16 東チモールにおける非人道的不介入 エドワード・ハーマン論文の翻訳(1999/09/13掲載)
東チモールにおける非人道的不介入
エドワード・ハーマン
NATOが人道主義と人権擁護を言い立てて、ユーゴスラビアを荒廃させた直後に、東チモールの危機的状況に対してNATO諸国が見せつけている行為は、コソボへのNATO介入の道義的根拠に疑問を呈してきた人びとの正しさを、見事に確証するものとなっている。コソボの場合、ユーゴスラビアは、かなりの規模の国際監視団の受け入れに同意しており――しかしランブイエでの最後通告で要求されていたような、NATOによる全ユーゴの占領ではなかったが――、さらにコソボの「広範囲にわたる自治」に同意していたにもかかわらず、NATOは強硬に爆撃を主張した。すでにユーゴには強力な国際的圧力が加えられており、それによって、この危機を軍事力を用いずに解決できるかもしれないと信じられるだけの十分な理由もあったにもかかわらずである。
ところが、現在インドネシアが東チモールに加えている新たな暴力については、それとはまったく対照的な事態である。インドネシアは、国連の有効な裁定を二四年間も踏みにじって同地域を占領しつづけ、東チモールで殺害された人びとの数は、カンボジアでポルポトがやったよりもはるかに大きな人口比となっているにもかかわらず、あれほど安易にユーゴ爆撃を行なったNATO諸国は、いまだにインドネシアに対するクレジットの停止をIMF(国際通貨基金)に要求することすらしていない。ブレア政権は、9月7日、経済制裁は協議事項に入っていないとさえ言明したのだ。そうした措置は「有効性を欠いている」からだと言い張るのである。ユーゴスラビアに関しては、あれほどすさまじかったブレアの人権侵害への道義的憤激も、この場合には影も形もない。まして武力行使の問題など、ブレアやクリントンの頭には、浮かびさえしていない。ブレア政権は(クリントンも同様だが)、われらが旧くからの友人(訳注・スハルトのこと)の「おだやかな民主主義」を信頼しつづけている。だが、それこそ、これまでつねにそうだったように、自分たちの同盟国や配下の国ぐにのやる残忍な行為に対しては、何の行動もとらないという姿勢を覆い隠す口実だった。
1998年5月にスハルトが失脚して以後、東チモールの住民と、それを支持する人びとは、弱体化したインドネシア政府に迫って、独立の是非を問う住民投票を国連の主導のもとで行なうことに同意させた。しかし、インドネシアの支配体制は、すぐに路線を変更し、東チモールでテロ支配を行なう民兵集団を組織して武器と保護とを与え、それによって住民投票の実施を、無理やりこの8月30日まで延期させたのだった。住民投票の準備にかんして、国連が最初にインドネシアと合意したことによると、投票の管轄については全権がインドネシアに与えられていた。だが、もちろん、この任務をインドネシアが責任を持って果たすという基盤は、歴史的記録から見てもまったくなく、それは、コソボの独立を問う投票の準備をミロシェビッチに与えることに、何の根拠もないのと同様でだった。
だが、投票日に先立つ10ヵ月の期間中に、民兵の暴力が嵩じ、インドネシアがその責任を果たしていないことが明々白々となったにもかかわらず、大国は、規定を変更しようとしたり、あるいはインドネシアにベナルティを課したり圧力をかけようとするような動きをまったくとらなかった。現在、住民投票の後の結果として、インドネシアの国軍と警察が直接的に殺戮に加わっていることが明白となっているのに、西欧諸国はいまだに強力な行動を何らとろうとしていない。国連のコフィ・アナン事務局長は、引き続き、インドネシアに対してその義務を遂行するよう求めているが、インドネシアはこれまでもその義務を果たさなかったし、今も果たそうとしていないことは実に公然たる事実となっている。アナン事務総長の弱腰は、大国が意図的に行動を遅くしているという事実の反映である。これと正反対に、コソボでは、諸大国はなんと攻撃的であったことか。そしてまた、目的達成のための(不法な)手段と行動への理由付けをなんと容易に探し出し、なんと安易に暴力を行使したことか!
東チモールに対する西欧諸国の不介入の理由は、過去30年間にわたり、アメリカとイギリスが(その他の国もそうだが)スハルト独裁体制を支援し、それに援助を与え、武器を売り、その軍隊や警察の訓練を続け、そして、初期の段階に、東チモールに対するインドネシアの侵略と占拠を承認し、援助さえ与えてきたことと、まったく同じ要素に根ざしていることは明瞭である。強力な反共の政治的同盟者であったスハルト支配下のインドネシアは、同時に、石油、鉱山、木材などの大資本、およびその他の多国籍企業に好まれた「投資天国」ともなった。スハルト体制は、東チモール沖合にある海底油床を、石油大資本が利用できるように進んで提供もした。こうした利益を見れば、1965〜66年の軍事占領の期間中、西欧諸国が、民主主義に反する支配と大量殺戮、さらに1975年このかたの、東チモールでの集団虐殺的な侵略=占拠に、すすんで目をつぶってきたのはなぜなのかの説明がつく。さらに、こうした利益を見れば、人道主義的な原理を尊重するよう、武力の行使などせずともインドネシアに圧力を加えるだけの力を西欧諸国がもちながら、なぜその力を使ってこなかったのか、の理解もできるというものだ。
大メディアも、東チモールで進行する危機的状況は報じながらも、こうした初期の集団虐殺の事実を論ずることをしてこなかった。そしてルアンダ型の虐殺事態かもしれぬという、東チモールでのインドネシアによる第二の大量殺戮の開始に、ほんの少し気づき始めたものの、しかし依然として、その事態の根本原因が、「われわれと似たような人物」(クリントン政権の主要幹部が1955年にスハルトのことをそう描写した)への支持にあることまで突き詰めることをしておらず、非道な行為に西欧諸国が無反応であることへの怒りも見せず、コソボの事態と比較し、西欧諸国による「人道主義的介入」の新時代などという主張に潜む驚くべき偽善について大きく補導することも怠ったままでいる。(1999年9月8日、アメリカのインターネット・サイト「Zネット」に掲載の論文)