globul1d.gif (92 バイト) 15 『論座』3月号の小論と関連ある議論について(6)――道場親信・重要なのは「世代」の違いではないということが確認されたシンポジウム (2004年5月31日掲載) 

 4月11日の公開討論会についての道場親信さんの文章が、『市民の意見30の会・東京ニュース』No.84(04年6月1日発行)に掲載されました。道場さんの承諾を得て、ここに前文を転載します。なお、同じ号には、斎藤まやさんの文も掲載されていますが、斎藤さんからの承諾が得られましたら、それも掲載したいと思っています。

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重要なのは「世代」の違いではないということが確認されたシンポジウム

                                 道 場 親 信
  ◆はじめに
 

 411日に行われたシンポジウム「デモかパレードかピースウォークか──世代間対話の試み――」は、吉川勇一さんの問題提起「デモとパレードとピースウォーク イラク反戦運動と今後の問題点」(『論座』043月号)を受けて、イラク反戦運動の今後、運動経験の継承と対話、運動スタイルをめぐる考え方などを論議するべく企画されたものである。当初斎藤まやさんたち「はてみ」の方々が発案し、のちに「平和公共哲学研究会」が「主催」となって開催されることになり、「はてみ」は「協力」の位置に下がって実施されることになった。主催団体が「平和公共哲学研究会」になった経緯は詳らかではないが、最初の段階で友人を通じて非公式に「司会」をするよう打診を受けていた私は、シンポジウム直後に原稿の締め切りを抱えていて責任がもてないため、お断りをしていた。とはいえ、企画それ自体についてはとても関心があったので、何とか時間を作り出して参加してみた。 

経験継承の意味 

 反戦平和運動の経験の継承、世代間対話、というテーマは、昨年『現代思想』誌上で吉川さんにインタビューを行なったり、戦後の平和主義・反戦平和運動のたどり直しの作業をしていた私にとっても、重要なテーマであった。私は吉川さんへのインタビューの中で、次のような会話をしている。

道場 運動というものは、当然のことながら動いてみないとわからないことが多くて、それぞれが自分はこうだということを出し合っていくことが大事だと思うんです。[]体験の継承ということは、当然のことながら運動のノウハウ、ということもあるのですが、それとともに、体験をそれぞれがどう受けとめたか、どんなことを考えたか、それを他者にどう伝えるかという「思想」あるいは「ことば」の継承・対話ということも大切なことではないかと思います。
吉川
 何かきっかけがあれば、それ以前の経験を自分のものにすることができる。歴史というのは後になればなるほど、勉強しなければならない事実が増えていくだけなんてことではなくて、後になるほど新しい見方ができ、新しい世界観を作るのに役立ってるんだということを再確認できました。それなしには人類に希望がないということになってしまいますよね。 (「ベトナムからイラクへ」『現代思想』036月号、465556頁)

 イラク反戦運動の中で新たに「反戦」「非戦」の行動に参加した人々の経験と、それまでの運動経験や議論の蓄積とがどのような形で出会い、対話を行うことができるのか、ということを考え続けていた私自身、そのような場所を作ることの必要を痛感していたからである。もちろん、「場所」というものは、誰かが外挿的に「ここで話せ」といっても生まれるものではない。具体的な行動や問題意識を共有する人々が、具体的な悩みや課題を分かちもつことで初めて「通じ合う」何かを得ることになるだろう。

 シンポジウムの意義と成果 

 今回のシンポジウムは、ワールド・ピース・ナウの「パレード」における警察との関係のつくり方やCHANCE! pono2のメンバーの警備公安警察との「会食」といった、昨年反戦平和運動周辺を揺さぶり悩ませた問題を背景にもちながら、憶測や誤解に基づく相互不信を超え、かつそれぞれの経験から建設的に学ぶものを見出し共有していくことで、さまざまな動きの間に新たな連携の可能性を探る、という課題を負っていたものと私は考える。
 もちろん、過大な意義づけをあらかじめなすことは、パネラーの発言を「公式見解」めいたものにしてしまい、せっかく顔を付き合わせた「対話」を行なう意味を減じてしまうだろう。それゆえ司会の岡本厚さん
(『世界』編集長)は、「今日のパネリストはいかなるものも代表していない」と宣言することからこのシンポジウムをスタートさせるという賢明な対応をとった。パネラーは「個人」として、自らの信ずるところを語り、いかなるものも代表しなかった。ただ、「主催」団体の「発起人」である小林正弥さんは、「個人」というより、あるプログラムを共有する集団を「代表」して話している感が強かった(これは私の印象である)
 ともあれ、このシンポジウムの「成果」として最も評価できることは、運動に関わる「世代」の違いが本質的な問題ではない、というある意味当然な議論の出発点が確認できた事である。小林正弥さんはシンポジウムの「趣旨」で「平和運動のあり方をめぐって、世代間によって発想の相違が存在し、相対的に年長の世代から若年世代への批判がなされている」という現実認識を示し、「このような問題について公共的な議論がなされることが必要」としているが、この「発想の相違」についてはかなりの時間を割いてパネラーそれぞれの見解や経験が示され、初歩的な誤解はかなりの程度氷解したということができる。吉川さんは、「世代」の相違に問題を還元できないといい、天野恵一さんは、あちこちに引用された『インパクション』での座談会発言「ものすごい、つながりようもない断絶」という表現について、「世代論をリジッドに立ててしまったのは間違いだった」と述べ、小林一朗さんは「過去の運動については自分はずいぶん狭く括ってしまっていたところがあった」と述べている
(注)
 そのなかでも最も重要なことは、何か一枚岩的な「古い運動」があるわけでもなく、また、「ピースウォーク」から「サウンドデモ」までさまざまな「新しい運動」が存在するということであり、先入見でレッテルを貼ることよりも、問題意識やスタイルの模索について真摯な意見交換をすることが必要であるし可能である、ということだ。会場でも、「新しい運動」に加担すると意思表明していたのはいずれも「古い」世代に属する、と自己申告していた人々ばかりだった。ここでも、少なくとも主観的には「世代」は乗り越えられている。だが、私がそれらの人々に期待したいのは、単なる「加担」「支持」の表明ではなく、自分たちがいままでどういう運動をやってきて、どのような反省や現状に対する分析に基づいて、いまどういう動きを作り出そうとしているか、ということを率直に語ることである。つまり自己の運動史を語ってほしい。それ抜きに自分はどこに加担するかということを言い合っても不毛であり、学ぶことは何もない。
 つまるところ、「古い運動」というイメージをいくら振り回しても、それは建設的な議論にはつながらない。問題意識、動機、経験の意味づけ、こうしたものと向かい合うことによってはじめて、互いの中に普遍的な何かを発見していく糸口が見つかるのではないか。今回のような“討論集会”の場合、自分の固定的なイメージに固執することは、対話者への“リスペクト”に欠ける態度であるといわなければならないし、「対話」の原則としては、それぞれが行なっている議論の文脈を正確に踏まえる努力
(「内在すること」)が不可欠である。批判のことばもそのプロセスを経てはじめて相手に届くだろう。「古い運動」のイメージのみに依拠して架空の運動勢力を描いておき、それと切り離したところに「ふつうの人々」なるイメージを置く、という空想上の二元的図式を描くことが、あたかも「新しい」運動をつくる上で必須の想像力であるかのように発言している人々もいたが、こうした図式は運動の中に不要な誤解をもちこみ、それに基づく選別や排除をもたらすものではあっても、「対話」を可能にするものではない。「自分と同じことばをしゃべれ」という傲慢さを抜け、さまざまな自発的媒介者の登場を待ちうるような、人々のコミュニケーション能力に信頼を置いた開かれた場が必要だ。

 よりいっそうの「対話」のために  ──経験の分かち合いへ── 

 もちろんそれは容易なことではない。「古い運動は〜」という言い方はパネラーの一部からも会場からも幾度か持ち出され、その中身がかなりあいまいなイメージに依拠していることはその都度明らかになったが、しかし、この誤解はかなり根深いものであることが感得された。この誤解それ自体が「対話」の不在を証拠立てるものでもある。今後の「対話」の継続にとって、この誤解を訂正し、運動経験を豊かな形で継承し発展させていくことは大きな課題であろう。
 私自身戦後の運動史を調べていて痛感したことだが、「戦後」それ自体が大きく誤解されているという現実は抜きがたくあるし
(小熊英二さんも同様のことを述べている)、近年の国家主義強化、人権の空洞化、軍事化という形で進んでいる「戦後」に対するバックラッシュ(もちろんこれは単なる「復古」でなく、グローバル化と世界の政治的軍事的ヘゲモニーの変動に対応した「新しい」事態であることは強調しておかなければならない)は、この「戦後」の諸経験の切り縮め、生きられた「戦後」の矮小な再解釈によって進められていることも無視することができない。それゆえ必要なことは、この「戦後」像、「戦後」経験の矮小化と対応したバックラッシュを支える意識そのものに対して、冷静な視点と可能な対話の方法を考えていくことである。それはこの意識に対して迎合することではない。現に生きられた経験の中から、現実の閉塞を破る「歴史」を作り出し、それを経験者とともに分かち合っていく作業が不可欠なのである。
 というのも、実際にからだを動かして運動をする、ということは、イデオロギー的な図式主義からつねにはみ出してしまう契機に遭遇する、ということでもあるからだ。そうした逸脱や懐疑によって、運動の硬直を克服する経験が重ねられてきた。そうした何層にもわたる諸世代の蓄積によって、運動は進められてきたし、これからも進められていくだろう。「反戦平和」という課題を担う運動は多岐にわたる。課題も“現場”もそれぞれに切実に存在する。それを一挙的に「結集」することは不可能だし、運動経験に対するリスペクトにも欠けている。
 個々の戦争への反対、反基地運動、派兵反対運動、性暴力の告発、戦争責任追及、国際法の整備、構造的暴力の解明、軍事的諸制度の解体、軍需産業の解体、市民的不服従……それぞれに豊かな運動領域は、決して「平和憲法を守れ!」とお題目を唱えることで自動的に深められてきたのではない。それぞれに分有されているこの経験を「古い運動」として投げ捨てるのだとしたら、私たちは大切な沃野を失うことになるだろう。運動の広がりは、つねに問題意識をもった人々が“現場”を作り出し、その“現場”間の対話と交流に拠って根を張ってきた。そのことは、いま「新しい」と思われている運動の将来にとっても同じことだろう。それだからこそ、いま「対話」と経験の分かち合いが必要なのである。これは誰か「代表」が一度や二度シンポジウムで顔合わせすれば成り立つものではない。急速に「風化」しつつあるかのように見える「戦後」の経験を抱き止めるのはいまが最後のチャンスである。出来合いの「戦後」の物語を反復するのではない。「戦後」を本当に自分たち自身のものとして領有するために、「戦後」ともう一度出会わなければいけない。そういう場を、できればこれから作っていきたい。あまり焦らずに、よもやま意見交換できる場、顔の見える関係を作っていく場、それがいまいちばん必要だ。

(注)
問題になった朝日新聞の記事(416日夕刊、藤生京子記者)は、小林一朗さんによればシンポ前半しか聞かずにまとめられたものということだが(http://www.h5.dion.ne.jp/~ichiro.k/text/iraqwar004.html)、記事の大半は小林正弥さんの「趣旨」説明をなぞっただけで、何が問題となり討議されたかについてもほとんど理解できていない浅薄なものであった。「権力観の違い」についても、狭山事件を引き合いに出して権力犯罪に言及していた小林一朗さんと天野さん・吉川さんの間よりも、権力との関係で「敵/味方」という図式の立て方が問題である、とした小林正弥さんと他のパネラーとの間のすれ違いの方が大きかったように思う。
(みちば・ちかのぶ 大学非常勤講師 専門は日本社会科学史/社会運動論 ちなみに一九六七年生まれ)

『市民の意見30の会・東京ニュース』No.84(04年6月1日発行)より

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