39 前回38の続報――敬老の行事その他 (2008年10月04日  掲載)  

 前回に続き、敬老の日前後にあったことのご報告です。そこで書きましたように、9月21日の自治会主催「敬老茶話会」に参加しました。この団地自治会の会員で70歳以上の人は100数十人いるのだそうですが、出席者は30人を少し超える程度でした。でも、ほとんどは女性で、男性は4人だけでした。缶ビール(ありがたいことにキリンではありませんでした)に、茶月の寿司の折詰や、果物などが出されました。
 それらをつまみながら、隣合わせの人たちと懇談をしていたのですが、私の向かい側の
席に座ってビールを飲んでいた男性(おそらく私よりは若いのでは、と思われましたが)が、目をつぶり、隣の女性にすっかりもたれかかtてしまい、女性はしきりと、手でその男性を押しのけようとしていました。酔っぱらうには早すぎると思って、よく見たところ、口から泡を吹いていました。大変だ!病気だと、そこへ駆けつけ、抱き起したのですが、実に運のいいことに、たまたま参加者の中にベテランの看護婦さんがおられ、「看護婦です、任せてください!」と飛んできました。座布団を重ねた上に足を上げさせ、息を確保して、と口の中にハンケチなどを押し込んでくわさせ、すぐ人工呼吸を始めました。誰か血圧計を持ってきて、とか救急車をすぐ呼んで、とか、実にてきぱきと指示を与えてくれました。一時は呼吸も脈も止まり、意識はもちろんなく、大変な事態だと思われたのですが、即刻の人工呼吸のおかげで、しばらくして呼吸も脈も復活し、呼びかけて名前を聞くと小さな声で応答するようにもなりました。そのうち、救急車も到着、救急隊員が 人工呼吸を続け、そのあと、担架に乗せて車に運びました。もしその場にあの看護婦さんがいなかったらどうなっただろうと、恐ろしい思いでした。
 しばらくして、たばこを吸いに会館の玄関へ出たのですが、驚いたことにまだ救急車は出発しておらず、そこに止まったままなのです。車に患者を運び入れてから、おそらく10分か15分は経っていたのではないでしょうか。救急隊員は必死で次々と電話をかけています。
この西東京市内にも大きな病院はいくつもあるのですが、受け入れ先の病院が簡単に決まらないのです。救急車による患者搬送先がなかなか見つからない、という報道は知っていましたが、目の前でそれを見せられて、慄然としました。これでは、救急車がすぐ来ても、助からない病人は出てしまうでしょう。やがてどうやら行き先が決まったらしく、出発してゆきました。無事に全快されたことを祈っています。
 そんな騒ぎで30分ほど、敬老茶話会の行事は中断しましたが、そのあとの、合唱演奏や、茶の湯の会の方たちによるお手前の振舞いなど、楽しい時間が戻りました。
 それから数日のち、遅くなりましたが自治会からのお祝い記念品ですと、世話人の方が、クオの1000円の商品券を届けてくれました。いろいろあるのですね。
 それにしても、居住者の中の自治会参加率が低いのは残念です。それに高齢者が多く、若夫婦などの所帯の参加は少ないのだそうです。やはりPRが足りないのだろうと思いますが……。

 昨日今日はどうやら気温も平年並みに戻ったようですが、その前の数日、めっきり寒くなり、夏掛けのタオルケットを洗濯して 天日にほし、仕舞いこみ、衣類も冬物を引っ張り出すなど、かなり苦労し、くたびれました。一昨日は、夜、久しぶりに指圧にかかる始末です。 
 
この春、皆さんからいただいた何鉢ものアジサイも、ずいぶん育って、鉢が小さくなりすぎました。近所の大型フラワーショップへ行って、大きな鉢や腐葉土、培養度、ピートモスなどを買い込み、昨日はせっせと植え替えの仕事でした。時期的には夏のほうがよかったのでしょうが。まだ、伸びすぎた大きなゴムの木の手入れなどの仕事が残っています。こんな仕事をしていると、1日があっという間に過ぎてしまいます。今週月曜は、市民の意見30の会・東京の機関誌『市民の意見』110号の発送作業で、封筒入れなどを手伝い、今日はこれから、小田実さん1周忌の記念講演会へ行き、鶴見俊輔さんと澤地久枝さんの話を聞く予定ですが、運動面ではろくな仕事ができずにいます。