皆さんの支えがあったからこそここまできたと思います。この場を借りて皆さんに感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございます。

 辺野古の今の状況を皆さんに報告する前に少しだけ営業をさせてください。後ろでビデオが放映されていますけど、これは今年の1月から最近3月末、4月まで入っているのかな、新しいビデオで、闘いのビデオですね。スパット台船の阻止の闘いもビデオに入っていますから4月の闘いまで入っています。私のほうで、もう既に関東で東京で販売しているというのがわからなかったものですから、辺野古には先週の日曜日からきています。辺野古では上映を今一生懸命やっているんですけど、10本持ってきました。

 それからこれ、ジュゴンの里という形になっていますが、発売元はヘリ基地反対協ですね。このモズクは宜野座の海人の養殖モズクです。宜野座の海人、私たちの闘いに協力してくれている海人たちの中から養殖をしている人たちが、こういう資金カンパを兼ねて協力をしていただくということになりまして。このジュゴンのマークの付いた、これ400グラム入りです、食べ方は後ろにちゃんとあります。ラベルを入れています。昨日から販売の形を取りまして、今まではノーラベルでやってましたけれど、ようやくラベルも作りましたので、こういう形で販売を行うことになっています。テント村では450円です。今日持ってきました。まず最初に話をして現地報告をさせていただきたいと思います。

 私たちも予想もしなかったんですけど、4月26日に、深夜3時ですね、私たちが気がついたのは6時ごろですが、3時から防衛施設局は単管に、施設局の公表では26隻と言ってますが、それにプラス海上保安庁の巡視船もゴムボートを含めて30余りが単管ヤグラに集結して作業を行ったわけです。今まで載っていなかったボーリングの資材が載っけられたり、あるいは金網を張られたりというところがあったんですが、それを私たちが6時ごろわかってですね、おかしいということで慌てて緊急動員して抗議活動をやってそれを止めました。

 後ほど施設局との交渉の中で何時からやったんだと聞いたら、3時。3時ということはですね調べていくと辺野古の海人は1隻も出ていないんですねこの時間帯は。どこから出てきたかというのを調べていくと、どうもチャーターのブローカーがいるみたいなんですね。漁協の所属じゃなかったということも後でわかるわけですけど。そうすると与那城、勝連、いわゆるCTS闘争、激しい闘いをやったあの地域の漁師たちも船をチャーターしてきたということで、漁師なのか、本当に漁をやっている人なのかどうかというのははっきりしませんけど、それが20数隻。つまり3時に作業をやったということは2時ごろ出たということなんですね。これは何をもたらすか、彼らがこのボーリング調査を、施設局がボーリング調査をする段階において県に申請をした、その時の環境配慮事項において、ボーリング調査をするために県に申請書を出したその時の配慮事項、そこには日の出1時間後日没1時間前この時間帯にボーリング調査をするということをきれいに記述されているわけです。しかもそれは、ジュゴンが深夜辺野古のリーフにきて餌であるあまも類を食べて帰る、そういう時間帯を考えて、ジュゴンに配慮する、ジュゴンの成育に配慮するためにそういうことで申請の中で言っているわけですね。

 そこでもまだ許せないのは、それを提案したのが、提言したのが専門家という人たちなんだけれど、はっきりと名前も出さない専門家たち、名前を隠して県に出した専門家たち。そういうふうに科学者なのかよくわかりません、専門家と言っても名前もはっきりしないわけですから。そういう人たちが施設局に提案、提言した物に基づいて環境配慮事項というのを県に出したわけです。これはもう完全に自らこのジュゴン配慮というのを破棄したということです。

 これについては、名前をちょっと度忘れしてしまいましたけれど、屁理屈、屁理屈だっていうのは、施設局がその時に、深夜26日の3時に作業を開始した時の言い方は、ボーリング調査が日没、日の出の1時間前、1時間後ということであって、その準備作業についてはこの環境配慮事項に入ってないと、全く違うんだとこう言っているわけですね。それに対して、ジュゴンの専門家から屁理屈だと、こんなデタラメな話はないという批判も出てきたわけです。もちろん、私たちはそのことに対して許すわけにはいかないので、当日は朝から本当に体を張ってそのことを止めました。で26日追い返した、作業を途中で終わらせて。

 翌日の夜ですね、今度は1隻のチャーター船、漁船のチャーターで夜7時過ぎに無灯火で作業をやったわけです。これは労働安全衛生法違反ですね。深夜の国道にランプを点けずに車が走るということです。国道でも県道でもいいですけど、道路にね。公道に。こんなことはあり得ないわけですよね。それを27日には作業をやったわけですね。そこで私たちもその時に、その日から24時間体制ですから、ばっちりビデオを撮って施設局交渉の中ではこの作業のことについて施設局にビデオを放映したわけです。彼らにぐうの音も言わせない形を取ったわけですね。

 こういうことで、彼ら自身が自ら作ったものもかなぐり捨ててボーリング調査をやると。それは昼間、私たちが単管に座り込みをして作業をさせてくれない、次の手段は何を考えたか夜しかないということでやってるわけです。私たちがそういう追求をすると、皆さんが座り込んでいるから夜は安全性を考えて今後も検討するという言い方で終止をしています。結局私たちは、7月26日以降は24時間体制で、向こうも24時間だって言っているわけですから、深夜単管に座り込み隊を派遣するという状況に入らざるを得なかった。そういう状況を私たちもまた作って、絶対に夜の作業をさせないということをやってきました。

 そのことを受けて、県に対しても交渉を入れました。あなた方は施設局のそういう作業について認めるのかという追求をした結果、何回かの交渉の結果、県もようやく深夜の作業というのは県として予想だにしていなかったと、これは困るということを防衛施設局に言っていく、文書で持って是正を求めていく状況を作り上げてきました。しかしなさけないのは稲嶺知事ですね。担当がそういうふうに文書を出しているのに、稲嶺知事はこのことについては事業者の問題だから中止を申し入れるということはしないと、こういうことを記者会見で、毎週金曜日ですかね、県の記者クラブとの定例会見でこういうふうに言っている。本当に現状認識というのを彼は判断できない。そういう政治的に能力の欠如しているところを表しているという状況ですね。

 夜の作業が始まったということで、逆にですね、私たちへの支援というのが大きく広がりまして、いろいろの私たちにさせてくれと、こういうふうに行動に参加したいという若者たちも増えてきました。QABがこの深夜の作業について疑問を持つような形での取材をしました。夜、私たちの座り込みの現場を取材し、それからいつの間にかゴムボート、大型のゴムボート1隻と小型のゴムボート2隻で深夜の単管前での警備が始まったとき、その警備に対するコメントを求めようとして取材をしたら、ゴムボートの乗組員は拒否をすると、取材を拒否して、そういう状況を放映するわけですね。そうするとそれを見た県民が、その日放映をされたのを見たということで、その日は雷雨だったんですね、私たちはそういうとき夜単管足場に抗議隊を出しませんけど、テント村で待機していると、そこに小録から雷雨の中カンパを届けに、私も本当にこの闘いに皆さんの苦労についてなんとかしないといけないということを思うんだけど中々できない、あの放映をされたのを見て腹立たしいということで家族会議の上カンパを届けに行くことになりましたということで、夜の11時にですねわざわざカンパを届けてくれる人もいるし。これを見て読谷の人ですけど、交通事故で今全然仕事をしていないんだけど、自分は船舶免許を持っているので船を、船長として出来る範囲はやりたいので協力させてくれという人も出てきました。何日間かやってもらいました。あるいは昨日は、夜だけでもいいから泊り込みに協力させてくれと、土日か動けない普段は仕事なので、土日で夜協力させてくれと言って昨日も3名の方が夜専門の座り込みに応募しているということで、非常にこの彼らが仕掛けたことが逆に県民に、私たちのこの闘いに共感を得るということで馳せ参じてくれる人たちが増えてきています。

 きちんと問題を整理して訴えていけば、県民は私たちに、80%の辺野古移設ノーだというこの世論調査だけじゃなく具体的にこのように動きが現れるということを痛切に感じているところです。考えてみたら、80%というのは自民党を支持する人も学会を支持する人もやっぱり辺野古移設はだめだということを表していると思うんです。この間、自分は自民党支持者だけどこれだけは許せないという人たちが結構カンパを届けにきてくれる、そういう実態を見れば、やっぱり学会支持者の人でもこれだけは我慢できないと言う人も私に声をかけてくれる人もいますから、間違いなく県民が私たちの闘いを支えてくれている、世論がしっかり私たちを支えてくれるからこの単管座り込みに公権力を使って弾圧するということができない状態にあるだろうと私は思います。

 だから、夜、奇襲、野襲という形で施設局は作業をやらざるを得ないというふうに追い込んでいると思います。予断ですけど、この国っていうのは本当にこの夜襲とか奇襲とかこういうことしかできない国の姿勢、政府なんだなともう本当に私は思いますね。日本人を日本の民衆を苦しみに苦しめた太平洋戦争の発端は、やはり真珠湾攻撃ですよね。それ以外も中国においてもいろんなことをやっている、そういう奇襲とかそういうことでやってくる。その意味では旧日本軍のある意味では末裔である防衛庁、防衛施設局のやってることが、民衆にまともに堂々と張り合うこともできない、去年の4月19日においても9時に作業をやるといいながら、マスコミにそう発表しながらまだ夜も明けぬ5時半にくるというこういうことしかできない。本当にある意味ではなさけない政府なんだなあと思います。私たちはどうどうと来いと、どうどうと対峙するという決意は今でも変わりません。

 そういうことでこの間闘ってきましたけど、今日、平和市民連中心に市民共同行動ということで団体を作ってこのボーリング調査に対して反対を続けている、協力をしてくれている那覇の中南部の市民運動団体が那覇防衛施設局と交渉をしています。県民会議もこの間ずっと施設局と交渉して、夜間作業の中止そしてボーリング調査そのものを凍結しろということを交渉してきているわけですが、今日11時からの交渉の結果施設局は何と言っているかというと、夜間作業は26、27日やったけれどそれ以降やっていません。やっていませんという言い方なんですね。当然私たちがいろんな要求をすると、施設局側は自分らの答弁を含めて私たち要求に対してテープを取りますから、カセットテープ、やっていません、今後ともやるのかという追及に対してやっていませんそれ以上追及しないでくださいというような姿勢、対応です。

 つまり夜間については彼らは、作業を、方針は中止しますと言えないけれどやれないという状況に私たちの夜の座り込みによって、金網を張って私たちが座り込みをできないようにしたにもかかわらずそれを掻い潜って座り込みをするこの現実に、彼らは夜間の作業を引き続きやるということはできないということを暗黙に認めざるを得ない状況に追い込んでいるというふうに今日の交渉の参加者の中から報告を受けています。彼らはですね、夜間警備の警備艇を3隻出しているのは、私たちが座り込みをしているので、夜間も、そのための警戒だということなんですね。そしたら我々が出さなければ出さないのかと言ったら、沈黙。じゃあ今後我々が出さなかったら警備艇も出さないんだなという問については、後日回答するということなので、今日から夜間について私たちは座り込み戦術を解きます。

 これは現段階で勝利だと思っています。私たちの現場の闘いに勝利すると同時に、皆さんの、例えば東部の労組の皆さんがサンコー本社に申し入れをして、そこでサンコー本社が夜間作業について好ましくないというふうな回答を引き出していますよね、会社側に対して。このことを施設局交渉の中で、皆さんの成果を突き出したわけですね。サンコーとの契約に夜間作業というのはあるのかと聞いたら、それについては答え切れなくて援用でできると思いますという官僚特有の言い逃れで言葉を、その場を逃げようとした。そういう意味では彼らは、夜間作業についてかなり県民からの反発を受けて、あるいは一番やっぱり頼みの綱となった県が夜間作業については好ましくないという申し入れについてもやっぱり彼らもちょっと予想外というところがあったのかもしれない。

 皆さんにとっては私たちが判断が甘いと思っている方もいると思うんですが、しかし現場で毎日そういう闘いをやっていくと雰囲気的に見えるんですね、相手の対応の仕方が。それは、今まで私たちが雷雨注意報あるいは波浪注意報が出て波が激しくなった、こちらからこんな状態で、警備船とか作業船に対してこんな状態であなたがた作業をやるのか、お互いの作業員を含めて、お互いの身の安全を図っていかないといかんだろう、控えるべきじゃないかという提案をして、現場監督、責任者に施設局も辺野古に来て彼らにそういう話をしてそれで止めるという、こちらから提案しなければ施設局側は止めようとしないわけですね。

 最近は何か逆手にとって、波浪注意報が出たらゴムボートの、単管に座っている我々の仲間に波浪注意報が出ているから私たち引き上げるから危険ですから皆さん引き上げてください、こういう言い方をしだしているんですね。で、それだけじゃちょっと困るんで、じゃあお互い引き上げるということで、もしあなた方単管に上るようなことがあるなら我々はすぐ、ちゃんと双眼鏡で見張っているんだから、いつでも出すぞということでお互いそういう意味じゃあ紳士協定で守ろうじゃないかとで引き上げるということで。この4、5日そういう形で、波浪警報、波も時化ているわけで、結構そういうことで夜間は何回か中止をしています。向こうもボートを出さないいう状況を作っているんで、現時点では私たちはとりあえず様子を見ながら、もしそういう状況で向こうがやるんであればまた夜間でも座り込みをするということをやっていこうかなというふうに思っています。

 これはただし私の発想であって、今日は一応そういう形で、帰ってから皆と話し合ってそこの辺は様子をどのくらい見てやるかというのを判断しながらやりますけど。そういう状況で今日は夜間出ていません。昨日までものすごく時化ていたんですね。昨日の午後から晴れ間が出ましたけれど波は時化てました。今日は9隻の作業船が現場に出ている。同じように単管のボルトの締めとか、作業灯を、夜間の安全灯のランプの交換とか。そういうのの申し入れに対して、私たちは提起を断って作業をさせてないというので、現在でもボーリングは、穴を空けさせることは一切させていません。これはご報告させていただきます。

 またあのスパット台船も、スーパーブイがつい最近急に行方不明になったんですね。何処行ったかということでいろんな漁港を偵察したり、車を出して港を回ってようやく安謝港の沖合いのほうに泊まっているということがわかりました。それがなんかクレーンが調子が悪いということで、その点検、修繕で動いた。そうしたらまたいつの間にか安謝港からいなくなったけれど、2、3日前に無事中城湾港に戻ったということがあって。やっぱりどこに行っているかわからないのが一番怖いんでね。中城湾港にいるということが、いつでも我々が情報を把握しやすいということで、今の所は向こうの、それ以外は大型ブイ、スパット台船の動きはないということです。

 先ほど上原さんが言っていましたけど、山内代表も言っていましたが、政治的には今SACO見直しというのはアメリカ政府がかなり出てきている。で、糸数慶子参議院議員や東門衆議院議員、沖縄選出の国会議員が、国会の中で首相に対してボーリング調査に関わる事項で質疑をやっていくと、もう辺野古見直しということが小泉首相から出てくるわけです。つまり、おそらく今の米軍再編協議の中で普天間の閉鎖と辺野古移設についてはかなり真剣論議がされているんだろうと思います。ただ、施設局、現場のサイドはそういう答弁があっても具体的に中止指示がない限り私たちは動かないよ、やりますということなんです。これはもう官僚の面子、これだけしかないと思います。それをいかに止めるのか、中断に追い込むのかはもう政治の力しかないのかなと。勿論現場で阻止行動をずっと続けていかなければ政治の力も動かないのかもしれませんけど、だから引き続き私たちは現場での闘いを、ボーリング調査、作業船、ボーリングそのものをさせない、作業船との対峙というのをこれからも続けていきたいと思っています。

 しかし、もう400、昨日で405日です。もう1年以上に渡って、本当にもう何時終わるのかと、本当に苦しいですね、本音を言って。5・15平和行進、あるいは普天間包囲終わった後、波の干潮みたいです。5・15まで波は満潮で、座り込み部隊が沢山いたんだけど、過ぎていくともう単管の維持するのも最近は昼間でも4、5名というような状態で非常にきつくなってきています。でも幸いなことに県内の学生達も琉大生とか沖大生がかなり動き出してきて、講義をサボってでも座り込みにくる学生たちが出て来て、本当に頼もしく思っています。そういう少し疲れが、また盛り返しながらということでこれからも現場での闘いを引き続き行っていきたいと思います。

 この現場の闘いがなくしては、SACO見直しとか辺野古移設見直しというのは出てこないわけで。私たちようやく思うようになったのは、この1年余りの闘い、あるいは辺野古のお年寄りたちによる闘い、辺野古のお年寄りたちは8年と1年で9年闘ってきた。本当に現地できちんとした闘いをしない限りは、政府を動かすことはできないんだということなんですよ。ここが本当に僕なりの結節点ですね。去年も話をしましたけど、2年前に辺野古漁港でボーリング調査反対と言って、この調査船が、海象調査とか地質調査とか言って出て行く船を我々は見送っているだけだった。そのことの悔しさを1年間カヌー練習などをし、現場で何とか闘いを作り上げようじゃないかということでやってきて、1年間の苦労が4月19日以降に繋がってきている。現場での闘いをしなければ県民の心を動かすこともできないということを感じるわけです。だから、現場の闘いをこれからも引き続き進めて行きたいと思っています。

 その現場の闘いの中で、国頭の海人が私たちの支援に立ち上がって、近辺の海人に声をかけて、その海人が私たちの闘いに加わってきたわけですね。これは大きな強みです。今では隣の、辺野古漁港じゃなく隣のキーマという漁港からも漁師が参加してきてくれています。そこの漁港の組合長とも話をつい最近しました。実は自分らも本当は一緒にやりたいんだけど、そこまでは名護漁協という枠の中では動けない、しかし皆さんの船を、私たちの船ね、キーマ漁港に停泊するについてはOK、ルールを守ってくれればいいですよと。というところまで協力を取ってるわけですね。だからやっぱりきちっとした問題提起をしておけば、絶対に県民は私たちの闘いを支えてくれる。これは県民大会でも言いましたけど、私たちの闘いは大儀がある、正義がある。大儀は何か、あの青い美しい海を軍事基地に変えること事態が本当に無謀な計画、これを県民に訴えたことが大きな支えになり、全国の闘いに輪が広がり、そしてジュゴンを含む、この海を追い出しジュゴンを絶滅させてはいけないということが全世界に広がっていったと思うんです。

 最近はイギリスのBBCという放送局も取材にきてくれます。秋には全世界で放映することになっています。そのことによってアメリカ政府を追い詰めているんですね。アメリカのジュゴン裁判で、アメリカ国防総省が、今、日本の裁判で言えば入り口で訴訟になじまないからと棄却を申し入れたのに、裁判所はジュゴンは日本の文化であり沖縄の文化であり、そこに関わっているこの基地建設は建設自体は日本政府がやってもこれを受ける、供用するのはアメリカ軍であるということでこのことについて裁判ということになったわけです。そのことによって国防総省も非常に窮地に追い込まれているということで、アメリカの裁判も、見解がまだ言えないんですけど、かなり優位に展開をしてきています。

 そういう状況で、国際的にもこの辺野古の基地を作るということに対する批判がだんだんだんだん大きな声になってきていると思うんです。だからそのことは、僕はグリーンピースの参加も非常に、世界への発信にですね、大きな力を与えてくれた思っております。本当にグリーンピースの皆さんに感謝申し上げたいと思いますが、最初に言いましたように今日参加されている多くの皆さん現場に来て私たちをサポートして、あるいは多大なカンパをしていただいて、この皆さんの力が私たちの闘いの支えであるわけです。自信を持って責任を持って、この日本政府とアメリカ政府とまともなけんかができるんだと思っています。

 はっきり言って勝利するだろうと思っています。私たちがこの沖縄の、こんなこと言ったらものすごいあれだけれど、おそらくこの闘いが勝利すると沖縄の住民運動の中で大きな金字塔になるし、これからの沖縄での平和運動の反基地運動の住民運動の大きな軌跡になると思うんです。下地島のあの1夜にして引っくり返したのも、やっぱり私たちがあの闘いをやって苦しいながらも闘いをやってきたことが下地島に気持ちとして移ったんだろうと思います。あるいは金武の闘いもそうだと思います。私たちは自分らだけの闘いだとは思っていません。座間の闘いを、座間の人たちが昨日も来ています。座間の闘いと私たちの闘いは繋がっていると思うんです。あるいは岩国の人たち、岩国の人たちも来ています。辺野古の闘いが全国の反基地住民運動、平和運動に、僕は繋がっていっているんじゃないか、ちょっと言いすぎかもしれませんけど、そのぐらい大事な闘いだと思っています。だから何としても絶対に勝利をしたい。手を抜かない、こういうことをこれからも引き続き現地で運動を作り上げていきます。ということで現場報告に代えたいと思います。