news-button.gif (992 バイト) 78. 昨年12月8日の集会「 殺すな!」〈講演とシンポジウム)の全記録、ブックレットで出版、売れゆき好調。(2003/02/14 掲載 )

 内容充実だった12月8日の集会、「殺すな! ――ベトナム・アフガン・パレスチナ・イラク……と私たち」(発明会館ホール)での講演、シンポジウムの全記録を収録したパンフレットが完成、出版されました(左はその表紙)。A5版80ページで、定価500円です。 送料180円(5部以上まとめてご注文の方には1部400円 送料5部で340円)。18日、日比谷公園で行なわれたイラク攻撃反対の「ピース・アクション」の会場では200部近くが売れました。2月1日からは、毎月第1土曜日の午後6時から、新宿西口地下広場でこのパンフを売る行動も始まりました。その後も毎日、20部、30部と注文が来て、完売も見込まれます。
 以下に、シンポジウムの司会を務めた作家の吉岡忍さんのまとめの言葉と、パンフレットの最後に付された「あとがき」を転載します。多くの方がたが、このパンフを広げてくださるよう、お願いいたします。
 パンフレットお申し込みは旧ベ平連運動のサイトの通信欄でどうぞ。 送金用振替用紙同封で送られます。

◎…生きる
吉岡 よく私は、ベトナム反戦運動は私の学校だった、と言います。これは実感です。そこには集会やデモばかりではなく、音楽や詩や芝居があり、ファッションやアートがあって、そのどれにも知恵を絞ったり工夫したりという苦しみやおもしろさもあり、それらが渾然となって渦のような表現となり、共同性を作っていたと思います。
 それが当時、私が生きることの全体を形作っていましたし、その延長線上にいま現在の私もいる、という感覚が深くしみついています。
 9・11の半年前ですが、私はアメリカ全土をほぼ一周して、かつて私たちが支援した脱走兵たちを訪ね歩きました。いったんスウェーデンに逃れて暮らした彼らの何人かは、故郷や、故郷の近くの街にもどって暮らしています。カーター政権の時代に彼らの家族が運動して、帰国許可を勝ち取ったからです。けっして生活は楽そうではありませんが、戦争に反対し、脱走したという経歴を誇りにしながら暮らしていました。
 そのあとで私はワシントンDCに行き、ベトナム戟争で死んだアメリカの若者たちの記念碑を見に行きました。五万八〇〇〇人の戦死者の氏名を刻んだ碑です。
 私は涙もろいほうではないのですが、その碑の氏名をたどりながら涙が出てくるのを抑えられませんでした。その旅をしながら会ってきた元脱走兵たち、あの彼もこの彼も生きていたんだ、という実感がこみあげてきたからです。この五万八〇〇〇人の戦死者リストに入らなくてよかった、それだけでもすばらしい価値がある、という思いです。
 それから今年、今度はベトナム中部のソンミ村に二度行きました。ベトナム戦争のなかでもっとも有名となつた虐殺事件が起きた村です。わずか四時間でひとつの村が消えたといわれるほどの惨劇の現場に、いま行ってみると、歴史を証言する小さな博物館が建っていました。
 私は当時の生き残りの村人たちの話を何日間もかけて聞いて歩いたのですが、そのあとであらためて一人で博物館に入り、アメリカ兵たちに殺された五〇四人の名前に見入っていたとき、ふいに胸が熱くなった。「いま話を聞いてきた、もう老人となった人たちは生きたのだ」という事実、その実感が突きあげてきたからです。
 その感覚を忘れたくない、と思います。生きるということはたいへんなことだ、生きること自体に詰まっている重みをきちんと、この体で覚えておきたい。逆に言えば、自分のあずかり知らぬ力で、ある日突然、その生命を絶たれたり傷つけられることがどれほど理不尽で不当なことか、ということでもあります。そのような理不尽、不当な力を、私はとても受け入れる気にはなりません。
 これでシンポジウムを終わります。今日のようなテーマには結論やまとめをつけるのではなく、ここに集まったお一人お一人が考え、行動につなげていくきっかけにしていただくことがふさわしいと思います。長時間、ありがとうございました。

 

◎あとがき
このブックレットは、二〇〇二年十二月八日、東京・虎ノ門の発明会館ホールで開かれた講演とシンポジウムの集会「殺すな!ベトナム・アフガン・パレスチナ・イラク…と私たち」(参加者 約二〇〇人)の記録である。
 昨二〇〇二年のはじめ、「べ平連(べトナムに平和を!市民連合)」などかつてのべトナム反戦市民運動の参加者が二回にわたってべトナムを訪問した。ホーチミン市にある戦争証跡博物館に日本の反戦市民運動の資料を贈ることを目的とした訪問だった。集めた資料をもとに反戦市民運動を記録したDVDも作成して寄贈した。戦争が終わって二七年、べトナムはたくましく建設と経済発展の道を歩んではいたが、しかし、枯れ葉剤の被害者の状況はお悲惨のきわみだった。訪越団は、べトナム戦後二七年の世界の現実についても共通の憂いを語りあった。
 その帰国後、アメリカが、べトナム戦争の教訓から学ぶべきものを学ばず、アフガニスタンにつづいて、イラクに対する戦争の準備を進めている状況の中で、その何人かが相談し、世代をこえて平和を願う人びとによびかけ、べトナム戦争とそれに抵抗した運動の意味するものを今一度ふりかえり、そこからあらためて今日のアメリカの戦争とそれに抵抗する人びとの考え、姿勢、運動のかたちについて考える集まり(「殺すな!」集会)をしようという呼びかけを出すことになった。
 最初の呼びかけ人は、梅林宏道、遠藤洋一、大木晴子、小田実、川手晴雄、福富節男、山口幸夫、坂元良江、島田清作、高橋武智、古沢宣慶、本野義雄、柳瀬正勝、吉岡忍、吉川勇一、和田春樹だった。九月二日、そのための第一回の準備会が開かれたが、これには、つい先日急逝された「声なき声の会」の小林トミさんをはじめ、かつてのベトナム反戦運動参加者、および、この運動に関心を持つもっと若い世代の人びとが集まった。集会成功のためのカンパの呼びかけや、集会への参加の訴えが発せられたが、一四〇人ほどの方々から送られてきたカンパは、一月十日現在、八七万円を超えている。また、それ以後、何度も相談会が開かたが、最初の呼びかけ人に加えて、阿部めぐみ、岩垂弘、大木茂、引地茂、細井明美なども常時くわわり、実務の分担などが行われて集会の準備が進められた。
 これら多くの人びとの協力のおかげで、集会は成功した。そして、非常に濃い内容だった本集会の全体像も、このような形の記録として発行することができた。深くお礼を申しあげる。         (呼びかけ人を代表して、吉川勇一記)
※なお、集会では、講演に先立って、DVD『殺すな! 日本の市民はアメリカのべトナム侵略とどう闘ったか』の無料公開上映が行なわれました。今後、このDVDの上映については、左記にご連絡ください。
 〒197−0013 福生市武蔵野台1−3−7 サンハイツF4 遠藤洋一 FAX:0425−52−5156
 また、関連情報は、常時、以下のホームページのニュース欄などに掲載されていますので、ご利用ください。
         http://www.jca.apc.org/beheiren/