24 元第五福竜丸乗組員大石又七さんの話をきく会の感想など (2006年08月12日 午後8時 掲載)
今日(8月12日)は、地元の公民館であった「『第五福竜丸被爆体験をきく集い」に参加してきました。元乗組員だった大石又七さんの講演と反核映画の会でした。西東京市にある「核戦争の恐ろしさを子どもらに伝える会」というグループが毎年夏に開く集まりです。先週の日曜日にはやはり同じ公民館であった「戦争を記憶にとどめる夏』というグループが主催する映画会で『ヒトラー最後の12日間』を見てきました。
今日の集まりは3時間という長さで、いささかきつかったのですが、大石さんの話をぜひ聞きたいと思ったのでした。150人くらいの参加者だったでしょうか、かなりの満員でした。やはり、年配の方の参加が多く、「子どもらに伝える会」というのでしたが、子どもの参加はほとんどなかったようです。
大石さんの話を聞いたら、途中で帰ろうかと考えていたのでしたが、残念ながら講演は一番最後で、まず映画でした。かなり古いもので、「トビウオのぼうやはびょうきです」という子ども向けの反核アニメ、そして『第五福竜丸――焼津・東京』というドキュメンタリ。後者は東京都作製というもので、1970〜80年代のものらしいので、おそらく美濃部都知事か鈴木俊一知事の時代のものでしょうが、今の石原都政の下では考えられない内容でした。久しぶりに第五福竜丸記念館の建設に努力された故広田重道さんの顔を画面の中で懐かしく拝見しました。
おりからのかなり激しい雷雨で西武新宿線が一時とまったらしく、大石さんの到着が遅れ、つなぎに、たまたま参加されていた年配の地元市民で元看護婦さんの話しがありました。勤務先の病院で、久保山愛吉さんをはじめ、第五福竜丸の乗組員の看護をしたという方で、この人のお話は予定外の拾い物でした。
大石さんは被爆当時、19歳だったとのことですから72歳でしょうか。がんやC型肝炎などを患い、大変苦労をされてきたはずですが、とてもお元気なので驚きました。お話もよかったのですが、それは、2003年に出され、昨年第3刷が出ている大石さんの新著『ビキニ事件の真実』(みすず書房、¥2,600+税)に詳しく書かれていますので、ここでは省略します。ビキニ事件が、アメリカと日本政府との密かな計画によって、どのように真実が隠されてきたのか、最近になってわかった資料などをもとに明らかにした内容です。
ところで、この会で驚いたことがありました。それは、主催者を代表して挨拶された年配の女性の話でした。彼女はその中で「唯一の被爆国、日本」という表現を使ったのでした。核兵器の被害を受けたのは日本だけではないことは、今では、少なくとも反核運動に関わっている人の間では、共通の理解になっていたと思っていただけに、こんな表現がまだ生きているのに驚いた次第です。この日、主催者側が用意して配った大石さんの文のプリントの中にも、「核実験で被爆した船は、福竜丸だけではありません。マーシャル島民はもちろん、当時マーシャル地域には1000隻に及ぶ漁船や航行していた船がいて、二万人近くが被爆しています」と書いてあるのに……です。
8月にはいると、さまざまな反戦平和の催しが続きます。8月15日の集会には、これまで毎年参加をしてきており、今年も……と思っていたのですが、最近、どうも腸の具合がよくなく、先日、病院で見てもらったところ、急遽、大腸の内視鏡検査をやった方がいいということになり、それが15日に入ってしまい、それで今年の8・15の催しは、全部パスということになりました。この検査は、今までにもやった経験があるのですが、前日の晩から下剤と水を大量に飲み続け、腸を空っぽにする必要があり、かなり辛い検査なのですが、やむをえません。覚悟を決めてこの日は病院です。