沖縄県収用委員 第5回会審理記録

平安山良尚(へんざん よしひさ) 伊江島反戦地主


平安山良尚:

 え、伊江島反戦地主、えー、今年なった、平安山良尚(へんざんよしひさ)と申します。えー、なぜ、あのー、二世の反戦じぬ、なぜ二世の反戦地主になったかといいますと、えー、それは、ちっさいころから、親の背中を、両親の背中を見て、まあ、脳裏に焼き付くものがありました。

 それは、あの、なんといいましょうか、あの、1960年代の安保廃棄、の、あの、ミサイル撤去運動で、米軍の飛行場で、座り込みがありまして、その時に、あの、米軍のヘリが、飛来して、自分の顔に、砂利や小石、が、バンバン当たって、痛かったこと。

 それと。

 痛さに耐えられなくて、おかあさんの胸に、顔をうずめたこと、これが忘れられなくて、反戦地主になりました。

(拍手)

 まあ、そ、それだけではありません。団結道場の、建設をする時に、も、あの、ブルトーザーがやってきて。あのー、なんといいますか、そこへ、集会しているところを、ブルトーザーを、そのまま集会の中に突っ込んでいったのを、これも脳裏に焼き付いています。

 わずか3才から5才の間だったと思います。こんな小さい年であったはずなのに、なぜそんなに、脳裏に焼き付いているのか。印象的だったからだと思います。

 だから、現在に至るまでも、米軍の被害は、今でも。あの、戦争、戦争も終わってないし、被害、被害が今でも続いているというのは、現実でございます。だから、この、安保が廃棄されるまで、わたしは絶対に、土地を、契約、しないことを、こ、ここを持ちまして、あの、収用委員会のみなさんにお願いしたいと思います。以上、です。

(拍手)

当山会長:はい、ごくろうさまでした。それでは次に平安山シズさん。


  出典:第5回公開審理の録音から(テープおこしは比嘉

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