news-button.gif (992 バイト) 223 6月6日、「富士見一八会」の集まりが12人で。5月25日には、「旧制浦和高校27回文甲のクラス会、11人で。 (2011年06月07日  掲載)   
 

  6月6日(月)、今年も「富士見一八会」(東京市麹町区富士見尋常小学校昭和18年卒業の1組クラス会)の集まりがありました。水道橋の東京ドームホテル3階の「リラッサ」で、昼食をとりながら、2時間ほど歓談しました。

 昨年も、この集まりのことをご報告し、「小学校を卒業したのは、1943年の春、ガダルカナル島から日本軍の撤退が開始された直後であり、山本五十六連合艦隊司令長官が戦死した直前のときでした」と書きました。それから68年です。小学校卒業のとき、クラスは56人だったはずですが、今日は12人が参加しました。とりあえず、写真(左上)だけご紹介します。 (前列左から、吉川、大久保隆輔、石川雅昭、佐藤荘次郎、大平實、後列左から、藤間佐多夫、加藤雅、大野雄也、古関英也、前沢昭尚、岸本光雄、齋藤環)
 この1年で、下村勇さん、村山譲司さんが他界され、また、矢島陸雄さんが認知症で出席できなくなっているという報告がありました。
 クラスの中に、朴君という背の高い朝鮮人がいましたが、卒業後まったく連絡がありません。今、どこにいて、何をしているのか、クラス会のときに、いつも気になります。

 順は逆になりますが、5月25日(火)には、旧制浦和高校の27回文甲のクラス会が、新宿・住友ビル49階「メンバーズギルド」で開かれました。麻島昭一「級長」を先頭に、植木浩、河野清、佐藤正滋、中城健、田代雅也、立石一雄、西尾隆、福島翠、吉川に、文乙からの飛込みの中村元禧を含め、12人参加でした。(右と左下の写真)。いつも参加していた大橋堅固、関根則之はたまたま不都合で不参加、また、大野明男は、脚が悪くなっていて外出が困難になっているようでした。小学校もそうでしたが、最近のクラス会は夜ではなく、昼になっており、このときも昼食をとりながらの歓談でした。みな80歳代に入ると、夜間の外出はなるべく避けようとなってくるのでしょう。