意見陳述書
一九九八年四月二十八日
稲嶺のり子
私は海上ヘリポート基地が作られようとしている地元久志地域に住んでいます。そこは、確かに開発や振興策からは立ち遅れてはいますが、残っている若者世代やお年寄り、沖縄らしい豊かな山海の恩恵をありがたく受けて静かな暮らしを守って生きています。
そんな中、平成8年6月キャンプシュワプ沖が代替へリポート基地の侯補にあがったとの報告があり、名護市議会では三度にわたり全会一致で代替へリポート移設に反対する決議をして、市長も二度の市民総決起大会でも先頭になり、市民の生命、財産及び、環境を守る立場からこれ以上の基地の拡大、強化、更には固定化につながるようなへリポート建設に市民総ぐるみの運動で断固反対するという事で立ち上がっていましたので、すぐにはねのけられると思っていました。11月のその頃の私は、市の主催する市民劇へのボランティア出演の為、微力ながらも、名護の発展の為に貢献出来る事に誇りを持ち項張っていた時でしたので、自分の支持している市長の発言には頼もしさを覚えたものでした。しかし地元の合意を得られないまま、事前調査受け入れを表明してしまった事により賛否を問うための19,735人の署名簿提出での市民投票条例請求が、経済効果を期待しての条件付き賛成等が盛り込まれ、基地問題と振興策をリンクさせた方法によって地域住民の多くの意志が無視されつつあり、地緑関係や地域性の特有な思いやりを持つ素朴な人たちを、ものを言わせぬように、何ものかに遠慮しおびえ、住民同志が二分され戦わされていく事に、慣りを感じました。
しかし、どうして良いのかわからず、もんもんとしている間に、「へリポートいらない二見以北10区の会」の地元の男性たちが、小さい頃からよく知っているきれいな海を独自で調査したした事がきっかけとなり、市内外の市民グループと共に、もっと地元の人の声を出すべきたという思いと、過去の戦争での犠牲者の刻名のある平和の礎からの叫びと、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争等々、他国の人々の貴い命の犠牲の中での日本と沖縄の豊かさは、つかのまの空しいものにしかならなかった。現実に基地あるが故の悲しい事件や、日常茶飯事になっている事故、騒音被害に悩まされても目をつぶって生きていくのか。常に戦争のにおいのするものにおびえて生きていくのか。これらを含めて、自分達の生活を守る為に意思表示をするのだという思いを市民投票に託す為、地域の同年代の女性やお年寄りと一緒に立ち上がりへリポートいらない二見以北10区の会の女性部をつくり、昔から沖縄の方言でジュゴンの事をジャンと呼んでいたその名にちなんでジャンヌ会と名付け行動する事になりました。
皆それぞが仕事や農作業を終えてから集まり、手作りのチラシをとにかく自分達の足で配って、訴えて歩こうという事でしたので、雨の降る日も、暗くなった田舎道を懐中電灯を持って、毎日一軒一軒回って来ました。市内の団地や、他地域での訪問は本当に勇気がいるものでした。玄関に出て対応して下さった人の中には、「経済発展の為には止むを得ないんじやないか。今がチャンスなのによけいな事をするなよ」とどなる人もいました。その頃の市内では、基地交付金をあてにした華々しい振興策の看板やのぼりが乱立していました。しかし多くの市民、とりわけお年寄りや子を持つ親等の心は、子々孫々まで引きずる基地被害を被ることを憂慮し死ぬのに死にきれない程の想いがあり、その人たちの励ましの言葉に元気づけられて項張ったものです。
そんな私たち母親の行動を見てこども達も協力するようになり自分たちの未来に基地を残してほしくない。作るならディズニーランドのような夢のあるものにしてほしいという意見を作文に書き訴えるようになりました。そして、投票前日に名護十字路街での道ジュネー(アピール行進)をすることになり、近隣地域の多くの小中学生や婦人お年寄りを中心に、いても立ってもいられない女・子ども達の思いを伝える為、250名の女性が参加し行進しました。行進の最中に、バケツのようなもので水をかけられる場面もありましたが、地域の人々の思いを淡々と訴えて歩きました。
次々と不況になる度に、振興策をやってもらう為に軍事基地をつくらせていては本当の平和にはなりません。本当の名護市の発展の為に、市民一人一人が一票の持つ重みを感じて投票にのぞんでほしいと願い訴えてきたわけです。そして多くの市民が苦しみ混乱した中でも結果「ノー」という答を出したわけです。国の財政から出される豊宮な資金を使った賛成票に比べてみても苦戦をしいられてなお反村という過半数の民意をどうして無視する事が出きるでしょうか。
住民投票は民意を問う為の民主主義の重要な方法であるはずなのに、私の一票、いや、私達久志地域の人々の票数は名護市民として扱ってもらえなかったのでしょうか。末来を担う任う子ども達に、負けたのに勝ったとはどういう正義をかざしても説明のつけようもありません。日常の家庭生活をも犠牲にし、必死の想いで訴えてきた心情に背を向けた基地受け入れ表明には納得できません。
裁判官のみなさま、どうぞ裁判審議のとびらを開けて下さい。私は、私の思いをふみにじられたことを忘れるわけにはいかないのです。苦しみ、悩みに悩んで今日この意見陣述をふるえながら言っているのです。おわります。