224 6・11の反原発集会と、6・12の「声なき声の会」の集まりなど。(2011年06月14日
掲載)
ここ数日のごく簡単な私のご報告です。
6月11日の反原発集会には、夕方の新宿駅前の集会に参加しました。市民の意見30の会・東京の仲間たちは、新しいノボリ(左の写真)も作って、芝公園の集会とデモに参加しましたが、この距離は長すぎたようで、私はデモには入りませんで、夕方からの新宿駅前の集まりに参加しました。駅東口の広場は、久しぶりにたくさんの人びとが集まり、それを外側から多数の警官が列を並んで、道路に溢れないようにしていましたが、中は簡単に歩けないほどに人びとがぎっしりと詰まっていきました。主催者は2万人参加と言っているようですが、実際にどうだったか、わかりません。しかし、NHKのいう2,500人というのはひどすぎる数字ですね。
東口には、全体の統一の集まりというのはなく、あちこちに集会がそれぞれに開かれ、いろいろな発言の場が同時にたくさんつくられていました。私は、たまたま一つの集会で、たんぽぽ舎の柳田真さんの話は聞けました。デモの出発前の集会では、小熊英二さんも発言したようで、珍しいことでしたね。(この小熊さんの発言をはじめ、出発集会での発言は、YouTube
で全部見ることが出来ます。) かなり混雑の割にしては、知り合いの人たちにずいぶん会いました。たとえば、武藤一羊さんと白川真澄さんとなどです(右の写真)。
その翌日は、「声なき声の会」の集会に参加しました。毎年ですと、6月15日だったのですが、今年だけは、3・11大震災の影響もあって、臨時に日曜日に集会が開かれたのでした。30人ほどの参加でした(右中の写真)。この集まりを以後どういうやり方をするのがいいか、参加者全員の発言が出されましたが、就職中の人や、高齢の人は日曜日の昼間というのは助かるが、しかし、6・15という日付は非常に大きな意味があり、それは変えられないことであり、やはり来年からは、15日に開いたほうがいいと、ほとんど全員の人の一致する意見でした。
この集会には鶴見俊輔さんからのメッセージが配られました(以下に全文)。集会のあと、ほとんどの人は、国会南通用門への樺さんへの献花に行かれました。
「そこにいないことが残念です。しかし、この五十年は、 |
なお、鶴見さんは、久しぶりに京都を出て、東京での「九条の会」の発足7周年記念集会(日比谷公会堂)に出席され、そこで大江健三郎さん、澤地久枝さん、奥平康弘さんとともに講演されました。鶴見さんがご健康で、東京まで来られるようになったことには嬉しいことです。『赤旗』(6月5日号)によれば、「哲学者の鶴見俊輔氏は、広島と長崎に原爆を投下した米国の行為は科学を悪用しないというギリシャ以来の伝統を断ち切るものだったと指摘。『9条はなんらかの行動と態度表明によって裏付ける方がいい』と結びました。」とありました。
6月10日(金)の夜は、私も参加している市民意見広告運動の事務局メンバーが、今年5月3日も全面広告のイラストを担当されたデザイナーの鈴木一誌さんのグループも含めて、成功だった意見広告運動の事務局のご苦労さん会がありました(右下の写真)。単色の黒色を地にした意見広告はいろいろ意見は出されましたが、やはり強力なインパクトをもった紙面で、よかったというのが全員の意見でした。
3日つづいて集まりに出てゆくのは、やはりいささか疲れます。