43 またまたイレウスの来訪で入院。その間にあったことや感じたこと。 (2008年12月04日 掲載)
先週の火曜、2日は朝から腹痛があり、夕刻には耐えられなくなって入院を覚悟しました。10月に続いてイレウス(腸閉塞)の再訪です。今度は間が短かすぎました。入院の支度をしているところへ、たまたま知人の原田隆二さんが電話をかけてきて、それだったら今から車で迎えに行気、病院まで送ってゆくと言ってくれました。原田さんの車に乗せられ、いつもの病院へ。
水分も含む完全絶食以外には、治療は何もないのです。点滴に痛み止めの薬を入れて、痛みだけは止めてもらいますが、あとはひたすら、腸の炎症がおさまって、消化物がそこを通過するようになるのを待つだけです。絶食は4日続き、その間は点滴だけ。5日目にやっと三分粥がでるようになり、8日目に退院してきました。点滴はしていても、かなり痩せ、45kgになっています。
やもめ暮らしの人間が突然家を留守にし、8日間も帰らないと、その後始末は結構大変です。翌日捨てようと思ってそのままにしてしまったゴミ類は異臭を放っています。一方、ベランダの鉢の植物はすっかり萎れています。翌日以降の料理にと買っておいた豚肉は冷蔵庫の中で期限を切らしており、野菜類もかなり痛んでしまっています。郵便物は山のようと言うと少し大げさですが、その間に配達された宅急便の一つは期限切れで送り主に返送されてしまっています。それに洗濯物の山です。この間に来たメールはその大部分がspanなのですが、1,500通を超えています。でも、その中に必要物も少し入っているので、まとめて消すわけにもいきません。どうやらそれらを処理するのに、丸二日以上かかりました。愚痴はそれまで。
この間に、だいぶ不義理をしてしまいました。二つはお祝いのパーティ、二つは知人の葬儀です。
二つのお祝いの集まり
お祝いのほうは、長い間、東京・目黒区の区議をつとめ、反戦と人権のための活動を続けてこられた宮本なおみさんの著書、『革新無所属』の出版をお祝いする会(11月27日)と、57年もの長い間の知人、武藤一羊さんの喜寿のパーティとそれを機にしたシンポジウム(11月29日)です。どちらも盛会だったようで、参加された方は、みな、いい集まりだったと言われています。私は参加を申し込んでいたのですが、かなわず、メッセージを送ることで失礼しました。
また、今日も、ベ平連のサイトではお知らせが載っていますが、高橋武智さんの講演とパーティが中央大学であるのですが、退院後の疲労が抜けず、これも欠礼させていただくことになってしまいました。
二つの葬儀――遠藤忠夫さんと金子静枝さん
悲しいほうの出来事は、東京・神田・神保町に「ウニタ書舗」を開き、左翼や反戦グループの出版物を網羅的に扱っておられた経営主、遠藤忠夫さん(83歳)の逝去と、ベトナム戦争中、8年間、通勤の往復に反戦のゼッケンをつけ続けた金子徳好さん(
昨年11月に逝去)の夫人で、切り絵作家として著名な金子静枝さん(79歳)の逝去です。どちらの方も、私と深いお付き合いをしていただいており、葬儀には当然参加すべきところだったのですが、失礼せざるを得ませんでした。長い弔電をお送りしただけでした。
遠藤さんとは、ベ平連以来、さまざまなことでお世話になりましたが、出版・表現の自由を守る会の活動もご一緒しました。金子さんとは、2002年の2〜3月、ベトナム・ホーチミン市の戦争証跡博物館に日本の反戦市民運動の資料を寄贈する訪越団でご一緒にベトナムを訪問しました。また、それ以後、私の関係する反戦市民グループ「市民の意見30の会・東京」の機関誌の表紙に、金子さんの美しい切り絵をカラー印刷で連載させていただきました。金子さんの個展も何度か拝見しました。.
哀惜の念でいっぱいです。
入院中に読んだ本、小中陽太郎さんの新著『市民たちの青春――小田実と歩いた世界』のことなど
入院中は、よくテレビも見ましたし、本も読みました。
本は、入院するとき、鶴見太郎『柳田国男入門』(角川選書)と李恢成『地上生活者(T)』(講談社)を持っていきました。前者では、とくに第三章「民俗学が生む〈方法〉について」、第四章「思想への態度」、そして第八章「漂泊と現代」などを非常に興味深く読みました。また、後者はまだ長く続く(Vまで刊行、以後も雑誌に継続連載中)ので、読み続けるつもりです。
入院中、小中陽太郎さんの新著『市民たちの青春――小田実と歩いた世界』(講談社)を寄贈されました。出るべき本が出たと思い、早速、一晩で読了しました。武藤さんのパーティで配布されたメッセージ集の中で、小中さん自身がこの本について触れ、「きっと小田祭り上げ派は怒るでしょうが。」と書いていますが、「人間
小田」の章の中には「小田好みの女 君の名は」などという節もあるころを意識して書かれたのだと思います。でも、小田さんのすべてを語ろうとすれば、これは誰かが書かねばならぬことでしょうし、それには小中さんは適任の人でしょう。書いてはいけないということであってはならないと、私は思います。
しかし、一読して、この小中さんの新著には、かなりまずい問題点があると思いました。
一つは、ベ平連の活動に関して、事実関係や時間的前後関係で、誤りが非常に目立つのです。ベ平連の中心的活動家の一人だった小中さんが書かれ、講談社という一流の出版社から発行された本となると、引用する人も多く出るでしょうし、誤りが「歴史」にされてしまう危険もあります。これは訂正せざるを得ません。私は、近いうちに少なくとも気づいた点を列挙して、ベ平連のホームページに掲載し、注意を喚起するつもりでおります.。(この正誤表は12月9日、本サイトの「読書ファンへ」欄とベ平連のホームページの「ニュース」欄No.523に掲載しました。)
あと二つは、事実の問題ではなく、評価にかかわることですが、その一つは、小田さんをめぐる女性についての評価と、その表現の仕方です。これについては賛成できません。女性問題自体を書くことに反対しているのでないことは、すでに書いたとおりです。
もう一つは、高橋武智さんの新著『私たちは脱走アメリカ兵を越境させた』で明らかにされた行動などへの評価です。小中さんは、ベ平連は当時、法律に違反するような違法行為はしないという原理にたっており、高橋さんらがやったパスポート偽造による脱走兵出国などは「当時のベ平連が承認するわけはない」として非難しています。これは、こと、ベ平連の運動の原理にかかわることだけに重大な意見の分岐です。私はこの小中さんの意見に賛同できません。ベ平連に参加していた人びとが抱いていたことは、法の定めるところがどうであれ、自己の内なる良心に従って正しいと思うことであり、やるべきことだと思うならば、仮にそれが違法となり、処罰の危険があろうとも、それを行なう、というものだったと思います。
ベ平連が解散した1974年以降、高橋さんがとったその後のいくつかの行動(これは、高橋さんの本がカバーしている時期よりも後のこと)には、私も意見があり、批判も持っています。しかし、ベ平連時代の脱走兵援助活動の中で行なわれたことは、原理的誤りがあったとは思いません。違法行為はしないという原理と小中さんは言いますが、この小中さんの本の中でも、「逮捕状が出ていた」日大全共闘議長の秋田明大さんを自分の車で運んでやったことがあり、「厳密に言えば刑法違反かもしれない」と書いている(173ページ)のですから、原理問題とすると矛盾しています。それに、高橋さんを「偽造屋」とまで表現するのは、筆が走りすぎたのではないでしょうか。
以上の意見は、もちろん、小中さんご本人にも直接お伝えしました。