55 TBSドラマの倉本聰『歸國』のこと、神宮外苑花火大会のことなど。 (2010年08月22日 掲載)
最近の雑感です。
8月14日夜、TBSで放映されたドラマ倉本聰『歸國』を見ました。最初は、仕事をしながら、横のTVに録画し、チラリチラリと眺めていたのですが、次第にひきつけられて、やがてすっかり見続けることになりました。コマーシャルが何度も入り、2時間半という長い時間ですが、飽きるどころか惹きつけられてしまいました。「終戦ドラマスペシャル」という謳いがついていました。しかし、戦争責任や天皇制、アジアの人びとへの加害、あるいは現在の政治問題などが正面から深く突っ込んでいるドラマではありませんでした。しかし、戦後65年間の日本人の生き方を、死者の眼から厳しくといつづけるものでした。
石坂浩二が演ずる刺殺された東大教授が、死んだあと、殺人したため英霊からも外されてしまうビートたけしの大宮上等兵に、「いったい私たちはどこで間違ったのでしょう?」と問い、大宮からは「恥を知れ」と言うだけで、直接には答えません。この質問を、今、生きて残っている者たちが、真剣に答えられるように考えるべきなのでしょう。
戦前や戦中の雰囲気や様式が詳しく細かく表現されています。将校が発言の中で「畏れおうくも……」と言われる途端に全員が「気をつけ」の姿勢をとることなどは知っている人もいると思いますが、しかし、さまざまな帝国軍隊ラッパのメロディーを覚えていたり、戦前の浅草の「六区」の景色を知っていたり
、あるいは戦前の築地小劇場の『どん底』の舞台やその「夜でも昼でも牢屋は暗い……」の唄のことなど知っていないと、若い人びとにはこのドラマの雰囲気を完全に十分に分かりにくいかもしれません。
長野県にある「無言館」の場面も重要なエピソードの一つの舞台になっていますが、「無言館」に行ったことのある知人たちに観てもらうつもりでいます。
8月19日の夜、青山の知人に誘われて神宮外苑花火大会を観にゆきました。彼夫妻のアパートの廊下からは、12,000発だそうの打ち上げられた花火がよく見え、満足できました。街中の場所であるため、巨大スターマインのような花火はありませんでしたが、中小型のきれいな花火が多数見ることができました(左側の3枚の写真)。そのあと、たくさん集まっていた元ベ平連の仲間たちと飲みたり食べたりしながら、いろいろな話が交わされましたが、隣の友人とは、しばらく、やはり日本の現状の間違いがどこから始まったのかが話題になりました。私は、日本の敗戦の理由を、アメリカと日本との国力・戦力のあまりもの差だと思ってしまったことから、すでに始まっていたという話をしました。その友人には、倉本聰『歸國』のコピーのDVDを送りました。
この集まりには、浴衣姿の福富節男さんも参加していました。福富さんと言えば、もう30年ほど前に福富さんから貰って、大事にそだてていた浜木綿の鉢に数年ぶりに大きな花をつけました(右の左側の写真)。下に置いてあるベランダの水鉢の睡蓮も、同じ時に大きなきれいな花をつけました(右側)。
毎日ひどい酷暑で、ろくな仕事はできないでいます。病院には定期の診察に出かけますが、今のところは、特にまずい状況は見つからないようです。人工膀胱も、もう18年になりますが、よく無事に使えています。毎週1回の取り換え手続きはしなければなりませんが……。来週は、脳梗塞の退院してから1年以上ですし、リハビリが中止されたからも半年以上になるので、脳神経科の医師の診断を診てもらいに出かける予定です。文章を書くことはかなり出来るようになり、とくに、パソコンの上で、吉岡忍さんに教えてもらった「シソラス(thesaurus)」のファイルを使えてからは、表現や言葉の使用こ便利になっています。しかし、複数の人たちとの議論になると、使い言葉が口に出なくなるのは、以前よりも悪くなっていると思います。リハビリを打ち切られたのは、いたかったと思っています。
明日は、市民の意見30の会・東京の事務局会議で、来年への意見広告運動の準備の相談で、出かけます。