(資料)あきる野市の前例から ――

 『市民じゃ〜なる』 1999年10月28日 臨時特集号より転載

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「小さな与野いいじゃないか!」 ’99年学習会報告

合併で町と暮らしはどう変わったか?

――あきる野市の事例から――

 

 去る9月12日(日)、与野市の下落合公民館に於いて、あきる野市の市民運動団体の方を招いての学習会が開催された。95年9月に旧秋川市と旧五日市町とが合併して「あきる野市」が誕生したが、丸4年を経たいま、合併の前後で市政はどのように変わったのか、具体的な体験報告を聞くと共に、身近な問題に重ねて状況の分析を行なった。

突然の合併推進で「行政のリストラ」

 この地域で市町村合併の話が持ち上がったのは27年前(72年)のことだったが、当時の合併構想では、秋川流域4市町村(秋川市・五日市町・日の出町・檜原村)を対象としたものだった。その後は特に合併推進の動きはなかったが、92年に日の出町と檜原村が時期尚早として合併不参加を決定したことから、突然、残りの2市町での合併話が急浮上した。
 94年、秋川市五日市町将来構想(マスタープラン)「ヒューマングリーン21」が策定されると同時に広報の全戸配布があり、各地で一斉に「説明会」が実施された。ところが、その前の市長選挙や地方議員選挙でも合併問題のことについては誰もひとことも触れていなかったため、住民にとってはまさに”寝耳に水”の出来事だった。また、行政側は急遽「住民意識」を問うアンケートを実施し、その結果を受けて『住民の意志は合併賛成である』として推進の根拠とした。しかし、この調査結果
は当時の新聞でも批判されたように、回答者は全有権者の4・2%に過ぎず、その過半数が合併に消極的であった。公然と『これで民意を反映した事になるのか』という批判があるにも関わらず、首長も議会も「改めて住民の意志を問う必要はない』と強弁を繰り返した。
 こうした行政の一方的主導で強引に推進された合併には、財政的に破綻寸前にある自治体を整理するという、田や東京都の「行政のリストラ」構想がある、と言われた。また、それに付随した様々な開発ブロジェクトに便乗しようという「利権追求型」施策であるとの批判もあった。その結果、マスタープランの全戸配布からわずか1年余りで合併が成立し、あきる野市が誕生する事になった

「住民投票条例の制定」を求める直接請求運動へ

 行政のアンケート調査直後から、両自治体の住民はそれぞれの地域で「住民投票条例」の制定を求める運動を開始した。いづれの自治体も法律で規定された人数を遥かに上回る署名数を集め、それぞれの臨時議会に掛けられた。両議会とも別室にまで傍聴人が溢れるほど住民の関心が高かったが、いづれも圧倒的多数であっさりと否決されてしまった。
 「否決」の理由としては、『合併は高度な政治問題であり、住民投票にはなじまない」『議員は住民から選ばれている。市政の事は市長と議員に任せてくれればいいんだ』というものだった。今年2月の与野市に於ける臨時議会での対応と一言一句同じものであり、自治体行政や地方議会の自立性に無さと底の浅さを露呈する出来事である。

合併時の約束はすべて反古、
法的拘束力のない「法定協合意」


 合併前の協議会合意である「サービスは高く、負担は低く」という約束は、合併当時は一応ある程度は守られた。しかし、都からの補助金が無くなった時、同じように予算が付くかどうかは当時から疑問視されていた。案の定、合併の半年後には市長を本部長とする「行革推進本部」が設置され、その懸念は直ぐに現実となった。96年11月、市長が「行革推進委員会」に諮問すると、その答申が出る前の翌年3月には早くも国民健康保険税が引き上げられ、学校予算が10%もカットされた。
 翌年に出された「委員会答申」では、『合併前の「サービスは高く、負担は低く」という標語は、合併時点での考え方であり……いまや受益者負担については「独自の基準」で見直す時期であり……一律的に各種補助金をカットすることも検討する』と開き直った。そして、合併後わずか1年半余りで旧市町の諸費用の調整は高い方に落ち着き、行政サービスは低い方に落ち着いた。そのくせ総額87億円もかけた新市庁舎の建設を進めるという矛盾した「答申」であり、さすがに『これでは明らかにペテンではないか」という市民の怒りの声が多かった。

 住民投票を求めて運動をしてきた人々が市役所に財政問題を質問に行ったところ、『当時の計画は合併協議会がやったことであり、現在の市議会や行政には関係ない』という回答だったとのこと。窓口になった市の職員を責めるのは酷だが、これでは行政は余りにも恥知らずであり、議会の存在はまったく意味が無いことになる。

拙速合併のツケはすべて「市民」へ
「合併」した途端に多額の借金を負わされた

 行政の事務一元化などの時間を要する作業はすべて先送りにされた結果、合併から丸4年を経たいまも、沢山の団体や組織が統合されずに残っている。特に高齢老や児童福祉に関する団体は、同じ市内でありながら別々の制度で運営されており、それぞれの商工会や観光協会も一本化されていない状態だという。
 また、無計画な開発推進と見込み違いの企業誘致策で膨らんだ市の債務は、97年度現在で570億円にも上り、市民一人当たりに換算すると75万円以上になる。現在、利息だけで年問7千万円も支払っていると言う。
 合併前は旧五日市町の住民は債務は無かったが、合併した途端に多額の借金を背負わされたことになる。これでは「詐欺」と言われてもしかたのないやり口である。
 与野市周辺で進んでいる合併問題も、このような事態を招かぬようにしっかりと行政を監視する必要がある。

情報公開の徹底と「合併反対運動」の拡大を!

あきる野市の合併での諸問題と、現在の埼玉での合併論議には非常に沢山の共通点があることが判ったが、与野市周辺での今後の課題としては、、四つの大きなポイントがあると思われる。
@情報公開の徹底。
A議会への信頼回復。
B延命や利権追求ばかりに関心を持つ「低俗議員」の排斥。
C拡散している合併反対運動の結束と拡大。の4点である。
 @については、与野市でも「情報公開法」が10月から発効したので、今までより格段に情報の収集が容易になってくるものと予想される。可能な限り利用してより詳細な情報を手に入れたいと思う。
 AとBについては、先の統一地方選挙において、与野市の合併反対運動の中から二人の議員を当選させ、選挙前より「合併反対」議員が二倍に増えたと同時に、四人の「推進派職議員を落選させ、与野市議会の勢力図に大きな影響を与える要素が築けた。隣接する浦和市でも合併反対を公約に掲げた新人候補が当選し、大宮市でも「三市合併反対」を表明している議員がおり、互いに情報交換や意見の交換を行なっているので、今後の展開に少なからず期待できそうである。
 問題はCの「運動の結束と拡大」であるが、合併当事者である三市なり四市一町なりの「合併反対運動」は必ずしも連携が取れているわけではない。与野市の内部でも残念ながら、選挙の終わった後からは、運動の「質」はともかく「量」の側面では充分とは言えない状況である。
 同時に、各地域での個別具体的な問題についての論議、例えば町作りとか合併の是非についての論理などを深めるべきである。
 幸か不幸か現在の「合併協議会」(任意協)」では、浦和市と大宮市との非常に低レベルの攻防が続いており、合併は当初予定された「新都心の街ぴらき」には到底間に合わない見込みになってきた。
 様々な事務二元化も先送りにしたままの「議員同士の利権争い」で進められる合併は、市民生活や住民感情を全く無視したものであり、益々「国―県−市」という上意下達の構造をより強固にするばかりである。そこには自治体の主体である「市民」の意志は反映される事のない、冷やかな行政の姿しか存在しないのである。
 来年4月には介護保険が実施され、それだけでも事務作業は混乱すると予想されているこの時期に、充分な論議も尽くさぬまま「合併」を推進する事は、明らかに無謀で無責任極まり無い暴挙であるとしか言えないものである。
 その点からも、今この時期に合併を行なうべきか否かその是非を、改めて住民に問うべく「住民投票」を実施すべきであると考える。そのためには、益々学習の必要性があり、市町村合併や政令指定都市の問題について、より深い理解ができるように努力したいものである。

(編集部・長渡)