45 今年初めてのイレウス入院で感じたこと。 (2009年02月19日 掲載)
「News」欄に書きましたように、またまたイレウスで入院ということになりました。8日の日曜に入院し、13日の午後退院。6日間の病院生活で、うち5日間ほどは水も飲めない完全絶食、その間は点滴による栄養補給で、毎度のことながら、いささか参りました。15日の日曜には、たんぽぽ舎創立20周年記念総会での講演を引き受けていたため、何とかそれまでには退院させるようにして、と医師に頼み込み、準備不足ではありましたが、講演を不義理せずにすみました。例によって、この間に感じたことなどを記します。御用とお急ぎのない方はどうぞ。
生活の区切りとしての食事の効用
三度三度の食事が、生命を維持してゆく上で欠かせないことはもちろんですが、今度の入院中、それ以外の大事な役割もあるということにあらためて気づきました。それは、1日1日の生活を区切ってゆくリズムを作り出す、メトロノームのような役割です。
朝食が終れば、昼までには何と何をしようかなと考え、それにかかります。昼近くなれば、そろそろお昼ごはんを作らなければと、仕事の手を休めます。昼食中などに、夕方までにはあれとこれとを片付けよう、などと考え、午後はそれに取り掛かります。夕方が近づくと、今夜のおかずはNHKの『きょうの料理』に出ていた大根と豚肉のあんかけ煮とニンジンのグラッセを作ってみようかなどと思って準備にかかります。夕食中は、寝るまでにやることを考えます。意識していたわけではありませんが、食事はこんな風に1日の暮らしに区切りを付ける役割をしていたのでした。ところが、入院して完全絶食となると、朝起きてからよる消灯時間が来るまで、やらねばならぬということは、せいぜい1日に1回だけ、病室のある3階から1階のレントゲン室まで腹の写真を撮りに行くこと以外には、何もないのです。ノッペラボーとした1日があるだけです。3度の食事になると、係りの人が「今日は冷奴とカニタマですよー」などと言いながら、周りのベッドに配って歩くのですが、私のところは通過。コンチキショーとは思っても、それは自分の生活の区切りにはならないのです。
そこで、暮らしのリズムは自分で作らねばなりません。今度の場合はこうしました。起きると、TVのニュースを見てから、地階の売店へ朝刊を買いに行き、TV番組でその日にぜひ見たいというものがあれば、チェックして時間を記憶します。新聞を一通り読んだら、コートやガウンを着込んで暖かくし、喫煙場所へ降りてゆきます。場所は2つあるのですが、どちらも屋外、冬はうんと厚着をしてゆかないと凍えてしまいます。胃袋に何も入っていない状態での喫煙は、特によくないと言われているのですが、やむをえません。ソブラニーを2本ほどくゆらせていると、大分寒くなってきます。
病室へ戻ってパジャマだけになると、点滴のキャスターをガラガラと引っ張りながら、病院の廊下を歩いて回ります。1度に10回周ります。これは腸を動かし、早く正常化させる上で役立つとのことです。歩いているといろいろ気がつきます。ああ、この階にはベッドは60床あるのか、でも34人しか入院してないんだな、比較的空いてるな、などと感じます。それにしては、この階を担当する10人以上の看護師さん(それも、昼組と夜組)、ベッドの周りだけでなく、汚れたトイレなどをきれいに掃除してくれる役の人、時々廊下のドアの鍵などを点検に来る守衛の人など、実に多くの人が病人たちのために働いてくれていることがわかり、ありがたく感じます。
廊下周りが終ったら、もって行った本を読み、1時間ほど読んだら、またタバコに降りてゆきます。帰ってきたら、手を入れなければならないインタビューの原稿に赤字を入れる作業。これに疲れたら、また廊下めぐり、これを午前中は1〜2回、午後は2〜3回繰り返します。その間に見たいTV番組があれば枕元にあるTV
(有料で、1枚1,000円のカードを入れないと映りません)を見ます。夕刻5時には、売店へ夕刊を買いに行きます。3日に1度は入浴を申し込み、着替えをし、ユーティリティー室にあるコイン洗濯機とコイン乾燥機でパジャマや下着を洗います。
ま、こんな具合で、1日の暮らしにしかるべき区切りを付けます。そうでないと、ただベッドに横になってウツラウツラとして、身体はなえてしまいそうだからです。
普通の暮らしの中の3度の食事には、こういう大事な役割もあったのだな、とあらためて思った次第です。
入院中に読んだ2冊の本―― 堀田善衞の旧著とD・ラミス+辻信一の新刊書
今度の入院の時には2冊の本を持ってゆきました。堀田善衞『上海にて』(集英社文庫)と、ダグラス・ラミス+辻信一『エコとピースの交差点』(大月書店)です。最初は、買ったまま未読の『堀田善衞 上海日記 滬上天下 一九四五』(集英社、09年11月刊)を読むつもりだったのですが、思い返して、その前に、1度若いころに読んだはずの『上海にて』をもう一度読み直してからにしようと思ったのです。
この2冊の本の刊行のあいだには50年の歳月があり、組み合わせには何の必然性もなかったのですが、結果として実に巧妙な取り合わせだったということに気づきました。共通するものは「加害者意識」です。
まず堀田善衞の本。初版が出たのは1959年7月で、27歳の私はそのとき読んだ記憶があります。でも中身はすっかり忘れていて、今度、あらためてすべてを新鮮に読み直しました。たとえば、「冒険的楽園」の節の中には、都会の魅力やボオドレエルの詩についての言及があります。何もわからぬ駆け出し左翼小僧だった私は、おそらくこの部分などは、これが堀田善衞のプチブル性の出たところだな、などと思ったに違いないだろうと推測する(もちろん、そんな記憶も今はないのですが)のですが、今ではもちろん、そんな風には読めません。それに続く資本主義国革命運動への観察や社会主義国でドストエフスキーに人気がないという推察など(集英社文庫版で82ページ)などは、なるほど、と感じいったのでした。そして、今ではおそらく「ガラーンとした」上海、「キレイサッパリ」の上海ではなくなっているであろう現上海を見たら、堀田さんはどんな感慨を記してくれるかな、などと考えたのでした。
さて、堀田さんの本にある加害者意識とは、もちろん、中国を侵略し、差別し続けた日本、日本人としての自覚で、それはこの本全体の基調として流れています。「歴史というものの、また人間の行為というものの不可逆性の怖ろしさ、とりかえしのつかなさ」(同43ページ)とか、「人間と歴史がそこにかかわっている限り、一粒の石といえとも人間と歴史にとっては自由ではないのである」(同47ページ)とか、あるいは「われわれの握手の、掌と掌のあいだには血が滲んでいる」(同63ページ)などという、痛苦に満ちた表現が随所にあります。
「はじめに」の中には、「日本と中国との、歴史的な、また未来における、そのかかわりあい方というものは、単に国際問題などというよそよそしい、ものではなくて、それは国内問題、というより、われわれ一人一人の、内心の、内在的な問題であると私は考えている。われわれの文化自体の歴史、いやむかしむかしからの歴史そのものでさえあるであろう。……私に一つの危機の予感がある。今日の両国の関係の仕方は、遠からぬ未来において、今日ではちょっと想像できないようなかたちの危機をもたらすのではないか。……私が予感するものは、むしろ国交恢復以後についてである」という、ズバリとした警告もあります。そして、50年を経た現在、まさに堀田さんが予感したとおりの危機が訪れているのだな、という思いを強くしました。
ただ、巻末の「惨勝・解放・基本建設」の章は文体もそれまでとは変って、当時の中国の諸相を列記し、堀田さんなりの評価を加えているのですが、今読むと、いささか違和感を感じないでもありません。世界でも有数の超経済発展を見せ、それに比例して民衆の生活水準の格差がどんどん開いてゆき、下層民衆の困苦が報じられている今の中国を見たら、堀田さんは、加筆や訂正の必要があると思われるかな、それともやはり、あの「晴曠雄大な」毛沢東の詞「雪」をまたも引用して、中国の悠久な歴史の中に置いて、ゆっくりと見守ってみよ、と言うのかな、などと考えています。
ラミスさんの言葉にも、加害者意識の問題が通底しています。ただ、堀田さんの場合は日本が中国に対してですが、ラミスさんの場合はアメリカが日本に対してであって、日本人にとってはベクトルが逆方向ですが、姿勢は共通です。アメリカ、アメリカ人が日本、日本人、とりわけ沖縄などに対してとりつづけている侵略、差別などへの自覚が各所に出てきます。
ただし、この本の意図は、それではなく、辻さんの次の言葉にある点です。
「……これまでもいろいろな機会に言ってきたことですが、環境と平和の問題はいっしょに論じられるということが、おどろくほど少ないんです。テーマとしてふたつは別々のものだと考えられているらしい。環境問題に関心を寄せる人の中には、安保や憲法9条にあまり関心がない人は案外多い。逆に、戦争や人権や憲法9条について熱心な人で、環境問題にあまり関心がないという人もよく見かけます。そのうえ、「現に人が傷つけられたり、殺されたりしているときに、のんきに環境運動なんかやって……」と言う人もいる。/エコとピースが、別次元の問題だと感じられてきた。これは困ったことです。……」(14ページ)
かつて私は拙著『市民運動の宿題』(思想の科学社)のなかで、マルチイッシューの市民運動について提唱し、古くからの仲間の多くから強い批判をもらいました。それは市民運動の政党化をもたらし、ろくなことにならないと。しかし、マルチイッシューを掲げて始めた市民の意見30の会の運動と、多くのシングルイッシューの運動体の活動とがそれほど違ったものになっているとは思えません。先日、たんぽぽ舎の20周年記念総会に出席し、運動の経過報告や今年度の方針などに接したのですが、原発問題のシングルイッシューであるこのグループは、核問題 → 劣化ウラン弾 → イラク戦争 → ガザ侵略と活動の幅を広げ、ガザ攻撃については率先して活発な街頭行動を展開してきています。運動間の相互乗り入れが行なわれ、ますます拡大しつつある現在、もう一度この問題を検討、議論してみてもいいのではないかな、という思いがしています。
ラミスさんの主張には、「貧しさが苦しいというのは、ほんとうか?」での指摘(同書 41ページ)など、あらためて学ばされる点が多くありました。ガンジーのインド憲法案のことなど、ほとんど知られていなかったことだけに、感銘深く読みました。インドは独立後「70万の村それぞれは主権国家になるべきだ」というガンジーの主張(同112ページ)など、衝撃的でした。鶴見俊輔さんが、国とは一つの山に登って頂上から目の届く限りの範囲のものになるのが、いちばん望ましいのだ、と言われたことを思い出し、共通しているなという感じを受けました。
堀田さんの本はかなりの人がすでに読まれていることと思いますが、とにかく、この2冊は他の多くの方にも読んでいただければと思っています。