news-button.gif (992 バイト) 17  「人道的介入」とは旧帝国主義の復権への最新ブランド  ジョン・ビルガー論文の翻訳(1999/09/13掲載)

 

「人道的介入」とは旧帝国主義の復権への最新ブランド

         ―― サッチャー流タカ派をめざすブレア英政権 ――

ジ ョ ン ・ ピ ル ガ ー    

 先週の『ニューズウィーク』誌に、トニー・ブレアは、NATOのユーゴ空爆に続くべきものとしての「新しい道徳的十字軍」のことを書いた。彼は言う、「われわれは、いまや社会的価値観と法の支配に基いた新しい国際主義を確立するチャンスを握っている」と。ジョージ・ロバートソンとなるともっと率直だ。「すでにルビコンは渡ってしまった」のであり、諸国家の主権擁護などという国連憲章の廃棄への道は開かれたのだ、と言っている。ロビン・クックもそれに調子を合わせ、「自国民に対する攻撃をくり返すような政府」への脅しをかけている。だが、こうした警告は、NATO加盟国であるトルコ政府には適用されなかった。トルコでは、まさに政府が自国民に対して攻撃を加え、3千のクルド人村落が民族的に浄化され、3万人の死者と300万人の難民が生じているのだ。インドネシア、イスラエル、コロンビア、その他西欧の「利益」が安全に守られている国ぐにの政府による残虐行為も、やはり除外されるだろう。

規格化された偽善を見分けられる者なら、この婉曲語句を翻訳することは簡単だ。昨今のような政治的方向喪失の時代には、この翻訳ということがきわめて大切だ。というのは、帝国主義という単語は、西欧諸国の現代の辞書には載っていないからなのだ。最良のスターリニストの伝承の中にさえ、この語はもはや存在していない。西欧諸国がやる行為は、すべてつねに、慈善にみちたものである。ブレアは、片方では毎月4千人ものイラクの幼児を殺害するという大量殺戮制裁措置を課すのに熱心になりながら、他方では、国際主義と道徳について、驚きあきれるようなたわごとを口にするのだが、その両者の関連付けがなされることは滅多にない。220億ドルもの米英製兵器バザーまで伴って、東ヨーロッパ、バルカン半島、そして豊富な石油を産出するコーカサス地域へのNATOの侵略的勢力拡張などは、主要な論議の対象にさえされていない。

これは理解できる事態である。ファシズムが人種的優越性の理念を詳細に解説して以来このかた、帝国主義的な「文明伝道」は悪評高いものとなっていた。だが、冷戦が終了すると、発展途上諸国の経済的・政治的危機は、負債と、解放運動の混迷によって加速され、それは過去を振り返って帝国主義を正当化する役割を果たしてきた。この「帝国主義」という言葉そのものは口にはされぬものの、旧帝国主義的な計画は、その道義性獲得への戻りの旅をすでに開始したのである。新しいブランド名はもはや市場テストを終えた。「人道的介入」――これが、好きなことを好きな場所でやってのける――ただし、十分な武力を持つ限りにおいてだが――その規準を満たす最新の言葉である。爆撃開始の6週間も前に、スロボダン・ミロシェビッチは、事実上コソボの放棄に同意していたのだから、すべて回避できたはずのものであるにもかかわらず、世界の軍事力の3分の2を背景とする爆撃機械によって、セルビアとコソボでは一万の無辜の民間人を殺傷し、おまけに「完全に予測できた」とされるセルビア人の残虐行為を明らかに挑発した。それをしも、「道義的勝利」と称するのだ。ジョージ・オーウェルとて、これ以上のことは言えはすまい。

西側大国による「人権」概念のハイジャックによって創出されたリベラル左派勢力の中のイデオロギー的気分と方向喪失は、とりわけ危険な状態にある。先日、ミハイル・ゴルバチョフは、この勝利の祝賀気分に水を注そうと試みて、ある演説の中で、NATOのユーゴスラビア攻撃は、新たな地球的規模の核軍拡競争にはずみを与えてしまった、と警告した。彼は、「小国は、不安を増大させ、自分独自の安全保障を求め始めており、その中には、独自の核兵器開発能力をもつ国家への敷居をまたごうとする国が31もある。彼らは、自国を守るためには、あるいは、ユーゴと似たような処遇を受けた時に報復できるようになるためには、どうしても絶対兵器を所有しなければならぬと考え始めている」とのべたのだ。

ブレア流の「国際主義」のもとでは、NATOが関わるか否かはとわず、いかなる国も「悪党国家」(ロウグ・ステイト)という宣告をくだされ、アメリカとイギリスから攻撃を加えられることがありうるからだ。NATOとアメリカの計画文書を見たらよい。それらはすべて公式に発表されている。「攻勢的核拡散対抗策」なるペンタゴン戦略があるが、これによると、もしもどこかの「悪党」国家が、アメリカの容認できぬタイプの兵器を開発し、製造することを阻止できない場合、アメリカはその国を核攻撃することもありうるという内容である。北朝鮮が見たところその恰好の候補であり、その決着をつける判断はワシントンにゆだねられている。ロシア人はこの危険性を十分に理解している。モスクワの国防省は、新しい戦術核兵器をロシアの西部国境近くに配備する計画をすでに発表している。ロシアの国家安全評議会は、長年保持してきた核兵器の「先制不使用」原則を、こっそりとではあるが、すでにはずしてしまった。アメリカでは、クリントンが、初期レーガン時代以来なかったような核兵器増強計画を議会に送っている。もしも真の「悪党」国家について語るとすれば、アメリカこそ、その一党の先頭にいると言わねばならない。

ブレアの言う新しい「法の支配」にいたっては言語道断である。世界の中で、核の発火点の一つはインド亜大陸である。そこではいずれも核兵器を所有しているインド、パキスタンの両国が、カシミールをめぐって全面戦争の瀬戸際にいる。ブレアが政権についてからの最初の1年間に、彼とその政府は、この両国に武器を輸出する認可を500件も与えたのだ。ブレア政権は、また、インドネシア軍部に武器を輸出する92件もの認可を与えている。今まさに、インドネシア軍部は、東チモールが独立を達成するのを妨げようと、そこの殺人民兵部隊に武器を供与し、訓練を授けているというのにだ。

新しい英労働党による国際主義の贋作は、砲艦外交と同じ頃から存在する旧い計画、「経済的グローバリゼーション」の一部である。しかし、国家主権の原理に対する集中砲火は、民主主義に敵対する全地球的戦争の新局面をつくるものだ。基本的には日和見主義者であるブレアと、取り巻きの助言者たちは、彼の冷戦スタイルの鷹派的姿勢が、サッチャー的要素を生み出して、プレアに長期政権支配を保証するものと信じ込んでいる。だが、サッチャーとプレアとには、重大な相違点がいくつもある。1982年のフォークランド戦争の真っ最中に、サッチャーは地方選挙で成功を収めた。だが、ブレアはそれとは際立って対照的に、ユーロ選挙では、退任を待つ保守党党首に惨敗を喫してしまったばかりだ。さらに重大なことは、労働党支持者の棄権者数が記録的に多かったことだ。各報道にあるように、彼らは無関心層ではない。彼らはついにプレアの正体に気づきはじめたのだ。そしてその認識の拡大は、ブレアが国民を導いてルビコンを渡らせようと熱心であるだけに、極めて厳しいものとなっている。

『ニュー・ステイツマン』紙 1999年6月28日号、アメリカのインターネット・サイト「Zネット」に掲載より)

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