芳沢弘明弁護士(土地所有者・土地所有者代理人)


○土地所有者・土地所有者代理人(弁護士 芳沢弘明)

 私は嘉手納基地内にある土地所有者の一人であり、その他の代理人であります弁護士の芳沢弘明です。

 3月10日付けの文書を見ました。私の質問内容もなじまないそうです。しかし、収用委員会の先生方、よく考えてください。私が質問をしたいというのは、嘉手納基地に核兵器があるのかないのか。嘉手納弾薬庫に核兵器があるのかないのかということです。これに対して、なじまないという。また、先ほど来出されている申請理由書には、我が国への駐留軍の駐留は、我が国の安全並びに極東における平和及び安全の維持に寄与する。安保条約6条もそうです。 皆さん、北朝鮮が核兵器を持とうとしたときに、核兵器を持つならば、核攻撃をしてでもこれを止めさせると言ったのは、どこのだれでしょう。しかもその核兵器は、この沖縄にあるのではないか。もしあるとすれば、それは極東の平和どころか、アジア太平洋の平和どころか、我が国国民、沖縄県民の安全に関わる問題じゃないでしょうか。それは1968年にB52が墜落炎上したときに、県民が総決起して、ゼネストまで構えようとしたあのことを想起すれば、それだけで十分ではないのでしょうか。

 答えてください。核兵器はあるのかないのか。

○当山会長代理

 芳沢先生のご質問は、この1点でしょうか。

○土地所有者・土地所有者代理人(弁護士 芳沢弘明)

 この1点です。

○当山会長代理

 次の3も入っていますか。

○土地所有者・土地所有者代理人(弁護士 芳沢弘明)

 劣化ウランの問題は松島弁護士がやります。次の3は私はやりません。核兵器1点です、私は。

○当山会長代理

 それでは、施設局、よろしくお願いします。

○起業者代理人(那覇防衛施設局施設部長 阪本憲一)

 三の2の(四)につきましては、平成9年3月10日付けで本審理になじまないと思われる求釈明事項であることを回答しております。

○土地所有者・土地所有者代理人(弁護士 芳沢弘明)

 なじまないかどうかについて、今から私が、私は1時間でもしゃべりますが、要約して短くやるんですよ。述べます。それでもなお、なじまないかどうか、答えないのかどうか、お答えいただきたい。

 1969年に佐藤・ニクソン共同声明が発表され、沖縄返還協定が締結されました。その間において、核抜き本土並みが大宣伝されました。核抜きということは沖縄に核兵器があるということを認めていたわけです。本土並みというからには、本土には核がないということの宣伝なんです。

 ところが、その問に、72年4月27日付けのニューヨークタイムズは、日米間の核密約協定があるということを報道しました。よし、核兵器を一時的に日本国内を移動させることは、この秘密協定により、事前協議の対象外にされている。これによって、沖縄返還後も米軍は沖縄の基地を通じ、核兵器を移動させることも認められる。これがニューヨークタイムズ報道です。あわてて、日米両政府はこれを否定しました。ところが、1971年7月、ペアード・アメリカ国防長官が日本にやってきて、日本はアメリカの核の傘を求める以上、

核の有無を問題にすべきでなく、また核積載飛行機の日本領内通過を認めるべきであると発言している。このニューヨークタイムズ報道が正しかったことを

裏づけました。

 次いで74年9月、ラロック海軍少将は、米艦船は飛行の際、通常核兵器を取りはずさないと証言をしました。これについても日本政府は否定しました。ところがどっこい、1965年当時、沖縄東方128キロ沖合で、ベトナムから横須賀へ向け航行中のアメリカ空母タイコンデロガ号から水爆搭載海軍機が転落水没した事実が、グリンピースによって明らかになりました。ラロック将軍の言ったとおりです。復帰前において、既に沖縄のみならず、日本本土にも核兵器が持ち込まれていたんです。

 そして皆さん、1969年の沖縄返還交渉において、ニクソン大統領と佐藤総理が、11月の第1回首脳会談後、別室に行って、緊急事態に沖縄に核を持ち込んでもいいという2人だけのサインをしたという目撃証人がおります。これは若泉敬、亡くなった方です。京都産業大学教授が、亡くなる前に、多分思いを込めて書かれたんだと思います。「他策ナカリシヲ信ゼント欲ス」この本です。この中に書いてある。その全文を言うわけにはいきません。ポイントだけを申し上げます。

 この文書の中で、アメリカ合衆国大統領は、沖縄に現存する核兵器の貯歳地、すなわち嘉手納、那覇、辺野古並びにナイキ・ハーキュリーズ基地をいつでも使用できる状態に維持しておき、重大な緊急事態が生じたときには活用できることを必要とすると述べた。総理大臣は、このような重大な緊急事態が生じた際における米国政府の必要に対して、事前協議が行われた場合には遅滞なくそれらの必要を満たすであろうと述べて、お互いこれは秘密にしましょうねと言って、サインをした。

 このことは沖縄でも反響を呼びました。沖縄弁護士会でも決議をもってこの核密約の公開と破棄を求めました。当の後の国務大臣キッシンジャー氏も、このことを自らのキッシンジャー記録において認めています。

 ところで、昨年、大田昌秀沖縄県知事は、沖縄への核再持ち込み密約に触れられました。新聞労連での研究集会です。行政の責任者として一番心配しているのは、核があいまいな形で沖縄に存在することだと、知事は述べられました。そして、大田知事は英語ができますから、キッシンジャーにも電話したそうです。そしたら、答えはなかった。そこで当時の国務次官補のアレクシス・ジョンソン氏に電話をかけられたそうです。そうすると、このジョンソン元国務次官補は、若泉さんの書いている本の内容は、それはごく常識ではないですかと、大田知事に電話で回答されたそうです。大田知事は驚かれたそうです。

 核密約の存在については、以上のほかにも1981年5月のライシャワー駐日大使の証言があります。1990年6月のマッカーサー元駐日大使の証言があります。

 そのほか、沖縄に核兵器を持ち込まれているという調査結果と報告はあまたあります。その中で私が持っているのは、沖縄タイムスの「50年目の激動」の何ページかにちゃんと書いてある。1954年4月、太平洋で唯一の核兵器完備部隊として知られた空軍の第400軍軍需品整理飛行隊が、アメリカ本国のニューメキシコから嘉手納に移駐しており、現在も常駐している。復帰後ですよ。

 ここまできて、このようなさまざまな証言、事実があって、なお、防衛施設局、起業者はなじまないというのですか。われわれは、あの1960年代、ベトナムに向けて核兵器が飛び立つ、あの苦悩の日々、罪責感に駆られた日々を忘れませんよ。軍用地の地主たちの心情はそこにあるんです。侵略戦争のために、核兵器攻撃のために、基地は提供しないということなんです。それでもなじまないんですか。答えて下さい。

○当山会長代理

 1時間分を短くしていただきまして、ありがとうございました。恐らく回答を求めても、同じ回答でやるのは目に見えて明らかですので、今のはこうとらえてよろしいですか。こういう説明をして、なおかつ審理になじまないと思うかどうか再検討してくれと、こういう意味ですね。

○土地所有者・土地所有者代理人(弁護士 芳沢弘明)

 そうです。これだけ聞いたんだから、答えられるはずです。

○当山会長代理

 阪本さんは個人的な意見を言うわけにはいかんでしょうから、一応検討してもらいましよう。

○土地所有者・土地所有者代理人(弁護士 芳沢弘明)

 会長代理、分かります、配慮は。

○当山会長代理

 同じことを言うと思いますよ。

○土地所有者・土地所有者代理人(弁護士 芳沢弘明)

 いや、言わせて下さい。

○当山会長代理

 じゃあ、とりあえず阪本部長、お答え下さい。

○起業者代理人(那覇防衛施設局施設部長 阪本憲一)

 三の2(四)の事項につきましては、平成9年3月10日付けで本審理になじまないと思われる求釈明事項であることを回答しております。

○土地所有者・土地所有者代理人(弁護士 芳沢弘明)

 はい、会長代理のおっしゃるとおりでした。

 次は劣化ウランの問題です。これは松島弁護士からやります。これもなじまないかどうか。

○当山会長代理

 はい、よろしくお願いします。


 出典:沖縄県収用委員会 公開審理議事録
    OCRによるテキスト化は仲田さん(XC8H-NKD@j.asahi-net.or.jp)
沖縄県収用委員会・公開審理][沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック