12 『週刊金曜日』投書欄の規定を変更、佐高氏への再反論掲載 (1999.4.6.掲載)
このホームページの「最近文献」の項に、久野収さん追悼の文章をめぐって、私と佐高信さんとの間でのやり取りが掲載されています。これは、最初、『金曜日』の2月19日号に載った佐高信さんの「久野先生の氏」という文について、私がそれを批判する文を書き、それは同誌3月12日号の「論争」欄に掲載されました。次には佐高さんが3月19日号の「風速計」欄で、この私の意見についての「回答文」を載せられました。私は、それでも納得できなかったので、再度の意見を同誌投書欄に送りました。
ところが、『金曜日』編集部から連絡があり、「一度文章をこの雑誌に載せると、以降2ヶ月間は同一の人の文章は載せないことになっている。これは投書に限らず、「論争」欄も含む。読者の中には、目を皿のようにして読んでいる人もあり、同一人の文章が続けて載るとすぐ抗議してくる人もいるもので……」ということを言われました。それは規則だというので、私は、では2度目の投書は公開するからと通告して、インターネットの 「aml通信」の上でも、また私のホームページにも公開したのでした。
その後、友人の牛島秀彦さんの出版記念会で、『金曜日』編集委員の筑紫哲也さんにお会いしたとき、そのことが話題となりました。私は、この規則は、論争というものをシステムとして打ち切ってしまうもので、読者からの抗議を理由にするなどというのは編集部の見識を疑われるだろうという意見を伝えました。
しばらくしてから、同誌編集部からまた電話があり、編集部内で相談した結果、私の2度目の投書もやはり掲載することにしたい、と伝えてきました。
同誌編集委員の本多勝一さんから別の件で電話があったときも、このことが話題となり、本多さんは、「2ヵ月間は同一人の文を載せないというのは一般の投書のことで、論争はまったく別。編集会議で、自分は、論争欄にまでその規定を適用するのは間違いだという意見を強く言っておいた」と言われました。
というわけで、「最近文献」欄にある「『金曜日』に載らなかった文章」は、4月9日号の投書欄に掲載されるようです。