知人の方がたのご好意で、10月29日(土)の夕方、東京・文京区民会館の大講堂で「吉川勇一さん・武藤一羊さんの80+80=160歳を祝う会」
という集まりが開催されました。
遠くは小樽市や山形県、長崎市や京都市などからもご参加があり、また、なんと、香港やフィリピンからいらっしゃった方もありました。全部で150人以上の方がご出席くださり、にぎやかな盛会になりました(右の写真の1番目と2番目が一杯の会場)。
会場には二人の著編書が並べられましたが、武藤さんの新著『潜在的核保有と戦後国家――フクシマ地点からの総括』や、私の編著『一九六〇年代 未来へつづく思想』は、多くの方から購入いただきました。
会費は2000円だったのですが、来られた方からいろいろな飲食物を持ってくださり、第2部の会場のテーブルの上には、たくさんのビール、ワイン(一人で12本も贈られた方も!)、日本酒、焼酎、そして肉類、散らし寿司、フライ、サラダ、ピザ、サンドイッチ、などのカラフルな皿が並べられ、
中には、前夜から当日朝までかけて餅を三臼も搗いて、からみ餅などを作ってきたくださった方もいられました。とてもこの会費では出来ないような豊かな食卓でした。
参加者には、書評集のパンフレット(1)や、二人の各80年の年譜(2)(3)が配布されました。それら文書はすべて下記にPDFファイルで載せてあります。
集まりは、市民の意見30の会・東京事務局長の野澤信一さんと、ピープルズプラン研究所の塩沢加奈子さんの司会で進められました。まず、天野恵一さんが間に入って、吉川、武藤の二人から、それぞれの活動や、二人の関係などについて10〜15分ほどの話がありました(左の1番目の写真がその三人の話)。そのうち、吉川の話は、最後にやはりPLFファイル
(4)で、それを紹介してあります。
今から20年前、1991年の11月、PARC(アジア太平洋資料センター)が主催して、吉川・武藤のほか、北海道の哲学者、花崎皋平さんを含め、「トリオの還暦を祝う会」という、三人を一緒に集めた会合がありました。今回は、遠くの花崎さんは来られないかと思っていたのですが、急に参加されることになりました。それで、花崎さんも前に
出ていただき、「吉川・武藤・花崎の80+80+80=240歳の会」と言えるような集まりにもなりました。これも思いがけない嬉しいことになりました(右の3番目の写真の左
端が花崎さん)。
以下、参加者の中から、元岩国教会の牧師、岩井健作さん、山形県置賜、白鷹町で共同食品加工グループ「のら」で農業をしている元PARC事務局の活動家だった疋田美津子さん、元福岡ベ平連の活動家で、名古屋大学名誉教授、工学博士の黒田光太郎さん、香港からわざわざ参加されたPP21,ARENAの活動家、ラオ・キンチさん(通訳はフィリピンからの大橋成子さん)、米反戦脱走兵援助活動家だったTVプロデューサーの坂元良江さん、そして『ひとはどのように兵になるか』、『飢死の研究』などの作家・思想家の彦坂諦さん(左の上から3枚目)の6人の方から、二人について関連する話がされました。
ついで、最高齢の参加者、数学者の福富節男さんと最年少の参加者、PARCの小池菜採さんのお二人の音頭で乾杯がされました(右の4番目の写真)。
第二部からは、飲食とともに、生田卍さん(左の2番目左の写真)、柘植洋三さん、木村雅英さん(バスクラ演奏)らから、歌や楽器演奏も出されました。
最後に、元代々木ゼミナールで吉川と同僚の教師だった諸橋実さんと、名古屋学院大学での吉川ゼミOB会(代表が吉野良平さん)から、二人に花束が贈られました(右の一番下の写真)。おかげで、
それをいただいて帰った私の部屋は一挙に明るくなっています(左の一番下の写真)。また、ラオ・キンチさんからは、二人に中国絵の掛け軸とボールペンが贈られました(左の4番目の写真)。
とても嬉しい集まりでした。武藤も私も、言葉では言えないような感謝の気持ちをもっております。ありがとうございました。
(この写真は、左の一番下のものだけが吉川の撮影で、あとはすべて、写真家の大木茂さんの撮影です。ありがとうございました。)
添付文書。クリックしてください。
(1)吉川と武藤の著書、編書への紹介文・書評類 (PDFファイル)
(2)吉川勇一の80年と近況報告(PDFファイル)
(3)武藤一羊の80年(PDFファイル)
(4)吉川が話をした武藤一羊についてのエピソード(PDFファイル)