news-button.gif (992 バイト) 35 「日の丸・君が代」ホットラインの文部省での記者会見、「日の丸」を別室に移動させて開催、文部省は会見中に再度運び込む、 こちらは、黒幕で覆って記者会見続行   (1999.11.6掲載)    .NEW転回.GIF (8593 バイト)

 11月5日(金)午後3時から、「君が代・日の丸」強制反対ホットライン(以下、「ホットライン」と略称)開設を発表する記者会見が、文部省内記者クラブで行なわれました。(この「ホットライン」については、本ホームページの「市民運動」欄に掲載されていますので、そちらをご覧下さい。) この記者会見の席に「日の丸」が掲げられていたことから、以下のような事態が生じました。6日の各紙朝刊もこれを簡単に、あるいは不正確に報道していましたので、この会見に参加した者の一人として簡単に経過をお知らせしておきます。

 そもそも「ホットライン」としては、「日の丸・君が代」の強制が、とくに教育現場で著しいことから、この記者会見は文部省の記者クラブで行なうのが適当と判断し、そのように同記者クラブに申し入れました。ところが、このクラブの記者会見場には、文部省の手によって常時「日の丸」が掲げられていることが事前にわかったため、「ホットライン」としては、そのような場所で記者会見をやるわけにはゆかないとし、4日までに、文部省、および同記者クラブに対し、少なくとも、その記者会見中、「日の丸」を撤去するよう要請しました。

 記者クラブとしては、検討したが意見がまとまらず、文部省に撤去を要請することはできない、もしそこでの記者会見が不可能なら、日の丸のない別室を用意する、と回答、文部省当局は、撤去には応じられない、との回答でした。

 この日、「ホットライン」側から出記者会見に出席して発言したのは、代表の大津健一さん(日本キリスト教協議会総幹事)、庭山英雄さん(元専修大学教授)、山住正巳さん(都立大学前学長)の三人と、事務局長の澤藤統一郎弁護士、事務局次長の内田雅敏弁護士、それに市民運動を代表して、私、吉川勇一、教育現場から上岡義晴さん(教員)でした。

 会場に入ると、部屋の正面右隅に日の丸があるので、その場でも、文部省側に撤去を要求しましたが、文部省は、この部屋が同省の管理するものであり、絶対に撤去できないとの回答で、会見の始まる前、10分ほどの押し問答になりました。(写真=右側が文部省代表、左が澤藤弁護士、中央奥が内田弁護士、その右にもともとあった「日の丸」、その右が護憲の会の高田健さん)

 文部省側が、どうしても自発的に移動させないので、内田弁護士は、では、会見が終わったらまた元に戻しますから、と言って日の丸を会見場後ろの扉から、隣の部屋に移動させました。

 文部省側の役人は、「このようなことをされるのは実に遺憾です。承認できません」などと言いましたが、特に止める様子もなく引き上げました。それで、記者会見は無事に始まることになりました。記者側は、朝日、毎日、読売、共同、時事、赤旗など、約30名が参加していました。

 

 

 

 

   正面には「ホットライン」のカラー・ポスターなども貼られ、澤藤さんが司会をし、山住、庭山、大津さんの三代表から、それぞれ、どういう思いで、この運動をはじめたかなどの話がされ、ついで、内田弁護士から、かつて出征兵士が戦地へ行くときに送られた寄せ書きの書かれた汚れた日の丸が紹介されました。(左の写真)

 ついで、私から、やはり11月から始まった市民による「日の丸・君が代」強制に反対する不服従の意思表示運動(これについても、詳しくはこのホームページ「市民運動」欄に掲載)の「呼びかけ文」を配布し、それについて説明し、また、それ以外にも、市民の間では、さまざまな不服従の運動が広がっていることを報告しました。最後に、上岡さんが、教育現場での実情を話し、すでに処分が8百数十名にも及んでいることなどを伝え、もうすぐ話し終わろうとするときでした。

 3時20分頃でしたが、先ほど、引き上げた文部省側の役人が、衛視などを含め、10人ほどで、別室にあった日の丸を囲んで、どやどやと記者会見場に入ってきました。そして、撤去は認められないので 、元のところへ戻します、というのでした。出席していた各社の記者は 30人ほどいましたが、みな立ち上がり、呆然とみていました。これで一瞬、空気は極度に緊張しました。記者会見は一時中断されました。(右下の写真が、記者会見の途中で、会場に「日の丸」を囲んで入ってくる文部省側役人)

 ですが、「ホットライン」側は、大きな黒い布を用意してありました。それが取り出され、もとの場所に戻され、三脚の上におかれた日の丸の前に、内田弁護士と私とが立って、その黒布を高く掲げて日の丸を隠し、その黒布の前に、先ほど内田弁護士が紹介した武運長久などの文字のある兵士が持っていった日の丸が掲げられました。

 澤藤弁護士は、これで日の丸を認めないという私たちの意思は貫徹されたので、再び会見を続けますと言い、以後約10分、また淡々と記者会見は続き、無事最後まで終了しました。

   この間、文部省側が出した日の丸は、最後まで、黒布と、侵略戦争に送り出された兵士が持っていった汚れた日の丸で覆われていました。(右の写真で、吉川の頭の上に見えるのが文部省側の「日の丸の」の上部の金の玉。)

 思いがけぬハップニングで、記者会見は、実に絵になる場面も創出され、意外な効果も生れることになりました。

  日の丸・君が代を強制しようということに反対し、それへの市民的不服従の行動を起こそう、そして、それに伴う問題に対処するための相談窓口として、電話によるホットラインを創設するという発表の記者会見の場が、実は、そういう不服従の行動を実際に実践してみせる現場に転化してしまったのです。しかも、その場所は、文部省の建物の中だというわけです。

 別に模範を示したと威張るわけではありませんが、この種不服従の行動がもっと広がることを期待し、とりあえず、簡単なご報告をいたしました。(写真は、1,3枚目が上の2枚が吉川、他の3枚が高田健さん撮影)

  なお、この日にこちら側が掲げた兵士の持っていった日の丸は、北区の大塚正立さんの提供されたものでしたが、この大塚さんは、元全逓労働運動の活動家で、かつてベトナム戦争の最中、北区に米軍野戦病院が開設され、大きな激しい反対運動が展開された際、同病院の門の正面に自宅のあった大塚さんは、べ平連のメンーとして、反対運動の先頭に立ち、お琴の師匠さんである夫人とともに、自宅をその連絡先に提供されるなど、反戦運動にずっと参加されてきた方でした。大塚さんは心臓の大病を患い、療養されていましたが、最近、健康も回復、つい半月ほど前、ご夫妻は、結婚50年のお祝いの会合もなさいました。