21 最近のマスコミのこと――NHK、朝日、読売など (2006年06月12日 午後3時 掲載)
(1)NHK・TVの「その時歴史が動いた」の「これは正義の戦いか
〜ジャーナリストたちのベトナム戦争〜」
5月31日、NHK・TVの「その時歴史が動いた」は、「これは正義の戦いか
〜ジャーナリストたちのベトナム戦争〜」を放映した(6月6日、9日にも再放映)。これはアメリカの3人のジャーナリスト、CBSニュースキャスターのウォルター・クロンカイト、ニューヨークタイムズ記者のデイビッド・ハルバースタム、そしてUPI記者のニール・シーハンのベトナム戦争報道に関する姿勢をとりあげ、これらジャーナリストがベトナム戦争を取材し、その実態に触れるにつれて、米政府と軍の発表に次第に疑問を抱き、ついにはその報道を通して、政府・軍の発表の虚偽を暴いて追いつめてゆき、最初は政府の発表を信じて戦争を支持していた世論も、ついには戦争反対の意見に変わってゆく経過を編集、報道した番組であった。松平定知アナウンサーとの対談には、報道写真家の石川文洋さんが登場し、コメントする。
この番組自体は悪いものではなかった。「正義の戦い」と言われていたものは、実はそうではなかったことが、事実をもって明らかにされてゆくからだ。「正義の戦い」という表現は、イラク戦争で今も盛んに使われている。この番組を見た視聴者の中には、当然、では、今のイラク戦争はどうなのか、という疑問を抱くものも出るだろう。それを期待したい。
その意味では、昨年末、NHKのBS11が放映し、今年になってハイビジョンでも再放映した「世界のドキュメンタリ」シリーズのうちの『なぜアメリカは戦うのか』
(2004年米シャーロット・ストリート・フィルムズ制作)も、たいへんすぐれたものだった。(このドキュメンタリについては、本サイトの「映画・TVファンへ」欄「24.
すぐれたTVドキュメンタリ2点のご紹介」を参照)
しかし、これが現在のNHKの限界なのだろう。アメリカのことについては、こういう報道がされるのだが、そのとき、日本の政府はどうだったのか、日本のジャーナリストはどうだったのか、には
まったく触れられないのだ。
当時の日本の政府は、アメリカのベトナム侵略戦争を全面的に支持し、軍隊こそ派遣しなかったが、それを支えるために全面的に協力した。そのとき、アメリカの政府や軍の姿勢を批判的に報道し、疑問を投げかけた日本のジャーナリストも少なからずいた。しかし、その中では、『朝日』の本多勝一記者のように、かろうじてその職にとどまれたものもいたが、TBSの田英夫記者や、『毎日』の大森実記者らは、駐日米大使から偏向報道をする左翼記者だという批判を受け、結局、社を辞めるところに追い込まれていった。
ベトナム戦争をめぐる日本政府の態度と、それを批判的に報道した日本のジャーナリストの姿勢を検証しなおし、米政府とまったく同様に、日本政府の発表も真実とはかけ離れ、この国を誤った方向に導こうとしたものであったことを明らかにするような番組や、報道は、まだ日本では出来ないのである。
その点では、今年4月に放映された関西の『毎日放送』の「映像’06」の『誰も知らない戦地出張 〜もの言えぬ職場から〜』(ディレクター:津村健夫、プロデューサー:山本利樹)は、よくぞ、日本の問題をここまで取材し、放映したものだ、と思わせるほどの優れたものだったが、残念ながら、関西地方だけの視聴者しか見ることが出来なかった。(このドキュメンタリについても、本サイトの「映画・TVファンへ」欄「24.
すぐれたTVドキュメンタリ2点のご紹介」を参照)
(2)『朝日新聞』の「試写室」のコメントと、『朝日』の姿勢
5月31日の『朝日新聞』のTV番組紙面に掲載された「試写室」(佐々木達也)は、このNHKの「そのとき歴史が動いた」をとりあげ、それを紹介するとともに、その最後でこうのべていた。
…… 「正義の戦い」は最近も耳にした。イラク戦争だ。キャッチフレーズは耳に当たりがよい。だが、その実態は何か。情報操作がより巧みになっているだけに、報道の役割を再認識させられる。
彼岸の出来事でもない。ベトナム戦争には沖縄から爆撃機が出撃した。ほんの60年ほど前には「大本営発表」もあったのだから。自戒をもって見た。……
この紹介の姿勢も共感する。だが、これも現在の日本のマスコミの限界を示すものなのだろう。こうした小さなコラムの中で、執筆者がせいいいっぱいの表現をしてみても、その「自戒」は、紙面に反映されているとは到底言えない。この文が言うように、ベトナム戦争のときには、沖縄から米軍の爆撃機がベトナムに直接出撃して、ベトナムの民衆を殺傷した。だが、「60年ほど前」の「大本営発表」までさかのぼらずとも、このベトナム戦争のときの日本政府の姿勢と発表は、まったくアメリカべったりのもので、事実とは異なるものだったではないか。そして今「正義の戦い」だとされるイラク戦争には、日本は、ベトナム戦争の時には出来なかった自衛隊の直接派遣までしている。それを、日本のマスコミは、ジャーナリストは、真実にもとづいて報道し、政府や軍を追いつめていくようなことをやっているのか。「社説」で明確な主張を打ち出しているのか。
そう見たとき、現在の『朝日』は、次第に「60年ほど前」の姿勢に近づきつつあるのでは、と考えさせられる。すでに『朝日』の論説は、「日米同盟」(実態は日米軍事同盟)を当然の大前提とし
、日米安保条約の規定さえ超えるような現在の「日米同盟」の維持、強化は当然だとして展開されるようになってしまっている。この春、同紙が2面見開きを使って大きく報じた同社の見解は、まさにこれを前提とするという開き直りの
主張であった。紙上でとりあげられる「識者」の論も、日本の軍事力否定、絶対非武装を主張する人びとは排除され、憲法九条改悪反対論も、すべて、日本の自衛権の肯定、自衛隊の存在と海外派兵の肯定を許容した上での論のみになっている。
つぎの項でふれる『論座』2月号の対談でも、若宮論説主幹は、『朝日』が有事法制に賛成の立場を明確に出したことに触れ、「しかし、僕は自衛隊の存在を認めて、有事のときに出動させるというのならば、きちんとした法律があるほうが自然だと考えた。だから、それまでの主張を明確に変えたわけです」と語っている。
(3)新聞各紙の姿勢への「思い込み」、そして「『読売』の『朝日化』(?)についてなど
この5月3日の憲法記念日に、私も参加している「市民意見広告運動」は、イラクからの自衛隊撤兵を要求し、憲法9条改悪に反対する
全面意見広告を『読売新聞』の全国版に掲載した(同時に沖縄の地方紙、『琉球新報』と『沖縄タイムス』にも掲載)。この運動のよびかけでは、この広告の掲載紙は、商業全国紙のどれか一つに掲載することを目標とする、とされていた。すなわち、『朝日』、『毎日』、『読売』、『産経』、そして『日経』などの最低
1紙ということだった。昨年の5月3日には、『朝日』と『北海道新聞』、その前年は『朝日』、『東奥日報』、『河北新報』に掲載した。(『北海道』や『東奥』『河北』などの選択は、イラクに派兵される自衛隊の部隊の存在する地方の新聞ということを考慮して決定された。)そのまた前年には、『毎日新聞』を掲載紙に選んだ。
今年、『読売』を選んだ理由は、次のようなことからだった。
……今回、全国紙として同紙(『読売』)を選択したのは、読売新聞社が改憲を社是とし、一九九四年から二〇〇四年にかけて「憲法改正試案」を同紙に三回も掲載するなど積極的に改憲を唱道してきたので、同紙の読者には 『朝日』『毎日』二紙の読者に比べ改憲を支持する人が多いと思われるからです。意見広告をマスメディアに掲載するのは、《世論に訴え世論を変える》ためにほかなりません。その場合必要なことはアピールが考えの異なる人びとにも受け止められ、率直な意見交換、討論が始まることです。改憲に反対の読者や疑問を持つ読者が比較的多いと思われる『朝日』や『毎日』に広告を掲載することにはむろん大きな意味がありますが、それだけでは市民間の討論の活性化につながらないでしょう。そこで今回『読売』への掲載に当たり、事務局は「みなさんの意見を寄せて下さい」というアピールを紙面に加え、寄せられた意見や批判には、今年八月十五日までに返事をすることを約束しました。
改憲を呼号する『読売』に多額の掲載料を支払うことに違和感や抵抗を覚える方もいると思います。しかし今回同紙を選択したことには、既述のように、もっと人きな《反改憲パワー》を生み出すため、さまざまな立場の人びとの間で討論を活性化するという明確な目的があります。改憲に傾きがちな世論を不戦・平和の道に引き戻す方法の一つとしてご理解いただきたいと思います。
広告への反応は後述しますが、このように意見広告を使うことは、市民意見広告運動にとって新たな展開です。私たちは反改憲運動を、あくまで《攻勢的に発展させる》ことをめざしています。今回の試みは反改憲運動の新たな地平を切り拓くことになると確信しています。……
(井上澄夫『第五期意見広告運動の経過と成果につて」 『市民の意見30の会・東京ニュース』96号 2006年6月号掲載)
だが、5月3日当日、事務局には、「意見広告が載っていないではないか」「金が足らなかったのか」といった問い合わせの電話が殺到した。もちろん、説明をして疑問は解消してもらえたわけだが、多くの人は、まず『朝日』を見て、つぎに『毎日』を調べ、それらに載っていないことで、憲法記念日の広告掲載はなかったのではないか、と思ってしまったのだった。『読売』に載るはずがない、という思い込みは予想外に多かったわけだ。事前に賛同者に対して掲載紙を知らせられればよかったのだが、決定したのがギリギリの掲載間際わだったことと、賛同者の数が1万人に近かったこともあって、それは不可能だった。
事務局の私たち自身も当初は、果たして『読売』がこの反改憲を明確に主張した意見広告の掲載に同意するかどうか、見通しをはっきりとは持てなかった。同紙の方針とは違う主張だから載せない、とは
言いにくいだろうが、たとえば、5月3日当日は憲法改定促進のキャンペーンで紙面がいっぱいで広告掲載の余裕がない、翌日以降なら掲載可能だが……といったような理由をつけて、事実上、掲載を不能にするようなことはありうるのではないか、という危惧もあった。しかし、同紙広告部との折衝の中で、5月3日当日の掲載は引き受けるということになり、広告文案についての制限
や変更の要求などもなく、広告掲載は実現することとなった。
広告についての同紙読者からの反響は多かった。反対意見や非難、罵詈に近いものも、もちろん多数寄せられたが、賛同する、こんな意見が載るのに驚いた、反戦バッジを申し込む、といった好意的賛同意見も予想以上に多かった。(詳しくは、前記井上論文を参照されたい。)
こう見ると、私たちの周辺の市民の中には、『読売』読者の姿勢に対して、かなりの「思い込み」が存在するように思える。「『朝日』の読者(紙面も)は進歩的、『読売』『産経』の読者(紙面も)は保守的、あるいは反動的、改憲賛成、といったような思い込みである。そこから、憲法改悪反対の意見広告は『読売』には載るはずがない思ってしまうのである。だが、若い世代はともかく、ふつう、新聞購読は、親の代から固定して、移動はそう簡単にはされないようだ。『読売』の読者には、改憲論者は多いかもしれないが、それが大部分だというデータは必ずしもない。『朝日』が「進歩的」だということでは決してないのは、前項でのべたとおりだ。この意味では、現在、『東京新聞』(あるいは同系列の『中日新聞』)の
編集姿勢の方が、ずっと興味深い。
『読売』が、今回、広告の掲載に賛同した真意は分からない。しかし、このことも含めて、右翼筋など一部からは『読売』の「『朝日』化」を憂える声が出ている。
一つには、『朝日』発行の月刊誌『論座』の今年2月号が、『朝日』の若宮啓文論説主幹と『読売』の渡辺恒雄主筆との対談「靖国を語る 外交を語る」を掲載したが、その内容とも関連する。この対談は大きな話題を呼び、売り切れになったほどだった。確かに、この対談の中で、渡辺氏が南京虐殺問題への意見を述べたのに対し、若宮氏が「どっちが朝日新聞かわりません。(笑い)」と応じたり、あるいは渡辺氏が小泉首相の靖国参拝を強く批判したのに対し、若宮氏が「そこまでおっしゃられると、私が言うことはありません。(笑い)」と応ずるほど、渡辺氏の発言はこれまでの『読売』らしくない印象を与えるものだった。渡辺氏の発言は、この『論座』での対談にとどまらず、米『ニューヨークタイムズ』へのインタビュー(2月11日)でも、あるいは東京の外国人特派員協会での講演(3月23日)でも、同様に、日本の戦争責任を日本人自身の手で追求することの必要性や、靖国参拝がアジア諸国との関係を悪化させていることへの批判などを強く発言している。これに対しても、「読売は悪魔(『朝日』のこと)と手を組んだのか」とか「アカに先祖帰りした読売のナベツネ」(彼は東大生時代共産党に入党していた)などという批判や、憂慮も出されている。6月4日の『読売』社説は「[靖国参拝問題]国立追悼施設の建立を急げ」を掲載したが、これに対しても「読売新聞は転向したのか」という批判が出されている。
右からの『読売』批判や、「転向憂慮」はおくとして、対談の相手をした『朝日』の若宮論説主幹は、そのコラム「風考計」(1月30日)で、「ブレーキ踏んだ保守のドン」と題し、こうした最近の傾向を「この間の読売の保守化路線そのものが、全体として渡辺氏の主導だったことは疑いない。自ら語るように、自民党政権への与党的意識もあってのことだろう。最近では小泉政権と呼吸を合わせるように、イラク戦争も強く支持してきた。だとすれば、渡辺氏が踏んだ今度のブレーキは、自らも関与した言論状況の右傾化が行き過ぎて、危険水域に入ったと見てのことではないか。」と評している。
今回、私たちの改憲反対意見広告を掲載したことを含め、『読売』の今後の動向は注目に値する。『読売』の読者が、これまでの同紙の論調を全面的に支持してきた保守的な意見の持ち主ばかりだという決め付けは妥当ではないだろう。これから始まる同紙の読者と意見広告運動との間の討論に期待したい。