68 市民の意見30の会・東京事務局の仲間、旗手みどりさんが逝去 (2002/10/13掲載)
私が参加し、もっぱら力を注いでいる市民グループ、「市民の意見30の会・東京」の事務局の仲間、旗手みどりさんがなくなられました。9月14日夜、横浜市の自宅で入浴中、おそらく心臓麻痺による死と思われます。72歳でした。「お別れ会」(喪主:お連れ合いの旗手勲さん)が 9月19日夜、横浜市のノースホールで行われ、
ご家族、ご親戚のほか、友人やさまざまな運動の仲間たちが100名以上参加しました。私も事務局の友人たちと出席しました。
旗手さんは、私が言い出してはじめた市民の意見30の会・東京の「反戦映画クラブ」に毎回参加され、その運営を手伝ってくれました。また、1998年5月には、 沖縄での大規模な反基地運動に市民の意見30の会・東京事務局の仲間と一緒に参加
し、嘉手納基地をとりまく「人間の鎖」では、私と一緒に手をつなぎました。毎年の市民の意見30の会・東京の事務局合宿にも必ず参加されていました。ここ半年ほど、躁鬱の症状で療養されていましたが、快方に向かいつつあり、また一緒に行動できるのを期待していたときの逝去でした。残念です。謹んでご冥福をお祈りします。
「お別れ会」に少し早めについたので、私はホールのすぐそばにある橋の上で夕日の沈むのを眺めました。当日は晴天で、夕焼けに富士山がはっきりと見え、日が沈むと宵の明星が輝きだしました。こんな光景を30分もの間眺めつづけるというのは、数十年来、なかったことです。旗手さんからの贈り物のように思えました。
旗手みどりさんは、元歴史の教師。市民の意見30の会・東京事務局の仕事以外にも、歴史教育の研究会や、地域での良書普及書店の運動など、多彩な活動に参加されていました。旗手さんは、東大社研教授だった故山之内一郎教授の長女。自宅は、横浜市港北区日吉本町2-31-2-401。
(写真は1998年5月、嘉手納基地包囲人間の鎖で市民の意見30の会・東京の仲間とともに。左から4人目が旗手さん)