33 新春所感 (2008年01月07日 掲載)
○賀状、有難うございます。
年末から年始にかけて、結構忙しく、このサイトへの掲載もなかなか果たせませんでした。投函した賀状が623通。今日までにいただいた賀状が約480通。まだ毎日何十通と配達されていますので、あと100通ほどは増えるでしょう。これを拝読し、来年の発送のために(それまで生きていればの話ですが……)整理をし、住所の変更などを住所録のファイルに書き込んでゆくだけでも、かなり時間がかかります。でも、これはとても楽しい仕事です。
私と連れ合いからの賀状を再録します。右の図をクリックすると大きくなります。
天国からの割り込み賀状をつけた連れ合いとの連名の賀状は、3度目になりますが、有難いことに好評なようで、天国宛のいろいろなメッセージもいただいております。私信ですから、お名前をつけて引用は出来ないのですが、たとえば、ある著名な作家の方から「じつに仲睦まじいご夫妻ですね.掌編小説をよんでいるかのような余趣があります」というご返事の賀状をいただきました。宛名が、祐子宛だけのものもあり、「白内障の手術をしましたので、今年はどこにも(賀状を)差し上げませんでしたが、せめて貴女にだけはと思ったのです。そのうち、本人がそちらに伺うかも知れませんよ。そのときはまた、あの頃のように楽しくあそびましょう。」という祐子の若いころからの友人のものもありました。
小田実さんの逝去を悼む言葉は、多くありましたが、「天国での小田さんのメッセージを伝えてくれて、有難うございます。そうだろうな、と納得しました」という文面も。
ピアノの演奏会には必ず招待しろ、という気の早い催促も。これはいつのことになるやら、見当もつきません。
○富士山のこと
富士が見えると書きましたが、うらやましいというお便りもずいぶん頂きました。そして、元日の朝から五日間、毎朝、真っ白な富士が窓から見え、夕方にはまさに富士の頂上近くに沈んでゆく太陽が見えたのでした。実にきれいで、皆さんにもご紹介します。左の写真をそれぞれクリックすると、大きくなります。
○昨日の『朝日新聞』から二つ
昨日(7日)の『朝日新聞』にあった記事二つについての感想。一つは、思わず笑ってしまったのですが、 東京大学のコミュニケーション工学の原島教授の指導を受け、コンピューター画像処理技術を使って、主要政党の衆院議員の「平均顔」をつくってみたところ、公明、共産などの「顔」には明らかな特徴があったのにたいし、自民党と民主党の議員の顔は、「うり二つだった」という記事で、それには、「原島教授自身も驚いた」とのことでした。その写真の見出しには「違いがわかりますか?」とあったのです! 二大政党制を担ぎまわっている『朝日』として、こんな記事載せていいのかね、と、しばらくは写真を眺めて、楽しんでいました。
もう一つは、「味の素でアジアを眺めると」という旅行ライターの前川健一さんの「私の視点」欄の文章です。ここにはすでに亡くなった私の知人、大野力さんと鶴見良行さんの意見や姿勢が紹介されていました。お読みになってみて下さい。
それで思い出したのですが、私が1974年の春、はじめてフィリピンを訪れたとき、マニラで見たタガログ語の映画、『サルヘント・フォフォンガイ』のことです。
時代は、太平洋戦争下のフィリピン。ドルフィという人気喜劇俳優が主人公「サルへント(軍曹)・フォフォンガイ」を演ずる戦争もの喜劇で、だらしない街頭菓子売りの青年が恋人を日本兵に奪われそうになって発奮し、ついにはゲリラに身を投じて、悪虐日本軍をバッタバッタとやっつけるという筋なのでした。そこに登場する日本の上級将校は、なんと「キャプテン・アジノモト」という名前で、そう呼ばれると満員の観衆はドッと笑い、彼がフォフォンガイ軍曹の自動小銃の前を逃げまわり、ついに倒されると、大きな拍手かまきおこるのでした。この映画に連れて行ってくれた知人の若者は、時のマルコス政権に武装抵抗しているゲリラの青年でした。
フィリピンの前に訪ねたインドネシアのホテルで聞いた現地のラジオからは、聞き覚えのある日本の歌謡曲が流されたあと、日本語学習講座が始まり、「提供はアジノモトでした」というコメントで終るのでした。そして、そのまた前に訪れたバンコックの屋台では、注文したそばの丼に、大さじ山盛りの白い粉をドサッと入れ、「これは日本から直輸入の本物の味の素だ。うちのそばが美味いわけさ」と言われ、驚いたのでした。筆者の前川さんの書いているとおり、この頃、味の素は日本の象徴だったのです。
○そのほかにもあるのですが……
そのほかにも、転居のため、しばらくホームページ記載を休んでいた間のことで、お伝えしたい経験はいくつかあります。9月18日、「満州事変」勃発の日に、鹿児島で開かれた反戦集会での講演のこと、その翌日、知覧の元特攻隊出撃基地跡の記念館を訪ねたときのこと、秋、イントレピッドの4人の脱走から満40年となり、東京で開催した集会のこと、年末に放映されたNHKハイビジョンでの『小田実 遺す言葉』(ディレクターは坂元良江さん)に涙したことなどなど。でも今は時間切れです。すでに午前5時半。いくらなんでも徹夜はしたくないので、一応、今回はこれまでにさせていただきます。