236 脱原発の12.4西東京集会・デモ (2011年12月05日 掲載)
この日、雨で寒いかと心配していたのですが、いい天気、朝も夕も、私の部屋の窓からきれいに富士山が見える日でした(左の
中の写真)。
午後2:30から、西東京市で今年4回目の「原発はいらない西東京集会&デモ」があり、参加しました。会場は毎回、市内の場所をあちこちと交換・変化してあります。今回は西武池袋線「ひばりが丘」のそばのひばりが丘公園出発で、約2キロの谷戸せせらぎ公園までのデモでした。約150人くらいの参加だったでしょうか(
左上の写真)。
これまでの3回とも参加してきましたが、デモを貫徹したことはありませんでした。今回は、天気もよさそうでしたし、全部歩いてみたいと思っていました。何とか、最後までデモに参加できました。でも、私にとっては、歩きのスピードが少し速すぎて、息が切れ、かなりきついデモになり、シュプレヒコールを言うことは出来ないどころか、ヒー! フーッ!とだけを言うありさまでした。途中、あと、何キロぐらいですかと世話人の人に聞いて、あと500メートルぐらいですよ、あと300メートルですよ、などと言われて、何とか最後までくっついて歩くことができました。弱くなったものですな、とあらためて痛感しました。
歩いている途中、街の中の一軒の家のドアに、左の
下の写真のような表示がついているのに気がついて、感心しました。どんな人なのかな?と考えていました。ほかに、歩く途中、参加の証拠を残したいので……と、カメラマンを持っていた女性に頼んで、私のカメラに右の写真をとってもらいました。証拠ですぞ!
出発での集会では、最初に話をした世話人の一人、柳田由紀子さんは、私たちの行動は「パレード」とは言わず、いつまでも「デモ」と言うことにします、と言い、デモクラシーと関係しながら、デモという表現の大事なことを強調する話をされていました。私は共感でした。デモが終わった後、解散地で集会があり、最高者だから、というらしく、私が最初に話をさせられました。私は、本欄の西東京市の市民・住民運動のNo.10で書いてある西東京市内での二つの運動体の問題点の話をしました。そのあと、さらに近くの谷戸公民館視聴覚室で、参加者による「フリートーク」の集まりがあったのですが、私は、出てくる前に干しておいた洗濯物をそのままにしてあったので、これには参加できず、帰宅せざるをえませんでした。この日は、マイカーで行って来なかったので、そこからバスでひばりが丘駅まで行き、駅前のSEIYUの地下で夕食用の握り飯などを買ったあと、タクシーで帰宅でした。何せ、かなり疲れていたもので。
次回の「原発はいらない西東京集会&デモ」の予定は、以下の会ブログに出ますので、ぜひアクセスしてください。1月の集まり予定は右下をごらんください。
Blog: http://nonuke-ntyo.cocolog-nifty.com/
E-mai: nonuke-ntyo.cocolog-nifty.com/ Twitter: @nonuke_ntyo
この集会で採択された「集会アピール」を以下に全文、紹介しておきます。
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12.4原発はいらない西東京集会アピール
2011年は、東日本大震災と福島第1原発事故の年としていつまでも歴史に記憶される年となった。
私たちは、今、歴史の確かな証人となり得るかどうかの分岐点に立っている。
原発事故災害を防ぐことができなかった事実に向き合い、まず、「国策」としての原子力推進の誤りを先進国ブランドへの渇望とナショナリズムの殻を打ち破って認めなければならない。
命を受け継ぐ子どもたちと生まれ来る子どもたちの未来を奪う人々にはもうご退場の時であることを、示していこう。
歴史の傍観者ではなく当事者として。
福島原発事故で世界中に膨大な放射能をまき散らした国が、今、原発輸出を拡大しようとしている。
被爆労働で成り立つ原発、放射性廃棄物を生み出す原発は世界のお荷物だ。
私たちは、ヨルダン、ベトナム、韓国、ロシアとの原子力協定に反対する。
現在運転中の原発10基は直ちに止め、
事故や定期検査で停止中の原発44基は、そのまま廃炉にしよう。
私たちは地域から「原発いらない」の声を挙げ続ける。
福島で、原発立地で、全国、全世界で
原発全廃を求めて運動する人々と連帯して行動していく。
2011年12月4日 原発はいらない西東京集会参加者一同
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