news-button.gif (992 バイト) 25 林茂夫さんを偲ぶ会と無防備地域運動 2006/07/31掲載)

 7月29日(土]の午後、東京・四谷の主婦会館で、故林茂夫さんを偲び、合わせてその遺稿・追悼文集の出版を記念する集まりが開かれました。その簡単なご報告です。
 軍事問題や自衛隊問題の研究家で、無防備地域運動の提唱者だった林茂夫さんが75歳で亡くなられたのは2004年7月18日でしたが、それから2年を経て、立派な遺稿・追悼文集が刊行されました。池田眞規、古川純、松尾高志、丸山重威、山内敏弘、吉池公史編著『無防備地域運動の源流――林茂夫が残したもの』(日本評論社、定価3,200円+税)で、前半の第1部には「非核都市宣言運動と無防備地域運動」(1983年)、「自分の運命は自分できめる」(1984年)、「世界の民衆が共生できる自由、民主主義そして平和」(1991年)など、これまでの単行本に入っていなかった林さんの遺稿8本がまとめられ、後半は第2部「林茂夫が残したもの」として、山内敏弘「林茂夫と無防備地域運動」など、編者6人による論文が、第3部には「私と林茂夫」として、林さんの学生時代の友人から、平和委員会時代、その後の反基地闘争や無防備地域運動での仲間たちが林さんへの思いや業績をエピソードを含めて語る貴重な文集、そして最後に夫人の塩綾子さんら遺族の文が収められています。
 集まりには林さんの知人、友人、運動仲間、そして林さんの業績を慕う人びとなど50人ほど
と、夫人の塩綾子さんほかご家族が参加し、献杯の後、編者の一人、丸山重威さんを司会に、林さんへの思いがつぎつぎと語られました。私も平和委員会時代の思い出などをお話しましたが、この会のなかでの話で特筆すべきことは、多数参加していた無防備地域運動の実践を進めている関西や関東の活動家が、つぎつぎとこの運動の重要性と、特にそれをいち早く日本の中で唱導し、その普及のために努力された林さんの大きな功績、影響力を熱い言葉で語ったことでした。
 2004年以来、平和無防備条例制定を求める直接請求は、全国の15の都市に広がり、ついに国立市では市長から賛成意見書が出されるまでになりました。この意見書は「政府がそのパンドラの箱を開け、戦争への道が開かれたのであるならば、……自治体として市民の平和的生存権を保障する新たな道を自ら探るしかありません」とし、「市民保護のために創られた国際法であるジュネーブ条約第一追加議定書を生かしたまちづくりは、現実的な平和政策として最も効果的であり、かつ憲法9条を自治体レベルで着実に実現する」と断じています。さらに「自治体が国際法にのっとり戦争離脱する」条例が「市民を守る最も有効な道」とし、「無防備による戦争放棄のまちが日本全土を包囲し戦争放棄の国にならんことを」と結んでいます。残念ながら、国立市議会は、この条例案の採択を否決し、実現にはいたりませんでした(7月19日)し、日野(7月11日)、市川市(6月7日)など、他の都市での採決でも、これまでのところ、自民・公明などの反対によりすべて否決されてきています。しかし、この運動を進めている人たちは、これからが本当の仕事なのだ、それは長期にわたる活動として展開されるのだと、意気軒昂たるものがありました。
 ところで、ひとつ注目すべき問題は、こうした採択での日本共産党の議員団の態度です。最近、その採決に際して、共産党議員団は、退場・棄権して、賛成票を投じなくなっている とのことです。この日配布された「無防備地域宣言運動全国ネットワーク」が出した「無防備による戦争放棄の国に!」と題するカラー印刷のチラシにあるこの問題に関する文章を以下に転載します。これまでのところ、『赤旗』の紙上では、この問題に関する見解は報道されていません。

   
不可解な共産党の態度変更

04年の大阪市以来一貫して無防備条例実現のために協力いただいて来た共産党の立場が、去る6月7日の千葉県市川市議会での「棄権」「退場」以来大きく変化して来ています。その理由として「ジュネーブ条約は戦争を前提にしている」「急迫不正の攻撃に抵抗権がない」(共産党市川市議団)からと言われています。しかし、現代国際法は前提として戦争の違法化と武力不行使の原則を打ち立て、不法不当な占領支配に対する住民の抵抗まで否定していません。
私達は憲法9条をまもり、戦争放棄の日本を実現する立場から、共産党の皆さんが、引き続き無防備地域宣言条例の実現にご奮闘されることを強く期待するものです。
 

 なお、公安調査庁が今年1月に公表した「内外情勢の回顧と展望 −核・テロの脅威及び複雑化する国際情勢と日本のなかの、「(3)  市民層への浸透に力を注いだ過激派」の項には、以下のような記述もあります。ご参考までに転載しておきます。

MDSは,イラク民主化勢力支援や「無防備地区宣言」運動を通じて,市民を結集〉1949年8月12日のジュネーヴ諸条約の国際的な武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書(議定書I)

 社会主義社会の実現を標榜する「民主主義的社会主義運動」(MDS)は,イラクの「民主化勢力」代表を招いて反戦集会を開催するなど,独自の存在感を示した。特に,MDSが進めるイラク反戦運動では,市民層の結集を図る受け皿として,各地に「イラク市民レジスタンス連帯委員会」を立ち上げ,イラク市民の戦争被害などを紹介する各種イベントを実施して,同連帯委員会の会員拡大に努めた。
 また,MDSは,政府の有事体制づくりに反対する運動として,ジュネーヴ諸条約追加議定書を根拠に,「無防備地区宣言」条例の制定運動に取り組み,東京・荒川区など8自治体の住民らで運動体を組織し,それぞれ条例制定の直接請求に必要な法定数を超える署名を集めた。さらに,MDSは,各地の運動体で構成する全国ネットワークが,著名人らを呼び掛け人として運動推進を呼び掛ける「1,000人アピール」への賛同人集約や学習会に取り組むなど運動の伝播に努める中,運動に協力した市民に,傘下団体の集会への参加を呼び掛けたり,機関紙の購読や組織への加盟を働き掛けた。
 MDSは,今後も,イラク「民主化勢力」への支援運動と「無防備地区宣言」運動を活動の柱に据え,市民の結集に努めていくものとみられる。

 「無防備地域宣言運動全国ネットワーク」のURLは、http://peace.cside.to/ 
 また、公安調査庁のこの報告書が載っているサイトのURLは、http://www.moj.go.jp/KOUAN/NAIGAI/NAIGAI18/naigai18-04.html#02 です。この公安調査庁の報告には、イラク反戦運動、共産党や「過激派」、市民運動などについての公安側の評価が載っており、興味深いものがあります。