1999年l月5日

第835米国陸軍輸送大隊指揮要旨説明〈一般)

  1. 那覇軍港ならびに第835米国陸軍輸送大隊へようこそいらっしゃいました。この要旨説明は、軍事機密を含まずにこの大隊の組織、任務、那覇軍港ならびに沖縄における大隊の責任を概略的に説明するものです。
  2. 沖縄におけるわが部隊の特定任務は次の通りです。
  3. 第835大隊は積極的にその任務を果たし、沖縄における改装された施設の中で、その輸送任務ならびに、全ての基本的な大隊の任務を果たし、命令があれば、外国へも配備することができます。
  4. このスライドはMTMC(米軍輸送管理部隊)の組織内容を示しています。MTMCは陸軍の構成部隊として米国輸送指令部に配属されています。MTMCはCONUS(米国内)における輸送管理の単独管理責任を持ち、さらに輸送技術、世界中の一般的港湾の運営、個人的財産の世界中の輸送ならびに保管について特別な責任を持っています。第599輸送群(TML)はハワイのウィラー陸軍飛行場に配置され、沖縄や日本本土および韓国の港湾において軍用荷物の輸送責任を持っています。そして第835輸送大隊は第599輸送群(TML)の3つの下級司令部の1つです。
  5. この図は、第835米国陸軍輸送大隊における人員の配置状態を説明しています。
  6. この図は、第835米国陸軍輸送大隊がどのような客を支援しているのかを示しています。
  7. この図では、1998会計年度において、第835米国陸軍輸送大隊がそれぞれの客のためにどのような貨物を扱ったかが示されています。
  8. 陸軍兵17人、陸軍省に雇われている民間人12人、現地採用の民間人56人によって我々の任務は遂行されています。つまり責任区域において、85人だけで軍用関係の荷物を扱っています。
    我々の人員は、主として船舶運営に関する計画と管理、契約の管理および監督、そして荷物の書類備え付けに従事しています。
  9. これまで述べた仕事の大部分は、56名の現地採用従業員によるものです。
  10. 港湾労働、貨物の運搬のような実地の労働は契約によって行われています。
  11. ここに示された4つの港を中心に、第835大隊はその平時と戦時の任務を果たしています。これから4つの港それぞれについて詳細を述べていきます。
  12. 「太平洋の要石」である沖縄にある那覇軍港は米国にとって戦略的に意味のある資産です。
  13. 那覇軍港の約37へクタール(91エーカー)の野外準備地域と約14,864平方メートル(160000平方フィート)の室内倉庫区域はCINCPACや国家司令部の命令で、第3海兵隊遠征軍を速やかに配置するために必要です。
  14. このスライドの上の部分に那覇商業用港があり、真中には軍港が示されています。我々は那覇商業用港とは取引していません。
    1977年10月l日より、那覇軍港はMTMC(米軍輸送管理部隊)によって運営されてきました。
  15. 那覇軍港の総面積は約57へクタール(140エーカー)であり、その内、約6へクタール(14エーカー)は日本側との「臨時共同使用」になっているので、第835隊はそこを使用することができません。その残りの51ヘクタール(126エーカー)は第835大隊によって使用され、その中には、水深約10メートル(34フィート)の7つの深水停泊位置があり、さらに水深約7メートル(23フィート)から1メートル(3.3フィート)までの5つの浅水停泊位置があります。
  16. 那覇港は那覇市の行政管理下におかれています。すべての船舶の移動は現地の水先案内人や商業用のタグボートによって扱われています。ところが、那覇軍港において、船をUターンさせる幅は約274メートル(900フィート)しかないので、那覇港湾管理委員会は長さ約213メートル(700フィート)以上の船の入港を許可しません。ただし、那覇軍港では、これより大きい船を取り扱うことができます。その場合は船の舳先を逆にしてバックの状態で入港させなければなりません。
  17. これまで、我々の部隊の任務や組織そして那覇軍港の特色について見てきました。次にどのようにして我々が仕事を進めているのかを見ていきましょう。
  18. 我々の仕事は船が岸壁に着く前に始まります。
  19. 我々は港湾荷役に関する装備を手配し、労働力を港運契約者に依頼します。
  20. そして、島内における荷物運送についても地元のTMO(輸送管理事務所)と連絡を取り、調整しています。
  21. こような決定は船や貨物の種類に基づくものです。
  22. 軍用荷物はMSC(軍海上輸送指令部)が所有している船や用船によって運ばれています。
  23. 貨物はコンテナに横んで運ばれ、
  24. あるいは、「積み上げて/積み下ろされて」
  25. あるいは、ローロー船(車両簡易輪船)方式で運ばれています。
  26. 小口分けした、あるいは、コンテナに積んだ通常弾薬は、指令部にとってはもっとも管理を要するものです。
  27. 弾薬関係の仕事は主として天願海軍岸壁で行われます。
  28. 天願海軍岸壁にはまず、長さ約244メートル(800フィート)の岸壁があり、さらに、長さ381メートル(1250フィート)の連絡道と海岸沿いに1.2ヘクタール(3エーカー)ほどの準備領域があります。
  29. 天願岸壁は水面より約6メートル(20フィート)上に建設されたので、ローロー船、艀船、荷船などの小さい船の利用には不適当です。天願において、その準備地域はあまりにも小さいため、運送中の荷物を一時的に保管できず、すぐに自的地へ運ばざるを得ません。
  30. ホワイトビーチには長さ約483メートル(1584フィート)の海軍岸壁があり、さらに、岸壁と陸を結ぶ連絡道、海岸沿いには準備地域も備えています。この岸壁はMSC(海軍海上運送指令部)のいかなる船も取り扱うことができます。しがしながら、ホワイトビーチにはいくつかの欠点があります。例えば、準備地域は非常に小さく、岸壁では一度に一隻ずつしか船を停泊させることができません。それはともかくとして、陸軍の補給大隊はホワイトピーチにおいてもう一つの岸壁を持ち、そこではPOL(石油、潤滑油など)関係の仕事が行われています。
  31. 第835大隊は安謝商業港において、コンテナ用の管理事務所も持っています。安謝港は那覇軍港より約6.5キロメートル(約4マイル)北にあります。アメリカンプレジデント線とシーランドサービスのコンテナ船は安謝港に入港し、わが部隊のほとんどのコンテナ用の荷物を扱っています。
  32. この指令部は作戦ならびに演習の際に、各部隊の移動に大いに貢献しています。第835大隊に属している幾人がの隊員達は、タイ国でのコブラゴールド演習において、第835大隊の上部機関である第599輸送群によって構成されているタイガーチームに参加して、3軍(陸軍、海軍、空軍)によって構成されている作戦を支援するために、サッタヒップ、ソンクラー、トゥング・プロング、レム・チャバングの港で演習を支援しました。過去においてダンデム・トラスト演習の際、オーストラリアのブリズベン、タウンズビル、グラッドストーンの港においてもタイガーチームは活躍しました。
  33. 第835大隊は次の作戦計画を支援しています: 5027、5028、5009、5053、5060。
  34. 訓練中の、第835大隊員ならびに部隊の契約員による任務は、車両や貨物を船に縛りつけたり、
  35. 積み込み計画を立てることによって貨物の空間を能率よく利用し、
  36. また、海上輸送のために貨物を準備し、貨物を能率よく積むことです。
  37. 輸出、輸入にかかわらず、那覇軍港ターミナル内で我々の荷物を準備する仕事は、すべて港運業者の責任です。
  38. 荷物に関する書類の管理は、隊のもう一つの重要な仕事であり、訓練された隊員は最新の技術を用いてそれを処理することを要求されています。
  39. これから那覇軍港の移設について簡単な概略と現時点での状況を説明します。
  40. 那覇軍港の移設については多くの理由がありますが、そのいくつかは以下の通りです。
    ――那覇軍港の全面返還に関する日米間の合意に従うため。
    ――1984年の日米合同委員会における移設の合意に従うため。
    ――商業開発のために那覇軍港を返還するため。
  41. ――地主に対する土地の使用料の支払いを廃止すると同時に、その費用でもって、事実上新しい港の建設費に充てることができるため。
    一一部隊の装備と隊員を海外へ速やかに派遣するために行ってきたキャンプキンザーから那覇軍港間の国道58号線における軍用交通を廃止できるため。
    ――沖縄における土地使用の最も重要な問題を解決できるため。
  42. 以下は、那覇軍港の移設に関する略歴です。
    1969年に、米国陸軍と日本政府は移設の問題について初めて話し合いました。その背景の一つとしては、日本政府から那覇軍港を商業開発のために返還して欲しいという要求があり、また、米軍側としては、沖縄に配置されている米軍の部隊をより能率的に支援するためでした。
    その後、那覇軍港の移設については、1970年からI992年までに米国政府、日本政府、民間人や商業組織から多くの提案がありました。
  43. 1995年5月の日米合同委員会では、1969年に始まった移設に関する話し合い以来初めて、那覇軍港のキャンプキンザー沖合いへの移設が合意に達しました。1969年から移設に関する話し合いがなされてきましたが、皆さんもご承知のように、特に1995年9月の米軍兵士によろ不法行為以来、那覇軍港の移設については常に討議され、変更されてきました。
  44. 米軍輸送管理部隊の輸送技士団は、新しい港の2つのデザインを作り、日本政府に承認を得るために日本政府に提出しました。そのうちのlつは1994年に提出され、もう1つは1996年に提出されました。1994年に提出された突起型の港のデザインは使用面積が(那覇軍港に比べて)減少されますが、軍港の取り扱い量は実際には全体的に増加できます。
  45. 港の建設費の削減と港を商業業界へもっとアピールするようにという日本政府からの要求を受けて、2番目のデザインが1996年に提出されました。2番目のデザインは1番目のデザインと同様に約35へクタール(87.25エーカー)の米軍の使用面積を有します。我々は景初に提案した突起型のデザインをより望ましく考えています。というのは、港で船を逆向きに入港させる必要がないからです。この2つのデザインは日本政府に提出されましたが、そのどちらもまだ日本政府に承認されていません。
  46. つまり、第835米国陸軍輸送大隊は沖縄に駐留する米軍のために輸送管理ならびに海上運搬業務を提供しています。我々は、米国の輸送指令部の一員として、戦闘能力をその必要な場所へ到着させることに勤めています。
    以上でこの要旨説明を終わりますが、もし、何か質問がありましたら、お尋ね下さい。


 関連記事にリンク(琉球新報)


 注:1996年案の日本語版は以下


那覇軍港移設問題 資料

沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック