またもや許せない事件が起きた。北谷町で発生したレイブ事件がそれである。しかしそれは、決して予測しえなかった事件ではなかった。むしろ、多くの人びとが、いつ起こるかと、戦々恐々としながら、発生を恐れていた事件である。あるいは、事柄の性格上、発生しているのに表面化しなかった事件であるといっていいのかも知れない。
そしてそれは、沖縄島20%を米軍基地が占め、数万の軍隊が常駐し、その軍隊が日米地位協定によって特権的地位を保障され、振興策のばらまきによってそうした状態を維持・強化しようとする政策がとられ、それを受け入れる行政が存在する限り、いつ起こっても不思議ではない車件の一つである。
おまけに米側は、容疑者の「人権」を口実として、容疑者の身柄引き渡しに難色を示している。そこには、自らの文化・価値観・制度を至上のものとし、他国、とりわけアジア諸国等の文化を軽視する思い上がった傲慢さが示されている。それが、NATO地位協定と、日米地位協定や韓米地位協定の差となって表れている。いわゆる「ならず者国家」を見るアメリカ側の眼にも、それが露骨に示されている。もとより日本の容疑者取り調べのシステムに多くの問題があることは、早くから指摘されているところである。改善されるべき点は、改善れなければならない。しかし、いま問題になっているのは、軍隊の構成員のみが、一般人と違った特権を保障され、それが氾罪の温床の一つになっているという問題である。軍隊に特権的地位を要求する背景には、「国益」を主張して、大国の利益を軍事力で守ろうとする政策がある。
わたしたち沖縄平和市民連絡会は、昨年4月17日、いわゆる沖縄サミットを前に、、「沖縄から平和を呼びかける4・17集会」を開き、世界の平和を愛する民衆に向けて『沖縄民衆平和宣言』を発し、「私たちの願う“平和”とは、地球上の人々が、自然環境を大切にし、限られた資源や富をできるだけ平等に分かち合い、決して暴力(軍事力)を用いることなく、異なった文化・価値観・制度を尊重しあって、共生することです」と宣言した。そして昨年6月に実現した朝鮮半島における南北首脳会談は、わたしたちの宣言が、決して観念的な理想論ではなく、国際政治の現実的な流れになり始めたことを立証した。しかしアメリカ、とりわけブッシュ政権は、ミサイル防衛から、京都議定書離脱・原発推進にいたるまで、軍需産業やエネルギー産業を中心に組み立てられた「国益」追求を再優先させることによって、平和的共生の流れを逆転させようとし、小泉政権はそれに追随している。この忌まわしい事件が、日米首脳会議直前に発生したことは、象徴的ですらある。
同時にわたしたちは、こうした忌まわしい事件を発生させる土壌が沖縄にもあったことを認めなければならない。基地と抱き合わせの振興策を受け入れる「物乞い政治」と、「沖縄だけ頑張ってもどうにもならない」というあきらめの感情が、それである。だが、沖縄の状況を多少なりとも変え、民衆の人権を守ってきたのが、平和を求める民衆の闘い以外にはなかったという歴史的事実をもう一度再確認しなければならない。わたしたちは、、わたしたち自身の闘いの歴史とその成果に自信と誇りを持とうではないか。そしてどのような巨大な闘いも、一人一人の自覚と、ささやかな行動から始まったことを思い起こそう。 私たち沖縄平和市民連絡会は、明日6時、嘉手納基地第1ゲート前で、緊急の抗議集会を行なう。この集会への県民各位の参加を呼びかけると同時に、それぞれが、あらゆるところで、自らが納得の行く方法で、抗議行動を展開することを期待する。
2001年7月5日
沖縄から基地をなくし世界の平和を求める市民連絡会