沖縄県収用委員 第8回会審理記録
平良悦美
平良悦美(土地所有者):
自己紹介をします。
いくつかの市町村にわたって、いわゆる嘉手納基地と呼ばれている米軍の大きな軍事基地の中に、私は土地を買いました。一坪反戦地主の平良悦美です。
40年前まではヤマトンチュでした。けれども今はこの状況の中で一生懸命に暮らしていますから沖縄人です。
なぜ 一坪反戦地主になったかを話します。
一つの例を話します。強い動機の一つを話します。それはベトナム戦のことでした。私たちには5人の息子がいます。初めに生まれた子どもが小学校に入るころでした。PTAの集まりで話し合われた話の内容というのは、当時、軍作業に出ることが大半の生活の糧を得る時代でありましたが、仕事が防弾チョッキの修理、戦車のキャタピラに張り付いた人間の皮膚の剥ぎ取りと整備、そういうようなことに従事している親たちの話し合い、これは強烈な印象を受けました。私は平和に関して闘った経験もありませんし、そういうこ を考えてきたこともない本当に、のほほんとした一人の人間でありましたけれども、PTAの親たちが、この作業を一生懸命に果たすことが、戦争に直接加担することだということ、怠ければ首を切られるということ、その中で首を切られないぎりぎりの怠け方はどの線であろうかと、そういう話し合いをしておりました。
また、私たちが暮らしておりました簡易アパートは三所帯のアパートでしたが、ベニヤ板の壁の隣には、若い20歳未満の二人と、20歳を過ぎた一人、米兵が借りておりました。この人たちとは、出入り口は私たちと共用でしたし、電話も共用でした。一緒にパイを焼いたり、チキンフライを揚げたりして、まるで家族のような関係で暮らしました。この人たちを緊急招集をする電話が真夜中にかかることが多くなりました。私たちが先に電話に出て、彼らを起こしました。そうこうするうちに引き揚げていきまして、そのまま連絡がとれなくなっています。ベトナム戦で死んだのだと思います。親しかったエド、ウォーレン、マイクという3人を覚えています。
そのころベトナムで良心的な発言をする者に弾圧が加えられていたということは、報道としては知っていました。Tという名前の神父が、ベトナムからパリに亡命をし ていまして、パリから沖縄にまわってきました。私たちは話を聞こうと思いました。そうしましたら、T神父は「大勢集めないでください、ベトナムにいる私の家族が消 されますから」と言いました。思想犯は虎のオリと呼ばれる地面の下に掘られたオリに入れられていることは報道されていました。
アムネスティ・インターナショナルの働きで、釈放書類が渡されても家族のところに戻ってこなくて、何日か後にメコン川に死体が浮いていたという、そういう生の話をT神父から聞けました。そして、彼は小柄な方でした。東洋人ですから、私たちと うんと近くて、もっと小柄な方でした。私たちに向かってこう言いました。「ベトナムにいる私たちにとって、沖縄という名前は恐怖そのものです」と言いました。70万人の戦災孤児を北部のユエの孤児院で、一生懸命に世話をしている若い者たちがいるけれども、この戦災孤児を毎日、毎日生み出している、あの爆撃機は沖縄から飛んでくるからですと言われました。
沖縄の新聞社で当時のベトナムの様子の写真展がありました。私たちは一人のユエの孤児院に収容されている子どもの里親になって引き取ろうかと話しましたが、文化の違うところに連れていかれるよりは、生活費を送ってくれれば、周囲の者たちで十分に世話をするからと言われて、お金を送る里親になりました。
小学校に入っていた子どもたちは、写真展を見て、自分の兄弟になった子どもたちが、こういう状況の中にいるのかと思う想いで体を固くして泣きました。泣かないで考えようと手を握りました。
そのころ次に生まれた息子の名前を私たちは「アイカ」と名付けました。愛の香りという漢字を当てましたけれども、でも思いは哀しみの歌です。これは私たちは聖書を読んで暮らしているのですが、今から600年ぐらい前に書かれた、「エレニアアイカ」という非常に深い、重い文章があります。これは一つの民が北のほうの強い国に制圧されて、指導者がその強い国におもねて、文化も信仰もないまぜにしてしまい、自決権が曖昧になってしまった。その中で両親の指導者が、哀しみの歌をうたった詩です。
この書きだしはへブル語で「エーカー」と書き出されています。沖縄の言葉で言うと、「アイナー」です。韓国語で言うと「アイゴー」です。そういう書き出しの歌、それを私たちは米軍統治下にあって、私たちの人権を守る後ろ盾はどこにあるのだろうかと、本当に胸痛い思いで読みました。そのときに生まれた子どもにつけた名前がアイカです。これはこのときの想いの記念の子どもです。
私たちの叫びは、祈りは、当然同時に行動になります。
私は一坪反戦地主となれるチャンスを知りましたので買いました。その土地に私の体を運びたいです。この土地を何に使うのかを確かめたいです。とてつもないことのために使われるのならば、否を言いたいのです。それを叫ぶために私の土地を買いました。
当山さん、大城さん、浦崎さん、西さん、比嘉さん、そして坂本さん。飴をほしいという人は大勢いるかもしれません。けれども、生活者の私たちの思いを深く聞き取って、私たちの人としての尊厳を守るためにこそ、あなたたちの仕事があるのではありませんか。どうぞ、どうぞ、ご自分たちの立っている場所での役割をどうぞ築いてください。人間が人間としての尊厳をしっかりと表していけるように、そのように働いてください。終わります。
当山会長:ありがとうございました。次に渡嘉敷直久さん。
写真提供:顔写真(上原成信)