news-button.gif (992 バイト) 193 樋口篤三さんの傘寿・出版をお祝いする会 (2008/09/15掲載)

 8月28日(木)の夕刻から、樋口篤三さんの傘寿と、『社会運動の仁義・道徳――人間いかに生きるべきか』の出版を祝う集まり、「みんな樋口さんのせい!」が、東京・市ヶ谷のアルカディア市ヶ谷で開催され、140人ほどの盛会になりました。この会の名称は、今年初めに公開されたフランス映画『みんなフィデルのせい』にヒントを得て付けられたそうです。
 
集まりでは、発起人を代表して、同時代社の川上徹さんがあいさつした後、コシーオ・キューバ大使、塩川喜信さん、保坂展人さん、鈴木邦男さんらから、祝辞がありました。また、第2部のほうでも、20人近い人びとから祝辞や本への感想などが次々と語られ、私も最後のほうで発言を求められました。
 樋口さんは、兄三人が戦争で死んでいるが、その年齢は合わせても60歳にしかならない、じぶんが80歳まで生きてきていいのかな、という思いもあるが、しかし、ここまで来た以上、まだまだ長生きして、労働運動、左翼運動の再建に貢献したい、という挨拶を述べられました。1945年8月に、それまでの自分が完全に崩壊し、そのあと読んだ尾崎秀実の本で目を開かれる思いをし、人生を出直すことになるが、今は、それと同じくらいの転機に立たされているのだ、と続けました。そのあと、著書にも書かれていますが、カストロの、敵味方の区別のない広い愛情を紹介し、社会運動の「仁義・道徳性」を強調して結ばれました。
 発言の中では、塩川さんと、戸塚秀夫さんが、今度の新著(同時代社刊、1,500円+税)への批判的意見を述べられました。塩川さんは、内ゲバ問題にもっと正面から取り組んで論じてほしかったという意見、また、戸塚さんがのべられたことは、社会運動の道徳は、指導的立場にある人間の道義性よりも、一般労働者が最下層での闘いの中で集団で作り上げてゆく同義にこそ基礎を求めるべきではないか、という意見だったと思います。
 私は、要旨次のような意見を述べました。
 樋口さんは、西郷南州を高く評価し、遺訓第三〇条を何度も引用している。命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」というのを読んでピンときた、これが革命家の魂だと思った、というのだが、それは樋口さんが立派過ぎ、偉すぎるからで、その意味で、あまり普遍性がない。私のように、凡人、俗人で、官位はほしいとも思わないが、命は惜しい、金もほしいというような人間には、簡単にまねができない。そういう人間はどうしたらいいかは、ベ平連など、市民運動のもつ「道義性」にももっと注目してもらいたかった。樋口さんは、鶴見俊輔、久野収さんらを高く評価したい、とは書いているが、それは、アメリカのよきプラグマチズムを理解しており、また、日本の思想について深く勉強しているからだという。それだけではなかったはずで、ベ平連など市民運動がなぜ内ゲバせずにきたのかなど、それが生み出した道徳は、もっとあるはずだ。しかし、社会運動の「仁義・道徳」という、これまでほとんど論じられてこなかった分野で、樋口さんがこの本を出されたことは大きな契機となる。今後、ぜひ、この先を議論する機会が持てたらいいと思う。
 祝辞の中で、かなりづけづけと意見を言ったのですが、それも「みんな樋口さんのせい!」なのです。

(追加) 2008/09/18
 市民運動レベルでの「仁義・道徳」のことについて考えていて、私がこだわっていることの一つが、それに関係するのではないか、と思い至りました。それで、その私のこだわりに関して、かつて書いた文章が「執筆文献」欄の「最近文献」に掲載してありますので、それをご覧ください。「成田空港とキリンビールとバドワイザー」という短文(七つ森書館2002年間「着陸不可」に所載)ですが、この本にはついていない「注」を付記してあります。