「海上基地建設問題名護市住民投票(損害賠償請求)訴訟」
市民原告団・提訴声明文
一九九八年一月二十日桜咲くこの期に、沖縄山原名護で「平和」を求める提訴を行わなければならないことは悲しむべきことである。しかしこの悲しみの根は深い。その深さを二十世紀世紀末の世界中の人々と共有するために私たちは日本国の司法の判断をもとめて、まず右手をあげた。
「米軍ヘリ基地建設」についての名護市民の意思は、一六,六三九(五三、八三%)の「反対」ただ一つである。ヘリ基地建設に対する地元名護市民の民意のあり方を求めて昨年十二月二十一日「名護市民投票」が行われた。私たちは、「条例」に基づく市民投票を通して自らの思想・心情を「ヘリ基地建設拒否」として明確に表したのである。ところがその三日後の十二月二十四日、比嘉鉄也前名護市長は、自ら公布した条例・第3条の「市民投票における友好投票の賛否いずれか過半数を尊重するものとする」を無視して「基地受入れ声明」を発表した。「市長に命令できるのは市民と議会だけである」と言い続けた比嘉鉄也前名護市長は市民の過半数以上の命令にそむくことは許されない。
「辞任」はその許されざる行為に対する私的な判断によるものにすぎない。「基地受入れ声明」そのものは、地元の長の公約声明として厳然と残り「地元の意思」の公的判断基準として残ったのである。そこを問題としたい。住民投票は、生存権をおびやかすような個別具体的課題に対して憲法で保障された民主的な手段である。従って住民の意思が明確に示された場合、当然その市民の判断を首長としての唯一の土台とすべきものである。その意味でもたった三日後の逆転声明を「辞任」とひきかえに不問にすることはできない。平和的生存権、思想信条の自由をふみにじった比嘉鉄也前市長の声明に対して、私たちは再びはっきりとヘリ基地移設に関する名護市民の民意はただ一つであることを訴えたい。「ヘリ基地建設反対」と。
この訴訟のねらいは二つある。
一つは、市民投票の結果をねじまげた前市長の声明はいかなる点においても「地元の意思」(民意)ではなく、公的な判断基準にはなりえないことをはっきりさせること。二つ目は、「住民投票」による民意形成という手段が今回の比嘉鉄也前名護市長の逆転声明によって無力化させられてしまう、という民主主義の危機を日本国民全体に訴えること。
特に、激動の日本において、二番目のねらいの持つ意味は大きい。米軍基地問題という国策にかかわる日本で初めての住民投票のもつ意味は、「日本の安全」を国民的議論としていく国民投票の対象でもありうるし、今後その方向を模索する必要があるということ。さらに今回の住民投票の結果に対する市長のねじまげを不問にしてしまうことによって、住民投票が無力化させられてしまうという今後の日本の民主主義のゆくえのこと。
この二面性を自覚しつつ私たちは、日本の未来に関する自己決定権としての「住民投票」の歴史にむかって証言し続けたい。
今回の訴訟が個別名護市の前市長による住民投票結果の無視を許さぬ訴訟でありつつ、<国策と地方の自治>そして国民にとっての<豊かさ>とは何かを共に考えられる運動となることを願っている。その<連帯>を求めてもう一つの左の手をゆらりとあげたい。
一九九八年一月二十日
市民投票の結果をふみにじり「基地受入れ声明」を出した
比嘉鉄也前市長を告訴する市民原告団