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基地の島から
平和のバラを |
反戦地主・島袋善祐が歩いた道 |
島袋善祐:述 宮里千里:録/補記 |
copyright(c)高文研 |
1997年5月15日 |
もくじ
◇印――宮里千里・執筆
- 沖縄戦と父の記憶
- 農地をつぶす飛行場づくりに協力はできない!
- 軍の作業から脱出してきた機知と度胸
- 防空壕掘りと疎開を拒否した父の一徹
- 米軍に捕まり、逃げ帰った父
- あわや「集団自決」…
- 米兵にむりやり血を抜かれた父
- やっと自宅に戻る
- ◇沖縄人それぞれの「終戦」
- ◇生と死の明暗
- アメリカーヘの抵抗共同体
- 手当たり次第に女性を襲った米兵たち
- 木に登って米兵を監視、母を守る
- 大人も子どもも「戦果」挙げに励んだ
- 「戦果」のバレーボールで表彰された話
- 生きるための「戦果」挙げ
- ◇沖縄のしたたかさ
- 農林高校で学んだこと
- ◇初期占領下の沖縄
- 「伊佐浜を見に行け」と教えた先生
- 米軍のために測量は教えていない!
- 母に叱られてやめたブラジル行き
- 研究発表で米国民主主義を批判して落選
- ◇島ぐるみ闘争があった
- 瀬長亀次郎の演説会
- ◇子どもの目に映った「瀬長商店」
- ハワイでの農業研修
- 米民政府の試験と思想調査
- ついにホンネを吐き出したラジオ・インタビユー
- ハワイで花を見てまわる
- 沖縄の宝は三線とユタと亀次郎!
- 帰国の日は、宮森小学校に米軍戦闘機が墜落した翌日
- ◇『今日の琉球』と『守礼の光』
- 基地の島で農業に生きる
- 軍用地の契約はできない
- 嫌がらせに屈しない善祐さんを見守っていた奥さん
- サトウキビ栽培の復興とその指導
- 台湾から持ち帰ったパパイヤの種
- 米国製でなく英国製のトラクターを買った理由
- トラクターで沖縄島中を耕してまわった十年間
- 役立ったハワイでの経験
- ◇『今日の琉球』と『守礼の光』
- 復帰闘争のころ
- 「B-52撤去」と書いて出荷したパパイヤ
- トラクターの鋤に書いた「毒ガス撤去」
- 溜飲を下げた「コザ暴動」
- ◇復帰闘争があった
- 復帰運動に参加した青年の日々
- 来沖した佐藤首相をデモで〃歓迎〃
- 「核抜き本土並み」復帰の欺瞞
- 私に「反戦」を教えてくれたのは防衛施設庁
- 空白の四日間
- ◇復帰と、政府の軍用地対策
- ◇〃法律のブルドーザー〃による土地取り上げ
- 休まず、息長く、ゆったりと闘う
- 防衛施設局員との奇妙なやりとり
- ついに基地内立ち入りを決意
- トラクターで、家族とアヒルとともに
- トラクターで芝生を掘り返し、ニンニクを植える
- お年寄りたちのしたたかな闘い
- 生き返った「法律」
- 公開審埋での陳述
- ◇沖縄で息を吹き返した米軍用地特措法
- 七十数回もやってきた防衛施設局員
- ふんどしの幅に切られた私の土地
- 米軍基地は沖縄に何をもたらしたか
- 土地を取り上げて飲む酒は、苦汁に変わる
- 巨大横断幕で皇太子を迎える
- ◇開発ブームと海邦国体
- 一文字三X二メートルの横断幕
- 守り抜いた横断幕
- 若い警察官に物の道理を教える
- 戦争のために二度と土地は使わせない!
- 反戦地主を見る周囲の目が変わった!
- 何かが動き出しそうな予感がする
- ◇防衛庁の高笑い
- 沖縄から平和のバラを送りたい
- ◇沖縄史に刻まれた10・21県民大会
- ◇大田知事、公告・縦覧代行「応諾」の頃
- 卒業式に子どもたちへ贈るバラ
- バラを積んだ飛行機は軽やかに飛ぶ
あとがき
装丁・商業テザイッセッター松田札一
口絵写真撮影・國吉和夫
歴史写真提供・琉球新報社
高文研
東京都千代田区猿楽町2-1-8 三恵ビル
電話:03-3295-3415
振替:00160-6-18956
本体価格:1,600円 ISBN4-87498-190-9
[反戦地主の本・ビデオ][沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック]