57 友人、知人の訃報 (01/12/04掲載)
12月に入って賀状の準備を考え始めるころになると、喪中につき賀状を失礼させていただく、というご挨拶のはがきが届きだします。今年は、ずいぶん多いように思えますし、とくに、ご家族ではなく、私の知人、友人その人の訃報で、喪中のあいさつ状を頂くまでは亡くなったことを知らなかった方がかなりいるので、驚いています。このホームページを見てくださる方が、すべての方をご存知のはずはないのですが、以下にそのごく一部を記して、なくなった方のご冥福をお祈りいたします。
大月 秀一 さん、旧制川越中学校での同級生でした。8月17日に71歳でなくなられた、と夫人の大月美代子さんからご挨拶。
大野 力 さん、思想の科学のメンバーで、労務問題、アジア問題などを研究し、ベ平連運動にも参加されていました。大野明男さん(私の旧制高校、大学での同級生)のお兄さんです。9月に72歳でなくなられたと、明男さんからはがきをいただきました。
島田 郭志 さん、1971年以来、三里塚闘争の現地闘争小屋に常駐して行動、9・16東峰事件では起訴され、長く公判闘争も闘いました。今年8月、2年間闘病中だった胃がんのため、51歳でなくなられたと、ご母堂の島田ノブさんからご挨拶をいただきました。
野中 孝一 さん、6月になくなられたと、夫人の安子さんからはがきをいただきました。外国化粧品会社の日本支社長などを務められた方ですが、私にとっては、平和運動の仲間、そして英語の大先生でした。1955年、第1回原水爆禁止世界大会が広島で開催された際、日本の大衆運動にとって初めての国際会議とあって、外国からの参加者の応対、会議の通訳、翻訳など、なんの用意も蓄積もなかったのですが、急遽都内の大学からアルバイトとして募集した男女学生諸君を相手に、短期間の通訳養成集中講座を開催、見事に大会の国際面を支えられた方でした。テレビのスポーツ・ニュースのキャスターなどで、流暢な英語を駆使している野中とも代さんは、孝一さんのお嬢さんです。
平井 えり子 さん 9月25日に、45歳の若さで亡くなられたそうです。驚きでした。そばによると跳ね飛ばされるのではないか、と思えるほど、元気印そのものの方だったのですから……。三里塚闘争の中で、なんどデモや集会などの行動をともにしたことか。また、三宅島アクションボートでもご一緒でした。12月15日(土)午後6〜9時、渋谷勤労福祉会館で「平井えり子さんを偲ぶ会」が催されるとのことです。(会費 3,000円。問合せ先 原田隆二さん TEL/FAX 03-3409-3344)