わたしは、嘉手納基地に土地をもつ有銘政夫です。冒頭に申し上げますけれども、委員長が最初におっしゃった公正中立な実質審理をしたいと、そのことについては、ぜひ収用委員会の名誉にかけても、実質審理、わたしたちの意見をくずさないこと、を確保していただきたいことをかさねてお願いしたい。
なお、防衛施設局のいまさっき45分にわたっての説明、これについては、具体的に、各施設毎に、実態に合わせて、とことん、反論申し上げたいと思いますので、次回以降にその点については、述べます。今日は、この間の3回の過去の公開審理において一方的な審理がすすめられたことについての経過を説明するなかで、なんとしても、わたしたちが願っている実質審理とはこういうものだということを冒頭に述べておきたいと思います。
まず最初に申し上げたいことは、安保優先の公開審理であってはならないということです。安保条約というのは主権者の権利を補償する条項は、ひとかけらもありません。主権者、そして国民、個人の権利は、憲法の保障する基本的人権であり、何人もこれを侵してはなりません。82年、87年、92年の強制使用手続きにおいては、収用委員会は安保優先の立場に立って、主権者の権利を無視し、一方的に審理を打ち切り、強行採決した。こういう事態を、今回は、絶対にあってはならない。このことを申し上げておきたい。
日本国憲法は、平和主義・国民主権・基本的人権の尊重が基本的理念です。前文には、政府の行為によってふたたび戦争の惨禍がないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言しています。このように日本国民は国家の名誉にかけて全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓うと明記されています。そしてこれをうけた憲法第9条は、まさに戦争の否認、軍備の否認、交戦権の否認であります。武力による威嚇または武力の行使を国際紛争を解決する手段とすることは、これを永久に放棄するという明文があります。29条は、財産権はこれを侵してはならないと明記されています。日本国憲法に基づく土地収用法には軍事基地および皇室に関する土地の強制使用は除外されています。現実に自衛隊の基地については強制使用は行えません。31条は法的手続きの保障なんですけども、何人も法律による手続きによらなければ、その自由は奪われないと明記されている。
今日の7名の「うちなんちゅ」である収用委員会の方々は、すでにご承知だろうと思いますが、1977年の5月14日から18日の4日間、不法占拠がございました。まさにこの時期に手続きの瑕疵があるわけです。おなじ1996年、4月1日から現在までの楚辺通信所、知花さんの土地は不法占拠そのものです。それに地籍明確化法、地籍が確定されていない土地についても、不法使用が続いています。この法的な瑕疵を、いったいどのようにして、防衛施設庁は説明しようとしているのでしょうか。
特別立法、ひとつの公共団体に適応される特別立法は、地方公共団体の住民投票によってその過半数の同意を得なければならないとなっています。1952年、4月28日の平和条約は、まさに憲法違反です。占領下にあって動揺したにしても、1971年特別国会における公用地法、特別立法、これは不当極まりない悪法であります。マスコミの報じるところに依りますと、あらたに画策されている一方的なしかも強権的な米軍用地収用特措法の改悪は、まさに占領国家の、米軍占領下の布令布告の乱発とまったく軌を一にする暴挙であります。いったい日本国は占領下なのでしょうか。このことは絶対に許されないものです。さらに、この土地収用については、去った県民投票において、沖縄県民は、はっきりと、基地の提供にノーという結論を出しているではありませんか。
すこし米軍基地の歴史について述べます。嘉手納基地の実態ですけれども、嘉手納には戦前からあのような広場――軍事基地があったわけではありません。周囲17.5キロメートルの嘉手納基地のあたりは、戦前には、越来(ごえく)村の宇久田国民学校、北谷村の北谷国民学校、屋良国民学校、の3校がありました。越来村と北谷村の住民の生活の中心地があったことはまぎれもない事実であります。ある資料によりますと、嘉手納飛行場の地権者は6800名とあります。嘉手納町は旧北谷村の一部です。現在の嘉手納町と北谷町は町が発展して分離したのではありません。嘉手納米軍基地によって北谷村から二分され、戦後やむなく分村し現在に至っているのであります。嘉手納空軍基地と、隣接する嘉手納弾薬庫を合わせると、実に現在の読谷村、具志川市、石川市、沖縄市、そして北谷町、嘉手納町の三市二町一村にまたがる広大な土地がアメリカ軍に占領されたままになっている。
わたしのふるさとである越来村に限ってみても、宇久田、青那志、倉敷、森根、嘉良川、御願式、白川、大工廻(でくざく)の八つの字(あざ)がすっぽり基地の中にあります。その他、山内、上地の両字の一部が米軍基地のなかにはいっている。この地域に住んでいた人びとは、現在沖縄市を中心に中部全域に分散し、ふるさとを偲びながら生活しているのです。さらに、この地域の人々は、旧字の財産や伝統文化を守るために、字会を結成し、現在でも日常的に連携を取りながら励ましあっているのです。とりわけお葬式の時などは、新聞広告はもちろんのこと、電話や口づたえで連絡を取り合うなど、心の絆を保つためにも腐心している現状です。基地内の旧字では、親睦を兼ねてバス貸し切りのピクニックが行われることがあります。その時は、米軍の許可を得て嘉手納基地内を通ります。戦前の生活経験を持つ年輩の方々は、子どもや孫・若者たちに戦前の部落の様子を熱心に説明するのです。ここは馬場だった。あの辺りに学校があった。右手のほうはあんたのおうちだった。ここには大きな川が流れていた。などと心のうちに暖め続けているふるさとの様子が一挙に吹き出し、車内はしばらくの間騒然となるのです。
この地図をご覧ください。(旧越来村字森根の住宅復元図が広げられる:gif=75k)この地図はわたしの友人の一人であります嘉手納基地の地主である真栄城玄徳さんが作成した旧越来村の字森根の住宅復元図であります。この復元図作成にあたっては、多くの先輩方が協力して心の中に暖め続けているふるさとの戦前の姿を思い浮かべながら一軒づつ貼り付けていった物です。この復元図に示されるように、私たちの字森根だけをとってみても160戸あまりの住民がその生活・文化のすべてを奪われ、現在なお嘉手納基地の周辺でふるさとを偲びながら、暮らしているのです。
私たちは戦後51年にわたり、このような生活を強いられているのです。日本国憲法のもとで、このような差別が許されるのでしょうか。このようにして奪われた私たちのふるさとは、現在もなお、嘉手納基地なのです。
1972年5月15日に沖縄は祖国復帰いたしました。しかしながら、沖縄の戦後はいまだ終わっていません。沖縄戦による戦没者の遺骨収集、不発弾処理、不当に占領され続ける広大な軍事基地など不幸な状態が復帰24年たった現在もなお続いています。戦前、現在の米軍基地内に住んでいた私たち住民は厳密に言えば、戦後51年たった現在もなお戦争難民と言わざるを得ないのです。
1956年の土地闘争に次いで、私たちは1972年の復帰までいくつかの主権回復の闘いをとりくみました。なかでも一括払い阻止は重要な闘いでした。一括払いの計画は、プライス勧告によるものですが、勧告には「将来無期限に必要と認められるこれらの土地において取得される権利は、永代借地権とするか、(中略)土地の適正なる価格が一括に支払われるべきである。これは地主がこうすることによって他の地域(たぶんほかの琉球列島)に移動するか、(中略)海外に移住するにたる完全且つ十分な金額を受け取る唯一の方法を示すものである」と明記されています。この闘いは四原則貫徹(1・一括払い反対、2・適正補償、3・損害賠償、4・新規接収反対)闘争として位置づけられ、1956年7月28日に行われた県民大会には実に10万人が結集したと当時の新聞は報じています。その結果県民は、土地の毎年契約、地代は6倍へと米軍支配下での初歩的な勝利を手にしたのです。このような闘いを抜きにして72年の復帰はあり得なかったと考えるとき、県民は米軍支配下での地主の主権を守りきったと言っても過言ではないと信じています。
56年の一括払い反対闘争、72年の復帰の際の闘争、軍用地を未契約地にした「安保に風穴をあけた4日間」。そして去年の県民投票の結果は、あきらかに米軍基地をなくすことが沖縄県民の総意であることを示しています。
安保条約の無謀さについて、述べます。
ベトナム戦争は沖縄基地を経由すれば、事前協議の対象外になります。さらに湾岸戦争では、米軍が沖縄から出ていくときは通常の演習で、フィリピン沖でアメリカの艦隊の指揮下すなわちミッション変更になり、これに入ったあとは在日米軍としての指揮下にはないので在日米軍基地からの出撃ではないというペテンがまかり通っています。
最近の劣化ウラン弾の使用は、まさに不法・不当行為であり、あってはならないものが沖縄、いや日本に存在しこれを公然と使用しながら「誤射」と言い逃れ、あげくの果ては、演習中のことは報告の義務はないなどとと開き直っていると、2月13日沖縄タイムスにのっていますのでご覧ください。
5・15メモがすべての法律に優先されている沖縄基地の実態。70年安保は一方の当事者が破棄通告できると明文化されている。憲法を侵してまでアメリカの言いなりになる必要はどこにあるんでしょうか。安保条約は、県民の安全を守るどころか、県民の生命・財産は安保によって侵され続けているのがこの51年の実態です。百歩ゆずって安保に基づくとしても、不法・不当な行為が沖縄では暴挙となっています。このような実態を一つ一つ明らかに解明することが実質審理であります。わたしたちは、各人が、各施設毎に、実態に即して、具体的に、この公開審理の場で、明らかに致します。
その結果、日本国憲法が補償する主権者の権利を最大限に補償されるよう実質審理をこころからお願いいたします。このような審理が行われれば、国が要求している不法・不当な10年間の強制使用手続きは却下されるべきだという信念のもとに、実質審理に対し、真剣に参加し、意見を陳述したいと考えております。本日は公開審理に望む態度の表明としての意見を終わります。
会長:ごくろうさんでございました。次に親泊康晴さんの陳述をお願いしたいと思います。