第十回原水爆禁止世界大会――とくに国際会議の総括にかんする意見
(1964年8月28日 日本平和委員会常任理事会での発言)
日本平和委員会常任理事
吉 川 勇 一
私は第十回原水爆禁止世界大会に際し、日本平和委員会書記局の決定に基き、原水爆禁止日本協議会国際部事務局の要員として活動し、この大会に参加した。そして、この大会、とくに国際会議の経過と大会が果した客観的役割に深い衝撃を受けた。しかし原水協の一要員としては、私は大会の政治的内容に意見をのべる立場ではなかったので、これまで与えられた任務を忠実に実行しできた。しかし今、国際部要員としての任務を辞し、日本平和委員会の常任理事としてこの常任理事会に出席した時、私はこの大会の政治的総括について、私の意見をのべる立場にあり、また、それは日本の一平和活動家としての義務でもあると考える。
主観的善意と客観的結果
私は第十回原水爆禁止世界大会のもつ重大な結果に衝撃を受けているとのべた。しかし、この重大な結果と影響、とくに国際平和運動における影響に、多くの日本の一般平和活動家は気がついていないように思われる。大会に先立って開かれた百万人集会や、京都、大阪の大会に参加した人びとには、未だその真相が知らされていないからである。この事態の大部分は、非公開の会議やごく少数の代表しか参加できぬ国際会議において進行したのでるから、多くの善意の平和を愛する人びとにそれが知られていないのは無理もないと思うが、しかし、第十回世界大会を支持し、参加した善意の人びとが、主観的に平和と独立、とくに原水爆禁止を望み、平和運動の統一を願っていたにせよ、この大会が、日本の平和運動と世界の乎和運動に客観的に与えた深刻な結果は変らないのである。
原水爆の禁止と世界の平和、日本の独立を望み、平和運動の統一を真に願うわれわれ日本の平和活動家のすべてにとっての義務は、一刻も早くこの重大な事実を認め、日本と世界の平和運動の統一の方向について正しい見解をとることでなければならない。
では、第十回世界大会が果した客観的役割とは何であったか? 一一日間にわたる、いやそれ以前の三日間の非公開の会議を含め、七月二七日から八月九日までの一四日間にわたるさまざまな集会がこの大会の下で開かれたたが、何よりもこの大会の性格の本質は、頭初の三日間の非公開の会合と国際会議の前半、すなわち世界平和評議会、ソ連平和委員会その他の代表団七〇名以上が脱退するに至る間の経過に、最も象徴的に示されている、と私は考える。以下、結論をいうまえに、二、三の具体的事実を御紹介して参考に供したい。何よりもこの事実が知らされていないということが、正しい判断をはばんでいるからである。
海外代表の一部への差別
第一には、国際会議における議長、運営委員、起草委員など、大会役員選出をめぐる問題である。
国際会議の開会前、二七日からの三日間の非公開の討議の中では、海外代表からの役員選出が決まらず、そのため三〇日午後の各団長会議では、国際会議第一日はとりあえず日本側の役員のみで運営することが、満場一致で決定された。もちろん、日本代表団長である平野義太郎本会会長や、安井郁原水協執行代表委員、運営委員長である畑中政春本会書記局員など、日本側幹部を含めての一致であった。
ところが、国際会議が始まり、右の各国各団体代表団長の満場一致の決定が会議に報告されるや否や、突然日本代表団の中から緊急動議が出され、それを契機に会議は右の満場一致の決定をくつがえす方向に運営されることになったのである。
ここで重要な役割を果した代表の中に、すなわち、緊急動議を提出した人のうちの一人と、また、緊急動議議の内容と必ずしも一致しない方向に会議を運営した運営委員長とが、いずれも本会書記局員であったことは、私は日本平和委員会にとって非常に遺憾とするものである。(緊急動議の提案内容は、出席している各国代表が一人一人、三県連集会に出席する意図があるかないか、その態度を明らかにするよう求めたものであったが、運営委員会は、海外代表からの役員選出がないままに国際会議を進めることに反対する、といぅ風に、内容を変えて会議を進行させた。)
この問題の討議の過程で、日本代表団および日本原水協は、三県連の会議に出席する意志を表明している代表は、議長その他一切の大会諸機関に選出すべきではないという見解を表明し、役員の投票による選挙を、一部代表の反対をおしきって決定した。しかしこの問題に関しては、国際会義の中でアニュブ・シン・インド代表が詳細にのべた論点が全く当を得ているものと私は考える。
彼はつぎのようにのべている。「私は公式、非公式をとわず多くの大会に出席してきたが、このような驚くべき取扱いを受けたのは今回がはじめてである。われわれは招待を受け、われわれは自分で旅費を払ってここに到着し、われわれの信任状は受理された。そのあとで突如として、この大会の後でわれわれはどこへ行くのか、という問題が提起された。われわれは招待者に対してしかるべき尊敬は払いながらも、これは実質的にはわれわれに対する侮辱であると考えないわけにはいかない。もし、彼らが、広島で開かれるもう一つの集会、ここにいる人びとの中からも出席する人がいるかもしれない集会について、それほどこだわるのであれば、彼らは最初からそれを明らかにのべるべきであった。……人びとを招待しておいて、また彼らを代表としてうけ入れたあとで、そののちに、一部の外国代表、われわれと同じ資格で参加しているはずの外国代表が『君たちは出てゆくべきだ』とか、『もし君たちが別の集会にゆくなら、君たちは不可触賎民のようにとりあつかわれる』などということは、この会議にとって、あまりかんばしくない記録をつくることになるだろう。」と。
もしも三県連の集会に出席する外国代表の存在が大会として絶対に許せないのであるならば、そのことは招待状に最初から明確に記されるべきであったろう。しかし招待状にはそのことは何らふれられず、むしろ異なる意見の人びとがこの大会に参加でき、平等に討論に加われるということが保証されていたはずである。
このことは、会議の頭初の、説明会において、くりかえし日本原水協執行部から確認されていたことでもあった。
たとえば、招待状に同封された付属文書や、日本原水協発行の英文機関紙「ノーモア・ヒロシマズ」には大会のはるか前から直前まで、くりかえし、これはのべられていた。すなわち、「昨年広島で行なわれた第九回世界大会では、大きな困難に直面したにも拘らず、また、いくらかの問題について意見の相達があったにも拘らず、国際共同行動のプログラムにかんして一致に到達した。日本原水協が第十回世界大会を主催するのは、第九回世界大会のこの精神にもとづくものである。……日本原水協は、第十回世界大会が、部分的核実験禁止条約その他のような議論のある諸問題の評価にかんして、いかなる既定の基準をも他の人びとにおしつけることを許さず、共通の行動にかんして一致に到達するよう、熱心にねばり強い努力を行おうとするすべての代表に場所を用意するものでなければならたいと確信している。」 (招待状への付属文書、「ノーモア・ヒロシマズ」四・五月合併号二頁)
さらに指摘しなければならないことは、原水協は一般招待状以外に、電報をもってもソ連平和委員会に代表派遣を要請し、「ソ連代表団の参加はこの会議成功のための決定的条件」とまでのべており、さらに大会直前には、日本原水協からモスクワのソ連平和委員会に直接、電話までかけて、早急な代表団派遣を要請したのであった。
しかも日本側は、世界平和評議会やソ連平和委員会が三県連の集会にも参加するということを、事前に十分に承知していたはずである。このことは、ソ連大使館から日本原水協に事前に回答があった点であり、また八月一日に日本原水協担当常任理事会が出した声明の中でも確認されている。にも拘らず、日本原水協はそのことにふれずに、意見の異なる人びとも大会に参加できる旨の招待状を送ったのであり、代表派遣を希望していたのであった。
われわれがくりかえしのべてきた「第九回世界大会の精神」とは、まさに意見の違いにも拘らず、当面の緊急行動で一致するというものであった。今年の大会の中で一致すべき「当面の緊急行動」とは何であったか。それは、南ベトナムにおけるアメリカ帝国主義の侵略と北ベトナムその他への戦争拡大、その他、それこそ世界を危険におとし入れる帝国主義者どもの戦争行為であったはずであり、決して三県連集会へ出席するかしないかが、全世界の平和・民主勢力にとっての当面の緊急課題であったなどとは云いえないであろう。ところが、大会の途中から、この「第九回世界大会の精神」とは、そんなことではなく、「三県連集会を脱落分子による分裂集会であり、破壊的陰謀である、と認め、反対すること」であるというふうに、内容がすりかえられてしまったのである。
そして会議が開かれるや否や、第九回大会の決議を支持し、その精神である「異なる意見をもちながらも当面の行動で一致させうるし一致しなければならぬ」という態度を基礎に、南ベトナムにおけるアメリカ帝国主義者の侵略行動への反対行動をどを提案していたソ連代表団に対し、日本側は、「三県連集会に出ると聞いて憤激している」(佐藤重雄氏による日本提案など)などとして、もっぱら論議の焦点を三県連集会への出席問題にしぼり、大会役員から三県連集会出席者を除くという決定を行ない、遂に多くの代表団の大会脱退を余儀なくせしめたのであった。
このことは、日本原水協の側の三県連集会にかんする評価をのべて、あとは外国代表の良識ある行動を希望するのみにとどめるという、頭初の日本原水協執行部の態度ともあいいれぬものであり、大会を分裂させる決定的要因の一つをつくったものであつた。
非民主的議事遅営
もう一つの具体的例を示したい。いかなる会議でも、議事進行にかんする動議は優先的にとりあげられるものである。第十回世界大会国際会議の冒頭でも、事実、日本代表団からの緊急動議が議長によってとりあげられ、「歓迎の挨拶」以前に全体討議が始まるという過去九回の大会のいずれにもなかった異例の運営が行なわれたのであった。
しかしながら、世界平和評議会代表団やソ連その他の代表団などの反対をおし切って役員選挙が行なわれ、その結果が発表されたあと、イタリア、フランス、インドなどの代表団から議事進行にかんする動議がたびたび出された時には、日本側議長団と運営委員会はこれを全く無視し、また日本代表団の中の多くの代表も他の代表団とともに野次や手拍子による妨害によってこの発言をしりぞけ、遂に許可を与えなかった。これは会議の民主的ルールを全くふみにじったやり方であり、とくに日本原水協自身が決定し、大会に報告、承認を求めた議事運営にかんするとりきめの四項「すべての会議において参加者は、意見の相違が生じた場合は、大会成功のために、ねばり強く話しあい、一致点を求めることに全力をあげて努力する」という原則を自から破る運営であった。このこともまた、会議の分裂と一部代表団の退場を決定的にさせた要因の一つであった。
事実の歪曲
第三の問題。日本原水協執行部は、こうした運営を少しも反省しないばかりか、八月一日に、担当常任理事会は、事実に反する内容を多く含む声明まで発表した。
この声明は、未だ参加外国代表の名簿と国際会義の完全な議事録が公表されていないこと、および国際会議以前の三日間の会合が非公開であるという条件の下で、「以上の○○名の海外代表の大部分は、七月二九日に、ソ連の計いでまとまって乗込んで来た人びとであり、かれらの中には、日本原水協が招待状も出しおらず、先方からあらかじめ出席通知のなかった人物も多い」とか、彼らは第十回大会に出席した圧倒的多数の海外代表および日本側の情理(ママ)をつくした説得をもかえりみず、道理に反する大会撹乱のための言動をとり続けた。彼らは自らの議事妨害、その他の言動によって会議の中で完全に孤立し、分裂策動の余地がなくなると大会不参加の奇怪な通告をつきつけることによって妨害しようという新たな手口をとるにいたった」とか、さまざまの非難をこれら脱退した代表団に加えている。しかし事実はどうであろうか。
脱退した七〇数名以上の外国代表の大多数は、それぞれの国の平和組織(ほとんど平和委員会)または国際組織を正式に代表する信任状を所持しており、またそれらの平和組織または国際組織は、日本原水協から招待状を受けとっていた筈である。またこれらの人びとの中には、日本でも名の知られた平和運動指導者が数多くいた。その点では過去いかなる大会よりも代表的な人物が含まれていたといえよう。
アルジェリア平和委員会会長、アルゼンチン平和評議会副会長、ブルガリア平和委員会副会長、カナダ平和会議議長、フィンランド平和委員会議長、イギリス平和委員会会長、ガーナ平和委員会書記長、イタリア平和委員会書記長、インド・AA連帯委員会書記長、インド平和委員会書記長、ヨルダン平和委員会書記長代理、モンゴリア平和委員会会長、同書記長、ニジェール平和委員会会長、ソマリア海岸解放同盟書記長、ソ連平和委員会副会長、同代表委員、AA諸人民連帯機構書記局員、国際民婦連書記長、世界民青連副会長、同書記長、世界平和評議会書記局員……こうした地位の人びとを、どうして「ソ連の計いでまとまって乗込んで来た人びと」であり、「日本原水協の招待状も出しておらず」などと誹謗することができようか。それらの人びとが抱いている政治的見解を批判することは自由である。しかし、それらの人びとの立場と名誉に対する攻撃、これらの人びとを選出した各国、各団休の人民を侮辱するようなことは、決して大会主催者のなすべき行為ではない。 むしろ、これらの人びとを攻撃した代表の中に、これまで日本原水協と全く連絡のなかった人びとが数くいた。また、激しい言葉で非難や攻撃をし、野次や手拍子その他によって議事妨害をしたのが脱退した代表よりも、むしろこれら代表を攻撃した人びとの側であり、脱退した代表の方の大部分は、静かに異なる意見を開いていたということができる。
これらの経過や事実は、もしも正確な参加者名簿や完全な議事録が公開されるならば、日本と世界の人民の前に明らかとなる客観的な経過や事実である。(今の「議事要録」は必ずしも会議の真実を再現していない。)
しかしながら、重要な問題は、どちらの側が招待状をもっていたとか、正式代表であるとかいう点ではないであろう。日本原水協の態度は、この大会の趣旨に賛同して参加の意図を示したすべての団体、個人に対し、大会への招待状を送るというものであった筈だからである。問題は、むしろどちらの側が、こうした資格問題やあるいはオブザーバー問題などを先にもち出して他の代表への攻撃を開始し、分裂を決定的ならしめたかということであり、さらに重要なことは、これらの問題がでてきた時、主催者である日本原水協が、どのように会議運営の責任をとったかである。
これらの点から、私は、この日本原水協担当常任理事会の八月一日の声明が、会議主催者の出すべきものとしてはまことにふさわしくない内容のものであると考え、それを深く遺憾とするものである。
大会論議の反平和運動的性格
大会の本質を示す具体的事例は数多く指摘されるが、最後にもう一つだけ、論議の性格についてふれておこう。
国際会議の前半における論議の中では、およそ平和運動、民主主義的大衆運動である平和運動の限界を脱したものが多かった。
たとえば、「レーニンの遺産、一九一七年の遺産、同志スターリンの遺産、彼らがファシズムを敗北させたという事実の遺産。君たちはそれを投げすてるつもりなのか? 君らに恥辱あれ、恥辱あれ、そしてもう一度恥辱あれ」(イギリス代表)というような、民主主義的大衆運動の舞台にふさわしからぬ非難、「こうした代表たち(アジア、アフリカ、ラテンアメリカの国ぐにのこと――筆者注)は暗黒の国から来ているのだ。そこでは人びとは原爆と闘ってはいない。」というような、およそ原水爆禁止の集会の趣旨とは反対の言葉、あるいはまた、「あなたこそ帝国主義のサシガネにすぎないではないのか。売国者め。私は貴方に面と向かってこう叫んでやる。あなたみたいな者にこそ、このような言葉が最適なのだ。卑怯者の仮面を引っぱがさねばならぬ」(ハイチ代表)とか、「この会議を妨害し、帝国主義者と闘おうとしない人びとはここから直ちに出てゆくべきだ。………たとえこれらの人びとが出ていったにしても第十回大会をやってゆくだけの十分な人びとが残っているのだ」(マラヤ代表)といった非妥協的な、少なくとも平和運動の内部にいる人びとに向けられるべきではない言葉などが出された。そしてこれらの言動はすべて、世界平和評議会やソ連その他の代表団を大会から叩き出すという、ただ一つの目標にむけて行なわれたものであり、決して条理を尽した説得などというものではなかったし、また平和運動の枠内で認められるべき言葉ではなかった。
大会の結果と日本平和委員会指導部の果した役割
一体、以上のべてきたようなことが、これまでに日本原水協執行部がきめてきた路線、日本平和委員会が創立以来十五年間追求してきた伝統ある路線と合致するであろうか。また真に平和を願う日本国民の支持を受ける経過であろうか。たしかに日本平和委員会は、仙台における本年度全国大会において、世界平和評議会指導部の若干の問題に対して批判的見解を採択した。しかしわれわれがこれまでとってきた方針は、たとえば世界平和評議会の西欧中心的考え方などを批判しつつも、世界平和評議会の内部にあって、世界平和運動の統一と団結を強化してゆくということではなかったのか。
ところが今回の大会は、世界平和運動の統一を固めるどころか、世界平和運動を決定的に分裂させ、また日本の平和運動の一部を世界の平和勢力の大部分と決定的に対立させてしまった。しかもそのやり方は、世界と日本の人民の眼の届かぬ非公開の会議と国際会議において、非民主的なやり方で、ソ連や世界平和評議会の代表団を攻撃するというものであり、それはまるでダマシ討チのようなものであった。
一言にしていえば、この国際会議は、平和運動や原水爆禁止運動の本来のあるべき姿とは無縁な、反ソ、反世界平和評議会の舞台と化し、国際的な「反修正主義闘争」の修羅場と化し、世界平和運動を決定的に分裂させる場となったということである。
しかし、それは、決して日本側の希望に反してそうなったのではなかった。むしろ、そうさせる上で、日本原水協執行部と、また日本原水協の中で重要な地位を占めている日本平和委員会の多くの指導部が、決定的役割を果したのであった。
これによって、これまでわれわれが努力してきた世界平和運動の統一、世界平和評議会との正しい関係を基礎とした連携、ソ連、中国その他、全世界のすべての国ぐにの平和勢力との連帯、協力の関係の樹立という目標は、日本原水協と、日本平和委員会にかんするかぎり、完全に水泡に帰してしまったといわねばならない。
このことは、いかに強調してもしすぎることのないほど重大かつ深刻な事実であり、日本平和委員会常任理事会はもちろんのこと、日本のすべての善意の平和活動家が十分に認識しなければならない大会の経過とそれが果した客観的役割であり、結果である。
日本原水協と日本平和委員会はどこへ行くのか
日本原水協と日本平和委員会はこれからどこへ行こうとしているのであるか? すでにこの第十回世界大会への無批判的賛美の声の中に、いまや日本平和運動は世界の平和運動の先頭に位置し、その中心となったという声が聞かれる。これはどういうことを意味するか。私は、日本原水協が、今後、大会決定にある「世界十億人統一行動」の指導的立場をとる責任があるとして、実質的には、世界平和評議会に対抗して世界平和運動を組織的にも分裂させる一方の例の組織的中心に移行してゆくさきぶれの評価でなければよいが、と案ずるものである。しかし、事実の進行は、これが杞憂でないことを示すであろう。世界平和評議会に結集した世界の平和勢力と、ソ連を含む多くの社会主義国の平和勢力とに決定的に対立した日本原水協と日本平和委員会が、これら勢力を除いて第十回世界大会の決定であるいわゆる「世界十億人統一行動」を今後実践に移そうとすれば、今回の大会を脱退した諸勢力に対立するもう一方の側の勢力にもっぱら依拠し、その勢力の支援を得て行なう以外にはなく、それはわれわれが、世界平和運動の分裂の一方の極にますます身を近づけ、その対立をいよいよ決定的ならしめる効果のみを生み出すことになるのは、必然の道行きであると予想される。
日本平和委員会は、いつ、世界平和評議会やソ連その他の国の平和委員会が、帝国主義の手先であり、それと決定的に対決せねばならない敵であるという断定をしたのであるか? 日本平和委員会は、あの一九六二年の偉大な全般的軍縮と平和のための世界大会の前後に示した世界平和運動統一への正しい基本姿勢を、いつ、こんなにまで変えたのか? もしも今年の仙台全国大会の決定が、かかる事態を招くことを当然の前提として含んでいたというならば、われわれは、今からでもそれを再考しなければならないであろう。
(吉川注) 以上は、日本平和委員会常任理事会での発言であるが、これを更に詳しく論述した文章は、月刊誌『経済評論』〈日本評論社〉の1964年12月号に載せた吉川勇一「第十回原水禁世界大会と今後の平和運動」にある。
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