[寄稿]

イラクと劣化ウラン被害の子供たち

ジャミーラ・高橋(アラブ文化協会代表)

 世紀最大のショウ「9・11のニューヨークTB爆破」は、世界中の人々の心理を放心状態にしてしまった。そしてあれよあれよという間に、アメリカのアフガン爆撃が始まった。
 私はあのビル爆破の時間帯は、ガザからエルサレムに移動中だった。タクシーのドライバーが流していた音楽が、急にけたたましく「ウサマ・ビン・ラーディン、ウサマ・ビン・ラーディン」と名前を特定する放送にかわったのは、現地時間で丁度4時だった。何事か!と思ったが、ヘブライ語なので詳細は解せなかった。私がビル爆破を知ったのは、それから数時間後で、岩のドームで礼拝を済ませてホテルに帰った時、みんながBBC放送に噛りついていて、事の次第がわかった。しかし爆破はイスラエルの現地時間では3時のはずだ。4時の犯人特定は、<余りにも早いのではないか>とずっと心に引っかかっている。
 私が訪ねた時期は、西岸パレスチナ自治区はイスラエルによって幾重にも規制が敷かれ、分断され、軍は戦車を繰り出していた。そして、「この時を、待っていた!」とばかりに、ビル爆破テロ=パレスチナ人テロの構図を作り、翌日はジェニンを、翌々日はジェリコの市街を攻撃して、多くの死者と負傷者を出した。因みに国境を塞がれた私は、2日間牢獄にいる思いで、つぶさに見聞していた。

 湾岸戦争が過去になったように霞み、次の戦争を用意する米政府やユダヤの解けないカラクリに答えが出ないまま、イラクから「経済制裁を解いてくれ!10月会議をするから来てくれ!」の呼びかけのEメールにも返事さえ出す気になれず、ただじっとしていられずに、私は緊急を要する「凍死のアフガニスタン人を救え!」を必死に呼びかけた。それに答えてくれた人は、御蔭さまで全国的な広がりとなり、衣類を満載したコンテナーは40フィート(12m)を45台も出すことができた。
 この衣類をアフガン難民キャンプに届けなければならなく、また1月17日は、昨年も一昨年もラムゼー・クラーク(元米司法長官)率いるアメリカの国際的グループとイラク訪問をしていたので、今回ニューヨークからの呼びかけは無かったけれど、私は一人でも行かなければならない事を考えていた。
 そこで、1月14日にベイルート経由でダマスカス、翌日はシリア航空機でバグダードに飛んだ。

 私の今回のイラク訪問の、本当の目的は、劣化ウランでダメージを受けている特に子供の白血病やガンの患者を、試験的に日本に呼んで治療を受けさせたいので、その調査と準備のためだった。
 ヨードを被爆防護のために飲ませるという話は聞かれたことがあると思うが、それは無機のもので、実害があるため多量に飲むことは出来ない。それを有機化すると多量に摂取可能で、しかも体内のウランをヨードにくっ付けて排出してくれる。これの原料は沃素で、日本近海から取れるものが特に優れているのだという。この有機ヨードで治療するため、劣化ウラン被害のイラクの患者を日本に呼びたいという計画なのである。


子供たちの白血病が、ガンと合体して新症状で広がっている

今回はバグダード2つとバスラ2つの、下記の病院を訪問した。

<写真:著者(右側)と白血病担当の名医:バクダードの国立サダーム小児病院にて>

サダーム小児病院
 白血病に罹った子供たちは、全国からバグダードのここに集められて治療を受けている。この病院を私は過去何度となく訪ねているので勝手が分かっていた。発病初期でも抗がん剤を充分投与出来なくて、治る子供もみすみす取り返しのつかない重症患者にしてしまったという話をしばしば聞いてきた。白血病患者の特徴は、青白くても一見元気そう、だが治療を怠ると容態が急変して死に至る。勿論青白くて特別欠陥のなさそうな子供も多いのだが、この度は違う姿の子供が多く目についた。へばりつくように赤アザが皮膚を被っている赤ちゃん。腹にしこりが出来て、膀胱をふさぐのか管をつけた幼児。追って来て写真を撮ってとせがんだ少女は胸いっぱいに板のようにガンが出来ていた。ベッドが足らないのだといって2人の幼児が同じベッドに寝かされていた。羅病の子供数が益々増えていることと、血液がガン化するだけでは済まなく、いろいろな個所の細胞がガンとなってしつこく体を蝕んでいるのだ。
<写真:ベッド不足のために二人で使用している:バクダードの国立サダーム小児病院にて>

 救急病棟もまたすごく、医師と看護婦数人が必死で、酸素吸入をしたり点滴をしたりと応急処置をしていた。案内してくれた平和友好連帯のMr.カーリムが話し掛けた相手は彼の隣家の人だった。「あの息子がガンなんだよ。今朝家から出て行ったんだ」と彼はぼそりと説明してくれた。

マンスール医療センター病院
 国立の難病医療の研究センターである。ここの白血病子供病棟には、失明してしかも左眼からは目の構造そのものがべろっと外に流れ出してしまっている少年。内臓がパンパンに膨らんで紫色に透けて血液が見えている幼児。睾丸の脇に血液がいっぱい貯まってしこりになってしまった少年。これらの病気も白血病だというが、体内を駆け巡る血流が思わぬところの細胞をガン化し、それが成長期であるがゆえにとてつもない大きさに成長してしまったのだ。これもウラン独特の悪さだというのだ。
 今回はポラロイドカメラを持参した。記念に撮ってあげると、具合が悪くても大抵の子供は一時とても嬉しそうな表情をするし、親も望む。ところが、どうしても厭だと言って撮らせない子がいた。親も手におえないほど、容態が悪いのだ。

バスラ産科小児科病院
 昨年アメリカのグループと一緒に訪ね、無残な新生児の写真の展示にいたたまれなかったが、今回院長はさらに克明な自分用の写真ブックを広げて見せてくれた。新タイプの奇形児は、頭がついていないで生まれている。
<写真:医師が撮影した多くの欠損出生児の写真:バスラのバスラ産科小児科病院にて>

 白血病にも6〜7タイプあって、最近はガンに移行するケースが多いのだという。ウランのダメージは、年を追うごと、日を追うごとにひどくなる。しかし経済制裁下ではこれに対処する医術を研究する余裕がないと、一番の悩みを訴えていた。
 医師の現場でしか撮れない新生児奇形を並べた写真帖をお借りして、デジカメに収めてきた。人の生命を宿しそうもない肉の塊。それでも生きて生まれて来たのだ。何と罪深いことか。

サッダーム教育病院
 ここは新しい症例に対処する医師を教育する病院である。対応してくれたジョワード・アルアリ医師は、カタール衛星テレビのアル・ジャジーラ制作「Uranium Storm(日本語タイトル:劣化ウラン弾の嵐)」に登場する医師で、初対面ながら以前から知り合いだったような錯覚で話し込んだ。彼はロンドンとグラスゴーで医学を研鑚したというだけあって、流暢な英語で明快な話し方をした。この病院勤務は20年のベテラン。
<写真:国立サダーム病院のジョワード・アルアリ医師(左)、同僚の医師(中)、バスラ空港支配人(右)>

 1980年勃発のイラン・イラク戦争中も砲弾が降ってきて、91年の湾岸戦争の時は最前線の激戦地に隣接のため、病院が劣化ウラン弾の爆撃を受けたのだという。ウラン微粒子が充満しているため、同僚のガン治療医師5人のうち、3人が既にガンで亡くなってしまったという。今まで症例の無い多種類のガンが多発するので、それに対応(それを研究)するならば医師が100人いても間に合わないのだと笑って話す。国連の経済制裁下では薬も無ければ治療方法の情報も入らず、苦しむ患者と向き合って、ただひたすら肥大するガン細胞と格闘して、えぐり取るのが彼の仕事。病室を案内して患者に声を掛けながら、「彼は、今朝3回目の手術をしたけれど、もう第4ステージ(これで最後)」と私の耳元でささやいた。アルアリ医師の「ヒロシマ・ナガサキに行ってみたい」という言葉がずっしり重かった。彼が倒れないうちに必ず日本に呼んであげようと思った。
 劣化ウランのダメージで死に直面しているおびただしい数のイラク人を、特に子供は痛々しくて気の毒だが、その人たちをすべて治癒することは到底出来ないが、せめて現場で格闘する医師にひとすじの可能性の光をなげかけてやる事ができたら、今はそれが重要なのだと思った。

 イラクからパキスタンへの道は、バスラに下ってから、船でドバイへ取った。ウンム・カスル港を午後5時に乗船して、2日後の夜8時半にラシード港に着岸した。途中バハレーンの港に立ち寄ったが、48時間以上、水平線が丸く見える船旅をした。


パレスチナ、アフガニスタンでも劣化ウラン弾が?

 9月にガザを訪ねた時、エジプトの国境に近い街道町ハーン・ユーニスの、1948年に北のハイファ近郊から非難してきた人たちのキャンプに行った。そこは2000年秋のインテファーダで真っ先に襲撃を受け、その後も連夜爆撃が続くので夕方になると住人は家を離れた。キャンプは丘の上の古い旅篭町の外側に作られ、イスラエルの大きな入植地はそこから見下ろす海岸の決勝地にあった。上にあることが許せなかったらしいと地元では言うが、イスラエルにはエジプトとの回廊を塞ごうという意図があったろうと考えられる。海岸の巡航船トマホークからミサイルを打ち込んで、30戸の建物を瓦礫の山にした。トマホークはイラク攻撃の時に使われていて、ミサイルの先には劣化ウランがついていた。キャンプといえども50年も人が住むと大家族になっていて、それなりに強固な住まいを建てていた。イスラエルは劣化ウラン弾は使わないというが、パレスチナ人たちはイスラエルが劣化ウラン弾を使ったという。劣化ウラン被害はご承知のようにすぐは出ないので、パレスチナ側はとにかく調査中だという。ガザ新市街で毎夜のように見たものは、鈍い音を立てて低空飛行で行くF16戦闘機だった。ハーン・ユーニスや少し先の国境の町ラファへの爆撃だったが、F16戦闘機には核搭載能力もあるのだ。

 ターリバンやアルカーイダ撲滅のアフガニスタン爆撃で、米軍はまた新型爆弾をテストしたようだが、その先っぽに劣化ウランが使われていないと誰が保証出来よう。戦車やシェルターをイラクで砕いたのだから、山岳深く潜る彼らを追ったものはさらに性能を高めた爆弾だったはずだ。素材として劣化ウランほどのスグレモノを使わないはずがない。
 今回、南東からアフガニスタンに入った町スピンボルダックで、どんな患者が運ばれてきたのかを診療に当たった医師たちに聞くと、「眼や耳や鼻から血を流した人が運ばれたり、皮膚がべろっと剥がれる患者がいて、運び込まれるとすぐ亡くなった。あれはサリンじゃないか?」という話だった。爆撃の後すぐ証拠が挙がらないというのもウラン弾の特徴だから、今は誰もが何も言えない。

 ペシャワールでは、ソ連侵攻時からアフガン難民の救援と救急診療をする「ヘドマート」という団体の代表者に、劣化ウラン被害の患者について聞いた。彼はちょうど放射線医学専門の医師だったけれども、「今は確たる証拠は何も出ていない」と言った。それよりも米軍が捕虜に対してどんな残忍な扱いをしているかを、帰ったら日本の人たちに伝えて欲しいと頼まれた。捕虜移送にコンテナーを使うので、何百人の人たちの半数はすぐ窒息死、目的地についたときは殆どが虫の息だったという。10人しか入れない牢に60人も入れるし、雪の中を裸で歩かせたり、米兵は捕虜の口の中におしっこをしたりとか。

 ターリバンはペシャワールやラホールのイスラーム神学校で勉強したアフガニスタン人学生達で、アルカーイダといわれる人たちは、アメリカの爆撃からアフガンを守ろうと居ても立ってもいられなくイスラーム教徒が馳せ参じたいわゆる義勇兵だ。家族を伴ったアルカーイダもいて、その妻や子が米軍の執拗な追及を受けて生きられないほど窮地に追い込まれているのだという。現地滞在のあるジャーナリストが大金の賄賂を払って捕虜の牢獄を見せてもらうと、鼻が欠けていたり耳が削ぎ取られたり、指先が切られたりと、「何んでー?」という光景だったという。ちなみにウサーマ・ビン・ラーディンはニューヨークビル爆破を絶対指揮していないということを現地の信頼できる筋から聞いた。
<写真:マンスールホテルよりチグリス川とバグダード市街を望む>

<募金のお願い>
イラクの劣化ウラン被害の患者と医師を日本に呼ぼう
郵便振替:00170−9−80780「劣化ウラン弾の嵐」制作委員会
[問い合わせ先]
電子メール:jamila@gray.plala.or.jp
TEL/FAX: 03-3332-1265


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