グローバリゼーションはみずからの弔鐘を鳴らしつつある
――
西洋的・擬似西洋的な論理と価値の崩壊――
高橋武智
2001.10.29
〜11.15
目次
序詩 2
1 はじめに 3
1.1 話の発端.
. . . . . . . . . . . . . . 3
1.2 「自由と人権大国」の裏面.
. . . . 3
2 戦争の現局面をどうとらえるか3
2.1 「目には目を、歯には歯を」.
. . . 3
2.2 民間人の死者をどう考えるか.
. . . 4
2.3 アフガン戦争の性格の変化.
. . . . 4
2.4 相も変わらぬ帝国主義的干渉戦争.
4
2.5 タリバン後の解決?
. . . . . . . .
5
3 日本は参戦国になった 5
3.1 米国の最も忠実な番犬の憲法理解.
5
3.2 小泉ナショナリズムの運命.
. . . . 6
3.3 右往左往する自衛隊の行方.
. . . . 6
4 西洋(擬似西洋)中心のグローバリゼーションの破産 6
4.1 国家の専権事項であり、原罪としての戦争.
. . . . . . . . . . . . . . . 6
4.2 戦争非合法化への第一歩.
. . . . . 6
4.3 国連のプラスとマイナス.
. . . . . 7
4.4 グローバリゼーションと支配的な西洋的価値の矛盾.
. . . . . . . . . . 7
4.5 文明を西洋中心主義と同一化できない8
4.6 さらなるグローバリゼーションは危険水域.
. . . . . . . . . . . . . . . 8
4.7 とりあえずの結論.
. . . . . . . . . 9
5 補論:「イスラム原理主義」について 9
5.1 ユートピア史上くりかえされたミレナリスムの現代版.
. . . . . . . 9
5.2 ミレナリスムの起源.
. . . . . . . 10
5.3 社会変動を激発させたミレナリスム10
5.4 ミレナリスムの起源はゾロアスター教11
5.5 宗教信仰に内在する社会変革のいぶき11
5.6 イスラム革命の成功とその射程.
. 11
5.7 豊かな潜在力ゆえのイスラムの受難12
5.8 フーコーが予感したイランとパレスチナの結合.
. . . . . . . . . . . 12
5.9 ビン=ラディンの軌跡.
. . . . . . 12
5.10 結びにかえて.
. . . . . . . . . . . 13
|
序詩
国が戦争をするというとき
――ブッシュの議会演説と、
小泉の対米支援7
項目をきいて
国が戦争をするというとき、
相手がだれであれ、
その国の姿は
いにしえの植民者、植民地主義者、
新植民地主義者に似てくる。
ジャングルの掟、弱肉強食の掟にしたがうからだ。
国が戦争をするというとき、
まっさきに犠牲になるのは
相手に選ばれた人々と その国の市民。
同時に
自国の市民、とくに若者たちだ。
殺人の系統的な累積こそ
常にかわらぬ戦争の実態だからだ。
国が戦争をするというとき、
それによって 追求すると称する
目的を達することはできない。
国内の自由と人権も侵される。
どんなに崇高な目的でも、
テロリズム撲滅が目的でも、
戦争という手段そのものが
不条理で非人間的なものだからだ。
国が戦争をするというとき、
15 年戦争における大日本帝国、
第2
次大戦におけるナチス・ドイツ、
ベトナムにおけるアメリカ合州国、
アフガンにおける旧ソ連の末路を
思い出してからでも遅くはない。
歴史は戦争が引き合わなかった教訓に
みちみちているからだ。
国が戦争をするというとき、
指導者は想起せよ。
まにあううちに、
まだ まにあううちに。
戦争自体が人道にたいする罪だ
ということを。
国が戦争をするというとき、
戦争が目的そのものとなり
掲げる目的はそのための口実となる。
そして 狂気が正義にとってかわる。
(
2001.9.22)
1
はじめに
1.1
話の発端
9
月11
日の事件とその後の展開にじっとしていられなくて、年甲斐もなく3
度もデモに参加した。だが正直なところ、インターネットをとおして流れてくる情報量が豊かな反面、さらに強く行動へのめりこむには徒労感が大きすぎて、息切れがしている。
若い友人と電話で共同翻訳の打ち合わせをした際、談たまたまこの件に及び、その会話に触発されて、所詮メモ書きの域を出ないが、ちょっと頭を整理して、以下の文章を書いてみようと思い立った。
1.2
「自由と人権大国」の裏面
話題がそれると思われるかもしれないが、翻訳しているのがどういう内容のフランス書か、ひとこと触れてから本題に入りたい。
ドゴールからミッテランをへてシラクにいたるフランスの歴代大統領およびその側近と、独立した新興アフリカ諸国の支配層との政治的・経済的・軍事的癒着関係を詳細に報告したもので、「共和国の最も長いスキャンダル」との副題がついている。新植民地主義などというお上品なものでなく、フランスに
3
つある秘密諜報機関?グリーンピースの「虹の戦士」号を沈めたのもその1
つ。それぞれがCIAと考えていただけばいい?が競合しながら現地のリーダーと意を通じ、暗殺・侵略・内乱介入・傭兵の利用をこともなげに実行する、読んでいるのが耐えがたい、しかしまぎれもないアフリカの現代史である。話はフランス語圏にとどまらず、英語圏もまきこんで展開する。「自由と人権大国」フランスとはお世辞にもいえない影の部分が詳細に暴露されており、アフリカに関するかぎり、「国民国家」などとは仮想の存在にすぎないことがいやというほど痛感される本だ(『フランサフリック』(仮題)1、緑風出版から近刊)。
1
【編注】Verschave,
Fran,cois-Xavier, La Fran,cafrique :
le plus long scandale de la R´epublique,
Stock, Paris, 1998
2
戦争の現局面をどうとらえるか
2.1
「目には目を、歯には歯を」
「目には目を、歯には歯を」とは聖書の一句として知られ、今回のテロと報復を論ずる際にもしきりに引用された。この句はもともと世界最古の法典として知られるハンムラビ(西暦前
17
世紀のバビロニアの王)法典2
の一節で、それ以前の「目や歯を奪った者にたいする罰として生命を奪う」というアンバランスな報復刑から脱し、「罪に見合った刑罰を」というそれなりに合理的な刑法思想を述べたものであると聞いた覚えがある2。
戦争をめぐる国際法のことはあとで触れるつもりだが、「あれだけのことをやられたのだから、自衛権を発動するのは当然」「われわれの側につかない者は、敵に味方する者だ」というたぐいの米国指導者の単純きわまる二分法的言説は、死刑廃止をふくめ、曲がりなりにも現代の刑法概念まで営々とつみかさねられてきた罪と罰の相応性をいっさい無視した暴論だ。
もちろん死者の数を軽々しく比較することは許されないが、ニューヨークやワシントンの数千人の死者を、十数万にのぼるかもしれぬアフガニスタンの餓死者や、最近の報道によれば、集束(クラスター)爆弾やデージー・カッター(daisy
cutter)などの残虐な爆弾3の使用や絨毯爆撃によって、無数の敵戦闘員や民間人の虐殺であがなおうとする国家戦略は、はるかハンムラビ王以前の、被害と報復(あるいは処罰)のあいだの均衡をまったく欠いた未開時代への一気の退行でなくて何であろう。それが「文明の名において」おこなわれている事実を告発することこそ、本文のテーマの1
つである。
【編注】2
ハンムラビ法典(ハンムラピ法典ともいう)は、バビロニア統一の基礎を築いたバビロン第1
王朝第6
代の王ハンムラビ(在位:前1792〜前1750
年)によって制定された楔形文字法典(1901
年にスーサ(イラン南西部)で発掘され、ルーブル美術館に収蔵されている)。文中にもあるように、復讐としての無制限の私刑に枷をはめる内容であり、タリオ(同害刑)と言われる。旧約聖書の「出エジプト記」21
章などでも言及されており、イエスが「山上の垂訓」(マテオによる福音書5〜7
章)でそれを否定したことで知られる。
3
クラスター爆弾は一種の「親子爆弾」で、容器のなかに多数の小さな爆弾が入っており、広範囲にわたる殺傷能力をもつ。デージー・カッター(燃料気化爆弾)は、引火性・気化性をもつ液体燃料が着弾直前に空中で飛散し、周囲の空気をとりこみながら爆発する。いずれも、殺傷能力がきわめて高く、とくに気化爆弾については使用を禁止すべきだとの声が高いが、米国は拒否している。
3
2.2
民間人の死者をどう考えるか
とくに筆者のように、戦争と暴力の世紀だった
20
世紀を検証し総括することを人生の残りの仕事としている者にとっては、第1
次世界大戦では非戦闘員の死者はわずか5%だったのが、それから半世紀もたたない第2
次大戦では一挙に50%にのぼり、今日の戦争・紛争(定義しだいだが、ルワンダの大虐殺などもふくむのだろう)では実に90%におよぶというおどろくほど急増する数字の列(拙訳のJ=F.
フォルジュ著『21
世紀の子どもたちに、アウシュヴィッツをいかに教えるか?』4による)をどう逆転させるかこそ、新世紀の至上の命題でなければならないのに、ユーゴ空爆の際に実行された「味方の戦闘員の死者をゼロに」というNATO指導者の軍事理論は、敵側の戦闘員・非戦闘員の犠牲には一顧もはらわないことで、上述の非人道的な数字をさらに極端に押し進める驕り以外のなにものでもなかった(だが、米軍機がイタリアのロープウエーのケーブルを切断したため、味方の民間人にも犠牲者を生んだ)。その延長上に構想され実行されているアフガン戦争にいたっては、ほとんど言葉を失う。
ビン=ラディンに言われるまでもなく、広島・長崎への原爆投下はもとより、民間人へのテロも無差別空爆も、20
世紀をつうじて人類の共同財産になりつつあった「人道にたいする罪」の1
つとして、厳しく弾劾されなければなるまい。
4
【編注】Jean-Fran,cois
Forges, Eduquer contre Auschwitz, ESF
´editeur, 1997 (2`eme ´ed):邦訳は作品社、2000年
2.3
アフガン戦争の性格の変化
西部劇の保安官の言葉としか評しようのない、前記ブッシュの脅迫的言辞とともに、
10
月7
日に開始されたアフガン空爆は、この1
か月余のあいだに急速に性格を変えつつある。
はじめは、国際テロの首謀者とされたオサマ・ビン=ラディンを「生死にかかわらず」召しとることを目的としてうたっていたが、彼を客人と遇するタリバン軍の抵抗が意外に手ごわいと分かると、一転して敵はタリバン政権に変わったように思われる。米国が承認していないとしても、タリバン政権はアフガニスタンを「実効支配」していると日本のメディアはくり返し報道していたのだが。つまり、この段階で、アフガン戦争はまぎれもなくアフガニスタンを敵とする米英軍の戦争になったのである。英語には、「アフガン事変」などという便利な言葉はない。
米国の主敵がタリバンに変わるにともない、タリバンを承認している諸国へ承認取り消しの圧力がかけられ、タリバンの内戦上の敵にあたる北部同盟への軍事顧問派遣をふくむ軍事援助と、その背後にいる国々(旧ソ連の中央アジア諸国)への外交的圧力がにわかに高まった。日本のメディアもまた、タリバン軍と北部同盟の内戦の報道に重点を置きはじめた。
要するに、事態は報復戦争ないし懲罰戦争から、米軍をはじめとする「多国籍軍」による古典的意味での「内戦への干渉戦争」となったのである。
「多国籍軍」という外観は、一方で国際テロへの報復という錦の御旗をかかげるのに必要とされているが、湾岸戦争のときのように国連のお墨付きをもらっているわけではない。大きな包囲網からいえば、作戦遂行のためには、実は米英軍だけのほうが意思統一をはかりやすいのだが、国際テロ撲滅という大義名分に横並びしつつ、しかし同時に米国だけの思いのままに世界を委ねないという明確な国家意志をもって、EUのなかのいくつかの軍事大国、フランス、ドイツなど(他のEU諸国は武力行使には賛成していない)は派兵を表明している。これは作戦の調整と、とりわけ事後のアフガン処理をめぐる交渉をいちじるしく複雑にするであろう。
2.4
相も変わらぬ帝国主義的干渉戦争
このこと自体、「
21
世紀の新しい戦争」どころか、19〜20
世紀を通じてくりひろげられた無数の「干渉戦争」「植民地獲得戦争」「植民地再分割戦争」とまったく同じ様相を呈している。すなわち、戦争への「貢献」に応じて、有利な分け前を戦後に獲得することを狙いとした帝国主義戦争そのものなのだ。
米英は作戦遂行のため、近隣諸国に基地が必要になり、飴と鞭を使い分けている。タリバン政権の中軸であるパシュトゥン人をかかえるパキスタンは、米国の脅しや援助と、ムスリム民衆のアフガンへの連帯意識と反米意識の前に文字どおり引き裂かれようとしている。イランは米国にとっては「ならず者国家」であるにもかかわらず、戦争に反対しつづけている。チェチェンという少数民族の分離独立の動きに手を焼いているロシアは、米国およびEUへの傾斜をつよめ、中央アジア諸国の北部同盟への肩入れを支持している。これにくらべると、新彊・ウイグル地区にイスラム教徒をかかえる中国の国際テロ弾劾は、NATO軍機によって在ベオグラード大使館を破壊された経験もあって、よりプラトニックであり、国連中心主義的な立場をとっている。
米英ロ仏独などの強大国にとってだけでなく、前記中央アジア諸国はじめアフガン北辺の国々にとっては、カスピ海沿岸の石油とパイプライン設置の問題にはもっと複雑な利害関係がからんでいるようだ。ロシアへの経済的従属から脱する道を与えてくれる可能性があるかわりに、例によって例のとおり、米国などからの援助と引き替えにより大きな権益を奪われる可能性もあろう。
アフガニスタンを楕円の1
焦点とすれば、発火の一歩手前にあるもう1
つの焦点は疑いもなくパレスチナであろう。(つい先日、東京国際映画祭で上映されたイスラエル左翼の監督アモス・ギタイのドキュメンタリー『ラシュミア谷の人々――この20
年』(2001)は、10
年おき3
回のインタビューをつうじ、貧しいユダヤ住民とパレスチナ住民とが曲がりなりにも共存しえた事例がありえたことを、両者をともにのみこむ都市化・グローバリゼーションの嵐とともに描いた秀作だった。)
世界の反戦主義者、平和主義者、それにこの楕円を中心にひろがる20
億のムスリムが数日後に迫ったラマダンを前に息をのんで戦闘の成り行きを見守っている。
2.5
タリバン後の解決?
すでに述べたように、アフガン戦争は古典的な植民地干渉戦争として戦われているが、それを即刻停止させることこそ、最大の国家テロを停止させることであって、戦争廃絶を願う人類の共通遺産にもとづく世界民衆の義務であろう。ついでに言えば、「国家テロ対国際テロ」とは言葉の上の遊びでしかない。国家には現実の実体があるが、他方にはないからである。
いわんやその結末は、断じて「弱肉強食」のそれであってはならない。
ただ
1
つ、ありうる解決策はアフガニスタンの諸民族が共存しうる政治形態・社会体制をみずから発見することだけであろう。
そのためには、紛争に関係した諸国は(もちろん日本をふくめ)すべて手を引き、いっさい発言権をもつべきでない。
アフガニスタン人民の許す組織だけが――諸国のNGOであれ、国連であれ、イスラム教国会議であれ――彼らの自己再組織を援助することができる。食糧援助や、復興援助についても、同様であろう。
3
日本は参戦国になった
本が公式に参戦国になったいきさつについては、詳しく論じる必要もあるまい。
就任以来の小泉は一貫してアジア隣国を蔑視し(教科書問題と靖国公式参拝と、双方にたいする批判への対応をみれば十分であろう)、世界といえば米国基準(ブッシュのひきいる米国自体が終始一貫米国基準をあらわにしているのは当然として)しか頭にない政策をつづけてきたが、
9
月11
日以降、支持率の高さをたのみに正面突破して、危険で狭量な選択をおこなった結果である。
3.1
米国の最も忠実な番犬の憲法理解
小泉は鬼の首でもとったように、憲法前文から「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」という一句をとりだして、国際テロに毅然として戦わなければいけないと主張したが、そのために、その前段にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」文章も、彼の引用した「国際社会」の直前にある「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている」という修飾節も、さらに後段にある「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という文章をも無視してしまった。非武装日本のあり方も、あるべき国際社会の理念(現在の国際社会がここからどれほど遠いか)も、毅然としてテロと戦う姿勢が日本国憲法の掲げる理想像といかに離れたものであるかも、彼の頭をよぎることさえなかったらしい。
3.2
小泉ナショナリズムの運命
上で見たように、憲法前文を「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」の一文に還元したことにより、小泉は
2
流のナショナリストになった。
第1
に、隣国を蔑視し歴史を無視しつづけることにより、アジアにおいてさえ「名誉ある地位」を占めることはできまい(「ASEAN+3」会議が示したとおりだ)。
第2
に、「反テロ支援法」か「米軍支援法」か知らないが、自前のナショナリストではなく、「米国(軍)のための」ナショナリストにすぎない。米国との関係しか考えないナショナリスト、憲法を無視し、それをめぐる論争を回避した卑怯なナショナリストとは、それ自身矛盾した存在である。
というのも、「〜のためのナショナリスト」は本来ナショナリストではありえない。その点で、「新しい教科書をつくる会」の面々はもとより、米国との論争や衝突もいとわぬ石原、中曽根らとのあいだにも、早晩軋みをはらむだろうにちがいない。
第3
に、「国際社会」の複雑な認識をまったくもたない故に、もっといえば、「外交能力」をまったく欠くために、変わり身の早い(インター)ナショナリストになることもできず、ドン・キホーテの後方をウロチョロするサンチョ・パンサに終始するほかないであろう。
3.3
右往左往する自衛隊の行方
ともかく、自衛隊は小泉ドクトリンのもと、はじめて実戦配備についた。しかし、それをめぐる言説は支離滅裂というほかない。現実には世界第
3
位の軍事費を費やしているというのに、それほどの「戦力」でないと言ってみたり、みずから憲法との「矛盾」を認めたり、という定見のなさでは、与党内の諸潮流の動きや、制服組と防衛族の出方しだいでは、そして何よりも、隣国の忌まわしい記憶のよみがえりと、アフガン戦争の帰趨いかんによっては、「構造改革」の行方もろとも、彼の自衛隊論は崩壊せざるをえないであろう。
4
西洋(擬似西洋)中心のグローバリゼーションの破産
4.1
国家の専権事項であり、原罪としての戦争
ほかの場所で書いたことがあるのでくり返さないが、国家は権力および戦争とともに誕生した。しかも、構成員にたいする生殺与奪の権を含意する対内権力と、異国家にたいする戦争の権とは、同じコインの裏表である。そう、戦争とは国家テロであるという認識はいく重にも正しい。
歴史をつうじて無数の死傷者を生み出した痛ましい経験により、このような戦争への批判、戦争を生み出す国家への批判もまた、しだいに表現され蓄積されるようになった。
いまこれ以上、歴史に立ち入る余裕はないが、たとえば、
17
世紀のグロティウス5や19
世紀のカントのような傑出した名前を、国際法や永久平和のために闘った先人としてかかげることは許されるであろう。
5 【編注】(1583〜1645)オランダの法学者・外交官。国家・宗教の対立を超えた自然法の存在を強調し、近代国際法の祖と呼ばれる。著書に『戦争と平和の法』『海洋自由論』など。
4.2
戦争非合法化への第一歩
その後、紆余曲折をへた自然法思想や啓蒙思想や国際法思想の発展ののち、戦争の巨大化に対応した画期的な日付を
1
つ挙げるとすれば、1928
年のパリ不戦条約(ケロッグ=ブリアン条約)6であろう。これによって、日本国憲法に先だち「国際紛争解決の手段としての戦争」は国際的に非合法化されたのである。しかし残念なことに制裁規定は設けられなかった。国家が専権事項=原罪を保持しておかなければならない必要性と必然性がいまだあまりにも強力だったからであり、事実そのことは第2
次世界大戦の勃発と進行により遺憾なく証明された。
たしかに第2
次世界大戦は日独伊のファシズムを打倒し、平和への道行きにおける重要な機構として、1945
年に国際連合を生み出しはした。もちろん国連においても、自衛のための戦争以外の戦争は、当然のことながら認められていない。
しかし、戦勝国の合意のもとに設立された国連には、安全保障理事会の常任理事国に拒否権が集中しており、そのため、冷戦期の紛争はしばしば国連外で解決されなければならなかった。冷戦後も、本来国連が国連の名においておこなうべき、非合法な武力行使を防止ないし抑止する行為がうまく機能していないのは、湾岸戦争と、今回のアフガン戦争の例を見るだけで十分であろう。
6
【編注】正式名称は「戦争放棄に関する条約(Treaty
forthe Renunciation of War)」。1928
年8
月27
日に署名され,翌1929
年7
月24
日に発効した。
4.3
国連のプラスとマイナス
この一瞥から、国連には限界があり、理想は空しく現実は厳しい、という結論を引き出すのは簡単だ。だがむしろ、機構自体が問題なのではなく、機構を動かす人間
?ここでは、国連の主体たるべき世界の民衆?にこそ問題があると課題を設定すべきではなかろうか。
政治家が、権力者が戦争をやめ、平和を受け入れるのは、みずから進んでのことではない。ちょうどどんなに米国指導者がベトナム戦争をつづけたかったにしても、戦場からの脱走兵が50
万7にのぼった末期にいたっては、米軍を南ベトナムから撤退させざるをえなかった事実を想起しよう。同様に、戦争と平和の闘いの歴史もまた、権力をめぐるこのような一進一退の結果であると理解したほうがいいのではないだろうか。
7 【編注】『米国軍隊は解体する』(清水知久、古山洋三、和田春樹著、三一新書、1970
年)によれば、米国国防総省が公表した脱走兵の数は、1967
会計年度に40,227
名、1968会計年度に53,352
名、1969
年会計年度に73,839
名(推計)。無許可離隊したものは1967
年に134,668
名、1968年に155,536
名。これらをすべて合計すると457,622
名。
たとえば、国連がいまもかかえる数々の欠陥にもかかわらず、今年国連は人種差別にかんする国際会議を、アパルトヘイトの傷まだいえぬ南アフリカ共和国で開催した。その決議には不十分な点があるかもしれないし、決議にいたるはるか以前に、議題と運営への不満から、米国とイスラエルが会議そのものをボイコットしたことはよく知られているとおりだ。
しかし、この決議がはるか過去にさかのぼって、奴隷貿易、奴隷制度、植民地主義までを追及し、今日の世界にみられる数々の人種差別をその根源において指弾したことの意味はかぎりなく大きい。
また、ニュルンベルク裁判判決に由来する「人道にたいする罪」は国際的に認められただけでなく、いくつかの国でも立法化されるにいたったし、ハーグにはこれを裁くための国際刑事裁判所も常設されている
8。この名のもとに裁かれる罪も、第2
次大戦中のユダヤ人迫害にたいするものに限られなくなってきていることも注目すべきだ(もちろん賛否は分かれているが、アルジェリア戦争中の諸犯罪9、旧ユーゴスラビアの人種浄化作戦など)。
4.4
グローバリゼーションと支配的な西洋的価値の矛盾
だが問題は、機構を動かす人々にあると同時に、あるいはそれ以上に、その機構がよってたつ論理や思想によっても規定されている事実を直視しなければならないと考える。
たしかに前項までで述べた平和への歩みは、歴史上の無数の犠牲者の声にうながされた、世界中の平和主義者の努力の賜物だったにちがいない。
そのなかには、憲法史上はじめて戦争を放棄した日本人の「軍事拒否国家日本」への動きも数えられようし、その運動自体、実は明治以来の反戦運動の歴史の延長上に刻まれてきたことを忘れてはなるまい。
8
訂正:以前からハーグに常設されているのは国際司法裁判所。旧ユーゴなどの問題ごとに開設されるのが国際刑事裁判所。
9
訂正:アルジェリア戦争中の諸犯罪については、「人道にたいする罪」でフランスの裁判所に提起されているところ。
だが、たとえば、パリ不戦条約以来の国際的平和運動や国際機関の構想などを概括しようとしたとき、それらが、そこにいたるまでの平和思想の多くと同様、世界史において西洋が占めてきた圧倒的に優越的な地位を反映して、西洋的な(この語を、西欧と米国をあわせた意味で使う)思考や価値観といった枠組みのなかで主として展開されてきたことを否定するわけにはいかない。
早い話が、人種差別にかんする会議でとりあげられたテーマ?奴隷貿易、奴隷制度、植民地争奪戦争、植民地再分割戦争、政治的迫害、経済的搾取、文化的抑圧、アパルトヘイトに象徴される制度的差別?のほとんどすべての責任を負うべきは、西洋諸国と西洋人(および、それに追随した名誉白人的・擬似西洋的「日本人」など)であり、もっとありていにいえば、国連安保理事会の常任理事国とその忠実なお仲間なのである。
4.5
文明を西洋中心主義と同一化できない
今回の干渉戦争について、米国のリーダーと、イタリア首相や日本国首相などの追随者が、つい口をひらけば、みずからがよってたつ「文明」の名において「野蛮」をたたくのだと自己正当化するところに、このことは最もあざやかに表現されているといえよう。これほどまでに、「西洋中心主義」は「文明」と同一化されているのだ。
しかし、かたつむりのようなのろい歩みにせよ、国連や、国際司法裁判所や、その他無数の人道的NGOが活動を多様化し、普遍化し、グローバル化していくにともない、西洋的な思考の枠組みは国連その他の器と相容れない面がますます大きくなってきている。
とくに、今回のアフガン戦争にいたっては、世界最強の安保常任理事国(=米国)が、たしかに
1国をこえる規模で実行されたかもしれないが、いかなる国家の行動でもなかったテロ事件を他国からの攻撃と言いくるめ、国連をすりぬけ、したがってそもそも成り立たない「自衛権」を発動したことによって起こったのである。政治的・経済的・軍事的な力に物を言わせて、湾岸戦争、NATOによるユーゴ空爆などですでに試みたことを無限定に拡張し、これ以上好き勝手にやらせておくことができないところまで事態は来てしまっている。
4.6
さらなるグローバリゼーションは危険水域
その結果は、よくて国連を破壊、ないしみずから設立した国連を否認することになろうし、悪くすれば、アフガン戦争を第
3
次世界大戦にまで発展させることになろう。
翻訳家という商売がら、『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙』(日刊)、『ル・モンド紙』(週刊版)、『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール誌』(週刊)には欠かさず目を通しているが、これら質の高いといわれるメディアに関するかぎり?エドワード・サイードがハンチントンの『文明の衝突』に触れて、文明の相互依存性を説いた論説を発表したのを唯一の例外として?米国のアフガン戦争を根底的かつ内在的に批判した文章にはついにお目にかからなかったし、またそのような文章があるとの報道にも接しなかった(インターネットをつうじてのチョムスキーの論説などに触れられたのは、例外に近かったのではないか)。
この事態は、西洋的論理が、みずから構築した国際平和機構を相対化する力、ないし和平プロセスを推進する能力を完全に喪失したことを示している。西洋的価値観は、数世紀にわたって世界を支配し、自分の姿に似せて世界をつくりあげたあげく、組み立てた積み木をこわす赤子のように、世界の破壊にとりかかりつつある。設計図を描くこともできずに。
ラマダンをよい機会に空爆を即時中止せよ。せめて、飢え死にしつつある人々への食糧補給を保証するよう、無期限に空爆を中止せよ......。
もはやわれわれは、自由落下し崩壊の一途をたどりつつある米国主導のグローバリゼーションを相手にしているわけにはいかない。真に主体的な道、ローカルかつグローバルな基準を民衆の手でつくりあげる以外にないであろう......。
4.7
とりあえずの結論
タリバン政権軍と、米英ロその他諸国の掩護をうけた北部同盟軍とのあいだの戦闘が急展開をつげるなかで、これ以上論理をもてあそんでいるわけにはいかない。本章のまとめとして、次の
3
点を摘記して終わることとする。
第1 米軍を中心に、EUの軍事強国、ロシアとアフガン北辺の中央アジア諸国、日本、その他の国々が、文明の名において?より的確にいえば、文明を口実にして?苦難をなめつつあるアフガニスタン人民にたいし開始した報復戦争=懲罰戦争、およびその当然の帰結として継続中のアフガン干渉戦争は、彼らがつくりあげてきた、そして依拠すると主張する国際法にも違反しており、どのようにしても正当化することができない。彼らが容疑者として追及するビン=ラディンやオマル同様、彼らもまた、然るべき司法機関において、「人道にたいする罪」を裁かれなければならない。
第2 解決の見取り図や主体さえ念頭におかずに、この不正で非人道的な戦争に加わった諸国と軍隊は、まさにこの理由により、与えた被害と犠牲にたいし、アフガニスタン人民に賠償を支払うべきである。仮に戦火がやむことがあっても、彼らがその後のアフガニスタンの政治・経済・社会体制に口をさしはさむことができないのは当然である。アフガニスタンの将来は、自由に表明された同人民の意志にしたがって決定されよう。彼らの要請ないし委託があった場合にのみ、国連その他の国際機関やすべての国々とNGOは、その再建と復興に協力すべきである。
第3 実行行為者の弁によれば、第1
に述べた今回の戦争行動は、ベトナム戦争、多国籍軍による湾岸戦争、NATO軍によるユーゴ爆撃と同じく、文明=善による野蛮=悪の懲罰にほかならなかったが、その実態は、強大国とその同盟軍による弱小国への恣意的な軍事作戦であった。どの戦争でも、新兵器の大量使用によって、民間人を含む多数の死者を生み出した、この一事をとっただけで、いかに正しかろうと、攻撃の名目にはまったくつりあわない被害を相手国に与えたのである。
筆者の知るかぎりでは、この点に着目し、ベトナム戦争からアフガン干渉戦争にいたる一連の行為を「文明の自己否定」として根抵的に批判する知識人の意志表示は、こと西洋諸国からはきわめてわずかしか聞かれなかった(この理解が無知によるものであれば、おおいに嬉しいが)。文明をもって、無意識にせよ、西洋中心主義と同一化する認識はここに完全に破産したこと、今こそ西洋的価値観を相対化しなければならないことを宣言せざるをえない。
5
補論:「イスラム原理主義」について
5.1
ユートピア史上くりかえされたミレナリスムの現代版
アフガン戦争を主に論じて、その発端にあった
9
月11
日のテロについて語っていないとの批判があるかもしれない。
筆者は断続的にユートピア思想・文学・運動――この3
者をきりはなすことはできない?を研究してきたが、そのなかでも、今日もなおアクチュアルな意味をもちうると考える「宗教的信仰を媒介とするユートピア運動」に特別の関心をいだいてきた。
結論的にいえば――正確な用語、とくにイスラムにおける正確な用語法を知らないので、いわゆる「イスラム原理主義」10で通すことにするが――この現象は「宗教的信仰を媒介とするユートピア運動」の現代イスラム版であろう。断っておくが、実践的ユートピアが、歴史的には常に、その反対物である逆ユートピア運動に堕落し、転化し、滅び去っていったことは冷厳な事実である。
10
【編注】「イスラム原理主義」という用語は、イスラムの事例を表面的にとらえ、キリスト教の聖書根本主義(ファンダメンタリズム)になぞらえた西欧での呼称である。この運動は、本来的には19
世紀後半から始まった、西欧列強への支配に対する抵抗や伝統的価値観の変革といった意味合いをもつ。日本のイスラム学では、一般に「イスラム復興運動」と呼ばれている。
上記のような広い文脈のなかで考えるとき、「イスラム原理主義」を単なる一狂人の孤立した思想であるとみなすことはできず、むしろ十分に社会的分析に耐えうる現象であると考えることが合理的であろう。個人的に賛否を表明することはもちろんできるが、少なくともこのような現象が生まれてくる社会的根拠を否定することは困難であると考えられる。
ただし、イスラム専門家でなく、宗教史一般の専門家でもない筆者には、そのような客観的・歴史的な分析をおこなう能力はない。以下話の前提として、洋の東西を問わずくり返し出現しては挫折したこの種のユートピア運動を、百科全書的な背景のなかに位置づける努力を試み、識者によって問題が煮つめられることを期待したい。
5.2
ミレナリスムの起源
この一般的社会現象は、のちに説くようにイスラムにも、仏教にも見られるのだが、伝統的にはキリスト教を主たる対象とする西洋語で
?とくに日本語で発音しやすいよう、フランス語をつかうと――「ミレナリスム(millenarianism)」と呼ばれる。訳せば「千年王国思想・運動」となろう。名が体を表す語とはとうてい言いがたいが、しばらく辛抱していただきたい。
新約聖書の末尾におさめられた『ヨハネの黙示録』20
章には、善と悪の壮絶な闘いのさなかに、イエスが再臨して、千年間世界を支配し、殉教者をよみがえらせるとともに、悪魔の動きを封じこめる、という予言がある。この「千年間の支配」のことがmillenniumなのだ。どうでもいいが、この千年のあと善悪の闘いは再開され、いわゆる「最後の審判」はもっとあとに来るようだ。
この千年の支配という「一種の終末期」を単なる予言と見るか、それともかならず訪れる未来=真の終末と見るかをめぐって、神学上の論争があったらしいが、後者、つまりいつの日にか実現する出来事と考える神学者は、教会の公式の教義からは異端とされながらも、ヨーロッパを中心に1
つの地下水脈を形成していた。
5.3
社会変動を激発させたミレナリスム
これだけなら、終末論をめぐる単なる神学論争にすぎないが、しだいに発展したミレナリスムは、中世から近世にかけ、広範な民衆の心をとらえることによって、いくつもの社会変動を醸成する酵素というか、信仰的媒体の役割を果たしたのである。
筆者なりに、このメカニズムを説明すれば、次のようになろうか。第
1
にキリストはたしかに再臨するのだが(この信仰の深さは疑いえない)、いつなのか、という時の指定はない。ただ、悪魔・サタン・蛇・竜に象徴される悪と、天使に象徴される善とが死闘を演ずる時代とは、圧倒的多数の善良なる民衆にとっては、善悪の対立が激化した時期にほかならず、むしろ多くの場合、貧困・疫病・天災・戦争・重税などにおしひしがれる眼前の状況に比定されたのが普通ではあるまいか。ミレナリストの聖職者が「厳しい状況の今こそ再臨の時は近いのだ。闘いにたちあがろう。殉教者はキリストによって生き返る」と説くならば、そしてそれが雄弁ならば(たとえ、デマゴギーであろうと)、何万、何十万の民衆が動き始め、社会的に動員されるにいたるのだ。
これは架空の話でなく、ノーマン・コーン著/江河徹訳『千年王国の追求』(紀伊國屋書店・1978)11を読めば、同種の例が枚挙に暇ないほど引かれている。十字軍への貧民層の動員も、実はこのような宗教的熱狂のうちに組織されたのだし、ミレナリスムの運動は時代を追って過激化し革命性を帯びてくる。
コーンはその特徴を、
1. 信者による共同体的、
2. 彼岸においてでなく、地上で実現される意味で、現世的、
3. 忽然と現れる点で、切迫的、
4. 新しい制度は完璧という意味で、絶対的、
5. 超自然的な力をかりて完成する意味で、奇跡的、
と要約しているが、正統神学との最も重要な分岐点は、「彼岸に天国を求める」のでなく、「いま、ここで(Hic
et nunc)千年王国を実現しようとする」点にあろう。
11 Norman Cohn,
The Pursuit of the Millennium: Revolutionary messianism
in medieval and Reformation Europe and its bearing on modern totalitarian
movements, originally published in 1957.
エンゲルスが「ドイツ農民戦争」と名づけた
1524年〜25
年における聖職者トマス・ミュンツァー12の活動や、1534
年2
月から1
年半つづいたミュンスターの再洗礼派王国の歴史はなかでも代表的な突出例であろう。
その後もキリスト教的ミレナリスムにはさまざまな変種が生まれ、今日でも形を変えつつ米国に生き残っているといわれる。
12
【編注】Thomas M¨unzer(1490?〜1525)ドイツの宗教改革者。教会や国家など、既成の秩序の終焉と、本来の平等を実現した地上における「神の国」の建設を唱えた。ドイツ農民戦争の際、これを聖戦とみて農民を率いて戦ったが敗れて刑死。
5.4
ミレナリスムの起源はゾロアスター教
西洋中心にたどってくると、キリスト教特有の現象と思われるかもしれないが、キリスト教はその終末観をユダヤ教から受け継ぎ、ユダヤ教は古代ペルシャのゾロアスター教における善悪の死闘に影響を受けたと言われる。
西へ移って、ミレナリスムが生まれたのにたいし、ペルシャから東へ移り、仏教ではこの終末観は弥勒(マイトレーヤ)信仰に形を変えた。弥勒は未来仏とも呼ばれ、
50
億年以上のちに釈迦に遣わされてこの世に現れ、釈迦の救いから洩れた人々を救ってくれることになっている。この茫洋たる時間には仏教的誇張があるため、逆に非時間を含意するととらえられているようだ。
中国に入った弥勒信仰は、古来の道教の教義などとも習合し、また中国社会に伝統的な秘密結社とも結びついて、それにおそらくは易姓革命の思想にも助けられてであろう、腐敗した王朝をいくつも打倒することに成功した。形態は変わっても、ミレナリスムと同方向の政治的・社会的機能を中国において果たしたのである。
日本では、親鸞によって阿弥陀への媒介者とされた弥勒への信仰は、一向一揆に強烈な宗教的・社会的動機を与えることになった。さらに、太平天国の乱は西欧的意味に近いミレナリスムに即して展開されたし、天草の乱もまた、カトリック少数派農民に強いられたミレナリスムの闘いだったといえよう。
5.5
宗教信仰に内在する社会変革のいぶき
このように宗教と社会変革の関係をとらえてくるとき、最近南アメリカや韓国でもてはやされた「解放の神学」「民衆神学」などにたいする見方もおのずから変わってくるのではあるまいか。
それよりも、ユダヤ教やキリスト教と同起源であるイスラムがそれなりのミレナリスムをもたないはずがないし、近代におけるイスラムの覚醒と興隆こそその徴であるというのが筆者の仮説である。たしかにイスラムは日本人にとって馴染みの少ない宗教であるが、イスラム教圏の急速な拡大と、信者数の急増ぶりの
2
点で、現代世界で最も大きなアクチュアリティを示す宗教だといわれる。イスラムにあっては、日常生活と戒律が切っても切れない関係にあり、また信徒共同体意識がきわめて強いとされることからも、地域や教義や教派(スンニか、シーアか)の差をこえて、現代ムスリムのあいだに政治・社会生活の鋭い意識化をうながしていることは間違いない。
5.6
イスラム革命の成功とその射程
その最も顕著な実例は、
1979
年2
月11
日、ホメイニの指導のもとにおこなわれ、シャーを追放したイスラム革命の成功だった。出来事の起こった翌日、イタリア紙のためにミシェル・フーコーは次のように書いている。
「......この運動は、20
世紀にはまったくもって稀な結果に達した。ここでは、決定的な選択がなされた。すなわち、武器をもたない民衆が全員で立ちあがり、自分たちの手で〈圧倒的な力をもつ〉体制を転覆したのだ。だが、このことの歴史的な重要性はおそらく、それとわかる〈革命〉の範型にこの運動が適合しているということによるのではないだろう。その重要性は、この運動のもつある可能性によるものに違いない。すなわちこの運動が、中東の政治的与件を、したがってまた世界的な戦略の均衡を、揺るがすことができるということだ。
この運動の力となってきた特異性は、次いで、拡大する力をなすおそれがある。事実、この運動はまさしく〈イスラームの〉運動であることで、この地域全体に火を放ち、もっとも不安定な体制を転倒させ、最も堅固な体制の気がかりとなるかもしれない。イスラーム?単に1
宗教であるのみならず、1
生活様式、1
つの歴史、1
つの文明への所属でもある?は、億単位の人間の巨大な火薬庫となるおそれがある。昨日以来、すべてのイスラーム国家では、その世俗的伝統から出発して、内部から革命が起こりうることになった。......」(『ミシェル・フーコー思考集成・1978〜81』筑摩書房、2001、48〜49
ページ)
このフーコーの長い引用から読みとれるのは、第1
に、イスラム革命の形をとって平和裡に実現した(と考えられた)ユートピアの成立(あるいは、ミレナリスムの実現といってもよい)へ寄せるフーコーの祝意であり、第2
に、そこに垣間みられる、世界においてイスラムがもつ潜在力の大きさへの期待である。最良の意味での「イスラム原理主義」の定義がここにあるとさえいえよう。
第1
について、すぐつけ加えなければならないのは、あらゆるユートピアは(あるいは、あらゆるミレナリスムは)、実現したと思われた瞬間にその反対物、反ユートピアに転化し崩壊するものだという、「ユートピアの逆説」である。
5.7
豊かな潜在力ゆえのイスラムの受難
事実その後イランの歩んだ道は平坦ではなかった。
1980
年にはバクチアルによるクーデター未遂と、米大使館員人質事件があって、同年4
月には、失敗には終わったが、米軍による武力介入を受けた。イラクから侵攻されたのも同じ1980
年のことである。1981
年に米大使館員を解放したが、それはイラクと戦うに必要な米国製武器を入手する狙いもあった。イラン=イラク戦争が終結をみるのはようやく1983
年のことだが、今日にいたるも、米国から「ならず者国家」の烙印を押されているのは先に見たとおりである。
フーコーが期待を寄せていたイスラムの潜在力の大きさについていえば、これまでのところ十全に発揮されていない。むしろ残念なことに、イラン=イラク戦争、ソ連のアフガン侵略(1979〜1988)、湾岸戦争、アフガン内戦、ブッシュの主張どおりなら、9
月11
日の事件などに、いたずらに空費されていると言わざるをえない。イランが平和的にイスラム革命をおこなったことがシーア派であることと関係があるのかどうかつまびらかにしないが、1979
年以降をこのように手短に回顧するとき、超大国による直接間接の挑発こそが、イスラムが本来もっている潜在力の発揮を阻害している要因ではないかと思いたくもなる。
5.8
フーコーが予感したイランとパレスチナの結合
他方、イスラム圏にとってのもう
1
つの焦点、パレスチナ問題も和平プロセスがいったん軌道に乗ったかと思われたが、イスラエルのラビン首相の暗殺とともに地に投げ捨てられ、米国にいたってはまったくの無関心を決め込んでいる。
この点で、フーコーが予感していたイスラム革命の射程は、まさしくパレスチナにおよんでいた。先の引用文にすぐつづけ、次のような文章で全文をしめくくっているので、貴重な文献として、ここにとどめておく。タイトルは象徴的にも『イスラームという名の火薬庫』とつけられている。
「......事実、そうなっている。〈パレスティナの民衆の正当な権利〉の要求はアラブの民衆をほとんど蜂起させなかった、ということを認めておく必要がある。あの事件が、マルクス|レーニン主義や毛沢東主義への参照よりもはるかに強力な、イスラームの運動という力動を受け取るとすればどうなるか? 逆に言えばこうなる?ホメイニーの〈宗教〉運動は、仮にパレスティナの解放を目標として提示するなら、どのような効力をもつことになるだろうか?ヨルダン河はもはや、イランからそれほど遠いところを流れてはいない。」(同上書、49
ページ)
5.9
ビン=ラディンの軌跡
確実な情報がない以上、次の伝記的事実はいずれも筆者の推測の域を出るものではないが、ソ連侵略軍と闘うためアフガニスタンにおもむいたムジャヒディンのビン
=ラディンは、おそらく純粋なミレナリストであり、最良の意味でのイスラム原理主義者だったろう。そこでCIAから援助を受け、表向きの主張とは異なる米国の巨大な権益の存在と、それを守るためいかなる金額にも、いかなる手段にも訴える強引さを知ったにちがいない。湾岸戦争でイラクとの戦いとなるや、同じ米国が聖なるサウディ・アラビアに軍隊を駐留させ、我が物顔にふるまうのを耐え難い思いで見たにちがいない。さらに、パレスチナ人民のためには指1
本動かそうともせず、おのれに都合のよいよう勝手放題に、グローバリゼーションめざしてブルドーザーさながらに横車を押す姿をみて、米国指導層の鬼子になったのではなかろうか。
5.10
結びにかえて
ともに宗教者でありながら、ビン
=ラディンの目に映るブッシュの姿が、ブッシュの目に映るビン=ラディンの姿と同じ、「邪悪」であるのは興味深い。
湾岸戦争に反対して、日本人有志が『ニューヨーク・タイムズ』に意見広告を出したとき、700
名をこえる米国市民から反響が寄せられ、その約4
分の1
が広告の趣旨に反対であり、なかには「この世界には邪悪が存在する」と断言したものもあった。再反論する役目をたまたま引きうけた筆者は、次のように書いたことを思い出す。
「......邪悪なものの存在は否定できません。しかし、仮に100%邪であり悪であるものが存在しているとしても、この仮定から直ちに、邪悪ではないもの、その邪悪にたまたま反対している存在は100%正であり、善であるという結論がでてくるのでしょうか?
......」(市民の意見30
の会編『「アメリカは正しい」か』第3
書館、1991
年、235〜236
ページ)
それにしても、彼がミレナリストであるかどうか、筆者にとっての最後の問いは、純朴な信仰と狂信とのあいだには本来紙一重の差しかないのだが、われわれはどのようにこの違いを判別できるのだろうかという点にある。
(文中の編注はMKさんによる。)
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