news-button.gif (992 バイト) 62 ベトナムへ行ってきました (02/03/19掲載) 

 これまで「臨時のお知らせとお願い」でご報告しましたように、さる2月27日から3月5日まで、ベトナム社会主義共和国のホーチミン市に行ってきました。これは、「ご案内」欄の No.49 および No.51 にありますように、ホーチミン市にある国立の「戦争証跡博物館」に旧ベ平連運動など、日本のベトナム反戦市民運動の各種展示用資料を寄贈するための訪問でした。ベ平連の代表だった作家の小田実さんを団長、そしてジャテック〈反戦米脱走兵援助日本技術委員会〉の責任者だった高橋武智さんを副団長に、全部で29人のグループでした。
 いずれ、この模様は、詳しくご報告しますが、一言で言えば、出発前に予想していた以上の成果があったと思います。以下に、簡単に経過だけを記しておきます。

戦争証跡博物館に展示用資料やオリジナルのDVDを寄贈

 経過は、前記「ご案内」欄を見ていただきたいのですが、ホーチミン市にあるこの博物館には、これまで、日本のベトナム反戦市民運動の資料が何も展示されておらず、ここを訪ねた日本人の多くの方から、ベ平連などの適切な資料を送るべきだという提言が寄せられていました。昨年11月から、そのための運動を始めたのですが、目標100万円の基金募集に、倍以上のお金と多数の貴重な資料が寄せられ、また、マスコミ各社、多くの写真家、映画監督の方々から無償で提供された写真、記録映画などをもとに、日本のベトナム反戦市民運動の実態を紹介する54分のDVDも新しく作製されました。DVDを見られるようにと、28インチの大型カラーテレビや、DVDのデッキも寄贈品に加えられました。展示用の写真は引き伸ばして額に入れられ、また、展示用のポスター、バッジ、ゼッケン、各種出版物〈国内の米軍基地で発行されていたアングラの英文反戦誌紙など〉などはすべて、保存に耐えられるようコーティングされ、それらを反戦市民運動関係の多くの書物とともに博物館に寄贈出来ました。また、博物館の基金にと、$2,000が贈られました。

上映されたDVDにベトナム側は感動

 
ベトナム到着の翌28日、私たちは同博物館を訪問したのですが、玄関のひさしの上には、歓迎・ベ平連の大きなデコレーションが飾られ、会合の席には、正面に日本語で「殺すな」の文字を載せた白い鳩と、ベトナムの国旗をあしらった赤い鳩のデコレーションが飾られているなど、博物館側の歓迎準備が大変なものだったことがわかりました。(右の写真は、博物館長と抱擁する小田実さん)
 贈呈式は、2月28日、同博物館で、グエン・ティ・ビン副大統領や、友好団体連合会長ら多数が出席して行なわれ、その場で、DVDの上映も行なわれました。ベトナム側に、日本の反戦市民運動がきちんと紹介されたのは、これが初めてであり、ビン副大統領はじめ、ベトナム側参加者は、食い入るようにその画面を見つめ、中には涙を流している人もいました。博物館側は、さっそく、これら資料をきれいに展示しました。
 (このDVDのナレーション全文、および製作スタッフなどの紹介は、「旧ベ平連のサイト」の「ニュース」欄に掲載されています。(http://www.jca.apc.org/beheiren/news/html) また、日本語版の試写は4月13日に予定されています。その案内は、この左の欄の「映画ファンへ」欄をご覧ください。)

小田実、高橋武智さんとともに、私も「平和と友好章」を受賞しました

 博物館側からは、日本の訪問団全員に同館のバッジ(一番上の図、この図柄にある3つの爆弾は、フランスと日本とアメリカの爆弾を表しているという)と、民族楽器のミニチュアが贈られました。また、この席上、ベトナム友好団体連合会の会長、ヴー・スアン・フン氏から、小田実、高橋武智、そして私の3人に、「諸民族間の平和と友好章」が贈られました。(左の写真は、グエン・ティ・ビン副大統領と握手、右下は、「平和友好章」についてきた授賞のカード)


グエン・ティ・ビン副大統領らと率直な意見交換

 
翌3月1日、一行はクチの地下壕などを見学したのですが、同日午前中、急遽、グエン・ティ・ビン副大統領らと懇談する機会がつくられたため、小田実、川口健一、高橋武智、羽根田新平、吉岡忍、和田春樹、そして私の7人がそれに出席しました。いずれ、その意見交換の記録も公開したいと思っていますが、とにかく、双方ともずいぶん率直に現在の国際情勢や、ベトナム戦争の持つ意味、国際的な反戦勢力の提携問題などについて意見を言い合い、そして、その大部分において、意見は一致したと思います。これも大きな成果でした。

ソンミの大虐殺跡の記念館も訪問

 
3月3日には、ベトナム中部、クアンガイ省のミライ村ソンミを訪問しました。1968年3月16日、この村に侵入した米軍は、村民のほとんどすべて、504人を虐殺したのでした。ここには、「ソンミ事件記念館」がつくられていますが、この虐殺事件当時11歳の少年で、かろうじて死をまぬかれたファン・ターン・コンさんが現在、この記念館の館長を勤めており、この館長と、もう一人、ソンミ事件生存者のおばあさんで、77歳になるハ・ティ・クィさんから、生々しい事件の話を聞くことが出来ました。この記録もいずれ、ご報告します。

「旧ベ平連のサイト」の「ニュース」欄もぜひごらんください

 
リンクがはってありますが、「旧ベ平連」のホームページの「ニュース」欄には、このベトナム訪問に関するベトナム労働党機関紙『ニャンザン』はじめ、各新聞の報道の翻訳や、贈呈式の際の写真などが多数載っています。そちらもぜひご覧ください。
 以上、とりあえずのごく形式的なご報告です。まだ、事後処理の仕事が山積しており、十分な時間がとれないのですが、徐々に、両方のホームページの上に、この問題の追加情報を掲載してゆきます。

(なお、本ホームページの「最近文献」欄に、このベトナム訪問について『週刊読書人』に書いた文章を載せましたので、それもご覧ください。)