嘉手納の反戦地主の新崎です。わたしは公正な審理の前提として、一坪反戦地主運動の立場を明らかにしつつ、これまでの公開審理の不当性と、政府・防衛施設局のそれに臨むやり方の不当性を具体的に指摘しながら、これからの公開審理の公正なあり方について要望しておきたいと思います。
なぜ、一坪反戦地主運動の素顔を明らかにする必要があるかといえば、最近、特に、政府筋及びそれに同調する一部のマスコミなどから一坪反戦地主会、一坪反戦地主、あるいは一坪共有運動に対する誹謗・中傷、あるいは一面的な事実の誇張などがなされているからです。したがって、こういう場で、きちんと一坪反戦地主とは何であるか。一坪反戦地主運動とはどういうものなのか。そういうことをはっきりさせて、偏見を払拭することから出発せざるを得ないのです。
まず、最初に強調しておきたいことは、反戦地主と一坪反戦地主は一体であるということです。一坪反戦地主運動は反戦地主の期待に応えて反戦地主を支えることを第一義的目的として始められました。そういう意味で反戦地主と一坪反戦地主は一体であると申し上げているわけです。
一坪反戦地主運動がおこったのは、1981年です。つまり、最初に政府・那覇防衛施設局が米軍用地特措法を発動して、反戦地主の土地を強制使用しようとした段階です。その時に、当時の反戦地主会の会長平安常次さんの希望により、彼の土地を譲り受けて、一坪共有化運動が始まりました。
今、一坪地主の中には、反戦地主、あるいはその家族でありながら、一坪反戦地主でもある人が少なからずいます。それはなぜなのか。なぜ、反戦地主でありながら、一坪反戦地主でもあるのか。それは、反戦地主の一坪共有化運動に対する期待の大きさを物語っていると言っていいだろうと思います。しかし同時に、それは、復帰の当時3000人もいた反戦地主が、われわれが一坪共有化運動を始める時には100人前後に激減していた、激減させられていたその背景である反戦地主への嫌がらせや、迫害、差別の激しさを物語っているものでもあります。
先ほど、起業者側の裁決申請の理由は、聞き取れない面もたくさんありましたけれども、そのなかでずいぶんいい加減なことがありました。たとえば、契約をしていただくための努力というのは、実は嫌がらせであったり、反戦地主への不当な迫害である。いずれこの点については、具体的事実を挙げて、求釈明とか、個々の施設、個々の当事者や具体的土地に即して明らかにしていくつもりです。
こういう形で、反戦地主が激減していった。その時に反戦地主の要望に答えて生まれたのが一坪反戦地主運動です。
私たちは、その当初、一坪反戦地主の運動、一坪共有化運動の参加者を琉球孤在住者及びその出身者に限定する方針をとりました。なぜ、そういう方針をとったのか。それは軍用地を生活と生産の場に取り返すということが基本的立場だからです。それには、生活と生産の場に軍用地を利用できるものがまず参加すべきである。そういうこともありましたが、もう一つは、復帰運動、返還運動の中でいたずらに本土と沖縄との連帯が叫ばれながら、それがタテマエに終わりがちであったという事に対する一つの反省でもあったのです。沖縄は沖縄として自ら立つ、ということもまた一坪運動の原点でありました。
しかし、その後、沖縄に強い関心をもつヤマトの人たちの間から、自分たちもぜひ参加させて欲しいという強い要望あったために、私たちは、沖縄と反戦にこだわり続ける者の参加は拒まないというかたちで方針を微調整しました。
今、一坪反戦地主運動に対する誹謗、中傷の一つとして、一坪反戦地主の半数は本土にいる、などということが意図的に政府筋から、あるいはそれに同調する一部マスコミから流されています。
本土にいる一坪反戦地主の方にも多くの沖縄出身者が含まれているということもさることながら、私たちは同時に、私たちが本土側になんらかの勧誘をしたわけでもないにもかかわらず、これだけ一坪反戦地主が拡がっていったということは、不十分ながらも沖縄問題に対する理解が深まっていった結果である、とわれわれは考えています。
沖縄と反戦にこだわり続けることが原点であるということを、一坪反戦地主の方々は、常に胸に手を当てて考えながら、行動していく必要があります。沖縄と反戦にこだわるということは、イデオロギーを越えた問題です。よく、一坪反戦地主というのは、反安保のイデオロギー集団である、こういう言い方があります。
なぜ反安保であって悪いのか。イデオロギーによって土地に関する権利がおびやかされるということがあってはならないのは当然です。それ以上に一坪に参加した人たちは、そういうイデオロギーを越えた存在である、またそれを目ざしているのです。
ごく最近、久間防衛庁長官がNHKの日曜討論で、一坪反戦地主などというのは3000人いるなどと言っているが、20坪を600人もが共有している。だから、連中の言うことは聞くことはないというニュアンスの発言をしています。まさに盗人猛々しいと言わなければなりません。(拍手)
ではなぜ、嘉手納と違って普天間には、わずか20坪を600人もの人が共有する土地があるのか。その理由を述べておきたいと思います。先ほど言ったように、一坪共有化運動というのは嘉手納の平安常次さんの土地を購入することによって始まりました。ところで、日本政府は復帰の時に契約した地主の土地は20年間はその契約は有効だと主張しています。この主張には異論があるところであり、いずれ法的な場で争うべき問題だとは思うのですけれども、政府側の主張にそっても復帰後20年すれば契約更新をしなければならない。その契約更新の際に、復帰の時には何らかの理由で契約をしたけれども、先ほどの照屋秀伝さんの話を注意深く聞いていた方はお気づきだと思いますが、実際は一人ひとりが契約書にハンコを押しているわけではない。自分で契約していたことを知らない軍用地主、契約地主もいるわけです。そういう形で契約させられた人達の中から、そういう人達の土地を継承した人たちの中から、新たに再契約はしないという人が100人前後登場しています。
この人たちの土地をさらに政府・那覇防衛施設局は強制使用しようとします。その時に、反戦地主と同じように、この人たち、つまり、新しく反戦地主になろうとする人たちを誰が一緒になって守り、支援するのか。それは一坪反戦地主をおいて他にないわけです。しかし当事者が土地を譲ってくれない限りは一坪運動というのは始まりません。その再契約拒否地主の中のお一人が普天間の自分の土地20坪を分筆してわれわれの為に提供した。20坪に600人の反戦地主がいるのは、そうした事情によるのです。20坪を共有する600人が目障りなら、さっさと普天間を返せばいいのです。(拍手)そうすれば、この土地は、元の地主に返すか、あるいは公園・緑地などの公共用地としてみんなが共有することになります。
こういう形で私たちはこの運動を進めている。その中に確かに20坪に600人の地主がいる土地があるのは事実です。それを、防衛庁長官が、テレビの番組で取り上げ、それがすべてであるかのように吹聴している。自分たちは一体何をやってきたんだ、そういうものに対して一かけらの反省もない。
反戦地主は、土地強奪50年の歴史を背負って存在している。そして、一坪はその立場の何分の一かでも共有したいという思いでそれと連帯するものです。私が反戦地主、一坪反戦地主は一体であるということはそういう意味です。
そして、さらに20坪を共有する600人がどういう役割を果たしたのかということについて、具体的に話してみたいと思います。
ご承知のとおり、前回の公開審理の時、私たちは、強制使用の対象としてはならない3人の元反戦地主の土地を那覇防衛施設局が無法にも強制使用しようとしている事実を、公開審理の求釈明の過程で暴露しました。結局、那覇防衛施設局は、これは事務的ミスであるということにして取り下げざるを得ませんでした。強制使用の対象にならない土地を、総理大臣が使用認定し、それに基づいて代理署名が行われ、裁決申請が行われる。収用委員会もそれを受理し、そして裁決開始の登記も行い、3人の財産権を侵害したという前例が5年前に具体的に存在しています。そして、その3人の権利を守ったのは、この20坪を共有する600人である。もっとも反戦地主の実状を熟知しているわれわれだったことをあえて言っておきたいと思います。(拍手)
もう一つ、さきほど那覇市長も言ってましたが、期限切れは誰に責任があるのか、ということについてもふれておかなければならない。政府あるいはそれに同調するマスコミの一部は、3000人にものぼる多数の地主がいる。大半を占めるのは一坪反戦地主である。だから期限切れに間に合わないかのようなデタラメなことを言っている。こういう事態を招いたのは誰か。これは日本政府です。日本政府の、強制使用手続きにおいてさえも不誠実きわまりないやり方が、ついには、知事にさえそっぽを向かれ、代理署名、公告縦覧の代行拒否という事態を招いたその結果、先ほど、那覇市長が具体的に指摘したように、前回、あるいは前々回において裁決が行われた時点から、公開審理を開始せざるを得ないような状況を招いたのです。これは、収用委員会の責任でもなければ、地主の責任でもありません。ひとえに政府の不誠実さ、傲慢さ、いい加減さ、それが招いた結果にほかなりません。
今日、初めて私たちは裁決申請の理由をを聞きました。そしてこの次は、これに対する求釈明が行われるでしょう。そしてさらに一つ一つの施設について、具体的な土地に即し私たちの、反戦地主の意見を言うことになるでしょう。
その際にもう一つ指摘しておきたいことは、3000人、3000人と言われますけれども、一坪地主の土地があるのは嘉手納と普天間と二つの施設です。実は重要なことは、13施設にもわたり、10市町村にもわたる強制使用対象地が存在するという事実です。そのことが問題なのであって、3000人であろうが、4000人であろうが、一坪それ自体が問題ではない。
したがって、まともな審理をすれば、期限が切れるのは当たり前なのです。にもかかわらず、そのことと結びつけて、米軍用地特措法の改正を云々してきている。一体、これは何なんだ。自分たちの責任をたえず他に転嫁し、大田知事の協力を得て強制使用せざるを得ないなどと言っている。大田知事に一体どんな協力を要請するのか。収用委員会は独立した機関です。それを何を血迷ったか、知事と握手すれば強制使用がうまくいくと思っている。こんなことを言いながら、米軍用地特措法の改正を画策している。公開審理といった手続きそのものを無意味化しようとしているのが政府です。今ある米軍用地特措法に基づく手続きの途中で、ルールを変えようという。試合の途中で負けそうになった方がルールを変えようというのはまともなやり方ではないということは明らかです。日本政府は、すでに法治国家という自らの看板さえもかなぐり捨てようとしています。
こういうことに関して、収用委員会に、ぜひ公正な審理をお願いしたい。
まだ指摘しておきたいことがありますが、時間がないので、最後に、前回の裁決書の中で地主の意見がねつ造されているということだけ指摘しておきたい。前回も、収用委員会との間で、北から順序よく各施設別に具体的な土地について意見を述べるということが約束されていました。そして北から順序よく、慶佐次通信所、伊江島補助飛行場(5年前の段階では地主は一人、今回は30人近くいます)、それから、なぜかキャンプハンセンの地主一人だけを当時の収用委員会は分離して公開審理を行いました。そして嘉手納弾薬庫の地主の意見陳述の途中に、次回、収用委員会自らが予定していた公開審理の日程を期限が間に合わないからということで取り消して、審理を打ち切りました。しかし、裁決書は施設別に出されている。先に挙げた施設以外の地主は誰も意見を言っていない。例えば、那覇市長が「私はまったく意見を言っていない」といった那覇港湾施設についても、地主側の意見が書かれている。それは、収用委員会が、新聞紙上における反戦地主の発言や他の施設の地主の発言を勝手につなぎあわせて作文しているだけの話です。
私はこういう事実を指摘した上で今回の収用委員会に対して、真に公正なる審理、中立的立場に立った審理を心から要望するものであります。
持ち時間がなくなりますので、ここでやめますが、実は今日ここに、関東、関西から多くの方々がお見えになっています。そして、関東の方々、関西の方々が収用委員会に対して、関係者から集めた要望書なども持ってきているようです。そこで、わたしの持ち時間を提供して、関東ブロックの代表委員の上原成信さんと関西一坪の会代表世話人の阪根俊夫さんに発言してもらいます。
嘉手納の地主の上原成信と申します。東京に住んでおります。
これまで、私も3回の強制使用を受けました。関東には約600人の地主がおります。東京からここまでは結構金もかかりりますし、地主として、同じ地主でありながら、関東や関西にいる人間は、経済的に不公平な取り扱いを受けるということがございますので、ぜひ収用委員会として、関東・関西で審理をしていただきたいと、そういうことを要望いたします。
これは前の公開審理でも私は常に要望しておりまして、収用委員会の会長さんは、検討いたしますとはおっしゃっておりましたけれども、結局、実現することはございませんでした。今回の収用委員の皆様には私は非常に期待しておりますので、ぜひお願いしたいと思います。
関東には約10万人のウチナーンチュが住んでおります。地主は500〜600人ですけれども、ウチナーンチュそのものは10万人ぐらいおります。この人たちが、この問題について非常に注目してかたずをのんで見ているわけでして、こういう人たちが実際に東京での公開審理で傍聴して、収用委員の皆さんの顔も知る、皆さんがどう考えているかを分かってもらうのは大事なことだと思います。
ただ、県外に出るということで、例えば起業者が抵抗するとか、そういうことは考えられると思います。もし、そういうことであれば、私としては正規の審理をしていただきたいんですけれども、もしそういう事情があれば、簡略化して、起業者を伴わないでやっていただいても結構です。私どもの意見を聞いてください。
収用委員も全員が揃うのが大変でしたら、人数を制限されていただいても結構です。ぜひ、東京で沖縄の問題をやって、東京の多くの人たちにこの問題をアピールしていただきたいと思います。
私どもの仲間が収用委員会にあてて申入書はつくってあります。これを差し上げたいと思います。
紹介をいただきました、嘉手納基地内に土地をもつ大阪の阪根と申します。
関東と同じく、関西には500名余りの一坪地主がおります。きょうは、そのうちの代表数十名と、ここに先ほど上原さんもおっしゃっいました要望書、個々の意見を書いた申入書を携えて、この場に臨んでおります。それらの総意として、まず次の3点をお願いしたいと思います。
関西には500人以上の地主がおり、公開審理のたびに訪沖するのは、時間的、経済的にも極めて困難であります。したがって、先ほどの上原さん(関東)と同じく、関西でもわれわれの意見を聞いていただく会をぜひもっていただきたいということが1点であります。
それから、公開審理では、希望するすべての地主に意見陳述をする機会を与えてください。
それから、公開審理では、各施設ごとに具体的かつ実質的な審理を行っていただきたい。
以上、3点でありますが、私たちが反戦平和の砦として、沖縄の土地を共有し、戦争を前提としたコンクリートかアスファルトに塗りつぶされたこのわれわれの土地が、真に生産の場として沖縄の人たちの手に返り、また新しい文化を創造していく土地として生かされる日まで、国の甘言にのって契約に判を押すとかいうようなことは、絶対ありません。そのことを、ここで再度申し述べておきたいと思います。
簡単ですが、私の陳述にかえます。どうもありがとうございました。
では、よろしくお願いします。受け取るだけ受け取ってください。