沖縄県収用委員 第4回会審理記録
松島暁(土地所有者代理人)・知花昌一(反戦地主)
当山会長代理:では、松島さん、えっと、どの施設のどなたの代理人かを。
松島暁:はい。えー、もちろん楚辺通信所の知花さん、その他の代理人です。松島です。
私は、楚辺通信所に関する意見を申し上げます。本日、参加のみなさんには、収用委員会ニュースということで、私の意見の要旨がお配りしてあるかと思います。ただこれは前回の収用委員会のために準備した原稿でありまして、その後かなり変わっておりますので、その点ご承知ただければと思います。
それでは1枚目のスライドをお願いいたします。
これは楚辺通信所の全景であります。えー、FAC6026、これは楚辺通信所の施設番号です。キャンプ・ハンザと呼ばれ、読谷村字波平、座喜味、上地(うえち)の53万5000平方メートルの敷地内にあります。
まず、楚辺通信所の構造について、簡単に説明いたします。次のスライドをお願いいたします。
これは、楚辺通信所を上空から見た図、および下の図は横から見た図になります。楚辺通信所は、内側から半径約66メートル、高さ約37メートルの円形のレフレクタースクリーン、――これは反射スクリーンであります――、その外側に高さ約19メートルの低周波用の30本のアンテナ素子、30本アンテナが立っています。さらにその外側には、半径約91メートル高さ約9メートルの同じく円形のレフレクタースクリーン、そして、その外に高さ約7メートルの高周波用のアンテナ、これが120本、立っております。
これがレフレクタースクリーン。回りに低周波用のアンテナ。そして高周波用のスクリーン、そして、120本のアンテナが一番外側を取りまいている、と言うことになっています。横から見ると、これが、反射スクリーンです。これがアンテナ。これが、高周波用のスクリーン。そして一番外側に120本のアンテナという構造になっているんです。
えー、次のスライドお願いいたします。
これが、防衛施設局のほうからだされました図面、地図であります。えー、真ん中が、これが反射スクリーン。見えにくいかと思いますが、その間に、30本のアンテナが立っており、その外側に高周波用の反射スクリーン。そしてまわりにEの1番から120番までという番号がそれぞれのアンテナについておりますが、そのアンテナが立っています。えー、この右下のほうから中心に向かって、道路が付いている。これが、楚辺通信所の大まかな構造であります。
一枚スライドを戻していただけますでしょうか。
その円形のレフレクタースクリーンの形状から、この楚辺通信所は通称「象のオリ」と呼ばれています。えー、実はこれはアンテナではありません。この1番目立つオリは。これは背後からの電波を遮断するためのスクリーンの機能を果たしています。アンテナはどこにあるかというと、これになります。ちょっと見えにくいかと思いますが。これがアンテナ、これが低周波用のアンテナ。そして、これが高周波用のスクリーン、その外側に高周波用のアンテナがある、という感じになっています。
スライド、一旦中断しますので、明かりを付けていただけますでしょうか。
楚辺通信所は、在沖米艦隊活動司令部、海軍航空施設隊が管理しております。しかし、その使用は海軍通信保安活動隊沖縄ハンザ部隊が行っています。陸軍・空軍・海兵隊の電子通信傍受部隊と共同しながら、アメリカ国防総省のエ−ジェンシーの一つであるアメリカ国家安全保障局(NSA〉から作戦統制を受け活動しています。
楚辺通信所の任務は、他国の軍艦、潜水艦、航空機あるいは地上部隊から発信される短波通信や超短波通信を傍受・記録します。記録するとともに、送信(発信)地点割り出しのための方位測定を行うことにあります。アメリカの世界的戦略機能の一つで、通信傍受を目的とした電子スパイ基地だと言われています。また、高性能コンピューユーターを駆使しての暗号解読も重要任務とされており、盗聴・暗号解読などを目的とした軍事情報の解析センターでもあります。
この、楚辺通信所の場所は、波平前島(メージマ)と言われる地域であります。先ほど知花さんの話にもありましたように、この場所というのは、波平の本部落のはずれに位置しています。もともとは、波平在住者のうち、二男・三男の方はこの地域に土地を譲り受けて分家することが多く、本件土地にもかつては屋敷が建っていたということです。
1945年4月1日、米軍は、読谷村渡具知海岸に上陸し、その日のうちに村内の日本軍北飛行場を接取、引き続き周辺地域にかかり、全村の約80%を接取するに至りました。村民は強制的に移住させられ、収容所に隔離されます。翌45年、波平への帰還が許された当時、その土地の上にはて工作物はありませんでしたが、1957年から62年にかけ楚辺通信所が建設されたのであります。
反戦地主である知花昌一さんのお父さん知花昌助さんは、復帰に際して軍用地として本件土地を提供すること拒否しました。しかし、1976年には、昌助さんはこの契約の応じております。その経緯については、代理人ではなく、知花昌一さん本人のほうの口から、経緯について語って頂きたいと思いますので、一旦変わります。
知花昌一:えっと、当時、1970年当時、読谷には、約1000名に及ぶ反戦地主の、契約拒否した人たちがいました。ところが、ボーロポイントの返還、スランカム基地の返還、工廠部隊の返還などによって、反戦地主が解放された、ということと、公用地暫定使用の適用、そして、その中で、防衛施設庁の執拗な嫌がらせ、いわゆる細切れ返還、共連れ返還、などを臭わせながら、地域での反戦地主、契約拒否地主と契約をしている地主との反目を促していきました。わたしたちは当初80名くらいいた反戦地主は一人一人契約をしていきます。60名くらいなった段階で、反戦地主の代表的な人たちが、こういう形で地域の中で、契約している人としてない人が、反目しあいながらやっていくのは、地域の維持に関しては良くないと。
例えば、こういうことがやられます。反戦地主が契約をしていないということで、その契約をしていない人だけ土地を返せばいいですが、その周囲の土地まで、わざと返してしまう。契約をしている人たちの土地まで。そうすると地域の中で、あー、いろんな行事のなかで酒を飲んだりします。そうすると先輩や友達や親戚の人たちが契約をしている。していない人たちはその中で酒を飲むわけです。そうすると、あんたが土地の契約をしていないから、おれたちの土地まで返されるんだ。どうしてくれるんだと、こういう形での反目を、助長して行くわけです。
そういう中で、私たちの親父たちも地域の維持ということで、ひとり一人契約をしてしまうよりは、自分達まとまって契約をしようと、そのかわり、自分達は契約を拒否した、反戦地主だったんだという誇りを持ちながら、独自の交渉権を持った、地主会をつくろうということで、波平地主会という60名程度の地主会が出来ました。で、いま、わたしの波平という地域には、わたしの反戦地主会、私一人ですが、これがいます。そして、以前から契約拒否をしていた軍用地主会。そして後で、契約をした波平地主会、3つの地主会があるということになります。
えー、その少なくとも60名の地主たちは自ら進んで契約をしたわけでは絶対にありません。思いを持ちながらも地域のために、敢えて反目をやるよりは、自分たちも折れざるを得ない。というような圧力の中でで契約をしてしまったということです。僕の親父もその一人です。
その思いを持ちながら、今まできましたので、今度の契約更新といいますか、その時に親父と相談したら、あんたが今、あんたに譲る、ぼくが相続人になりますので、あんたに譲るんだったら、今のうちに譲ってもいいよと。僕の親父はいま79です。で、一度契約をしてしまうと20年間、契約が強制されます。で、100、99才になる。親父はその時に、健在かどうかわかりません。だから相続人である僕に対して、今、分けるんだったら分けてもいいということで分けられた土地が楚辺通信所の土地です。私はさっきも言ったように、戦争につながることに対してはもう絶対に嫌だという思いを貫きたいということで、自分の土地の契約を拒否したというです。これがその私の土地に関する(意見陳述としての)役割のものです。以上です。
(拍手)
松島暁:今、知花さん本人からお話がありましたように、1994年、昌助さんから昌一さんは、この土地の贈与を受けて契約を拒否し、昨年四月以降本件土地が不法占拠になっていることはご承知の通りであります。
そこで、不法占拠以降について、スライドをみながら簡単に振り返ってみたいと思います。明かりを暗くしてください。
その、楚辺通信所。これは昨年の、えー、これは95年の暮れの写真であります。通信所、これありましたけれども、不法占拠開始の直前までは、この辺りまでは入ることはできました。
次のスライドお願いします。
通路に沿って入って、下のアンテナに触ることは可能でありました。ところが期限切れ直前の3月26日になって、突貫工事で基地の周りにフエンスを設置し、立入ができないようにしてしまいました。
これが、フェンスであります。
そして、期限の切れた、1996年4月1日、国は、フエンスに加え多数の機動隊員やガードマン、防衛施設局職員を基地の内外に配置しました。
これが次の写真、スライドお願いします。
地主の知花さんが自分の土地への立入を求めたところ、国は、入口の門を堅く閉ざし、これを実力で排除したのです。その現場に立ち会われた方は数多くいらっしゃると思います。
次のスライドお願いいたします。
知花さんが、現実に、自らの土地に立ち入るためには、裁判所に対して仮処分を起こさざるをえないということで、4月1日に、同じ日に仮処分を申し立てました。この立ち入りを求めた仮処分を審理に際して、国は、次のようにいいました。
敷地内に設置されているメッシユシート等への影響があるから、立入りの人数は30人以内であるとか、立入りの回数は一回に限るというようなことを国は申しました。
え、次、お願いいたします。
また、国が申し立てた緊急使用の審理に際して、県収用委員会は、4月18日、現地調査を行いました。これはその時の写真であります。
次、お願いいたします。
その際にも通信設備への影響を理由に、通路にはベニヤ板を敷いて、そして、各委員の体重の申告を求めたと聞いております。
ところが、現実には、十数名の作業員が芝生の上を歩き回っていた事実、これがその証拠写真であります。
次のスライドをお願いします。
これが、ベニア板を、作業している作業員の、その様子です。
次のスライドお願いいたします。
さらには、1トン以上の芝刈り用トレーラーが敷地内を縦横無尽に走っていたことが明らかになったのであります。
次のスライドお願いいたします。
これは知花さんがたまたま偶然見つけてとった写真です。このトレーラーの写真を撮った時のことについて、直接知花さん本人の口から証言していただきたいと思います。
知花昌一:4月1日、法的権原がなくなって、私は当然立ち入ることが出来ると思い、親父を含めて、家族含めて、その現場に行きました。その写真が、さっきのっていたものです。ところが防衛施設庁は、認めませんでした。その理由は、デリケートな施設である、ということで、たくさん人がいるとアースメッシュが切れると、ということと、まあ、そういう理由です。そして、だから、草刈り機や発電器等の持ち込みは禁止されているということの書類を裁判所と収用委員会のほうにも提出されていたはずです。
わたしたちは、その近くでいつも生活していますから、草を草刈りの時には、こういう大きな物が、縦横無尽に走っていることは、何回も見ていました。ところが、写真がなくて、言葉だけで表現しようと思っていたんですが、収用委員会の先生方が、あー、仮処分、あ、仮処分じゃない、緊急使用、の申請の時に立ち入りをしたその4日後、私は近くを通った時に、この草刈り機が走っているわけです。僕は、びっくりして、あー、あー、収用委員会が立ち入って4日後にはこんな形でやるんだなと。急いで店に帰って写真機を持ってきて、写したのがこれです。
これは、ホンダの機械で、カタログも急いで浦添えまで行って取ってきて、添付して裁判所と収用委員会のほうに提出したはずです。その結果収用委員会の先生方も私の土地に対する緊急使用が却下したということです。国は嘘だけ言ってきたという、その証拠です。以上です。
(拍手)
松島暁:この本土の草刈り機、カタログによると、本体が900数十キロ。1トン弱であります。これに草刈り部分を加えると、優に1トン越える代物であったわけです。このように、国の主張は、全く根拠がなかったにもかかわらず、ウソを言っていたことが明らかになったのです。
その結果、裁判所では、知花さんが求めた立ち入り要求は、ほぼ全面的に認められ、咋年5月14日及び6月22日の二度にわたり、戦後、米軍に接収されて以来、半世紀ぶりに、知花さん一家はそろって自分の土地に立ち入ることができました。
その時のことについて、もう一度知花さんの口から、お願いいたします。
知花昌一:えっと、親父も、終戦後何年かはここで農業をしていたようです。だけど僕ははじめてのことです。親父も、自分のおじさんがなくなった場所ですから、感慨深くてぜひ一緒に入りたいということで、5月14日入りました。
まあ、50年ぶりというか、その土地に入ったという事で、うれしさのあまり、当日はサンシンを弾いてお祝いをやってたんですが、ここには、30人、2時間あまりも滞在しました。えー、国が言う、いわゆる立ち入るという、あるいは明け渡すと機能が損なわれる、と強くいっていたんですが、5月14日、6月22日にこれだけの人が入り、そこで、いろいろな思いを込めて、やったんですが、その後、機能に差し障りがあったということは一度も聞いていません。だから、僕の土地を返しても機能には差し支えないという鑑定は出ていますし。その通りだと思います。でも、50年ぶりに入ったのは、ほんとにうれしいことです。こういう場が、あちこちで当然のようにみんなで立ち入れたらいいなあと思っています。以上です。
(拍手)
松島暁:さて、本件強制使用手続を基礎付けるその前提となっている日米安保条約・米軍用地特措法、更には、内閣総理大臣の使用認定がそもそも憲法前文、9条、29条、31条に違反することを、私たちは、まず第一に主張いたします。
この点は、本施設のみならずすベての施設に共通する問題であり、収用委員会が裁決申請の憲法適合性を審査できるかどうかの問題とともに、後に別の代理人から詳しく意見を述べる予定であり、私のほうからは、これ以上意見は申しません。
次に、私たちは、内閣総理大臣による本件使用認定が違法であり、本件裁決申請は却下されるベきであることを主張します。
内閣総理大臣の行った使用認定について、収用委員会がこれを審理できるかについても、別の代理人から詳細な意見陳述が予定されていますが、少なくとも、重大かつ明白な瑕疵のある行政行為が無効であることは、確定した判例であります。私たちは、内閣総埋大臣の使用認定に重大な暇疵があるか否かを審理することは、収用委員会に当然に認められていると考えます。
ところで、米軍用地特措法第三条は、強制使用の要件、強制的な使用が認められる条件として、第1に、駐留軍の用に供するために必要とする場合であること、第2に駐留軍の用に供することが適正かつ合理的であることを要求しています。
少なくとも、内閣総理大臣が使用認定を行うに際し、右の条件に違反し、その違反の程度が重大であれば、当然に違法・無効となり、裁決申請の却下は免れないというふうに考えております。
そこで第一に指摘しなければならないことは、楚辺通信所の任務および機能であります。
ハンザ部隊が属する海軍通信保安活動隊司令部(NSGC)というのは、ワシントンDCに本部を持ち、暗号とそれに関する機能を担うとともに、与えられた暗号計画の実行についての連絡調整を行うことを任務としています。三沢基地と同様、米国の世界的な通信ネットワークの一部をなし、米国と自由陣営の防衛のために迅速な電波の中継と安全な通信を行うためのものです。
楚辺通信所とトリイステーション、約2.5キロメートル離れていますが、両者は地下ケーブルでつながっていると言われており、楚辺の部隊は、トリイの空軍第6990電子保安中隊と一体となってスパイ・謀略の任務に就いているのです。
日本に駐留する米軍は、安保条約上は、「日本の安全に奇与し、極東における国際の平和と安全に奇与する」、このための部隊であって、米国と自由陣営の防衛を目的とはしていません。スパイ・謀絡をその任務とする楚辺通信所の部隊は、安保条約の範囲すら大きく逸脱するものであって、楚辺通信所は「駐留軍の用に供するために必要とする場合」にはあたらないということができます。
従って、楚辺通信所についての使用認定は、特措法3条の要件がないにもかかわらず、使用認定を行ったものであり、違法な使用認定です。
第二は、楚辺通信所における本件土地の位置・役割、つまり、えー、知花さんの土地の場所、そして役割という。ここからはスライドを使いますので、明かりのほうをお願いいたします。
えー、知花さん所有の土地236.37平方メートル。えー、この、わかりますでしょうか、ここ、やや変形した四角形の部分が知花さんの土地であります。
次のスライドをお願いいたします。次お願いします。
これが、知花さんの土地の部分を拡大したものであります。この、四角形が知花さんの土地の部分であります。この知花さんの土地の上には、低周波用アンテナの支線ブロック1個と高周波レフレクタースクリーン、反射スクリーンの一部が存在しています。さらに地中にメッシュグランドマットとアンテナケーブルが存在すると国は言っております。これが、低周波用のアンテナ、であります。このアンテナは知花さんの土地の中にはありません。これを支える支線の、三方向で、ワイヤーで支えている関係になるわけですが、それを支えるブロックが1個、知花さんの土地の中に、存在しています。それから、このこれが高周波用のアンテナ、これがEの13、14とかいう番号が、ここからはちょっと見えませんが、付いております。これが高周波用のアンテナです。その内側に高周波用のスクリーン。その支柱は、1本、2本、3本、4本、5本のうち、3本が知花さんの土地の上にあります。そして、その間をスクリーンが張り巡らされているわけですが、この3本の支柱を撤去した場合、どういう事態が起きるかというと、この支柱と支柱の間隔は約5メートルあります。ここからここまでで、約20メートルの高周波用のスクリーンが破られることになるかと思います。知花さんの土地はこういう場所にあるわけです。
問題は、この知花さんの土地をどうしても強制使用する必要があるかどうかです。軍事評論家の西沢優さんは、「その必要はない。仮に知花さんの土地を返還したとしても、楚辺通信所の機能にさして影響がない」と述べています。
で、今、説明しましたように、まず知花さんの土地の上にはアンテナは一本も立っておりません。低周波用、高周波用、いずれも設置されていません。したがって、本件土地はアンテナという最も重要な施設とは何らの関係もない土地なのであります。
それから、仮に、アンテナが数本と高周波用のレフレクタースクリーンが撤去されることになっでも技術的には何らの支障はないのであります。
えーさっきのスライド1枚戻していただけますか。
楚辺通信所の傍受システムは、円形に設置されたアンテナによって受信される電波の時間差によって、電波の来る方向を特定するものであります。あるポイントから電波が発せられます。その電波をそれぞれのアンテナが受信いたします。そのアンテナとこのアンテナがそれぞれ受信します。専門的にはやや不正確なのでありますが、わかりやすくいうと、このアンテナに届く電波の時間と、となりのアンテナに届く電波の時間、その時間差を解析し、そしてどの方向から電波が届くかを、楚辺通信所はやっているのであります。
そのため、多くのアンテナが設置されていおります。仮に一部が撤去されたとしても撤去されたアンテナに隣接するアンテナによって、電波の来る方向は特定できます。それから、撤去されたアンテナ以外の方向から来る電波については受信する上での影響はまったくないのであります。したがって、本件土地明渡しによっても若干の精度の低下はあるにしても、方位測定は十分可能なのであります。
厳密な意味での精度、あるいは機能の低下を問題とするのであれば、楚辺通信所は、そもそもが欠陥施設なのです。「象のオリ」と呼ばれる施設は、楚辺だけでなく、本土の三沢基地にもあります。三沢の「象のオリ」は、完全に平坦・水平な土地の上に作られており、進入路も楚辺のように地上ではなく地下を通す構造となっています。その意味で、楚辺通信所の場合は、厳密な精度は、元々、要求、期待されてはいない、というふうにいえるかと思います。
これは、アンテナ基地はできるだけ平坦な土地にあるほうがいいのですが、楚辺の場合は自然の地形そのまま使っております。三沢は完全にまっ平らな土地に、アンテナ群が設置されています。且つ、この真ん中に建物があるわけですが、この建物への進入路は三沢の場合は、地下を通すと。楚辺は地上を通すと。その意味については、次に詳しく述べます。
次に、強制使用を認めないとすると、メッシュグランドのアースマットですね、その一部が撤去されることになります。本件土地に敷き詰めたとされるメッシュ状のアースマットは、アンテナの接地機能のばらつきをなくすために設置されているのであります。そもそも、アースマットそのものが、曲面、曲がった面ですね、歪みを持った自然の地形の上に設置されており、現状でも、理想的なアース効果とは程遠いものしか得られていないものです。また、アースマットは楚辺通信所の全面には敷きつめられていません。
次のスライドの、もう一つ、はい、いいですね。
えー、この見えにくい所ですが、この全面にあの、導線でかなり濃い部分ですが敷き詰められております。そもそも、アースマットは、全面にはしかれておりません。どこにしかれていないかというとこれであります。つまり、進入路の下には、アースマットは敷かれておりません。この進入路は大型トラックも通行可能なものであり、アスファルトで固められております。
この進入路に比べれば、本件土地、本件土地はこれだけです。この進入路に比べて本件土地はその二分の一程度の面積でしかありません。さらに、本件土地のアースマットは楚辺通信所全体の、知花さんのその土地は0.3パーセント程度の面積しか占めておりません。
技術的観点から見て、本件土地上のアースマットを撤去しても受信機能その他の楚辺通信所の機能には何らの影讐もないことは明らかであります。
さらに、軍事的観点からもレフレクタースクリーン、反射スクリーンとアースマットの撤去は支障を来たしません。知花さんの土地は、楚辺通信所の、こちら側、東側にあります。一方、現在、国や米軍が軍事的関心を集中しているのは、朝鮮半島、中国など楚辺通信所の西側です。楚辺通信所は電波の来る方向を内容とともに確認する施設ですから、軍事的に関心のない方向から来る電波は価値が乏しいことになります。先ほど、楚辺の「象のオリ」は、もともと、もともとが欠陥施設だと申しました。地上進入路がリフレクタースクリーンとアースマットの一部を破壊しており、その限りで基地としての完全性は破られているのですが、問題は、進入路の位置です。進入路は、施設の東側、正確には東南に設けられています。この東南に進入路が設けられているという意味は、この方向が現に便利だから、設けられたのではないのであります。軍事的関心の対象である、朝鮮半島、中国、そしてかつてのソ連に面する西側、それから北側ではなく、東側に進入路を敢えて設けているのであります。このことは軍事的に東側を重視していないことを意味します。
え、さらに欠陥施設であるがゆえに、これは未確認情報でありますが、最近米軍は楚辺通信所を放棄し、事実上機能していないという情報すら伝わっております。したがって、軍事的観点からも本件土地上の工作物撤去は支障を来さないということであります。どうしても本件土地を強制使用する理由に欠け、「駐留軍の用に供することが『違正かつ合理的』な」場合にはあたりません。この点でも特措法3条の要件が欠けるにもかかわらず行った違法な使用認定だというふうに考えます。
第三に注目すべきことは、本件強制使用手続が、地主の知花さんの、現場立会の要求を無視ないし拒否して行われている事実です。 えー、スライドこれで終わりですので、明かりをお願いします。
50年以上にわたる土地強奪の結果、土地・物件調書に立会・署名する前提となる土地の形状・物件の存否を知ることさえできませんでした。そのため反戦地主の人たちは立ち入って確認することを要求しました。しかし、那覇防衛施設局はこれを拒否し、立会・署名の期日を一方的に指定し、指定の期日に出頭しなかった地主たちは立会を拒否したものとして扱ったのであります。
南山大学法学部教授の小林武氏教授、憲法学専攻でありますが、この立会について、「土地所有者の権利、しかも憲法31条に支えられ、ないしは、それと一体となったものとして尊重されるべき重要な権利」と、評価しています。
この立会権というのは、調書に署名し押印する権利にとどまらず、異議を付記する権利を含み、さらに強制使用の対象となっている土地の現場での立会うことを意味するこの立会権は、憲法31条に基づく重大な権利です。
本件の場合、かかる立会権を無視して進められたものであり、その手続は無効であって、それに基づく裁決申請は却下を免れません。
最後に指摘しなければならないことは、国が現在、本件土地を不法に占拠し続けていることであります。本件土地の使用期限が切れてからすでに1年2ケ月が経ちました。4月17日に成立した新特措法による暫定使用開始までの389日間、国は不法に占拠をし続けてきました。国は、過去に一度、反戦地主の土地を不法占拠した「前科・前歴」があります。公用地法が効力を失った1977年5月15日から地籍明確化法が成立する18日までの間、いわゆる「安保に風穴をあけた」と言われる4日間の不法占拠です。
前回は4日間でした。今回は1年2ケ月、暫定使用開始まで389日です。その違法の程度はおよそ100倍です。法治国家たる日本国において、法の模範的遵守者であるべき国が、自ら法を破り、違法状態を1年にもわたり維続したのです。あげくの果ては特措法を改悪し、つじつま合わせをやったわけです。このような無法は許されてはなりません。 この不法占拠という事実を裁決、判断するに当たって十分考慮されることを要求いたします。
私たちは、求釈明事項二の4において、平成8年4月1日以降の土地使用権原はあるのかないのか、権原がないのであれば今もこれを占有し地主に返還しない根拠はなにかと問い質しました。国は、「審理になじまない事項」として回答を拒否したのです。これほど恥ずべき態度はありません。
ところで、本件土地については、国の暫定使用という言い分にも関わらず現在も不法占拠状態にあると考えます。すでに別の代理人が述べたように、新特措法は、中立公正な第三者機関である収用委員会の裁決を経ることなく、さらには却下裁決が行なわれたとしても使用し続けることができるとする点で、憲法29条財産権、31条適正手続の保障に反するものであり、違憲・無効な法律です。したがって、憲法違反の法律による暫定使用それ自体が認められないのであります。
以上、却下裁決を下されるよう要望して、意見陳述といたします。
(拍手)
当山会長代理:はい、ご苦労さまでした。
では、引き続き三宅さんお願いします。