35 祐子の死去から3年 (2008年06月10日  掲載) 

  6月7日、連れあいの祐子が死んで満3年になりました。昨秋、転居するまでの家の庭ではこの頃になると、冴えた紺色のアジサイが見事な花をたくさんつけます。今年は転居したため、それがなく、ベランダに鉢植えのアジサイをと思っていたところ、私の77歳を祝ってくれる知人たちの会(3月)から、好きな鉢を注文して、と花のギフト券をいただきました。それで紫や紺のアジサイを求めたことは、すでに本欄前号の「34 春たけなわになっての弁明」でご報告しました。そこでも書きましたように、生花店でアジサイを売りだす時期は、路地植えのものよりもずっと早く、求めたとき満開だった花はもう盛りを過ぎ、そろそろ切り取らざるを得なくなっています。
 今月初め、元の住居前を通ってみましたが、庭のアジサイはやはり見事に冴えた紺色の花をつけていました。

 命日の前日の6日、「お花のお届けです」といって、大きなアジサイの鉢が二つ、近くの生花店から届けられました。ベ平連以来の古い知人のMさんからのものでした。別送されてきたメールによると、Mさんは、かつて1985年の春、小田実さんや岩井章、宇都宮徳馬さんが呼びかけ、ソ連(当時の)、北朝鮮、中国をまわった「日本海・アジア平和の船」のイベントをやった時の私の年齢になった、とありました。この船は、日本各地、各団体から全部で301名も参加する大グループによる船旅になったのですが、このとき、私は事務局を担当しており、54歳でした。(このイベントについては、詳細な報告が『不戦への出航』という本にまとめられています。) ベ平連当時、最も若いグループに属していたMさんも、そんな年になったのか、と感無量でしたし、また、祐子の命日をよく覚えてくれていたな、とありがたい思いをしました。というわけで、またまた新しいアジサイの花がいま、ベランダに並んでいます。かなり珍しい品種らしく、「グリーンシャドウ」という鉢は、ダークローズの弁先にグリーンのチップが入り、弁色は次第にグリーンに変色してゆくのだそうです(写真の左側)。また、もう一つは「カメレオン・ハイドランジア ホバリア・ホベラ」と、とても覚えられそうもない名前の鉢で、最初はライトピンクのガクアジサイがその後、ライムグリーンに、最後は鮮やかなチェリーレッドへと変化するのだそうです(写真の右側の鉢)。

 一昨年の命日の時は、祐子の親族を招いた会食をし、昨年は私の母や兄弟姉妹を呼んで会食をしたのですが、今年は、祐子が生前、大変お世話になったベ平連以来の仲間たちの何人かをお招きし、私の今の住所の近くの南欧カフェで食事をし、その後、今のマンションの部屋まで来ていただき、夜10時過ぎまで歓談をしました。このときも、皆さんからのものとして「クチナシ」の鉢を贈られました。これも珍しい種で、「フレグランス ゴールド」という名の黄花クチナシで、花の色が純白色からクリーム色、そして濃黄色へと変化する種類だとのことです(写真の手前の鉢)。
 私も、見事に咲いたダリアの鉢を二つ、そして紅白の花をつける「山法師」の「源平」という種の鉢を買ってきていましたので、ベランダやリビングは、さまざまな花や植木の鉢がにぎやかに並んで います。

 昨日、「市民の意見30の会・東京」の機関誌『市民の意見』の編集委員会の会議があり、事務所へ行ったのですが、そこには佐世保のHさんから「陶器」と記した包みが届いていました。何かと思って開けてみると、有田の五代目、佐藤走波さんが77歳の時に焼かれたという「赤玉」文様の「そば猪口」でした(右の写真)。底の中央には小さく「走波 七十七才」と銘も入っています。「赤玉」とは、昔からある有田(古伊万里)のデザインだとのことです。遅くなったが、私の77歳誕生日のお祝いとして受け取って、というメッセージが付いており、以前、小田実さんにも贈ったものだともありました。拙著『民衆を信ぜず……』の中の写真で、私がおいしそうにコーヒーを飲んでいるのを見て、使ってもらいたいと思ったというのです。 
 Hさんと初めてお会いしたのは、1968年1月、あの米原子力空母エンタープライズが佐世保に入港し、激しい抗議運動がおこっているときでした。小田さんと二人で、「いっしょに歩きましょう」という看板を持って佐世保の街を一回りすると、何十人という人びとの列ができ、解散の時の集まりでは、その場で「佐世保ベ平連」がつくられたのでした。その時、まとめ役をかってでた人が、このHさんでした。40年前のことでした。
 この焼き物、さすが、名匠の作。「赤玉」の文様、本当に気に入りました。 陶器の知識などまったくない私ですが、これは、開けてみたとたんに、わッ、いいものだ!と思いました。毎日、大切に使わせていただきます。ありがとうございました。

 といった次第で、今年の連れ合いの命日の前後は、仲間たちの温かいお気遣いで、にぎやかに、嬉しく過ごすことが出来ました。とりあえずのご報告とお礼です。

 追伸。肺ガンになったのだから、禁煙したのだろうね、という問い合わせも何人もの方から頂きました。申し訳ないのですが、逆です。いまさら遠慮したり、自制しても間に合わないのだろうからと、弱いたばこから、「ソブラニー」の「ブラック・ラッシャン」というイギリス製の煙草に変えたのです。これは、故鶴見良行さんが大好きで、いつも吸っていた煙草で、実にうまいのです。残念ならが、値段はかなり高い(これまで吸っていたものの2倍以上する)のですが、ま、いいか、という心境です。伊藤益臣さんの快著『ガンは友だち』に大いに共感しながら、ソブラニーを楽しんでいます。