16 加藤登紀子のうた、その他について (2006年03月07日 午前2時 掲載)

加藤登紀子のCD

 6日夕刊の『朝日』のコラム「ニッポン人脈記 市民と非戦」では、加藤登紀子、藤本敏夫がとりあげられていました。ここのところ、私はなぜか加藤登紀子に縁があるようです。
 昨年暮に私ども夫婦「連名」で知人に差し上げたご挨拶のはがきへのご返事については、本欄の No.11〜13などで紹介させていただきました。その中で、知人に勧められて2枚組CD『登紀子情歌』を買いに行ったことも書きました。「ひとり寝の子守唄」や「琵琶湖周航の歌」などは、以前にも何度か聞いたことがありましたが、こんど聴きなおしてみて、あらためて「ひとり寝の子守唄」には心打たれました。我が家では「天井のネズミが歌ってくれる」ということはないし、それに「夜明けの青さ」を見ても「一人者もいいもんだ」という心境にはまだなれないのですが、それにしても、その調べは胸にジンと来ます。「時には昔の話を」も、共感をもって聴きました。「ゆれていた時代の熱い風に吹かれて体中で瞬間(とき)を感じた そうだね 道端でねむったこともあったね……」というところでは、1970年のベ平連毎日デモのことを思い出しました。6月23日のデモは2万名以上の参加者があり、終着点の東京駅に着いたときは終電の時間もすぎていて、八重洲口の芝生の上に寝転んでで夜を明かしたのでした。
 先日、京都の鶴見俊輔さんと電話で長いおしゃべりをしたのですが、そのときに、登紀子のうたも話題に出ました。鶴見さんが「知床旅情」がいいよと言われたので、でもあれは加藤のオリジナルではなくて森繁でしょう、などと私は言ったのでした。でも『登紀子情歌』に入っている「涙そうそう」も彼女のオリジナルではなく森山良子の作詞なのですが、しかし、登紀子がこのうたを選んで歌った気持ちはよく分かる気がしました。藤本敏夫を想いつつ歌ったであろうこの歌に、私は共鳴するのでした。今度の「ニッポン人脈記」の記事を読んで、藤本が鶴見俊輔さんのゼミの学生だったことをはじめて知りました。 
 2日ほど前には、偶然つけたNHKの番組の「フォーク大全集」とかで、加藤登紀子が「ひとり寝の子守唄」を歌うのを聴きました。(この番組には山本コータローも出演していました。) といった具合で、ここのところ、なぜか縁があるのです。

『朝日』夕刊の「市民と非戦」

 「ニッポン人脈記」の「市民と非戦」を書いている早野透さんは、元来、政治部の国会詰め記者だった人ですが、その当時から、市民運動に関心を払っていた人でした。今度の連載では、運動の中心にいた人物だけでなく、その脇にいた人びとにかなりのウェイトを置いた記述が続いています。2月28日の小林トミさんについての文では、お姉さんのやすさんのことが大きくとりあげられましたし、丸山真男さんのところでの、安東仁兵衛・年子夫妻などもそうでした。3月2日の私のところでも、思いもかけず、連れ合いの祐子のことが長く紹介され、葬儀のときにお配りしたパンフレットの写真まで出ているのには、驚き、嬉しく思ったのでした。

 お連れ合いをなくされた永六輔さんは、お寺の生まれだけに、なくなった人は天国ではない、草葉の陰にいるんだと主張されていますし、最近の本の中では、5年たったときが、一番悲しみが強くなるときだ、というような話をしておられます。私の場合は、まだ1年もたっていないので、5年先のことはわかりませんが、半年を過ぎてから以後、思いはぐっと強くなってきました。例えば、毎年3月になると水俣の無農薬甘夏をたくさん送ってくれる知人がいるのですが、ダンボール一杯の甘夏をみて、祐子はこれが大好きだったな、毎日、彼女が入浴している間に半分ずつ剥いて冷蔵庫に冷やしておいたな、などと思い、そして、それを実においしそうに食べている顔を、もう一度見たいななどと思ってしまいます。言っても仕方がないことで、耐える以外にはないことも分かっているのですが、思いが飛んでゆくのはなんとも仕方がないようです。

曼荼羅のジグソーパズル

 昨年暮、鶴見和子さんから、頼富本宏さんとの対談『曼荼羅の思想』を恵贈されました。この本にある「曼荼羅の論理は、異なるものは異なるままに互いに補いあい助けあって、共に生きる道を探求する論理である」ということや、「社会運動論に曼荼羅を入れたい」などという指摘は、大事なことで、これはじっくり勉強したいと思いましたが、私にとって、これまでチベット仏教や曼荼羅の世界は全く無縁でしたので、このお二人の対話はかなり難しいと思えました。ところが、鶴見俊輔さんとの先にふれた電話の中で、俊輔さんから「あれが難しいとは困ったもんだね、曼荼羅とは吉川さんのことなんですよ。男と女の間ではないけれど、和子や頼富さんら理論家と吉川さんのような実践家との間には、まだ深くて容易に超えられない海があるんですかネ」と笑いながら諭されてしまいました。確かに、鶴見和子さんの「あとがき」には、「曼荼羅の思想を、深く究め、広く伝えることによって、強大国の一国支配と世界戦争の危機をのりこえる道を探るよすがになる」と書かれています。これが難しいのでは、確かに困ったものです。だからというわけではないのですが、先日、ダイレクトメールで送られてきた通信販売のチラシに、「2000ピースの金剛界曼陀羅ジクソーパズル」というものがありました。1万円以上もする高いパズルですし、2000ピースともなると、とても簡単にはできそうもないものだと思いましたが、思い切って申し込みました。私は、元来、モデルシップの製作やジグソーパズルなどが好きで、やりだすと夢中になってしまうのです。(ここ10年ほどは時間がどうにもなくてやっていないのですが……。)今度の曼陀羅パズルを完成させるのに、どれほど時間がかかるか分かりませんが、4月に入ったら、ポチポチと取り組みながら、もう一度『曼荼羅の思想』を読み直してみようと思っています。
 鶴見和子さんは、この本の中で「交代」ということの大事さについても触れておられます。『市民の意見30の会・東京ニュース』の編集は、これまで私が担当してきたのですが、次号4月1日号をもって、その責任を解除してもらい、他の複数の方に交代していただくことになっています。それについては、またあらためて書く予定ですが、かなりの時間と労力を必要とするこの仕事から解放されると、いくらか読書や趣味の時間も出来てくるかな、と期待しています。電子 ピアノ事始めもありますしね。